20世紀の仙台のアーカイブ。

2009年01月30日(金) 7時49分
仙台市制120周年の記念誌を作製するにあたり、
仙台の旧町名・通名の編集作業を進めつつ、
市制となった明治22年から現在までの
主な仙台の動き(歴史)を調べ始めてます。

元にしているのは昭和31年発行の「仙台市史」、
昭和44年発行「仙台市市史続編第2巻」、
昭和44年重版発行「宮城県郷土史年表」、
平成9年発行の「続・宮城県郷土史年表」の
4つ。いずれもかなりのボリューム…。

なんせ120年分あるわけですで…。
しかも、その完成した年表に、できれば写真
まで貼り付けたいと思っていて…。



本当にできるのか…?という疑念をもちつつも
こつこつやるしかない!と自分に掛け声だけは
かけているこの数日。
「これも勉強!」、「千里の道も一歩から!」、
「20世紀の仙台をアーカイブする資料だ!」
と、奮い立たせていますが…。

鉄砲町、二十人町。

2009年01月29日(木) 17時19分
藩政時代に生まれた仙台の町名。
その名前を見るだけで、住んでいた人々の
暮らしぶりが分かったりどんな役割を持った
町なのかが、おおよそ想像することができます。
そして、どうしてこんな名前が付いたんだろう?と
好奇心をかきたてる町名もあります。

例えば、「鉄砲町」と「二十人町」。

鉄砲町は、藩政時代にその名の通り、「鉄砲足軽組」が
置かれた町で総勢138人の足軽が置かれたそうです。
そして、二十人町は「二十人衆」と呼ばれた足軽鉄砲組が
置かれ、明治以降は四連隊をお客として、次第に商店街として
賑わっていった…。



そんな町も、今ではこんな感じ。




仙台の旧町名&通名。

2009年01月28日(水) 21時14分
仙台市制120周年企画本に、大正元年発行の
地図を掲載することは前にも書きましたが、
その地図に掲載されている旧町名を調べて
みると、様々な書き方があることがわかりました。

「丁」と「町」の表記はもとより、「小田原」を「小俵」と、
当て字かダジャレみたいなものまで、あったりして。

聞くところによると、町名を書き文字として表すと
いうより、言葉で伝えることが中心だった時代には、
「音」による表記で良かったためこのようなことが
あったのだそうです。

「仙台地名考」(菊地勝之助著)は、仙台の地名の
解説書として重宝しておりますが、これに記載されている
旧町名も若干異なるところがあるようです。

ある方から明治44年発行の「仙台市史」のコピーを
ちょうだいしましたので、それを元にまとめてみようか
と思っています。

「旧町名の索引」はどうしても入れなければならない
ものなので、なんとか良い方法を見つけなければ…。

「昭和時代の仙台」をこよなく愛する人々。

2009年01月27日(火) 21時59分
今日、お会いした方々はみなさん「昭和時代の仙台」を
愛する方々ばかり。古き良き仙台に対する想いが強く、
改めてその“熱さ”を感じました。

↑椋本さんの工場には実際に走れる3輪車が並ぶ。
無い部品も作って修理しまうほどの3輪車の達人。


大ヒットした「ALWAYS〜3丁目の夕日」映画で
使われたオート3輪車は椋本さん所有のもの。
3輪車はもちろんもともとマニュアル車ですが、
椋本さんはなんと自分でオートマに改造した車を
所有。コラムオートマ仕様の3輪車。郷愁感はあるし、
飛びきり目立つし、運転は楽だし。なんとも素敵な車。

…ちなみに改造費は500万くらいかかるそうですが、
マニアの方なら垂涎の逸品でしょうね。


↑菅野さんのお宅の納屋を改造して、まるで“民俗資料館”のよう。
収集品の9割は“不要品”として持ち込まれたもの。


一方、菅野さん宅の納屋は、すっかり“民俗資料館”テイスト。
農民具、8ミリカメラ、パッタ、看板、のぼり、教科書、オルガン…
すごいアイテム数。社会科学習として、近くの小学校の先生が
児童を引き連れて見学に時々訪れるというのもうなずけます。

おふたりとも、確かに“好きだから”ここまでやったの
でしょうが、ただ“好きだから”なんて生やさしい気持ち
だけではここまでは決して出来ません。
結局、ほとばしるほどの情熱があってこそ。

お香典返しに音楽CD。

2009年01月26日(月) 19時42分
「故人を偲び お香典返しに音楽CDを」
という記事が新聞に載っていた。

仙台では「香典返し=お茶」と、相場がきまって
いたところに、“故人の生きた証しを残す”ために
音楽CDとは。なるほど、グッドアイディアだ。
詳しくは→こちら

仙台の感想。

2009年01月26日(月) 13時59分
「ひと昔前の仙台市を知っている人に、いまの仙台の
感想を聞いたら口をそろえてこういうに違いない。
“仙台も変わりましたね。何もかも、とっつきにくくなって…”

この言葉には多分に懐古的なひびきがこめられている。
お世辞にもいまの仙台市をほめてはいない。
仙台駅前から西公園に通じる青葉、広瀬の大通りも、
東一番丁のアーケードも、ただダダッ広くてよそよそしくて
かつての市電だけがガッタンゴットンと通っていた駅前と、
夜店で賑わった“番丁”を知るものには、それこそ
とっつきにくい仙台市の表情なのかもしれない。」



実はこの文面、昭和32年の新聞に掲載された
ものなんです。



「昭和30年代の仙台」カレンダーに掲載している
写真を見て、“懐かしい”という人がいる一方で、
その当時の人々(新聞記者)は、さらに前世代を
懐かしがりつつも、警笛を鳴らしていたんですね。

今日の「河北新報」河北抄で編集中の大正地図帳を紹介していただきました。

2009年01月24日(土) 22時18分
今日の「河北新報」夕刊の河北抄で、
現在企画&編集中の大正元年地図復刻版を
ご紹介していただきました。

仏壇の佐正さんが企画した「今昔マップ〜
地図でたどる昭和の仙台」も正月に購入。
“時代の違う2つの地図を比べてこそ分かる”
というコンセプトは同感!

