偏愛イデオロギー

June 01 [Mon], 2009, 11:47
「どうして恋愛しなきゃいけないんだ?」苛立ちのままに手元のリボンを強く引っ張る。「恋愛、恋愛、恋愛。世の中の恋愛至上主義には飽き飽きする」それに、おっとりとした声が返ってきた。「何かあったの、あすちゃん」目の前のベッドに座っているのは、光に当たると銀色に見える長い金髪と、碧色の大きな目をした、お人形みたいに綺麗な子。口を開けば音楽みたいに透明な声が飛び出す。「昨日、大学の友達とロッカールームで雑談してたら、皆恋愛のことばっかり話すんだ。あの子が付き合いだした、相手は年上の社会人で有名どころの企業で働いてる、わぁすごーいっていう、後はお決まりのきゃいきゃい」「ああ、あすちゃんはそういうの嫌いだもんね」「嫌いっていうか、わからないんだよ。それで素直にわからないって言うと、何か冷たい反応が返ってくる。恋愛もしてないなんて変なのって目で見られる」手元のリボンをねじりながら編みこむ。いい加減慣れてきて、手元を見なくても作業は進むけど、これを作る時はいつも真剣だ。なにせ大切なものなのだから。「ミハルの方がずっと好きっていうと、そろそろ兄弟離れしろって」目を上げて探るように前方を見ると、ミハルはほわんとした笑顔を浮かべた。「そっかぁ。うれしい」ミハルが笑うと後ろに花畑が見える。銀髪が光を浴びてきらきら輝く効果つきだ。

「僕もあすちゃんが一番好き」……これで男の子だなんて、神様はたぶん余所見をしていて入れる魂を間違えたのではないだろうか。「ミハル。私は変なのか? 大学生にもなって、恋愛の一つもしてないのはおかしいと思う?」そして双子の彼よりずっと男らしいと言われる私こそ女。ああ、そうか。神様は私とミハルの魂を入れ違えたんだな、と相当小さい頃に納得している。「あすちゃんはおかしくないよ」ミハルは膝の上に肘をついて、顎を両手で支えながら言ってくる。「あすちゃんの友達の中にあるのはね、恋愛イデオロギーっていうものなんだ」「恋愛イデオロギー?」「恋愛しなきゃいけないっていう、固まった価値観のこと。普通だと信じ込んでる、実際は普通でも何でもないもの」瞬きもせずにミハルの大きな碧の瞳とみつめあう。「普通っていう概念自体、作られたものなんだよ」ミハルはベッドから立ち上がって椅子に座った私の後ろに来ると、私の頭に顎を置いてきゅっと抱きしめる。「なんて理屈をこねたって、あすちゃんは気にしちゃうよね」「気にしてないよ。ちょっと腹立っただけだ。人を珍獣みたいに」「ねぇ」凛とした声を響かせて、ミハルは私を頭の上から覗き込む。その顔からは笑みが消えていた。「あすちゃんは部活だって頑張ってるし、勉強だって夢を目指して一生懸命努力してるし、とってもかわいいし、何にも引け目に感じることないんだからね」ミハルは私の内心を読み取る天才だ。本当は、腹が立つというより不安に感じたのだ。私には決定的な何かが欠けているのではないかと。ありがとう、と口の中でもごもごと呟いて、ふっと笑う。

「かわいいなんて言うの、ミハルだけだよ」ミハルの方が私の百倍はかわいいと思う。そう思って見上げたら、ミハルは真剣そのものの声で返す。「あすちゃんは僕を信じてるよね?」「……うん」「だったら、かわいいっていうのも信じて。自信を持って」そう言われると私は照れながら黙るしかない。「それとも、兄弟離れを気にしてる? 僕があすちゃんの邪魔になってるのかな」ふいに、ミハルが悲しそうに言う。「あすちゃんが恥ずかしいなら、僕、いつも一緒にいるのやめるよ?」ミハルは私のことをあす、と呼ぶ。小さい頃、舌足らずで上手くあんじゅと言えなかったからだったと思う。私はすぐに顔をしかめて言った。「ミハルは恥ずかしくなんかない。私の自慢。それにミハルは私が守ってあげなきゃ、危なっかしくて見てられない」ミハルはみるみる内に柔らかな笑顔を浮かべた。「うんっ」それから私は完成した三色リボンでミハルのさらさらの髪を結った。私は物心ついた頃から短い髪を貫いてきたけど、ミハルの綺麗な髪は伸ばしてほしいとせがんできたから、今でもミハルの髪は肩をこすくらいに長い。それを結ぶアクセサリーを作るのは私の楽しみだった。「たまには切ってもいいんだよ、ミハル」「あすちゃんは長い髪が好きなんでしょ?」私がこくりと頷くと、ミハルは髪に軽く触れながら笑う。「僕はあすちゃんに結んでもらうのが好きだから、おあいこ」ミハルは壁掛け時計を見上げて、ふいに声を上げる。

