<日本車のデザインを反省せよ!> 

2013年03月23日(土) 13時10分
<日本車のデザインを反省せよ!>

1、 車のデザインが下手になった日本

何時の頃から、日本は車のデザインが下手になったのだろうか?
私が中国に住むようになって、世界の車を色眼鏡無しに見ることが出来る場所はここだと思った。
世界の有名な自動車企業が中国市場を狙ってこの地で生産し販売しているからであるが、街の中を見ると日本で見る“外車”が何の特別さも無く普通に走っている・・・・・ハハハッ、おかしなことを言う! 中国生産である以上、外車ではなくメイドイン中国車なのだが変な感覚である。 いやこれが色眼鏡無しに車を見ることが出来る環境なのであろう。 おそらく世界中でこの中国だけがそんな特殊な環境を持っているのではないだろうか?
日本では金持ちの象徴であった外車の存在がこの地では、一般人と同じ土俵に乗っているのだから面白い。
さて、そんな恵まれた環境の中で日本車と外国車(日本以外の車)を比較する事にする。
もちろん比較するのはデザイン(スタイル)である。

日本の車を考える前に、デザインが良かった昔の日本車を思い出してみる。
デザインの良い車は時代に合った新鮮さがあって、存在感が感じられる車。 そして、なんといってもデザイン的ポリシーが車の先端から末端まで行き渡っていることであろう。

トヨタ2000GT、この車は日本人のほとんどの人が憧れた車だ。
この車の感性と存在感は時代を圧倒していた。 日本人の誰もがこの車を欲しいと思った事だろう。
いったいどうすればこのような独創的で美しいデザインが出来るのだろうかとまで思ったほどだ。

日産初代シルビア、この時代にいったい何が起こったのであろうか?と思うほど洗礼された美しいデザインに驚いた。 高嶺の花を感じさせる車で確実に他車と違った土俵に存在していると感じさせる。

いすず初代117クーペ、ジウジアーロのデザインが日本の車の世界を変えたようにも思った。 
低く流れるような流暢な曲線がセクシーさを感じさせる。 車の先端から末端まで少しも感性を変えることなく一貫したデザインを貫いている。フロントノーズが隠すかのように設置された丸型4灯のライトが特別に印象的だった。

マツダ初代ロータリークーペ、この車は圧倒的に空を飛んでいた。 この時代で大変個性の強いデザインは、まるで地を這う存在感をもたらした。 ロータリー車を震撼させたスポーツカーとして何時の時代も思い出させてくれる個性だ。

ホンダ初代シビック、最も大衆車である。 当時これほど刷新した存在感のあるデザインには驚いた。
小型でデザイン的には大変窮屈であったといえるのだが、そんな制約を全く感じさせない独創的デザインだ。 漫画チックで可愛い存在でもあり広い年代層に受け入れられる楽しさがそこにはあった。

日産初代シーマ、箱車でこれほどシンプルでありながら美しい高級感を出した車はない。
デザイン的シンプルを基本として気品があり何時までも愛される風格を作り出している。 以降各社がこの感性を真似しているが上手くできた車が無いのも面白い。

まだ、他にも良いデザインはあったように思うがこのくらいにして、確認したいのは良い車は何時の時代にも語り継がれるという事である。
そのように見ると、現在の日本車にこのような車が存在しないのはどうした事か?
デザイナーの質が落ちていることが最大の原因と言うべきだろう。
そして、更にデザインに対して良さを作り上げていくシステムがお粗末と言わざるを得ない。
デザインの、まるで一人?の個性を重んじるばかりに、場当たり的な感性に頼らざるを得ないとしたら、それは単に宝の山から当りくじを見つけるようなものだ。 デザイナーにも、そしてそれを評価する人も徹底した勉強が必要であると考える。 車が工業用の産物である以上それを受け入れる人間の欲が求める方向性は千差万別というよりは、時代によっていくらか決まった方向性があるものだ。
日本車だけでなくすばらしいデザインの多い外国車の良いところを徹底的に分析し、ニーズが示す傾向を感知して以降のデザインに新たな方向性を示すことが求められる。
この基本なくして、感性のみで勝負しようとするならあまりにも場当たり的である。
下手な鉄砲をいくら撃っても良いデザインには当らないと思うべきであろう。

2、良いデザインが生まれない本質は何か?

