社会科が分からないことについて 

2005年03月02日(水) 19時27分
子どもの頃から、「社会科」という科目が好きだったのですが、しかし社会についてはちっとも分からないというのが正直な感想でした。そもそも、<社会>っていったいなんだろう。分かったようで分からない概念を振りかざして、歴史や地理や政治や経済やらを語られても、生徒たる私に何がもとめられているのかがさっぱりわからないまま、いつしか私は社会を知らない大人へと成長していきました。

新聞記事や学校の教科書を読むだけでは、決して社会が何であるかを理解することは不可能であると、私は確信しました。私は、ある出来事をきっかけに、まるで雷に打たれたかのごとく、<社会科>そして<社会科学>が分かってきたのです。

いや、正確には、社会科学が抱える「謎」の存在に初めて気付いたと言うべきでしょうか。その謎というのはとてつもなく難解で、私はこれからも悩み続けることでしょう。しかし、私はその謎を解き明かすという目的を持って、新聞記事や教科書を読んでみたのです。すると、衝撃的でした。ああ、こういうことだったんだー、っと。社会科の謎たちは、私の足もとに、実はいくらでも転がっていたのです。分かったようで分からない概念は、社会科学の解答ではなかったのです。

私の記事は、<社会科>をテーマにしています。私が雷に打たれたような衝撃を、ぜひ社会科が得意な中学生、高校生に味わっていただきたいと思い、私はキーボードを叩いています。

主婦・ホームレス・最低賃金(3) 

2005年03月01日(火) 16時49分
最低賃金という基準に到達していない労働力は、市場では必要とされることはありません。市場で必要とされない人々というのは、その労働力が、最低賃金で売るほどの価値さえ無いということになります。前回まででホームレス・主婦を題材にあげましたけど、他にもたとえば高齢者や障害者も、労働力の対価が最低賃金に到達しない場合が多いことになるでしょう。

このような方々は、最低賃金法によって利益を受けるどころか、実は不利益を受けていると言えます。ホームレスが時給200円で危険で汚い労働に就くことができればよい、という提案を前回の記事でしましたけど、同様に主婦にも時給400円で働くことができれば、それを雇用する企業は今より必ず増える、ということになります。たとえば、事務所のお茶汲みだけでも、ほとんど電話がかかってこない事務所の電話番だけでも、時給400円で雇用することができるならば、企業にとっては大した支出になりませんから、雇う気にもなるでしょう。主婦もその労働力を市場で自由に売ることができるようになるわけですから、これはもう、企業も主婦も大満足、となることでしょう。

主婦に仕事が無い、というのは、実は最低賃金法が原因だったのです。「最低賃金法」は、いったい誰のためにある法律なのか…

主婦・ホームレス・最低賃金(2) 

2005年02月28日(月) 0時26分
ホームレスの保護政策を望む声は、いつも情緒的な響きを持っているように感じます。でも、私はホームレス保護を望む声が、どこか他人任せな気がしてしょうがないんです。ホームレスが路上や公園にたむろしているのを、哀れだと思ってそう望むのではなくて、自分が見たくないと思ってそう望んでいるように思えてならないのです。

博愛の精神でホームレスの保護を望むならば、それは自分の財布から負担すればよいのです。国家権力を用いることを望むのは、それを「自分以外の誰かにやらせる」ということに他なりませんね。

ホームレスの保護を、誰かがやらなければならない、と思うことが、私には間違っているように思います。誰もホームレスを保護する必要は無いし、路上で凍死するホームレスがいたとすれば、ダンボール集めに手抜きをしたホームレス自身の責任ではないかと、私は思っています。

しかし、ホームレスの中でもホームレスを引退したいと思っている方々のために、道を拓いてあげることが、社会や市場にとっても結局は利益になるのではないでしょうか。たとえば、ホームレスを時給200円で雇うことができれば、ホームレスを雇用しようと思う業者も必ず現れるでしょう。客商売には使えなくても、裏方の危険で汚くて過酷な労働にはまさ最適の人材かもしれませんし、それを安く雇用できるならば企業の利益になります。ホームレスは、労働を通して冬を乗り越えるための毛布を、市場で購入することができるようになるのです。

このように考えれば、最低賃金法はホームレスをホームレスに拘束する法律に他ならないと思いませんか?