「いけない。そろそろ試合の時間だよ」「ああ、行かなきゃな」立ち上がるミハルの髪がさらりと揺れる。支度をする彼の洗練された動作の一つ一つに、私は目を細める。私の片割れは同じ血が流れてるとは思えないほど綺麗だ。それに怒ったことなどほとんど見たことがないくらい私に優しくて、いつも穏やかに微笑んでくれる。……これを見ていれば、男の子なんて、何が面白いものか。「あすちゃん。行こ、行こっ」小さな子どもの頃と同じように私の袖を引く彼は、いつだって私の天使で、守るべきすべてなのだ。シュートを決めて降り立つと、観客席で立って声援を送ってくれているミハルと目が合った。私が手を振ると、ミハルはめいっぱい手を振り返す。はしゃいでジャンプしているのを微笑ましく思いながら試合に戻る。バスケットボールは一番好きなスポーツだ。スポーツはどれもほどほどにこなせるけど、全身の筋肉を脈動させて汗をかくのは本当に気持ちいい。「安樹(あんじゅ)、今日もよかったよ」「ありがとうございます、先輩」試合終了後に先輩に褒められて、私は笑顔を返した。「安樹に黄色い声上げてる女の子いっぱいいたね」「ああ、安樹って高校の時から女の子に人気あって……」廊下を歩きながら、同級生と先輩が話している。「下手な男より男前じゃないですか。見た目もほら、クールですし」「そんなことないよ」私はひらひらと手を振って笑っていた。ふいに廊下の向こうから歩いてきた男子の一団があった。競技場にて同時並行で行われていた試合が終わったのだろう。その中で一際目立つ長身に、先輩たちは目ざとく気づいて駆け寄る。

「あ、浅井君っ」「男子の試合終わったんだ。どうだったっ?」周りに男子たちはいくらでもいるというのに、彼にだけ殺到するのはいささか失礼ではないだろうか。「先行ってくれ」「ああ、わかった」しかしそれでも他の男子たちはあまり怒る様子はない。慣れているのだ。がっしりした体格に百九十近い長身。目鼻立ちはくっきりとしていて、そして見事な仏頂面。私には理解できないが、彼、浅井竜之介は異常に女子に人気がある。「安樹。話がある」彼が私を名指ししてきたので、私は露骨に顔をしかめた。先輩は話しかけようとしていたのを打ち切られたことに不満そうな顔をして、同級生は私と竜之介を見比べる。「あ、先輩。浅井君、安樹の従兄なんですよ」「そうなの。あ、ごめんごめん」先輩と同級生は何か含みのある笑みを浮かべてそそくさと去っていった。「何か用か? 竜之介」私は一緒に去りたい気持ちをぐっとおさえて、不機嫌に問いかける。「まだバスケなんてやってたのか」竜之介は波の無い淡々とした口調で言ってくる。「そろそろ女子らしいこともしたらどうだ。花なり、お茶なり」「私の趣味じゃない」「その格好。肩まで出したりして。髪もいい加減伸ばせ。そのままじゃ着物も着れんだろう」私はそろそろ怒りも忘れてため息をついた。竜之介は結構な家の長男で、彼自身古風な考えが根付いている。男子はこう、女子はかくあるべし、というのが骨の髄までしみこんでいるのだ。だから私に会うたびにあれこれと文句をつけてくる。やれ髪が短い、やれはしたない振る舞いはやめろ、それもしつこいくらいに同じことを何度も言う。夢露 Monglu

