どこが面白い!?『ヒャッコ』第3話の面白さを演出レヴェルで読み解いてみる
2008.10.24 [Fri] 23:42
先日のエントリ「『今日の5の2』でみる注目の演出家・上坪亮樹、演出・レイアウトの極意1」、「その2」に引き続き、上坪亮樹氏の演出とレイアウトの極意についてみていこうと思います。今回取り上げる映像テクストは、『ヒャッコ』第3話「前門の虎 校門も虎 / 張子の虎」です。同じ週に放送(関東南部)されたエピソードで、上坪氏がコンテと演出を担当したアニメが観られるなんて、上坪ファンとしてはこの上ないご褒美です。
最近、上坪演出は『ef - a tale of memories』(2007年)や『狂乱家族日記』『古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー 翼竜伝説』(以上2008年)で観ることができましたが、『今日の5の2』と『ヒャッコ』は、彼の特徴がよりよく出ていると思います。特に『ヒャッコ』は、日本アニメーションの制作なので、本来はそれほどエキセントリックな演出やレイアウトは行われない印象ですが、演出が上坪氏ということで、期待大でした。
放送後の評判でも、「『ヒャッコ』は演出によって出来/不出来の差がある」とか「いい演出でした」と、概ね評価も高かったようです。じゃあ、上坪演出より福田演出の方がグレード低いのかということになっちゃいますが・・・。そういう価値評価とは別に、私は第3話は、福田監督の色とも異なる映像が観られ、上坪演出がフィルムの隅々まで浸透しているんだろうと純粋に感じました。
ということで、『ヒャッコ』第3話を「上坪目線」で少し細かくみていくことにしましょう。
なお、今回のエントリは、できれば『今日の5の2』のエントリから読んで戴ければ、集団作業であるアニメ制作での、上坪氏「ならでは」のテクニックを見出す確信が、よりはっきりとした形で持てると思います。
▼4コメ「前門の虎 校門も虎」
この回でいきなり4コメときたので、1、2話は確か1階建てだったから1週飛ばしてしまったのかと思いましたが、どうも各エピソードのノンブルは順番ではないようですね。最終的にノンブルの順番が時系列とリンクするかどうかは不明ですが、話が進んでいけば、どういうシステムになっているのか判明してくるでしょう。ただ、時系列とリンクしているとなると、9コメで涼ヶ崎が登場した際、自己紹介していたのは不自然だと思いましたが。
1.アニメ演出とは何か?(さっと流したい人は飛ばしても構いません)
エスタブリッシュ・ショットは、概ねこの作品の規定に沿ったものだと思います。『狂乱家族日記』の上坪演出回では、千花が登校するショットのレイアウトは上坪氏ならではのものでしたが、逆に『ヒャッコ』では校舎の時計台にはじまり、渡り廊下を斜め45度の俯瞰で捉える流れは、あまり上坪演出っぽくないと思いました。
その次のショットでは、シーンが校舎内の廊下に切り替わり、雑談をしながら並んで歩いている虎子と雀が近寄って来ます(図1左)。思うに、このシークエンスのデジタルの使い方は、上坪氏肝いりではないでしょうか(実はこの会話の内容は、次回の伏線になっているのですが、それはシリーズ構成レヴェルでの話)。
図1