主婦・ホームレス・最低賃金 

2005年02月26日(土) 15時09分
社会的な「ある問題」が発生したときに、私たちは「国家はいったい何をしているんだ!」ということを言いがちです。たとえば、ホームレスが冬場に路上で凍死した、という事件を見聞きしたときに、ついつい国家に対して、彼らの保護を要求したくなる。彼らには、毛布を買う金さえ無いんだ、だから国家がなんとかしてくれ、と。

また、企業が主婦をパート採用するときに、最低賃金ギリギリしか給料を出していない、という事があったとします。主婦は、最低賃金の上昇を望みます。国家は、低賃金で働く労働者を保護していかなければならない、だから国家は最低賃金を上昇させるべきである、と。

社会に生活する人々には、無限の要求があります。この無限の要求は、どんな弱者救済というイデオロギーに支えられていたとしても、決して要求のベクトルが統一されることは、ありません。一方で社会的弱者と言われる主婦を保護するための政策を執ることが同時に、新たなホームレスを産み、そしてホームレスにホームレスとしての地位を固定化させているという事実に、私たちは気付かないといけません。

主婦Aはなぜ最低賃金で働くしかできないのか? それは、主婦A自身に労働市場での競争力が弱いからに他なりません。つまり、主婦Aその人の責任。それを国家の強制力によって修正すれば、外に働き口の無い専業主婦Aが生まれる事になること必至です。主婦ならば専業主婦化することですみますけれど、環境によってはホームレスとならざるをえない人もいるわけです。

難解な文章になりましたが、いずれ敷衍しましょう。

論理とディベートを教えるところ 

2005年02月19日(土) 10時35分
最近、ウェブサイトで知ったのですが、「ディベート大学」なる組織があるようです。もちろん、正規の大学ではありません。サイトによれば、「ディベートに関する研究、教育、啓蒙、普及を目的とする任意団体」とのことです。その大学の主催者の北岡さんは、「裁判官は女には無理だ」ということを主張しているのですが、その論証がすごい。

「女は母親または母親となる可能性のある存在である。母、女は無限の愛をもっている。すなわち神様が地上に派遣した菩薩なのである。よって、その菩薩が裁判などしてはいけないし、無理なのである。裁判は冷酷無慈悲に判決を下し、人を殺せる男の仕事である。そして、人を殺せぬ女には無理である。」

論証構造(すなわち論理性)を明確にするため、私が要旨に接続詞を加えた文章ですが、これに対して、まじめに質問と批判を投げかけてみます。
1,母、女は無限の愛を持っているというのは、本当か。2,無限の愛を持っていればなぜ、裁判をしてはいけないのか。3,人を殺せることと、判決を下すことに、関係はあるのか。4,人を殺せる女も、人を殺せない男もいるのでは。5,殺人が可能であることを裁判官の条件とすればいいのであり、男女で分類する必要はないのではないか。

なんだかキリがないのですが、北岡さんの主張、元々はある女性裁判官の判決に文句を言っているところから始まっているのです。しかし、この判決は、その女性裁判官が、中堅企業の不利益のもとに、巨大企業を保護したというもの。そのことに、「女だから法律の条文しか見えていない」と文句を言いながら、女の裁判官は冷酷無慈悲になれないのでダメだ、というのはおかしな話です。その裁判官に対して、「女のくせに、冷酷無慈悲な奴だ」というのならば、スジも通るのですが。

このようなものが「ディベート」と称されて世に受け入れられているということは、驚きです。北岡さんはディベートや論理の本を多数出版しているとのこと。ディベートや論理というものが、世間で完全に誤解されているのでしょうか。少なくともサイト上での北岡さんの主張は、論理性が欠如しています。

さて、ディベート大学に興味を持たれた方は、検索エンジンからサイトを覗いてみてください。ここにリンクを貼ることは、(恐ろしいので)いたしません。ここで「ディベート大生」から反論していただければ、それは面白いかも知れませんね。

社会的弱者を保護してはいけない。(2) 

2005年02月11日(金) 16時04分
 私が、社会的弱者を保護するべからず、という事を言うと、誰もが驚きます。それだけで私は、冷血であるという烙印を押されてしまうわけです。しかし、それは顔の見えないウェブ上での発言であるから、とくにそう思われるわけですが、私がもしも、高齢者で、障害者で、女性で、外国人で、下請企業で、低所得者であった場合にも、本当に私は冷血な人に思えますか?

 あるいは、私は社会的強者であって、「社会的弱者を保護してはいけない」と言いつつも、実は自分で勝手にボランティアをやっていて、そこで高齢者や障害者や、その他諸々の「社会的弱者」と言われがちな人の援助をしていたならば、それでも私は冷血な人間でしょうか?

