串刺し公の由来

July 24 [Sat], 2010, 16:20
トランシルヴァニアやセフレモルダヴィアとの複雑な関係であり、ワラキア領内での粛清も多く、トルコ軍のみならず自国の貴族や民も数多く串刺しにして処刑したと伝えられる。串刺し刑はこの時代のキリスト教国イスラム教国のいずれにおいても珍しいものではなかったが、あくまで重罪を犯した農民に限られた。しかし、ヴラドの異常性は反逆者はたとえ貴族であっても串刺しに処したところにある。通常貴族の処刑は斬首によって行われるが、あえて串刺しという最も卑しい刑罰を課すことで、君主の権威の絶対性を表そうとしたと考えられている。

ヴラドを串刺し公と最初に呼んだのは、1460年ごろヴラドの串刺しを目の当たりにしたオスマン帝国の兵士であり、トルコ語でカズィクル・ベイ(カズィクルは串刺し、ベイは君主)という。このカズィクル・ベイの訳語がツェペシュである。また、今日の異常者というイメージは後述するハンガリーによるプロパガンダの影響が大きい。
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