 しかもこの竜之介、私の幼稚園の頃からずっと一緒ときている。事あるごとに私に突っかかることを同級生たちは見て、仲がいいんだねと噂する。付き合っちゃいなよと言われたことも一度や二度じゃない。私は諦めて隣を通り過ぎる。その肩を竜之介の大きな手が掴む。「安樹。話が終わってない」「もういい。何話したって平行線だ」だけど、私の方は死んでも竜之介と付き合うのは御免だ。小言で耳が痛くて一緒にいるのが耐えられない。たぶん私が恋愛に嫌気がさしたのは、竜之介と噂されたことが原因だ。絶対そうに決まっている。「実家の方に顔を出せ」「断る」母が結婚してから一度も戻らなかった古い家なんて、私だって行きたくないに決まっている。「あすちゃん、お疲れ」ふいに私の後ろから馴染みの声が近づいてきた。ミハルだった。「あれ、リュウちゃん?」ミハルの姿をみとめるなり、竜之介は眉をひそめる。露骨に舌打ちをして踵を返す。「なんだったの? あすちゃん」去っていく竜之介にほっとして、私はミハルの手を握った。「いつもの小言」「リュウちゃんも懲りないねぇ」ミハルはあははと笑って私の手を握り返す。「大丈夫?」私はちょっとだけ顔を歪める。竜之介の嫌なところは、昔から私より何でもできたところだ。それが女のお前じゃ敵わないといわれているようで腹が立ったから、つい私も対抗心を燃やして躍起になった。そりゃ、力じゃ敵わないかもしれないけど。勉強なら、無事同じ大学に入った時点で同等じゃないか。偉そうに見下ろすのはやめてほしい。

「リュウちゃんに振り回されちゃ駄目だよ、あすちゃん」ふいにミハルが笑みを消して私を覗き込む。ミハルはかわいらしい顔立ちだけど私よりは背が高い。初めて彼に背を抜かれた時は本気で泣いたなと、ぼんやりと思う。「平気。子どもの頃みたいに、闇雲に殴りかかったりしないよ」いつだったか、竜之介のあんまりな言い様に腹を立てて殴りかかったことがあった。あまりに小さい頃なので、その後どうなったかは覚えてないけど。「……リュウちゃんにも困ったなぁ」何気なく言ったミハルは、いつもの優しい笑顔だった。数日前、ミハルと私は一緒にクラシック演奏サークルに入った。父親がバイオリニストで、それの影響で二人とも小さい頃から楽器が好きだったのだ。「春日美晴君? え、その髪地毛?」そのサークルの新歓に二人揃って参加したら、すぐさまミハルを女の子たちが取り囲んだ。「うん。父親がロシア人なんだ」「すごく綺麗ね。目も碧」ミハルがモテるのは昔からなので、私は隣で黙って話を聞いている。「春日安樹さんとは双子なんだって? 見えない」声にやっかみが混じるのはすぐだった。何せ私はサークルに入っても常にミハルの隣に陣取っていて、今日も当たり前のように隣にいるのだから。それに私はミハルのように麗しい容姿をしていない。私の髪は淡い茶色で、瞳も同色だ。日本人にはとても見えない銀髪碧眼のミハルに比べるととても地味で、中途半端な色合いをしている。――あすちゃんの色は陽だまりの色。とっても優しくてきれい。

 ミハルは私の容姿を褒めてくれるけど、並ぶとやはり私の方が見劣りすることは自覚している。「ほら、美晴も飲め」今度は女子たちを独占しているのをやっかんだ先輩男子たちがミハルにジョッキを押し付ける。それを見て、ミハルは困ったように目を伏せた。「あの、僕あんまり飲めなくて……」「きゃっ、かわいいっ」「ちょっと男子、ミハル君困ってるでしょ」すぐに女子たちが止めてくれたので、私は内心ほっとする。ミハルはお酒が弱いので、飲まされる時には私が代わりに飲むことに決めていた。――ミハルをいじめる奴は私が相手だっ。女の子よりずっとかわいいミハルは、男子にいじめられることが多かった。そのたび、私はミハルを背中に庇って喧嘩を買ってきたのだ。ほどほどに近くの先輩と話しながら、私はいつものように背中にミハルを感じていた。――みはるはあすがまもらないといけないんだ。ふと、そう心に決めた幼い頃の事件を思い出した。――わぁっ。まだ五歳くらいの頃、私とミハルが一緒に家の前で遊んでいたら、黒塗りの車に引っ張り込まれた。――全部あげるよ。好きなもので遊んでいいんだ。中には玩具がいっぱいあって、優しそうなお兄さんが遊ぶように言った。だけど私は事態の異常さをすぐに察知して、ミハルを背中に庇うようにして車の壁に張り付いていた。――みはるがあんまりかわいいから、ゆーかいされちゃうんだ。私はそう思って、ミハルと肩を寄せるようにして考えを巡らせていた。