こういう、カメラが真正面から捉えた被写体が手前に近寄ってくる動きは、アニメでは敬遠されがちです。中割りが難しいし、やっても粗ばかり目立つ上に効果的でないし、なによりカットを割れば済む動きだからです。それがこのシークエンスは、どうも中割りは原画をデジタルズームで徐々に拡大しているようです。その上で、背景とコンポジット(合成)ですね(これは"2.5D"とでもいえる処理ですが、間違えてたらごめんなさい)。
一方図1右は、カメラ位置を通り過ぎた二人を後ろから捉えたファーストショットですが、ピントがズレています。二人の歩く速さにピン合わせが間に合わなかった表現なのか、カメラと二人の距離が近すぎて最短撮影距離が確保できなかった表現なのかは分かりませんが(多分後者)、恐らくコンテレヴェルではなく、上坪氏から仕上げへ指示が出ているものだと思います。
このように、どういった方法で映像を作るか指示を出すのが、アニメに於ける役職としての「演出」のメインのお仕事です(註1。ここが実写と大きく違うところですね。実写で「演出」というと、例えばTVドラマの場合は、ほぼ監督と同義で使われることも多いですよね。演劇で、演出家は現場で演技指導をしますが、そのイメージです。
[*1)
例えば、新房監督はデザイン畑出身なので、デジタル・アニメのことはほとんど分からなかったので、シャフトでデジタル技術に長けた演出家にずいぶんとサポートをしてもらったらしいです。写真を張り込むのも、その作業の中から、レイアウトを切る時間の節約が出来ると気付いたからだとか]
でも、アニメでは「演出って何やってるの?」って感じで、あまり明確なイメージが持てません(合っているかどうかは別にして)。
その要因として大きいのは、アニメ制作の「現場」がよくみえないからでしょう。さすがに画コンテや原画はどんなことをしているのか想像はつくでしょうが、その先がブラックボックスなんですよね。演出の他には、「撮影」も分かり難いポジションだと思います。
デジタルになって、セルアニメのようにセル画をカメラでフィルムに撮ることはしないだろう、そういうところまでは考えられると思います。でも、実際はどうなのか。そこまであまり見る機会はありませんものね。シナリオ→画コンテ→原画→動画→色彩→撮影・・・と、アニメの作業工程を順番に想定していった場合、やはり演出の入る余地は無いように思えます。中には、画コンテで演出的な作業の大部分は決められると思っている人もいるでしょう。とりあえず、ここで「アニメ演出とは何か」を簡単にいってしまえば、
「画コンテをどのような映像に仕上げるか、その具体的な方向性を示すのがアニメ演出の仕事である」
となるでしょう。TVシリーズの場合(宮崎作品や庵野作品、押井作品のように、画コンテ集として出版されているようなレヴェルのものは、例外中の例外といえます)、画コンテの多くは紙芝居やストーリィ・ボードに毛の生えたようなもので(コンテ屋さんごめんなさい)、映像化のための指針や方向性、そのカットやシークエンスで最低限して欲しいことが、概念的に描かれているものです。それを具体的な映像として「美しく」具現化させるのが演出なのです(劇場作品や老舗のスタジオでは、監督のことを演出と呼ぶケースも多いようです)。
おおまかな流れとしては、まず、監督と演出が打ち合わせ(演打ち?)をしたあと、「作打ち」と呼ばれる重要なミーティングがあります(註2。演打ち(?)での結果をもとに、演出が作監や原画に指示を出すのです。キャラの演技や表情(ギャグの場合は設定どおりなのか、どの程度崩すのかなど)、具体的なカメラワークなどを打ち合わせます。どの部分にどの程度演出が踏み込むかは、監督の意向や画コンテがどこまで描き込まれているかによっても変わってくるでしょうが、演打ち(?)以降は、ほとんど監督代行みたいなものでしょうかね。
2話、3話と制作が進めば、監督はアフレコの立会いや、レイアウトや原・動画のチェック、各部署間の調整などで、作打ちどころではないでしょう。シリーズの最初は、本編の制作とOP・EDの制作も同時進行ですから、特に監督が画コンテも描くとなると本当に大変です。シリーズが始まった後は、監督はシリーズ全体を見、演出が各エピソードを統括するような感じになるでしょうか。
[*2)
なぜならアナログ時代は、「撮出し」(原・動画・背景などの全ての素材が上がった後、撮影に出すために様々な指示をする工程)が今以上に演出(監督)の重要な仕事でした。各素材とこの撮影指示書を一組にして「カット袋」に入れ、撮影に出していたんですね(日本アニメーションのカット袋はこんなの)。でも、出来上がるとすぐに原・動画をHD(ハードドライヴ)に取り込んでしまうデジタルアニメでは、実は画を描いてしまった後に変更できることは限られています。そこで、演出の作画上の意図が作監やアニメータに間違えなく伝わるように、演打ちが重要になってきたというわけです。
もっとも、京アニやシャフトなど、自社で撮影の部署を持っている会社(特に京アニ)は、演出が仕事している席の隣のブロックで撮影部が作業していたりしますから、臨時の変更でも即座に対応できるそうです(フリーの人では無理でしょうけど)。これは撮影だけでなく、仕上げや効果の作業も同様でしょう。監督や演出の意図がスタッフに伝わりやすいことは、工程スケジュールも管理しやすさに繋がりますし、フィルムのクオリティを担保することにもなるのです]
ですから、アニメを純粋に映像表現として観ていった場合、どの役職の特色が最も色濃く出るかというと、私は監督より演出だと思います(劇場作品では監督を演出と呼ぶ場合も)。もちろん、中には庵野監督や宮崎監督のように、シナリオから映像表現の隅々(それこそ、キャラから背景の小物の色味まで)の全てを、管理し切らないと気の済まない監督もいるでしょう。また、富野監督や新房監督のように、映像表現のどこまでが監督の絶対的な管理下に置かれているか分からないのに、良い意味でも悪い意味でも「監督が」「監督が」と、名前が一人歩きしてしてしまう監督もいます。
アニメを観ている中で、なかなか「この演出家だから映像がこうなってる」という感想や意見が出てこないのが現状です。まあ、アニメの制作工程において、監督は作品のメッセンジャーとして、原画マンは作画自体で視聴者に分かりやすい役割を担っているといえますが、上に書いたように、演出だけは、その仕事がとても表面的には見え辛いのが実状なので、それも仕方ないかもしれません(「撮影」も)。
2−1.テンション高いギャグ表現の数々
さて、それでは前置きが長くなったところで本題に参りましょうか。
図2

