鉄棒から落下して後遺症が残る

May 04 [Wed], 2016, 10:15
私は中学校2年生の時、砂場の脇に設置されていた鉄棒で大胆にも出来もしない大車輪を試みたことがあった。
これがその後の私の人生を狂わせてしまう事になるとはその時は知る由もなかった。やっている最中鉄棒を握っていた私の手が離れてしまったと思う間もなく私は後ろ向きのまま砂場に落下していた。

後頭部を強打した私は気を失った。長い時間私はこの世の人ではなかった。意識が戻っても私という人間がどこからきて、どこに向かおうとしているのか、というよりただぼーっとしているだけで、今ここにいる存在そのものへの認識が出来ない恍惚の人になり果てていた。その後意識を取り戻した私は元通りの普通の学校生活に戻った。戻ったように見えた。しかし私の脳細胞は侵されていたのだった。その時は分からなかったが(今になって分かるが)重い後遺症が残った。訳も分からないような不安感・恐怖感・抑うつ感が怒涛のように私を襲ってきた。

高校に進学したものの訳の分からない精神的苦痛に勉学どころではなくなりとうとう登校不能になった。
精神的苦痛は、薬や医者に頼らず自力で克服した今に至ってもひつっこく私にまとわりつく。
恐るべし後遺症。
外見は普通に見えても脳は極端に言うなら破壊されている。単なる病気の次元ではない。だから社会生活が大変だ。特に人間関係がうまくいかない。すぐ人を怒らせてしまう。自分の脳のせいだというわけにもいかず仕方なしに生きている。人間関係がうまくいかなくても誤解されながら生きていくしかないと思っている。地獄がわが住処(すみか)。

舛添要一公用車使用問題

May 04 [Wed], 2016, 7:27
東京都の舛添要一知事が公用車でほぼ毎週末、神奈川県湯河原町の別荘に通っていたことが世間を騒がせている。
ところで以前、前都知事の石原慎太郎がアメリカに公務で出向いたとき高級ホテルに泊まったことが取りざたされたことがある。我々庶民の側からすると腹が立つのも無理からぬことかも知れない。しかし私の意見は違う。

彼らは東京という日本の首都の首長だ。それなりの役得が少しは与えられてもいいではないか、と私は思うのだ。
かく言う私は小さな自治会の会長をしているが役得らしきものが先ずない。本当にない。給料も出ない。ボランティアとは言え少し寂しい気がする。少しくらい役得があってもいいのでは、というのが本音だ。年間を通して何やかやと忙しい。雑務が多い。周囲から見るとのんびりしているように見えるかもしれないがとんでもない。

優雅に見える湖面の白鳥も水面下では足を忙しく動かしている。見ている側には水面下の状況は見えてこない。激務に追われる都知事の仕事は庶民には見えてこないだろう。何か楽にのんびり仕事をしているように見えるのかも知れない。・・・いいではないか。公用車で別荘に通うことくらい・・・。日本人はここらの考え方がどうも窮屈すぎる。貧乏人のやっかみ?
わたしも何か役得が欲しい!舛添都知事は給料が出るが私の場合ボランティアだから給料も貰っていないし、たまには誰か私を高級ホテルに泊まらせてくれないだろうか?