――みはる、いくよっ。車が止まって扉が開いた瞬間、私は隙をついてミハルの手を握って逃げ出した。――あすがまもってあげるからね。それからどうなったかは、実は覚えていない。ただあの時から、ミハルは一人にしてはいけないと思っていつでも側についていた。「美晴君、聞いて」「あのね、私は二年の……」だけど、私が側にい続けることはミハルにとって良くないんじゃないかと、最近思うこともある。「……」「美晴君?」テーブルの下でミハルが私の手をそっと掴む。ミハルは困ったように長い扇状の睫毛を伏せて呟いた。「ごめん。大勢の人と話すのは苦手で。ちょっと抜けていいかな」くい、と私の手を引く。私は頷いて立ち上がった。「どうした? 気分が悪いのか?」廊下に出てから訊ねると、ミハルはこくん、と小さく頷く。「たくさん話しかけられると混乱して。お酒の匂いにも酔ってきちゃって」「早く言わなきゃ駄目じゃないか。帰るか?」「ううん。もうちょっと頑張ってみる。ちょっと顔洗ってくるね」ミハルは私と違って繊細に出来ている。もっと気をつかってやらなきゃいけなかったと思って私が顔をしかめると、ミハルは私の頬に触れて私の額にぺとりと自分の額を合わせた。「あすちゃんも疲れた?」「……そうでもないよ」「やっぱり戻ってきたら帰ろ。いいよね?」ミハルが帰りたいならと、私は頷く。私の方も、この飲み会自体にそう執着はなかったのでちょうどいい。ミハルをトイレの前まで送って、私は戻ってくる。美乳貼片

「店員さーんっ。こっち追加」すだれで仕切られている向かい側の部屋から顔を出して、別のサークルらしい男子が店員を呼ぶ。「あ」その隙間にちらりと竜之介の姿が見えて、私はおもいきり顔をしかめていた。どうしてか、竜之介とは昔から腐れ縁でいろんな場所で出くわしてしまう。実は、今日もサークルの集まりなら顔を合わせずに済むと安心していたというのに。「そっちも飲み会?」「ああ、バスケ部だっけ」こちらの幹事と知り合いがいたらしく、廊下で少し話をするなりすだれを上げて入ってくる。「こっち来いよ」「いいのか? 男ばっかで申し訳ないけどさ」私は内心、うげっと声を上げた。バスケ部の連中がぞろぞろとこっちの空いたテーブルに入ってきたからだ。「……安樹」その中にはやはり竜之介もいるわけで。私の姿をみとめるなり、竜之介はすぐ近くに座ってきた。ちょうど席が詰って、ミハルの席が外延に追いやられてしまう。「夜遅くまで何をやってる。酒なんて飲んで」「そっちも飲んでるだろ」「その言葉遣いもどうにかしろ。男みたいだ」私は酒が入っているのもあって苛々しながら言い返す。「私はこの話し方が好きなんだ。竜之介に言われる筋合いはない」「なに、そこ? 痴話喧嘩?」興味本位で言われた言葉に、私は頭に血がかっと上るのを感じた。「こいつとだけは絶対にありません」どうして男と女であるというだけで結び付けたがるのか。昔から腹が立って仕方ないのだ。「リュウちゃん。今日はよく会うね」ふいにミハルの声が入ってくる。振り向くと、すぐ近くではないもののミハルは腰を下ろしてこちらを見ている。「美晴もいたのか。お前、いい加減べったりくっつくのはやめろ」「リュウちゃん? 何言ってるの?」ミハルはにこにこしながらさらりと返す。「おい。ミハルをいじめるな」私が竜之介の袖を掴んで剣呑な調子で言うと、彼は私の方を見ないままに言う。

「女が入ってくるな」カチンと来た。昔から、竜之介はこのフレーズを使って私を門前払いするのだ。「何だと?」胸倉を掴むと、竜之介はしれっと言う。「俺に文句をつけたいなら、何か一つでも勝ってから言うんだな」「大学は同じだ」「模試は一つも勝てなかったがな、お前は」「お前呼ばわりするな。ああわかったよ、勝負だ」――勝負だ、りゅうのすけっ。またいつものパターンだと思いながら、私はジョッキを持つ。「飲み比べだ。先につぶれた方が負け」「女をつぶす趣味はない」「はっ。女にも負ける程度しか飲めないんだな」挑発してやれば竜之介は必ず最後には乗ってくる。予想通り、私が嘲ると竜之介は眉を寄せた。「いいだろう。ただしお前が負けたら今日は実家に寄って行け」「わかった」どうして竜之介はそこまで実家にこだわるのかわからないが、私は胸を張って頷いた。「あすちゃん。無理しちゃ駄目だよ」ミハルが心配そうに言ってくるが、私は軽く手を振って笑った。酒は強い方だ。ロシア人の血を舐めるなよ。「やっちまえ、竜之介っ」「がんばって、春日さんもっ」周囲の声援を受けて、私は竜之介とにらみ合った。酒代がもったいないということで、強めの酒のウイスキーで勝負することにした。コップに一杯ずつ、交互に飲んでいく。「く……」十杯を超えた辺りで、頭がもうろうとしてきた。対して竜之介は頬が赤くはなっているものの、まだ余裕がありそうだ。「ちょっとトイレ」吐き気はないが、水分の取りすぎで胃が重い。しかしそれがかえってまずかったようだ。歩いている内に酔いが回ってきたらしく、足がふらついた。席につく頃には、既に足がついているのかよくわからない状態。