画像の容量制限があるのでストーリィの関連のない2枚をまとめてしまいましたが、図2左は、『今日の5の2』でも取り上げた、話題になっている小道具を実像化して背景に使用するパタンですね。虎子に「委員長なら眼鏡くらい掛けろ」と言われ、(杏藤)子々が「君は眼鏡属性なのかい?」とトンチンカンな受け答えをするシークエンスです。
図2右は、校舎の時計台です。Aパートでは、あれだけ頻出していた文字盤が、このショットだけシルエットとなってしまって読み取れません。なぜこのショットだけ文字盤が隠されているのか。それは恐らく、ストーリィ上、時間を特定する必要性がないからではないでしょうか(最初「捨てカット」と書きましたが、ちょっとニュアンスが違っていたので書き換えました)。
このショットは、虎子がイタズラ心を働かせ、何やら「工作」をしている際の時間経過を示す一種のエスタブリッシュ・ショットとなっています。なので、このショットは、具体的に何時何分というように、特定の時間を切り取ったものではありません。『今日の5の2』で、円陣を組んでメグミを敬遠する女性群の一人ひとりが個性を奪われ、「その他大勢」としてモブ化したのと同じ理屈ですね。
これは、映像作品が、「時間」を意識的に縮めたり伸ばしたりすることの出来るメディア(演劇やオペラなど、観客の目の前で演じられる「劇」作品は、時間を飛ばすことが出来るだけで、時間を伸縮させることは出来ません。後は、時間はひたすらリアルタイムに過ぎ去るだけです)であることを、視聴者に自覚的にさせてくれる象徴的なショットだと思います。
図3

図3は、風紀委員による、登校時の服装チェックのシーンですね。
右斜め上からの入射光に注目してください。
「朝」のシーンであることは、時計台の文字盤がハッキリクッキリと映し出されるので明らかです。にも関わらず映像は、これでもかと朝日を脅迫的に何度も何度も写し込んでいます。存在を誇示するかのように、強烈に差し込んできます。しかも、カメラがどの方向を向いても、必ず「右斜め上」か「左斜め上」からです。
ここで注目して戴きたいのは、入射光がある場合には、殆どのショットで虎子と子々の彩色が「影仕様(いわゆる1号影)」となっていることです。「光」があれば「影」があるわけですから、「光」がここまで執拗に表現されているなら、当然「影」も強調されてしかるべきなのです。この「光」と「影」のバランスをどうするかについても演出のさじ加減が利いてきますから、服装チェックのシーンは、上坪氏が光だけでなく影についても敏感であることが分かるよいサンプルになるでしょう。
ここでルネッサンス絵画における「光」の宗教的役割について、どうこう言うつもりはありません。ですが、「朝」を表現したいだけにしては、極めて入射光の出番が多過ぎるんですよね。さて、みなさんはこの一連のシーンをどう解釈なさいますか?
図4

図4左は大胆なワイプイン、同右は、圧倒的な画面分割です(それにしても『今日の5の2』といい『ヒャッコ』といい、ブルマの回を上坪さんが演出しているのって、偶然ですよね?)。
このような、大胆かつ圧倒的なワイプインや画面分割は、最近は珍しいと思います。同じようなワイプインは第1話にもありましたが、1ショットだけです。このように何度も「執拗に」繰り返すのは、あまり好まれません。『ヒャッコ』というアニメの、一筋縄ではいかない力強さを感じます。もうこれは、スラップスティック学園コメディ(つまりどたばたギャグ、ど突き漫才)などというオフィシャルな分類を差し置いて、「ヘッポコ実験アニメ」の称号を送りたいくらいです(笑)
図5

これは、子々が自分は「バイ(セクシャル)」だとカミングアウトした際、虎子たちの驚きを表した描写です。強烈な風とともに「バイ=バイセクシュアル」と説明が記された看板のようなものが上手からいきなり現れ、下手に消えると同時に三人がズッコケます。
この、「文字」の活用は実に上坪氏らしい表現ですね。そういえば、先生が嫌々現れた際にも、魂が抜けるような形で文字が流れていきましたね。「そんなのあったかな?」と思った人は、何と書いてあったか巻き戻して確認してみましょう。
図6