公衆トイレのトイレット・ペーパーのいたずら

October 15 [Wed], 2014, 18:42
どの世界にも一人や二人は常軌を逸したことをする人間が必ずいるものですね。

私の町内(町外かも知れない)にもいます。

私の住む町には公園があって、そこには公衆便所があります。

この公衆トイレが私の悩みの種になっています。

一応このトイレ、私が主に管理しています。特にペーパーです。

このトイレ、シルバー人材センターの人が不定期的に来て、水を流してくれるの

ですがその時、予備のトイレットペーパーを2〜3個置いて帰るのです。

ロール紙の側面にはシルバーと黒マジックで書いてあります。

この予備のロール紙、なかなか平穏無事では済まされません。

取られたり、いたずらされたりするのです。

今もいたずらを発見したばかりで腹が立って仕方ありません。

2個あった予備のロール紙が水に濡らされてグチョグチョになって置いてあるの

です。

多分、トイレの外に誰かが放り投げたのでしょう。そこに雨が降ったものだから

無残な状態になったのです。本当に腹が立って仕方ありません。


戦争が起きるのも、ちょっとしたこんな些細な憤怒の感情が発端になっているか

も知れません。当らずと言えども遠からずではないでしょうか。

今の私の気持は犯人を見つけたらタダではすまないぞ!といった憤りで満たされて

いるのですから…。たかがトイレット・ペーパー如きで…。

呉から三次まで車で行くにはどのコースが一番ベストか

October 09 [Thu], 2014, 21:53
呉市から三次市への最短コースを探求している。
現在考え着くだけのコースを次に記してみよう。

@R.375は昔からのお決まりコース。呉から三次まで一本道。

A呉〜馬木IC
馬木IC〜高屋IC
高屋IC〜河内IC
河内IC〜広島空港
広島空港〜世羅(広島中央フライトロード経由)
世羅〜吉舎IC(国道184号線経由)
吉舎IC〜三次IC(三次東JCT経由)

国道375号線馬木ICから自動車専用道路で高屋ICまで行き、山陽道に乗りすぐ

河内ICで降り、広島空港行き専用道路から広島中央フライトロードに入り、そ

のまま世羅まで走る。世羅フルーツロードを北進し国道184号線・安田交差点

(信号機あり)にぶつかったら左折し北進。

日彰館高等学校が左手に見えてくると吉舎(きさ)ICはもうまじか。

吉舎ICから尾道道に乗り三次東ICを経て中国縦貫道三次JCTを通過し三次

ICで降りる。


B呉〜R.375〜R.2〜八本松〜県道R.83〜県道R.33〜県道R.46〜志和口〜
県道37号線〜国道54号線〜県道432号線〜備北南部広域農道〜三次ワイ
ナリー