「安樹。もうやめろ。俺は親父に付き合ってよく飲んでる」竜之介が酒に強いことは知っていた。ただ、後に引けなかっただけだ。「お前にだけは……負けない」私は呻くように呟いて、もう一杯飲み干す。しかし眠気が頭を押しつぶすようで、私はそのままテーブルに突っ伏す。「……安樹」私の頭をそっと誰かが撫でてくれた。それで、意識が途切れた。「安樹?」安樹が突っ伏したまま動かなくなったので、側に屈みこんで軽く揺さぶってみた。「寝ちゃったみたいだね」普通の大学生よりは酒に強いが、ある一定の量を飲むと安樹はあっけなく眠ってしまう。頬を真っ赤にして眉を寄せている安樹はキスしたくなるくらいかわいい。頭をぎゅっと抱いて、よしよしと頭を撫でた。「少し寝かせてくるね。隣の部屋借りていい?」「あ、いいよ」「寝顔かわいいね、春日さん」バスケ部が使っていた個室に運ぼうとすると、竜之介が前に立ちふさがった。「運ぶ。貸せ、美晴」はぁ、と呆れたようにため息をついた。竜之介の耳元に口を近づけて、皆に聞こえないように囁く。「どけ、カス」肩を押しやって道を開くと、安樹を抱いて隣室の畳に寝かせる。おしぼりで顔を拭ってあげると、安樹は少しだけくすぐったそうに口元をむずむずさせた。「また無茶して。しょうがないな、安樹は」金よりも淡い薄茶の髪を手に絡ませる。しっとりとしていて手に甘えるそれは、俺だけが触れられると思うと優越感が胸に満ちる。

「俺の家に来てもらう。勝負は俺の勝ちだからな」すだれがかきあげられて、竜之介が入ってくるなり言う。俺はそれに片眉を上げて薄く笑った。「勝ち? 勝負はこれからだろ」ちょうど店員が入ってきた。その盆の上には、ジョッキが三つ。「ここでいいんですか?」「うん」俺は微笑んでジョッキを受け取ると、一気にそれを煽る。「げっ」店員が驚いたのは当然だ。これは普通一気飲みするものじゃない。アルコール度五十近いのだ。一番強いのを頼んでおいた。これ一つで安樹が飲んだ分を十分超える。「これで差はないだろ。俺が安樹に引き継いで勝負を受けるよ」「……お前と勝負するつもりはない」竜之介は難しい顔で呟く。「お前は底なしだ。三年も前からわかってる」「受けろよ。俺の気が収まらないんだ」俺は竜之介の胸倉を掴んで、にやりと笑いながら顔を寄せる。「よくも安樹に酒なんて飲ましてくれたな。いつからお前は俺に断りなく安樹を家に呼べるような身分になったんだ?」腸が煮えくり返るような思いを抑えながら、俺は竜之介の襟を締め上げる。「俺は言ったよな? 俺に何か一つでも勝てるまでは、安樹に近寄るなって。お前、勝てたんだっけか?」「……まだだ。だが」「だから寛大な俺はお前にチャンスを与えてやろうっていうんじゃないか。ジョッキを取れよ」竜之介は渋っていたが、ゆっくりと首を横に振る。「最初から勝敗がわかっている勝負は受けない」「そっか。まあ、そのくらいの賢さはあるんだな。褒めてやるよ、リュウ」俺はジョッキを置いて安樹を背負いにかかる。