ここでも出ました。上坪氏お得意の「矢印」です。
ヤンキー・スタイルの潮(実はクラスメイト)の服装を虎子と子々のどちらが注意しに行くか、感情むき出しで言い合いをしているシークエンスですね。こういうシチュエーションで矢印を使うと、あざとく感じてしまうものですが、子々の防御に対して虎子の矢印が押し返される描写(図6右)はユニークです。
また、矢印の彩色を水色に統一し、背景色を主体的にしゃべっているキャラクタの髪の色にリンクさせるているのも、面白い効果ですね。
配色(色の組み合わせ)には、<色の視認性>を考慮します。同じ赤い文字でも、「白地に赤」と「黒地に赤」とでは、読みやすさが違いますよね。基本的に黄と紫、緑と紫のように、<補色>(反対色)同士の組み合わせが最も視認性がよいといわれています。図6では、虎子の青と黄の組み合わせが視認性がよいのですが、負けてますね(笑)
アニメの色彩設計に於いては、結構補色関係の配色をするケースが多いので(ガンダムのトリコロール・カラーにもこの考え方が反映されています)、興味のある人は勉強してみると面白いでしょう。
2−2.9コメ「張子の虎」
図7

図7左は、提クレ・バック(提供クレジットの背景画)にもなったカットです。ロボット研究会の研究室で、自立歩行型ロボット「ホコちゃん」を繁々と見つめる雀ですね。このカットのポイントは、上方に並ぶ2つの換気扇です。この換気扇はほかのシークエンスでも確認できますが、このショットが一番映っている尺が長いし、カメラも安定しています。
つまり、このレイアウトは、満を持して見せたかったショットだといえるでしょう。雀が右、ホコちゃんが左に配置されてるのも、意識の流れのベクトルが雀からホコちゃんに向いていることの現われでしょう(註3
[*3)
舞台に向かって右側を上手、左側を下手と呼びますが、水も意識も<上>から<下>に流れるのは同じです。漫才の立ち位置も、ボケが下手、ツッコミが上手というパタンは多いですね。舞台上下の意味を考えながらレイアウトを見ると新たな発見があるかもしれません]。
また、画的には、換気扇が回ると、外からの入射光もそれにあわせて変化することも見逃さないようにしたいところです。しかも換気扇は一つでもいいのに、二つもついています。先ほどの「光」と「影」もそうですが、何事も「ペア」で考える上坪氏の意識がよく表れているレイアウトであり、背景だと思います。
同右は、「飛ぶ?」と、様々な問いで部員を辟易させた挙句の一撃。雀が振り向いて「飛ぶ?」というまでの「間」のとりかたに注意して観てみましょう。
図8

ここでも、「光」と「影」です。
図8左は朝の教室のシーン、同右は、メカ虎子に代返を任せてファミレスにフケている虎子(本体)と潮(?)のショットです(このメカ虎子は、サブタイトルとなっている「張子の虎」を具現化したものでしょうか)。
図8左は本当に強烈なレイアウトですね。画面斜め右上はほとんどベタ影になっています。4コメで右上や左上からしつこく入射光があったのといい対比になっていますね。また、話が進んでいくと、窓からの入射角が大きくなっていきます。つまり、フレームの外では時間の経過とともにちゃんと太陽が上昇しているのです。「影」(光もですが)を図式的・様式的(または記号的)に「無機質なもの」として扱うのなら、こんな処理をする必要は無いでしょう。
図8右は、光と呼べるのは窓の外の青空(と学園の敷地の一部と思われる緑地)だけで、ほかの部分はほとんど影ばかりです。UPした画像は少し明るめに調整していますが、それでもディテールはあまりつかめません。ここまで強くパラかける必要あったのかなと思うくらい。教室内の描写も含めて、この世界では電灯というものはないのでしょうか。それとも、燃料がものすごい貴重品で夜しか点灯しちゃいけないとか。
図9