今春発売予定の新企画。どうぞお楽しみに。

今日の河北抄は→こちら

仙台市制120周年企画、「懐古地図」新企画。

2009年01月23日(金) 12時21分
仙台市制120周年企画として、
「仙台懐古地図」の編集を始めました。

仙台市では120周年記念に式典しか行わないという
ことなので、それでは自分たちでやってみよう、と。

仙台という街が生まれ、そしてどのような変遷を
辿ってきたのか。今まで多くの方々が写真や文章で
その歴史をひもといてきましたが、一般的にわかりやすく
一目で仙台の移り変わりを示すもので表現できないか…
「風の時」編集部で出した答えが、「地図」をメイン素材
として仙台の歴史を語る
ことです。
古地図と現在の地図を見開きで掲載し、地図の見所を
ワンポイントで解説し、写真も併記する。

そのメインとなる地図に選んだのが、大正元年発行の
「仙臺市全図 市町村及び地番入」です。

大正元年発行の仙臺市全図の一部「仙台駅界隈」

約100年前に発行されたこの仙臺市全図は、とても詳細に
ていねいにしかもカラーで描かれた地図。

二本杉の町名の由来となった杉も2本描かれていたり、
かつて小田原遊郭のあった周辺には、牛舎が多く点在して
います。また、現在錦町公園となっている場所には
「大仏前(おぼとけまえ)」という地名が表記されていて、
調べてみると四代藩主綱村公が高さ5メートルもの大仏を
建立したことから付けられた名前であることがわかったり…。

そんな仙臺市全図を30ブロックに分けて、1ブロックをA4判に
まで拡大して、現在の地図と見やすく比較するという企画
です。

現在、企画段階から少しずつ編集作業も進めておりますが、
仙台120年間の年表や旧町名・通名・学校などを検索できる
索引なども含めて、おそらく90ページ程度の本になる予定です。
発売は今春(4月〜5月)を予定しております。


-----------------------------------------------
お問い合せは
(有)イーピー「風の時」編集部まで
電話:022-295-9568
FAX:022-295-9570
Eメール:info@sendai-city.org
-------------------------------------------------

オバマ氏の大統領就任演説。

2009年01月22日(木) 0時11分
「いま求められているのは、新たな責任の時代だ。
困難を乗り越えるために全力を尽くすことが最も
精神を満たし、人格を鍛えるのだと信じるすべての
米国人が、不承不承ではなく、むしろ喜びをもって
進んで責務を果たすことだ。

米国よ。脅威に直面した苦難の冬において、
時を超えるこの言葉を記憶にとどめよう。
希望と良識を胸に抱き、いてつく流れに立ちはだかり、
どんな嵐にも耐えてみせよう。

子孫たちにこう言い伝えられるようにしよう。
試練を与えられたとき、われわれは旅を途中で
終えることを拒んだ。振り返ることも、くじけることも
なかったのだと。

そして地平線とわれわれにそそがれた神の慈悲を
見据えながら、自由という偉大な贈り物を抱き、
未来の世代に無事に届けたのだと。 」





なんとも力強く素晴らしいメッセージでしょうか。
アメリカに限らず、今必要なのは人の心を揺さぶる
決意と行動力なのだと思う。

国民に夢や希望を持たせるオバマ大統領のメッセージ。
多くの日本人もそれを感じたと思う。

意外とすんなりだった?仙台市「旧町名」から新住居表示への変更。

2009年01月21日(水) 17時00分
仙台の歴史的町名復活の議論で、昨年末に検討委員会が
まとめた報告書では、「通り名」の活用を結論づけた。
(1月8日付河北夕刊「河北抄」にも掲載)

「住居表示」ではなく「通り名」の復活というのは、市内に88基
ある辻標などと連携して活用すれば良い。住居表示は簡単に
変更はできないし多くのコストがかかるが、これなら歴史的町名を
資源として活用できそうだ。
なるほど。

ところで、この「住居表示」。
昭和40年の旭ヶ丘地区からスタートし、市内の町名が順次
変わっていった(若林区の一部は変更せず)わけだが、
“住居変更は住民の反対があってなかなか進まなかったん
だろうなぁ”と思い、当時の新聞を見て、やや拍子抜け。

新町名に初めて「待った」がかかったのは昭和46年12月。
事業が始まって6年目の台原・小松島地区。
露無地区の住民が納得いかないと異議を申し立てたのが
まさか“初”とは…。
昭和49年にも南小泉地区で異議を唱え住民が立ち上がった
らしいが…。意外や意外。新住居表示の変更はスムーズだった?

昭和46年12月20日付の河北新報

2009年01月
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31