敵は本能寺にあり序章

June 20 [Tue], 2017, 10:12
『本能寺の変の前日と家臣達と信長声』

1582年6月2日の真夜中の、明智光秀軍の事でした。

これから起こる大異変が、今後の戦国乱世の中で明智光秀の幸運の筈を実に滑稽乱舞で解けない謎を追いかけるそんな事に悩ませれ偶には、日本酒呑み長柄永い夜を蛍の晶と座敷童子の宴に成ります様に。

殿様、光秀の殿様家臣達が、中国攻めにしては、道のりが違う、何故この様な処で休んで折られますか。

等沢山家臣達が騒ぎ出した為、明智光秀は、家臣達の騒ぎにびっくりする。

仕方なく少し戸惑いながらも、行き良い余って、更に大声で、こう叫んだ。

明智光秀…………「敵は本能寺にあり。」

家臣達…………「殿様、愈々ですね、明智越えそしての事の成り行き朝廷に歯止めて、帰蝶様と徳川殿に書状を認めます。と言った。」

と言うと家臣達数人が、殿愈々ですかと、ガヤガヤし始めた。中には。

家臣達…………「 光秀の殿様相変わらず気が小さいですなぁ。そして謀反の理由は逆切れ鮒寿司じゃと聴きました。何とも、大丈夫ですかっ言いたい感じがした者も数人居た。

明智光秀…………「今、織田信長公の行き良いだと、今後朝廷を、神を超えて勝ち組の行き良いで、明智軍は潰れる。この侭では、石山本願寺の時の様に、国中に諸国方々の寺で羅を、織田信長公の諸行を今止めて、我こそ、織田信長を倒した、あの第六天の魔王織田信長を倒した後。」

然し、家臣達は、あの時の殿の安土城での侮辱と、耐え難い殿の母親の織田信長公の指示に拠る十字架の刑も、我等家臣達は、織田信長の罵声に耐えた殿の為の全て味方です。

家臣達…………「今声を掛ければ、恐らく兼ねてより知らしてある、明智の桔梗の家紋の元に集まるは、少なくても、1万人以上は、居ますので書状を、約束通り徳川殿には、認めますか。」

明智光秀…………「徳川殿ならば、間違いない、この光秀極秘の調印書が有ったから大事な人脈だと思う。」

中国路をウロウロしていたのが何故この様な謀反を計画したかですが、明智光秀人柄は相変わらず。歴史の中に突然現れた貧弱武人で他多彩な知識なのかですがその半生は、謎の間々何故か終わりが多いのですが、俺変わり者のB型ちゃんなので少しオリジナリティ溢れる想いを独学1人で描くとして仕上げます。

明智光秀…………「早く、この場から逃げたい位の、焦って言って締まった。適当に本能寺に逃げる

織田三郎信長…………「光秀お前等が、もし天下を考えると設楽あの唯一わしが、敗北した手取川の戦いのあの男の遺伝子入りの直江兼続と、あの昼行灯の道を選ぶ徳川慶喜か、毛利の狐じゃあ。」

明智光秀…………「信長等、今は恐れるに足らず、今日は家臣百名、我が明智軍は、その倍一万三千人今夜の事は、お前等家臣に関係ない、わしの酒でも呑みゆっくり蓮の舟でも見るとしよう。」

帰蝶…………「帰蝶は、その時信長の寝床にて光秀の仇の信長を絞め殺す夢を見たが、焦って起き上がると、亡き、斎藤道三の思い出を、信長に、語り掛ける。」

織田三郎信長…………「帰蝶思えば、お前、あの時(正徳寺の対面の時)からわしの命を狙い夜な夜な、光秀やらと、内通して来た積もりか。」

帰蝶…………「そう言う、話寄りも、光秀殿を、是非今後の戦略上に加えてなかったら、金ヶ崎の戦いでは、勿論勝利してない事忘れたのでわないですか。」

織田三郎信長…………「帰蝶、お主、光秀に何を見たか語らぬ間々今日迄、わしには平気で毒を盛る気か。」

帰蝶…………「生駒の女子が、殿はもうお忘れでしょう。女は、恨みを抱く相手に、抱かれても、答えの見えない愛の相手に、少し野望を求める時も在るのよ。」

織田三郎信長……「あの時は、私もどうかしてたが、誠に、生駒は、私が居ないと駄目だと思った、明日は、秀吉の応援の為私が、あ奴に、活を入れる為だから帰蝶、お前が欲しい。まあ呑めよ、事の曰くは、正しく後世に残したい。」

帰蝶……「少し、月がとっても綺麗ですね。殿様。愛してますだって、私呑み過ぎちゃった。」

織田三朗信長……「思えば、今夜は、満月だったので、父上のあの日、我に託した、そし天下布武じゃぁが、父上の思いをわしは、判って居るので、中国の毛利を落して、欲しい物が手に入ると野望に変わり、次に目指す朝鮮経の前に、北条小田原と行こうか。」

明智光秀……「欲しい物が手に入ると、確に野望が生まれて来る、信長公には、本音で語る事ない間々何時も、この光秀がでは、欲しい物を手に入れて上げますか。」

家臣達……「今夜は、舞祝ならば武士らしく切腹する事よりも、戦果で散れだと土岐一族も仕方なく、傍若無人的な、明智光秀の殿を選んだのです。」

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光秀は、確かに何もないしその度迄、秀吉が後から中国返しして船に、余裕で鎧兜を運んで僅か三日間で中国大返しをして来るのが光秀の計算違いでも有り、この時朝廷藤孝の元に居た、足利義昭のは、今後一切を明智光秀の下で抑えると品柄秀吉の配下に置かれて居た。

時同じくして、片や羽柴秀吉軍は、中国攻めの難関を突破するだけだった。この時秀吉は、な毛利攻めの真っ最中の中で、迷い長柄時間との闘いでも有った為、織田信長自決の話しを聴いた時、殿様、殿っと泣き叫ぶだけで有ったが直ぐ中国大返しをした為、明智光秀軍は、山崎の戦いで散った。












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DRUNKMONSTERのオジリナル独学日本史三国宝物語の作成中です!アメーバ内よりも真面目に日本史が得意技なので一応頑張るしかない!ですね!信長、秀吉、家康のシンクロ状態でした。
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