メカ虎子の首が吹っ飛ぶショットです。このカットになってから首が飛ぶまでの「間」に注目しましょう。
図10

メカ雀に代返を任せて、廊下で待機中の雀。ここでも斜め右上からの入射光が確認できますが、なんだか光というよりも霧のような感じです。
ここでは効果音とのシンクロで、「待機中」と「大気中」の書き文字が点滅します。ホコちゃんとファーストコンタクトしたとき、雀は虎子の「とりあえず」という言葉を「トリアージ」と言い換えます。このショットは、「待機中」の雀が頭の中で反芻したイメージを実体化させたものなのでしょうか。だとすれば、「大気中」のときに「ブー」と鳴るブザー音は突っ込みと理解すべきなのでしょうか。
この後、「待機中」と「大気中」が入れ替わりながらカメラが上へパンしていくと、画面はホワイトアウトしながらそのままEDに突入します。この辺りのラストショットからEDへの流れはいい速度ですが、このラストショットはギャグ的にはちょっと分かり辛いですかね。
以上、演出に注目して『ヒャッコ』の面白さを解析してみました。
最初にも書いたように、アニメは集団作業ですので、演出やレイアウトに於いても、フィルムを観ただけでは、どこからどこまでが誰の仕事の賜物と断定することは本来できないものです。作業工程の役割分担はスタジオによっても違います。レイアウト一つとってみても、作監がレイアウトを切る場合もあれば、原画マンがレイアウトを切る場合もあります。
ですから、本エントリで上坪氏の仕事だと断定的に書いたことでも、その作業が100%彼の意向であるといいたいわけではありませんし、もちろん間違えているかもしれません。とはいえ、こうして具体的に上坪氏の演出の傾向をまとめられたことは、自分的に有意義だったと思っています。
では、また次回お目にかかりましょう。
最近、上坪演出は『ef - a tale of memories』(2007年)や『狂乱家族日記』『古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー 翼竜伝説』(以上2008年)で観ることができましたが、『今日の5の2』と『ヒャッコ』は、彼の特徴がよりよく出ていると思います。特に『ヒャッコ』は、日本アニメーションの制作なので、本来はそれほどエキセントリックな演出やレイアウトは行われない印象ですが、演出が上坪氏ということで、期待大でした。
放送後の評判でも、「『ヒャッコ』は演出によって出来/不出来の差がある」とか「いい演出でした」と、概ね評価も高かったようです。じゃあ、上坪演出より福田演出の方がグレード低いのかということになっちゃいますが・・・。そういう価値評価とは別に、私は第3話は、福田監督の色とも異なる映像が観られ、上坪演出がフィルムの隅々まで浸透しているんだろうと純粋に感じました。
ということで、『ヒャッコ』第3話を「上坪目線」で少し細かくみていくことにしましょう。
なお、今回のエントリは、できれば『今日の5の2』のエントリから読んで戴ければ、集団作業であるアニメ制作での、上坪氏「ならでは」のテクニックを見出す確信が、よりはっきりとした形で持てると思います。
▼4コメ「前門の虎 校門も虎」
この回でいきなり4コメときたので、1、2話は確か1階建てだったから1週飛ばしてしまったのかと思いましたが、どうも各エピソードのノンブルは順番ではないようですね。最終的にノンブルの順番が時系列とリンクするかどうかは不明ですが、話が進んでいけば、どういうシステムになっているのか判明してくるでしょう。ただ、時系列とリンクしているとなると、9コメで涼ヶ崎が登場した際、自己紹介していたのは不自然だと思いましたが。
1.アニメ演出とは何か?(さっと流したい人は飛ばしても構いません)
エスタブリッシュ・ショットは、概ねこの作品の規定に沿ったものだと思います。『狂乱家族日記』の上坪演出回では、千花が登校するショットのレイアウトは上坪氏ならではのものでしたが、逆に『ヒャッコ』では校舎の時計台にはじまり、渡り廊下を斜め45度の俯瞰で捉える流れは、あまり上坪演出っぽくないと思いました。
その次のショットでは、シーンが校舎内の廊下に切り替わり、雑談をしながら並んで歩いている虎子と雀が近寄って来ます(図1左)。思うに、このシークエンスのデジタルの使い方は、上坪氏肝いりではないでしょうか(実はこの会話の内容は、次回の伏線になっているのですが、それはシリーズ構成レヴェルでの話)。
図1