「せめて家まで送らせてくれ」懲りずに言ってくる竜之介に、俺は冷ややかな眼差しを投げかける。「またその手、折られたいか?」答えを聞かずに俺は安樹を背負って立ち上がった。立てばわかるが、俺は竜之介とほとんど背が変わらない。俺の背は百八十七で、安樹より十センチ以上高い。……安樹にはまだ、小さくてかわいいように見えているのかもしれないが、俺の体格は立派に男のものだ。竜之介は後をついてきて、俺に言ってくる。「美晴。お前がどう邪魔をしても、安樹には一度実家に来てもらう必要があるんだ」俺はそれを無視しながら店を出て、繁華街を歩き出す。「親父も幹部も、安樹は家に引き取る方向でまとまってるんだから」禍々しいネオンが眩しい。その中で安樹の温もりだけが優しい。ふいに露骨にその筋と思われる男たちの団体が前から近づいてきた。道を占領するように中央を広がって歩いてくるので、俺はその顔ぶれを確認してわざとよけずに真っ直ぐ進む。「坊主。痛ぇじゃねぇか」どん、とぶつかったところで、真ん中のスキンヘッドの男が低い声を出した。俺はそれにうろんな目を向けて呟く。「オッサン。今安樹に触ったな?」俺は道路脇に安樹をそっと座らせて、向き直る。そしておもむろに目の前の男の鳩尾に蹴りを叩き込んだ。「こいつっ」不意をつかれて男は吹き飛ばされる。次々と伸びる手から俺は身を沈めて避けると、まず近くにいる男を裏拳で飛ばして、ついでに後ろの奴の急所を蹴り上げた。

「やめろっ」竜之介から静止の声がかかる。男たちはそれに止まる様子はなかったが、最初のスキンヘッドの男が竜之介の顔を見て血相を変える。「……坊ちゃん?」近くの奴の頭を殴って黙らせると、手で頭を下げさせながら竜之介に四十五度の礼を取る。「すみませんっ。お見苦しいところを」「そうだな。家の者の躾くらいちゃんとしとけよ、リュウ」俺の言い様に男が目を怒らせたが、竜之介はすぐに言葉を重ねる。「春日の双子だ。従兄弟の。親父が言ってたろ」さっと男たちの顔から血の気が引く。「じゃあそっちで寝てるのは、坊ちゃんの許婚の安樹お嬢さんですか」その言葉に、俺の胸の奥に火が灯った。「がっ……うぐっ」男の腕を斜めに捻り上げながら、俺は顔を寄せる。「誰が許婚だ。安樹はどこにもいかない」ギリギリと締め上げながら、俺は低い声で告げる。「安樹には、一生汚いものに関わらせるつもりはないんだよ」俺は幼い頃の誓いを思い出していた。五歳の頃、俺と安樹は誘拐された。家の前で遊んでいたところを、黒塗りの車に引っ張り込まれた。「みはる、いくよっ」車の扉が開いた途端、安樹は俺の手を握って走り出した。一生懸命、二人で大人たちから逃げた。所々で俺が安樹の方向を修正して、見つかりにくい茂みを伝って走り回った。言葉にしなくとも、俺が軽く手を引くだけで安樹は俺の意思を察してくれる。決して繋いだ手は離さずに、俺たちは植木の間に隠れた。「どこだろう、ここ」俺たちが連れてこられた家はずいぶん広い豪邸だった。庭園には東屋や池がある伝統的な日本家屋で、五歳までロシアで育った俺たちには馴染みのない作りだから余計に混乱した。

「おうちのげんかん、いっぱいひといる」「うらぐち、いこ。おじいちゃんのいえもうらぐちあった」人の気配のない方向に少しずつ移動しながら、俺たちは小さな体をますます小さくしていた。足が疲れるくらいに歩いた。東京の都内にこんな広い家があることを不審に思うことは、当時の幼さでは無理だっただろう。日が暮れて所々の灯篭だけが頼りになっても、俺たちは出口をみつけることができずにいた。春先とはいえ、日が没すると日中の暖かさは消え去っていた。「みはる、さむい?」それでも安樹は泣かずに、俺に上着を着せ掛けようとしてくれた。安樹は俺を守ろうと一生懸命で、俺の前で弱い自分を見せようとはしない。「くっついてればさむくないよ」俺は安樹とぎゅっと肩を寄せ合うようにしてうずくまった。途方に暮れて二人とも言葉は少なかったけど、互いの温もりがあれば不思議と怖くはなかった。「みはるはあすがまもってあげる」安樹は自分の名前をうまくいえず、舌足らずにあす、という。その言い方を聞くとつい頬が緩んで、俺も同じ呼び方をしていた。「だいじょうぶだからね」安樹は俺の手を握り締めて繰り返し呟いた。俺はそれに頷いた。そうすると安樹は安心したように笑ってくれるから。「みはるがあんまりかわいいから、ゆーかいされちゃったんだよ。きっとすぐ、おうちにかえれる」きっとあんまり安樹がかわいいから誘拐されてしまったのだろう。何とかして家に帰ろうと、俺は思っていた。「まだ見つからないのかっ。子ども二人に何をやってるっ」怒声が聞こえて、俺と安樹はびくりと肩を竦ませる。茂みにすっぽり収まるように、二人で身を屈めながら目だけを覗かせる。美乳貼片 既婚者の豊胸美乳

