久々に生存報告以外のネタを書こうかと思います。
今、『シルバーレインTRPG』のリプレイを読んでいます。
キクタケリプレイが好きな私としては内容に少々の物足りなさを感じています。よくいうと手作り感があり、悪くいうと作りこまれていない、そんな印象をいだきました。
地の文には無用な装飾語、会話では内輪ネタ、シナリオは「行った・やった・勝った」の単調なもの。正直なところ、これならもう少し努力すれば自分達でも作れそうに思えました。
そんな思いを抱きながらあとがきを読みました。内容を要約しますと……
今まで他のリプレイ作品を読んだ経験で著者はリプレイでは事前打合せが当然のようにあると思っていた。気を利かせてこちらから、「打合せは?」と聞くとそんなものはないよと言われ、あろうことかプレイヤーの一人はその場でキャラクターを作り出した。GMはその場で決められた設定を拾ってシナリオに組み込んだ。
というような内容でした。
これはリプレイなどを考えずにセッションを行う時の状況そのままです。このリプレイは通常のセッションに近い状況で作られたことを著者は暗にほのめかしているのです。キクタケ系のリプレイを遠まわしに批判しているのか、リプレイのコンセプトをおっしゃっているのか計り兼ねるところではありますが、この内容はリプレイが抱える根本的な疑問を鋭くついているのではないでしょうか。
つまり、どこまでがTRPGのリプレイといえるのか、という疑問です。
リプレイ=テープをおこしたものではないことは皆さんが認識していると思います。では、内容の修正はどこまで許されるのでしょうか。もっというとテープの内容、つまりセッション自体に少しでも打合せの要素があればそれはTRPGのリプレイではないのでしょうか。
答えはそれぞれにお持ちかと思いますし、小説とリプレイの境目を論じても何の意味もないでしょう。ようは、そのリプレイがその目的に則した面白さを持っていればいいのではないでしょうか。
私にはこのリプレイはリプレイの本来の目的、つまりそのゲームの遊んでいる様子を描いてルールや楽しさを伝えるということに主眼がおかれたものだと感じました。そういう意味ではとても楽しく読ませていただきましたし、自分でリプレイを作ってみようというモチベーションをあげるには丁度よいレベルの内容だと感じました。ただ、リプレイにも小説的な展開を求める私にとっては物足りなさを感じた、それだけなのです。
単にゲームの紹介本でしかなかったリプレイに多様性が生まれたのは大変喜ばしいことです。今後もいろいろな作者のリプレイを読んで、それぞれのコンセプトで楽しめればいいなと思っております。