こういう、カメラが真正面から捉えた被写体が手前に近寄ってくる動きは、アニメでは敬遠されがちです。中割りが難しいし、やっても粗ばかり目立つ上に効果的でないし、なによりカットを割れば済む動きだからです。それがこのシークエンスは、どうも中割りは原画をデジタルズームで徐々に拡大しているようです。その上で、背景とコンポジット(合成)ですね(これは"2.5D"とでもいえる処理ですが、間違えてたらごめんなさい)。
一方図1右は、カメラ位置を通り過ぎた二人を後ろから捉えたファーストショットですが、ピントがズレています。二人の歩く速さにピン合わせが間に合わなかった表現なのか、カメラと二人の距離が近すぎて最短撮影距離が確保できなかった表現なのかは分かりませんが(多分後者)、恐らくコンテレヴェルではなく、上坪氏から仕上げへ指示が出ているものだと思います。
このように、どういった方法で映像を作るか指示を出すのが、アニメに於ける役職としての「演出」のメインのお仕事です(註1。ここが実写と大きく違うところですね。実写で「演出」というと、例えばTVドラマの場合は、ほぼ監督と同義で使われることも多いですよね。演劇で、演出家は現場で演技指導をしますが、そのイメージです。
[*1)
例えば、新房監督はデザイン畑出身なので、デジタル・アニメのことはほとんど分からなかったので、シャフトでデジタル技術に長けた演出家にずいぶんとサポートをしてもらったらしいです。写真を張り込むのも、その作業の中から、レイアウトを切る時間の節約が出来ると気付いたからだとか]
でも、アニメでは「演出って何やってるの?」って感じで、あまり明確なイメージが持てません(合っているかどうかは別にして)。
その要因として大きいのは、アニメ制作の「現場」がよくみえないからでしょう。さすがに画コンテや原画はどんなことをしているのか想像はつくでしょうが、その先がブラックボックスなんですよね。演出の他には、「撮影」も分かり難いポジションだと思います。
デジタルになって、セルアニメのようにセル画をカメラでフィルムに撮ることはしないだろう、そういうところまでは考えられると思います。でも、実際はどうなのか。そこまであまり見る機会はありませんものね。シナリオ→画コンテ→原画→動画→色彩→撮影・・・と、アニメの作業工程を順番に想定していった場合、やはり演出の入る余地は無いように思えます。中には、画コンテで演出的な作業の大部分は決められると思っている人もいるでしょう。とりあえず、ここで「アニメ演出とは何か」を簡単にいってしまえば、
「画コンテをどのような映像に仕上げるか、その具体的な方向性を示すのがアニメ演出の仕事である」
となるでしょう。TVシリーズの場合(宮崎作品や庵野作品、押井作品のように、画コンテ集として出版されているようなレヴェルのものは、例外中の例外といえます)、画コンテの多くは紙芝居やストーリィ・ボードに毛の生えたようなもので(コンテ屋さんごめんなさい)、映像化のための指針や方向性、そのカットやシークエンスで最低限して欲しいことが、概念的に描かれているものです。それを具体的な映像として「美しく」具現化させるのが演出なのです(劇場作品や老舗のスタジオでは、監督のことを演出と呼ぶケースも多いようです)。
おおまかな流れとしては、まず、監督と演出が打ち合わせ(演打ち?)をしたあと、「作打ち」と呼ばれる重要なミーティングがあります(註2。演打ち(?)での結果をもとに、演出が作監や原画に指示を出すのです。キャラの演技や表情(ギャグの場合は設定どおりなのか、どの程度崩すのかなど)、具体的なカメラワークなどを打ち合わせます。どの部分にどの程度演出が踏み込むかは、監督の意向や画コンテがどこまで描き込まれているかによっても変わってくるでしょうが、演打ち(?)以降は、ほとんど監督代行みたいなものでしょうかね。
2話、3話と制作が進めば、監督はアフレコの立会いや、レイアウトや原・動画のチェック、各部署間の調整などで、作打ちどころではないでしょう。シリーズの最初は、本編の制作とOP・EDの制作も同時進行ですから、特に監督が画コンテも描くとなると本当に大変です。シリーズが始まった後は、監督はシリーズ全体を見、演出が各エピソードを統括するような感じになるでしょうか。
[*2)
なぜならアナログ時代は、「撮出し」(原・動画・背景などの全ての素材が上がった後、撮影に出すために様々な指示をする工程)が今以上に演出(監督)の重要な仕事でした。各素材とこの撮影指示書を一組にして「カット袋」に入れ、撮影に出していたんですね(日本アニメーションのカット袋はこんなの)。でも、出来上がるとすぐに原・動画をHD(ハードドライヴ)に取り込んでしまうデジタルアニメでは、実は画を描いてしまった後に変更できることは限られています。そこで、演出の作画上の意図が作監やアニメータに間違えなく伝わるように、演打ちが重要になってきたというわけです。
もっとも、京アニやシャフトなど、自社で撮影の部署を持っている会社(特に京アニ)は、演出が仕事している席の隣のブロックで撮影部が作業していたりしますから、臨時の変更でも即座に対応できるそうです(フリーの人では無理でしょうけど)。これは撮影だけでなく、仕上げや効果の作業も同様でしょう。監督や演出の意図がスタッフに伝わりやすいことは、工程スケジュールも管理しやすさに繋がりますし、フィルムのクオリティを担保することにもなるのです]
ですから、アニメを純粋に映像表現として観ていった場合、どの役職の特色が最も色濃く出るかというと、私は監督より演出だと思います(劇場作品では監督を演出と呼ぶ場合も)。もちろん、中には庵野監督や宮崎監督のように、シナリオから映像表現の隅々(それこそ、キャラから背景の小物の色味まで)の全てを、管理し切らないと気の済まない監督もいるでしょう。また、富野監督や新房監督のように、映像表現のどこまでが監督の絶対的な管理下に置かれているか分からないのに、良い意味でも悪い意味でも「監督が」「監督が」と、名前が一人歩きしてしてしまう監督もいます。
アニメを観ている中で、なかなか「この演出家だから映像がこうなってる」という感想や意見が出てこないのが現状です。まあ、アニメの制作工程において、監督は作品のメッセンジャーとして、原画マンは作画自体で視聴者に分かりやすい役割を担っているといえますが、上に書いたように、演出だけは、その仕事がとても表面的には見え辛いのが実状なので、それも仕方ないかもしれません(「撮影」も)。
2−1.テンション高いギャグ表現の数々
さて、それでは前置きが長くなったところで本題に参りましょうか。
図2