「申し訳ありませんっ。必ず連れてきますのでっ」和服姿の三十くらいの大柄な男が、それよりも十近く年上らしい男たちを怒鳴っていた。和服の男は肩幅が広くて服の上からもわかるくらい引き締まった体つきをしていて、そして目つきが震え上がるくらいに怖かった。あの怖い人はきっと俺たちを食べてしまうんだ。そんなことさえ考えて俺たちは無意識に後ずさって、ガサリと音を立ててしまった。「誰だ」和服の男はもう一人だったが、すぐにこちらに目を向けて庭に下りてきた。安樹は俺の手を引いて逃げ出そうとしたが、二人とも長く座っていたので足がもつれてしまう。「あっ」一緒に転んでしまって、その間に追いつかれた。男は迷いなく安樹の方を抱き上げた。それは存外に優しい動作だった。「はるか」男の口から漏れた名前が俺はわからなかった。眼光が鬼のように怖かったのに、安樹を見下ろす目は穏やかだった。「う……わぁぁんっ」だけど、安樹は耐え切れなくなって泣き始める。安樹は元来ひどい人見知りで、俺の手を握っていないと知らない人と話すことすらできないのだ。しかもこんな怖そうな人に抱っこされてしまって、こらえていたものが溢れ出したのだろう。「はるか、ああ、痛かったか、よしよし……いい子だから泣くな」転んですりむいた足を見て、男は安樹の頭を撫でながら宥める。「あすちゃんをかえせっ」俺は男の袖を掴んで引っ張った。こいつが誘拐の親玉だと思って、必死で食いついた。それに、男は安樹に対するのとはまるで違う、興味のなさそうな声で言った。「お前が美晴の方か。はるかには全然似てないな」俺はこの時ようやく気づいた。

「はるか……は、おかあさん」遥花は俺たち二人の母さんの名前だ。俺がぼそりと呟くと、男は目を細めて頷く。「俺は遥花の兄だ。お前たちのおじさんだよ」恐れを忘れたのは一瞬で、隣室から男たちがわらわらと入ってきた。「オヤジ、さっきの声はっ」「ああ、みつかった。もう問題ない」和服の男は面倒そうに俺を示す。「美晴は返してこい。傷はつけるなよ。遥花の子だ」まだ泣き止まない安樹の頭を撫でて、俺たちの伯父を名乗る男は安樹に小さく笑いかける。「遥花が確保できればいい」俺は直感で気づいた。この人は俺たちの母さんが好きなのだと。「はなせっ。あすちゃんといっしょにかえるんだっ」そして母さんにそっくりな安樹を自分のものにしようとしている。それは絶対に許してはいけない。「遥花はここで暮らす。ここは遥花の家だからな」「おかあさんはもういないっ」俺は声を張り上げてきっと男を睨みつけた。「お、おかあさんは……しんじゃったっ。もうあえないんだっ」本当はこのことを叫びたくなかった。「みはる?」安樹が驚いて俺を見る。ぽたぽたっと、その目から涙が落ちる。「おかあさんは、りょこうだよ?」「ちがうんだっ。おかあさんはろしあにもにほんにもいなくて、いつまでまってもかえってこないんだよっ」安樹は母の死を認められずにいた。まだ小さいから仕方の無いことだった。――ごめんな。父の涙を見て、俺だけはわかっていただけだ。

「連れて行け」 男の目に淀んだ光が宿る。俺は部下らしい男に抱えられて安樹から引き離される。「はなせようっ。おまえなんかおじさんじゃないっ。わるいひとだっ」俺は安樹をじっとみつめて言う。「あすちゃん、このひとわるいひとだよっ。にげようっ」安樹のまんまるで澄んだ瞳がぴくりと動いた。「みはるっ」弾けるように安樹は暴れ出して、一生懸命俺に向かって手を伸ばす。けど男の力には敵わなくて、簡単に腕の中に封じ込められてしまう。「やだ、やだやだっ。みはるとかえるっ」安樹はそれでもじたばた暴れる。俺の片割れは俺の言うことを何でも信じるのだ。だから一度俺が何か告げれば、安樹は絶対にそれに疑いを持ったりしない。「あんじゅっ」俺は抱えられたまま部屋の外に追い出されようとしていた。だから俺は声を張り上げて安樹に伝える。「わるいやつは、みはるがぜんぶたおしてやるからっ。ぜったいむかえにいくからっ」それに、安樹は何の迷いも疑いもなく答えた。「うんっ」今まで安樹に守られてばかりだった俺が、初めて安樹を守る決意をした瞬間だった。安樹を背負ったまま、俺は夜の街を帰路についていた。まだ眠りについている安樹は時折俺に擦り寄るように頬を動かす。俺はそのたびにくすりと笑いながら、起こさないようにゆっくりと歩みを進める。結局その誘拐事件は、男の妻であり竜之介の母である姐さんが怒鳴り込んで俺と安樹を帰してくれたことで終わりを迎えた。彼女は俺たちの母とは仲が良かったらしく、未だに何かと目をかけて俺たちを伯父の手から守ってくれている。それにはもちろん感謝している。ただ、それに俺が満足しなかっただけだ。