呉から国道375号線を北進し国道2号線(バイパス)に乗り、八本松方面へ。

八本松の所を旧2号線に降りずそのまま志和に向って走ってると県道33号線三

差路に出るからそこを右折北進する。

志和堀交差点を左折、県道46号線を通り広島銀行のある交叉点(芸備線志和口

駅近く)を右折、三次に向って北進する(県道37号線)。

国道54号線に自動的に出るから(三和分かれ)そこを三次方面に北進する。

しばらく走ると三次ワイナリー方面の標識があるのでそこを右折する(県道43

2号線)。走ってるとすぐに三次ワイナリーの標識があるのでそこを左折すると

ワイナリーに到着する。


C呉から国道31号線で海田まで行く。

大正交差点少し手前の交差点を右折しまだ未完成で建設中の東広島バイパス終点

(一貫田三差路手前)まで行く。国道2号線を少し走り志和IC入り口方面に入

り、北上していると県道33号線にぶつかるので右折する。あとはB番目で紹介

した通りのルートで行く。


Dお金に余裕のある人はクレアラインで広島大橋を渡り、仁保を経由して広島高

速1号線(約700円)で一気に山陽道広島東ICまで行く。

そこを降りて上深川から県道37号線(広島三次線)を北上あとはBCで示した

通りのルートで三次に行く。

広島東ICから山陽道に乗りそのまま高速道路で三次まで行くという手もあるが

お金が高くつく。広島東ICから三次ICまで約2千円くらいか。


E他に黒瀬の県道338号線や県道67号線で八本松を経由して行くコースもあ

る。

只、カーナビに頼るのではなく自分で地図を見て、コースを考えながらドライブ
するのも楽しい。

アーサー・ビナード講演会

October 06 [Mon], 2014, 9:40
憲法9条を守る「第9回 音楽と講演のつどい」に参加した。

主催は呉九条の会連絡センター(電話0823−73−1432)。

講演はアーサー・ビナードというアメリカ人男性だった。

1967年生まれ(65歳)。広島市在住。詩人・俳人・絵本作家・随筆家・翻訳家。

先ず言葉が明快で曖昧さがない、ということ。

ユーモアもあり人を惹き付ける力がある。そして勉強家、博識。

第2次世界大戦に詳しい。

日頃我々国民は何気なく報道を見聞きしているが上手い具合に騙されていることが

多いことが良く分かった。

第1次世界大戦は本当は1942年の2月に終わっていた(米がその気になれば)。

だが米は終わらせなかった。わざと長引かせた。

なぜか。それは米が日本で原爆実験をやりたいがためだった。

真珠湾は米がわざと日本に攻撃させて宣戦布告をするための口実作りのため仕組

まれたものだった。

巷では奇襲攻撃でやられたとかなんとか言ってるが、もうその頃、米は高性能の

レーダー設備を持っていて日本の動き(真珠湾攻撃の予兆)は逐一分かっていた。

だから真珠湾には意図的にガラクタの艦船ばかりしかなかった。

アメリカ側に3千人の犠牲者が出はしたが全部仕組まれたものだった。

それを裏付けるように米の主力の「航空母艦」は一隻残らず他所に行っていて

無傷だった。

その頃はもう海での船と船との戦いは終わっていて、航空母艦から飛び立つ爆撃

機が戦いの主役になっていた。

航空母艦以外の艦船はもう役立たずの時代遅れだった。

ミッドウエイ海戦と日本では言うけれど、米の認識は海の戦いではなく「エアー

バトル」航空機の戦争だった。

戦艦大和は大金使って時代遅れもいいとこ、無用の長物だった。航空母艦でない。

だから米も沈めないで泳がせていた。あんなもの米が沈めたいのであれば42年

に一日で沈めることが出来ていた。

 広島に投下された原子爆弾は「ウラン235」が使われ、長崎に投下された原子

爆弾は新型で「プルトニウム239」と3〜5%程度の「ウラン238」が

併せて使われた。

原子爆弾投下はトルーマン政権下での原爆の性能実験だった。

わざと攻撃させて日本に原爆を落とす口実を作った。

トルーマン政権は秘密裏に大金を使って原爆を開発していたが発覚すると大変な

ことになるので(原爆によって日本との戦争を終わらせる)というでたらめの

大義名分を作って原爆の性能実験を広島と長崎で敢行した。

こうすれば原子爆弾開発の大義を議会に説明出来る。

また沖縄戦は米の原子爆弾製造の遅れを調整する為の時間稼ぎだった。

日本全土への空爆も原爆投下のお膳立て的なものだった。

原爆はドイツには落とさなかったが(ビナード氏は語らなかったが)同じ白色人

種だったからに違いない。) 以上アーサー・ビナード講演会より


戦艦大和 艦歴

1937年11月4日起工

1940年8月8日進水

1941年12月16日就役

1945年4月7日沈没(北緯30度43分17秒 東経128度04分00秒)

なぜ「公民館」ではいけないのか

October 04 [Sat], 2014, 22:42
今年度から呉市の「公民館」の名称がなくなり新しく「町づくりセンター」に
変わった。
馴染みの言葉がすたれるのは非常に残念だ。
町名にしても古い町名がなくなり、味もそっけもない例えば「本通」1丁目とか
2丁目とかに行政の都合で整理されてしまう。
賢い人のやることだ。

「町づくりセンター」然り。この言葉、どうもしっくりこない。
書くのも、言うのも、どうも抵抗感が強い。
もとの「公民館」でなぜいけないのか。

私が所属する二川公民館も二川町づくりセンターに名称が変わった。
年に一度のおまつりも「公民館まつり」でなく、「センターまつり」に変わった。
何でもかんでも変えればいいというものでもあるまいに…。
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