画像の容量制限があるのでストーリィの関連のない2枚をまとめてしまいましたが、図2左は、『今日の5の2』でも取り上げた、話題になっている小道具を実像化して背景に使用するパタンですね。虎子に「委員長なら眼鏡くらい掛けろ」と言われ、(杏藤)子々が「君は眼鏡属性なのかい?」とトンチンカンな受け答えをするシークエンスです。
図2右は、校舎の時計台です。Aパートでは、あれだけ頻出していた文字盤が、このショットだけシルエットとなってしまって読み取れません。なぜこのショットだけ文字盤が隠されているのか。それは恐らく、ストーリィ上、時間を特定する必要性がないからではないでしょうか(最初「捨てカット」と書きましたが、ちょっとニュアンスが違っていたので書き換えました)。
このショットは、虎子がイタズラ心を働かせ、何やら「工作」をしている際の時間経過を示す一種のエスタブリッシュ・ショットとなっています。なので、このショットは、具体的に何時何分というように、特定の時間を切り取ったものではありません。『今日の5の2』で、円陣を組んでメグミを敬遠する女性群の一人ひとりが個性を奪われ、「その他大勢」としてモブ化したのと同じ理屈ですね。
これは、映像作品が、「時間」を意識的に縮めたり伸ばしたりすることの出来るメディア(演劇やオペラなど、観客の目の前で演じられる「劇」作品は、時間を飛ばすことが出来るだけで、時間を伸縮させることは出来ません。後は、時間はひたすらリアルタイムに過ぎ去るだけです)であることを、視聴者に自覚的にさせてくれる象徴的なショットだと思います。
図3

図3は、風紀委員による、登校時の服装チェックのシーンですね。
右斜め上からの入射光に注目してください。
「朝」のシーンであることは、時計台の文字盤がハッキリクッキリと映し出されるので明らかです。にも関わらず映像は、これでもかと朝日を脅迫的に何度も何度も写し込んでいます。存在を誇示するかのように、強烈に差し込んできます。しかも、カメラがどの方向を向いても、必ず「右斜め上」か「左斜め上」からです。
ここで注目して戴きたいのは、入射光がある場合には、殆どのショットで虎子と子々の彩色が「影仕様(いわゆる1号影)」となっていることです。「光」があれば「影」があるわけですから、「光」がここまで執拗に表現されているなら、当然「影」も強調されてしかるべきなのです。この「光」と「影」のバランスをどうするかについても演出のさじ加減が利いてきますから、服装チェックのシーンは、上坪氏が光だけでなく影についても敏感であることが分かるよいサンプルになるでしょう。
ここでルネッサンス絵画における「光」の宗教的役割について、どうこう言うつもりはありません。ですが、「朝」を表現したいだけにしては、極めて入射光の出番が多過ぎるんですよね。さて、みなさんはこの一連のシーンをどう解釈なさいますか?
図4

図4左は大胆なワイプイン、同右は、圧倒的な画面分割です(それにしても『今日の5の2』といい『ヒャッコ』といい、ブルマの回を上坪さんが演出しているのって、偶然ですよね?)。
このような、大胆かつ圧倒的なワイプインや画面分割は、最近は珍しいと思います。同じようなワイプインは第1話にもありましたが、1ショットだけです。このように何度も「執拗に」繰り返すのは、あまり好まれません。『ヒャッコ』というアニメの、一筋縄ではいかない力強さを感じます。もうこれは、スラップスティック学園コメディ(つまりどたばたギャグ、ど突き漫才)などというオフィシャルな分類を差し置いて、「ヘッポコ実験アニメ」の称号を送りたいくらいです(笑)
図5

これは、子々が自分は「バイ(セクシャル)」だとカミングアウトした際、虎子たちの驚きを表した描写です。強烈な風とともに「バイ=バイセクシュアル」と説明が記された看板のようなものが上手からいきなり現れ、下手に消えると同時に三人がズッコケます。
この、「文字」の活用は実に上坪氏らしい表現ですね。そういえば、先生が嫌々現れた際にも、魂が抜けるような形で文字が流れていきましたね。「そんなのあったかな?」と思った人は、何と書いてあったか巻き戻して確認してみましょう。
図6

ここでも出ました。上坪氏お得意の「矢印」です。
ヤンキー・スタイルの潮(実はクラスメイト)の服装を虎子と子々のどちらが注意しに行くか、感情むき出しで言い合いをしているシークエンスですね。こういうシチュエーションで矢印を使うと、あざとく感じてしまうものですが、子々の防御に対して虎子の矢印が押し返される描写(図6右)はユニークです。
また、矢印の彩色を水色に統一し、背景色を主体的にしゃべっているキャラクタの髪の色にリンクさせるているのも、面白い効果ですね。
配色(色の組み合わせ)には、<色の視認性>を考慮します。同じ赤い文字でも、「白地に赤」と「黒地に赤」とでは、読みやすさが違いますよね。基本的に黄と紫、緑と紫のように、<補色>(反対色)同士の組み合わせが最も視認性がよいといわれています。図6では、虎子の青と黄の組み合わせが視認性がよいのですが、負けてますね(笑)
アニメの色彩設計に於いては、結構補色関係の配色をするケースが多いので(ガンダムのトリコロール・カラーにもこの考え方が反映されています)、興味のある人は勉強してみると面白いでしょう。
2−2.9コメ「張子の虎」
図7