現在市場に投入されている車のデザインが、日本の各社が何年もかけて良いと思って創り出されたものだとしたら、そのデザインに関しての認定システムがおかしい(おお甘い!)という事である。
製造に関して言えばどれほど多くの人たちが関与して厳しい監査を通過してなし得るシステムがあるにも関らず、デザインに関しては最終的に閉ざされた人達に任せっきりなのではないだろうか?
ラブレターを例に表現するが、一生懸命に書いてこれが最高の出来だと思っていても、数日間をおいて読んでみるととても冷静には読めたものではないことが多い。 思い上がりの一言である。
世界の車の良いデザインを客観的に分析できる人達が、これから採用したいデザインに対して物申す(客観的にダメだしする)場がどれほどあったのだろうか?
重要な事は、始めてそのデザインを見たかのような客観的冷静さが欲しいのである。
デザインはその車の位置付けに要求される感性が一貫しているか、そして他社と差別化できるポテンシャルをそのデザインが持っているのかが重要である。 
先に思い出した名車は全て初代物であったのは偶然ではない。 それほど初代デザインには思い入れを込めやすいものである。 よくぞ、量産してくれたと思いたい。 以降名を残すために継続してマイナーチェンジする事は大切であるが、ドイツ車に見られるような名を残すための遺伝子が必要と感じられる。 日本にも成功例としてスカイラインのようなデザインを継承するためにこだわった車があったことを忘れない。

2012年世界で最も売れたトヨタカローラを例にデザインを考えてみる。
この車を買う人に“かっこいい!”として買った人が何人いるだろうか?
カッコよさはまあ普通、しかし、値段・エンジン性能・居住性・信頼性・ブランド等を挙げて購入した人が多いことであろう。 そこで考えるべきは、カッコよければもっと売れるはずである。 また、生涯生産寿命も上がるはずだ。 では、なぜ何年もかけてかっこよく出来ないのだろうか?
個性的過ぎると売れなくなる事を恐れているのであろう。  ドイツ車のような個性は世界が認めるものであるが、日本的無難さはデザインの世界に自信の無さを示していると考えるべきで、デザインの幅を狭くし感性の育成を止めている。 
本来の能力不足は、デザインを評価するシステムが日本の企業は甘すぎるところにあると認識しているだろうか。
表現は悪いが、少々ブスな娘でも何年も身近で見ていると愛着が湧く。 あばたも笑窪である。 変だと思っていたところも少し小奇麗にして眺めてみると可愛く見えてくるものだ。 
しかし、車を選んでいるお客さんはそんなに長くそして近親感を持って見つめてはくれない。 印象に残らなければ、すぐに別の車に目が行ってしまうのが現実である。 
デザインは始めの瞬間に感じたものが一番重要なのである。

デザイナーは自分の描いたデザインをよく見せようと工夫する。 また、試作を作った人たちも綺麗に仕上げるようとするが、これらの操作は実は無駄である。 下手なプレゼンテーション等もこの時点では必要ない。 鉛筆で描いた流れるようなたデザインに惑わされている。 現実の車として居住空間を確保するためには天井を現実的な高さにする必要がある。 また、タイヤと車の比率や車高なども現実に近い形に初めからデザインすることが必要だ。
私が思う重要なことは、車である以上一定の前提条件で出来たデザインを見ることだ。 色眼鏡は必要ない。 量産車に近い形のデザインが本当のデザインなのだからである。
おそらく、初めから現実に近い形のデザインを見て良し悪しを評価できる関係者は少ないのではないだろうか? といいたくなる。

先に良い例とした日本のすばらしい車のデザインを100点とした時、このカローラのデザインは68点。 同じ量産をするなら100点のデザインを目指してはどうかという事である。
売れたから良いという結果論評価とは、まったく別と考える。

2012年カローラがなぜ、68点なのか簡潔に表現する。
まず、通りすがりにこの車を見た後に思い出そうとしても印象が無い。(思い出せない)
そしてじっくり見たとき、後ろ半分にできた現代風の車高の高いデザインと前半分の低くて古い感覚のデザインと組み合わせが中途半端で、一貫性に欠けている。  横から見ると前の部分がフライパンを返したような型で、先細りのノーズデザインが妙に軽く見える。  特にフロントノーズとグリルに回り込むアール付けに古臭さい違和感が感じられる。  また、ウインドウ枠下部の前下がりの湾曲したラインに不安定感が有り、車の浮いた感覚をもたらしている。 これではデザインが完成していない。 
カローラを購入しなかった人の中にまた妥協して買った人にこのような感覚を持つ人がどれほど多い事だろうか。 
デザインには一貫性が大切だ。 感性の表現がデザイン上で一貫していないのは致命的。 
ひょっとしてカローラ関係者も薄々感じていたのではないのだろうか? こんなに簡単に評価されてしまう事に関して理屈で説明したまでだが、実際感性ってやつは理屈が不要であり、現実では“嫌い”の一言で終わってしまう。
それに比べてドイツ車はデザインが練り上げられている。
BMに至っては完成の域を過ぎてしまって新鮮味が掛け始めたが、デザイン的には申し分ない。
VWは各部のデザインが車の良さを知っているかのような仕上がりを見せている。
共通して言える事はヘッドライトを車の顔の目として例え、威厳のある動物を感じさせる存在感を作り出したデザインは人への印象を掻き立てる。 更に、フロントノーズから前輪への位置とボンネットからタイヤハウスへのカーブが特徴的で、どの車にも共通したデザインポリシーを見せている。 その結果、人が車を見たときの良さを強烈に感じる一つのパターンを作り上げている。 決して一個人が成したデザインではなく会社のポリシーが垣間見える。
日本車がこの部分を真似する事すらないのは、単なる意地なのか?又は気が付かないままデザインの世界観を放ってしまっているのか?・・・・とにかく、私には日本のデザインは勉強不足と感じる。
物つくりも大切だが、“デザインはもっと大切”と大声を挙げる人がいかに少ないかであろう。