「よかったんですか」路地裏から聞こえた声に、俺は足を止めたが顔は向けなかった。「一度くらい痛い目を見せてもいいんですよ。オヤジからも許しが出てますし」この場合のオヤジとは、もちろん俺の実父のことではない。暴力団の長のことを示す。「まだ早い。竜之介に感づかれると厄介だ」裏の世界に生きる住人とつながりを持つようになって、もう何年になるだろうか。伯父に対立する組に俺の存在を認めさせるために、どんな汚いこともやってきた。「あの組がつぶれるのは俺の悲願だから。楽しみは取っておきたいんだ」そっと安樹を背負い直して、俺は言う。「オヤジによろしく」安樹が天使のようだという微笑みを、俺は闇に送った。マンションに戻ると、俺は安樹をベッドに寝かせてその横に腰掛けた。喉元を緩めてやると、安樹の瞼がぴくりと動く。「……起きた?」すぐにでもまた眠ってしまいそうな目で、安樹はぽやんと俺を見上げる。金髪より太陽の色に近い、優しい髪の色と琥珀に近い大きな瞳。鼻は高すぎず低すぎず、唇は桜色。安樹は俺の万倍かわいい。――お前たちの名前は、両方とも天使を由来にしてるんだよ。いつだったか、父がそう教えてくれたことがあった。ミハイルとエンジェル、それが俺たちの名前の元なのだそうだ。「無理して飲んじゃ駄目だよ。あすちゃん、そこまでお酒に強くないんだから」「うん……」自分が天使だなんて笑ってしまうけど、安樹についてはその通りだと思う。容姿もだけど、安樹は本当に心がまっさらで綺麗なのだ。「リュウちゃん、今日は家に来なくていいって。僕がお願いしたら聞いてくれたよ」「そうなんだ」「もう。いくらリュウちゃんが喧嘩腰だからって、簡単に乗っちゃ駄目。リュウちゃんはあすちゃんが嫌いだから、ひどいことばっかり言う」「うん、うん」俺の言うことを何でも信じてしまう。俺が刷り込んだおかげで、竜之介は単純に自分に悪意がある存在だと認識している。実際は、男社会で育ったから考え方が少し古風なだけで、あいつ自体は悪い奴じゃないのだが。

「周りが何を言っても、リュウちゃんなんて気にしないんだよ」「わかってる」そして今でも、俺のことは守ってやらなければいけない小さな存在だと信じて疑わない。「なぁに?」くす、と安樹が笑ったので、俺は首を傾げる。「ミハル、今日はおにいちゃんみたいだ」俺はそれに一瞬だけ言葉を失って、すぐに微笑み返す。「うん。そうだよ。今だけ、僕がおにいちゃん」俺の方が何時間も先に生まれてきたから、父は俺を兄として戸籍に届けている。そして俺の方も、安樹は妹という認識で生きてきた。安樹は俺を守るために側にいなければいけないと思っているから、普段は弱くかわいい弟を演じているけど、実際はいつだって俺が安樹を守ってきたのだ。――あすちゃんは変じゃないよ。ねえ、安樹。君が知らないだけで、君の周りはとても複雑で奇妙な関係が広がってるよ。けど、何が普通かなんて誰にも決められやしないのだから。君が好きな普通の中で生きればいい。俺がそうできるように周りを作り上げてあげるから。「おにいちゃん。キスして」ふざけて安樹が手を伸ばす。酔いもあるのだろう。とろけるような笑みを浮かべている。「はいはい」だけど、安樹は俺が好きで、俺も安樹が好き。これ以上純粋な関係はないはずだろう?俺は屈みこんで、俺の天使とキスを交わした。美乳霜貼片--豊胸 美乳
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