図7左は、提クレ・バック(提供クレジットの背景画)にもなったカットです。ロボット研究会の研究室で、自立歩行型ロボット「ホコちゃん」を繁々と見つめる雀ですね。このカットのポイントは、上方に並ぶ2つの換気扇です。この換気扇はほかのシークエンスでも確認できますが、このショットが一番映っている尺が長いし、カメラも安定しています。
つまり、このレイアウトは、満を持して見せたかったショットだといえるでしょう。雀が右、ホコちゃんが左に配置されてるのも、意識の流れのベクトルが雀からホコちゃんに向いていることの現われでしょう(註3
[*3)
舞台に向かって右側を上手、左側を下手と呼びますが、水も意識も<上>から<下>に流れるのは同じです。漫才の立ち位置も、ボケが下手、ツッコミが上手というパタンは多いですね。舞台上下の意味を考えながらレイアウトを見ると新たな発見があるかもしれません]。
また、画的には、換気扇が回ると、外からの入射光もそれにあわせて変化することも見逃さないようにしたいところです。しかも換気扇は一つでもいいのに、二つもついています。先ほどの「光」と「影」もそうですが、何事も「ペア」で考える上坪氏の意識がよく表れているレイアウトであり、背景だと思います。
同右は、「飛ぶ?」と、様々な問いで部員を辟易させた挙句の一撃。雀が振り向いて「飛ぶ?」というまでの「間」のとりかたに注意して観てみましょう。
図8

ここでも、「光」と「影」です。
図8左は朝の教室のシーン、同右は、メカ虎子に代返を任せてファミレスにフケている虎子(本体)と潮(?)のショットです(このメカ虎子は、サブタイトルとなっている「張子の虎」を具現化したものでしょうか)。
図8左は本当に強烈なレイアウトですね。画面斜め右上はほとんどベタ影になっています。4コメで右上や左上からしつこく入射光があったのといい対比になっていますね。また、話が進んでいくと、窓からの入射角が大きくなっていきます。つまり、フレームの外では時間の経過とともにちゃんと太陽が上昇しているのです。「影」(光もですが)を図式的・様式的(または記号的)に「無機質なもの」として扱うのなら、こんな処理をする必要は無いでしょう。
図8右は、光と呼べるのは窓の外の青空(と学園の敷地の一部と思われる緑地)だけで、ほかの部分はほとんど影ばかりです。UPした画像は少し明るめに調整していますが、それでもディテールはあまりつかめません。ここまで強くパラかける必要あったのかなと思うくらい。教室内の描写も含めて、この世界では電灯というものはないのでしょうか。それとも、燃料がものすごい貴重品で夜しか点灯しちゃいけないとか。
図9

メカ虎子の首が吹っ飛ぶショットです。このカットになってから首が飛ぶまでの「間」に注目しましょう。
図10

メカ雀に代返を任せて、廊下で待機中の雀。ここでも斜め右上からの入射光が確認できますが、なんだか光というよりも霧のような感じです。
ここでは効果音とのシンクロで、「待機中」と「大気中」の書き文字が点滅します。ホコちゃんとファーストコンタクトしたとき、雀は虎子の「とりあえず」という言葉を「トリアージ」と言い換えます。このショットは、「待機中」の雀が頭の中で反芻したイメージを実体化させたものなのでしょうか。だとすれば、「大気中」のときに「ブー」と鳴るブザー音は突っ込みと理解すべきなのでしょうか。
この後、「待機中」と「大気中」が入れ替わりながらカメラが上へパンしていくと、画面はホワイトアウトしながらそのままEDに突入します。この辺りのラストショットからEDへの流れはいい速度ですが、このラストショットはギャグ的にはちょっと分かり辛いですかね。
以上、演出に注目して『ヒャッコ』の面白さを解析してみました。
最初にも書いたように、アニメは集団作業ですので、演出やレイアウトに於いても、フィルムを観ただけでは、どこからどこまでが誰の仕事の賜物と断定することは本来できないものです。作業工程の役割分担はスタジオによっても違います。レイアウト一つとってみても、作監がレイアウトを切る場合もあれば、原画マンがレイアウトを切る場合もあります。
ですから、本エントリで上坪氏の仕事だと断定的に書いたことでも、その作業が100%彼の意向であるといいたいわけではありませんし、もちろん間違えているかもしれません。とはいえ、こうして具体的に上坪氏の演出の傾向をまとめられたことは、自分的に有意義だったと思っています。
では、また次回お目にかかりましょう。
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