デザインのポリシーは何でもいいのかというと意外やそうでもない。
車である以上、人間社会には当然枠が存在している。
高級車を例に挙げてみるとこのような事がいえる。
・可愛いデザインは無理、
・重量感のあるデザイン
・落ち着いた風格のある高級感。
・こてこてしていない

デザインをよくしたからと言ってコストが上がるわけではない。
良いデザインの車はどこが良かったのか?
悪いデザインの車はどこが悪かったのか?
デザインも物つくりの一貫として考えるならば2つの反省は常に必要である。 なぜか、この部分には触れてはいけないのではないかと勘違いしている感がある。
車が売れないと悩んでいる各社の車のバリエーションを再度眺めて見て欲しい。
この中にぱっと見てデザイン的に欲しいと思う車がどれほどあるというのか?

中国では高級車がたくさん売れる。
レクサスなどは日本では希少価値だが中国では普通に走っている。 
もちろん輸入車であるため、中国で購入するには税金が高くとても買えない存在のはずであるのだが・・・。  これは、単に金持ちが多い社会主義社会であって、金持ちが金持ちの証として庶民が買えない車に乗っているというステイタス(見栄)が欲しいのである。
“ブランド“”高級車“は金持ちの憧れであり、確かに中国社会の中ではお金があっても使うところが少ない社会であるため、高級車を買う心境は解り易い。
しかし、私の見る現在のレクサスはブランド感はあるが存在感が薄い。
ドイツの高級車には高級車である事とその車の存在感が同期化している。 ところが、走っているレクサスには目で追うほどの存在感が無い。
初代レクサスを香港で見たときは強烈な印象があり、一時ベンツを凌ぐ存在感が噂されたほどだ。
日本ではセルシオ=香港のレクサスであったが、ある意味旋風を感じた時代であった。 以降レクサスブランドが誕生するきっかけになったはずだが、現状はいささか方向性を間違っているのではないだろうか?
レクサスは高級車であり続けて欲しいのである。 こんなにいろいろなバリエイションを出していったい何をしようとしているのか? レクサスのNO1車は何なのか?知る人が居ないのが現状だ。 
高級車の存在感を定着させるためには伝説じみたものが必要だ。 香港でのレクサスは伝説にまで至った存在だった。 高級車には高級車だけが持つ存在感が必要なのである。 今はブランドだけで維持できているレクサスだが、今一度見直すとしたらバリエイションを絞り個々の存在感を定着させる事であろう。  
高級車に妥協や制限は無い。 一般車と違うところを見せ付けるべきである。 特にデザイン的差別は最重要課題であり、より高級感のあるそして存在感の有るデザインであり続けることが重要だ。
今一度高級車に必要なものを考える時である。
高級車は、ブランド+NO1の存在感が思い描ける事であり、そして大切なの事は、走っている車に指を指されることである。