 おそらく、どちらも「そうではない。」と言われるでしょう。しかし、社会的弱者や、ボランティアに献身する人が、「社会的弱者を保護するな。」などと言うはずがない、と言われるかもしれません。特にボランティアの方は、一方で社会的弱者を保護するな、と言いつつ、他方で社会的弱者と言われる人に手を貸しているのですから、態度矛盾とも捉えられかねません。

 実は、「社会的弱者を保護するな。」という命題は、主語をあえて明確にしなかったのです。その主語とは何か? それは、社会的弱者という言葉に内包されています。そう、社会、あるいは国家というものなのです。国家は、社会的弱者のパターンを作りあげ、それを保護する事をしてはいけない、ということを実は述べたかったのです。

 ですが、「国家」なんて言われると、少し小難しい話に聞こえそうなので、ここで一気に書いてしまわずに、またいずれ、ということにいたしましょう。

言葉は、揺れ動いている。 

2005年02月08日(火) 2時50分
 私は、美しい言葉や、何を言っているのかその実体が掴めない言葉で論証しようとする人を、常に疑っています。たとえば、新聞の投稿記事を読んでいて、「このようなことは、民主国家理念に照らして問題である。」などと言われても、私には何を言っているかがわからない。 「民主」という言葉は伝家の宝刀の如く使われがちですけど、「民主」の意味を知らない私に対して「民主」という言葉を取り出して切って捨てようとする態度は、不誠実としか言いようがないよね。そんな言葉は、案外世に溢れています。

 「民主」なんて言葉を聞かされて、それに対して有効に反論できる人は、そうはいません。どうやら、まるで「正義」か「神」を言い換えた言葉のようです。でも、考えてみてください。民主とは何か、その言葉を用いている人が、本当にその概念の中身や範囲を理解できていますか? 曖昧な概念で物事をもっともらしく語る事ができる人は、「有能なペテン師」とも言えますね。

というこうとで、今日はここまで。

社会的弱者を保護してはいけない。 

2005年02月07日(月) 0時35分
 私は、福祉政策というものが好きではありません。選挙の際に「高齢者に優しい・女性に優しい・障害者に優しい」などというスローガンを連呼する人は信用しない事にしています。高齢者や女性、障害者、中小企業、下請け、労働者、低所得者、すなわち社会的弱者と言われる方々が、この世には溢れるほどいらっしゃるようです。この社会的弱者を優遇しようとする政策こそが、私の嫌いな福祉政策というものです。

 なぜ私が福祉政策を毛嫌いするかと言いますと、「福祉」は私の「自由」を奪い取るからです。たとえば、こういうことです。ある障害者に仕事がなかったために、国家は私の給料のうち1万円を税金として取り立てて、障害者に配分するわけです。私は、1万円で本当は焼き肉でも食べに行こうとおもっていたのに、国家にそれを奪い取られたために、焼き肉を我慢しなくては行けなくなってしまった。これが、私にとっては非常に許せない苦痛なわけです。(なお、誤解無きよう追記しておきますと、その奪われた「自由」とは、焼き肉を食べる自由ではなくて、1万円のことです。)

 本格的な記事第1回ということですから、あまり長々と書いてもと思いますので、続きは次回ということにします。私は、ここで時間をかけて徐々にまとまった考えを明らかにしていきますので、興味のある方は〜のんびり〜ついてきていただきたいと思っています。

2度目の「ブログ挑戦」 

2005年02月06日(日) 22時40分
以前、ブログをやってみたのですが、すぐにやめてしまいました。

私が書く文章は、経済学か哲学の専門書の書評のような難解さがあったために、誰も何もコメントを残してくれないのです。まれにトラックバックを残してくれる人の記事を読んでみると、それがまた法学か政治学かの解説のような堅さを有している文章なのです。私は、そんな堅くて難解な文章を読むのは嫌いではないのですが、これをブログでやっても、ちっとも面白くなかったのです。

私の考えたいことは、誰もが考えることができるはずの問題です。たとえば、「電車内で、お年寄りに席を譲るべきか?」こんな簡単そうな問題でも、パターン分けしてから、各々を詰めて考えてみれば、それが案外、難解だったりします。

こんな問題をここで提起して、皆さんの数多くの批判と数少ない共感を受けてみたいな、と思い、記事を書いてみることにします。専門用語は極力排除し、誰にでも分かる言葉で勝負していくことになります。
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