3、世界で売れた日本車のデザインを反省?せよ。

デザインが一般的に優れていると思われる代表がドイツ車である事を再度認識する。
車が愛される良い感性がどの部分にあるのか良く把握している。 デザイン的にけちのつけようが無いのがにくい。 VW、アウディーの各車には個性の出し方にはっきりとした傾向が見られ車の良さが印象に残る。BMには洗礼に磨きのかかったデザインに到達した観があるが、長年見続けていてもデザイン的に飽きが来ないのがりっぱだ。
ところが、ドイツ車にまね出来ないデザインが日本車にあった。 
それはトヨタの世界戦略車のカリーナである。 日本での販売が無かったのが不思議に思えたが、2010年以降この車は世界を舞台に売れまくり現在でも高い人気を持っている。
しかし、この車のデザインの特徴は表現が難しい。
特に車の重要なデザイン部分に対して際立ったデザインをしていない。 部分的に見ると特徴の薄いデザインであり、また大変シンプルでもある。 全体としてポリシーの薄さが感じられるが個々のごく普通に見えるデザインが一見して新鮮さに欠けるように思えるが、全体としてまとめた時に巧妙にまとまって見える。 正に奇跡的な結果である。 デザイナーが最も大切とする重量感や高級感があり、そしてちょっとした可愛いらしさがある。
ドイツ車には個々にデザイン的凝りがありそれが売りになっている場合が多いものだが、しかし、世界戦略車のカリーナにはデザイナーに自負する懲りが見つからないのだから、これではドイツ人はお手上げであろう。 

世界を見たときに日産車が意外に売れている。
ティアナ、そしてティーダなどは大変人気があり、中国でも長年愛されている。
中国でトヨタのクラウンと日産ティアナを比較した時、現状では圧倒的にティアナに軍配が上がる。
この広い中国の道路で見るティアナは存在感が有り、高級感(落ち着いた重量感)、ある存在だ。
ほとんどが黒であるのもうなづける。 ここで言うティアナはマイナーチェンジした2代目のティアナであるが、印象に残るのはヘッドライト周りとリア部分のランプを含めた台形調のデザインである。 バランスを少しでも間違うとこてこてしたやりすぎのデザインになりかねないのだが、微妙にまとめていて印象に残る。 
長いフロントノーズが段差路で擦るのではないかと心配するほどだが、前面から後ろまでが一貫したデザイン感を持っている。
この2代目ティアナは日本の車デザイン感を勉強するのに適した高級車の一つと言えるだろう。
初代のティアナを知っているだろうか?
とは言ってもそんなに昔の話ではないのだから皆さんの記憶にあるはずだが、・・・・
基本的に初代と2代目とは車体などは同じであるのか? と疑うほど違う車の印象が強い。
初代ティアナはなんと印象の薄いデザインであった。 悪い部分を言葉で語るより2つの車を見比べるとその違いが歴然としてくる。
ちょっとのデザイン変更がこれほど車を違って観させる大変良い例だ!。
フロントヘッドライト周りと、リアランプ周りに大きな変更があるのだが、これほどの違いが出てくるのだからデザインは恐ろしい。
初代は平凡すぎて印象すら残らない。 そして大切な事は高級車としての威厳が感じられなかった。
高級車には買うものが求める差別感が大切なのだ。 それは気品と高級感であって、飛んでいる事ではない。 道路を走っている2代目は思わず振り返る存在感がある。 そして一度気になりだしたら、こいつは益々良く見えてくる存在である。
このマイナーチェンジで解る事は、関係者の中で初代発売時点ですでに物足りなさを感じていた人が居たのではないかということだ。 ではなぜ初代の平凡なデザインを決定したのだろうか?
これは、関係者が何度も同じ車のデザインを見ていたために“あばたも笑窪”になっていた証だ。
一般人には関係ないことであるが、美人コンテストを見ている人たちを思い出してみると解るであろう。 初めてみる一瞬の印象が重要なのでる。 何かが印象に残るか残らないかである。
つまり、一瞬に何かが残ったとすれば結果的にデザイン感があったといえる。
2代目ティアナの変身は日本車としてはこれまで無かった方向性を見せてくれた。
会社の中でデザインを決定する一部の関係者の革命的発展が無ければこのような結果は生まれなかったと見る。 人のメンツなんか気にするべきではない。 人気が無かったときには思う存分反省すればよい。 ここが欠如しているのが日本の車デザイン事情である。

デザイン的失敗は繰り返してはいけない。 失敗のノウハウは会社全体で受け継ぐべきであって、次機種の車の評価にも展開される事を望みたい。
新車種のデザインを関係者以外の人に見せる事は難しい事情があるが、そうでもしなければあばたが笑窪になっていることに気がつかない。 皆が作ったものにケチをつけることは道徳的に良くない事としてきた文化がデザイン業界に悪影響を及ぼしている。
会社としてみた時には、売れない車を作る事のほうが最も効率の悪い事なのである。
デザイン決定のシステムが大いに甘いと言ったのはこの事である。
納期が来たからこのデザインでいく・・・・なんてことが現実にあるとしたら大間違いである。
売れない車を発表するくらいなら、もう少しくらい現行の車を量産していたほうが良い。

中国ではもう一つ、ハッチバックスタイルが良く似合っている日産ティーダ多く走っている。 
この車の特徴は圧倒的な室内の広さであろう。 サニーの後継と位置するはずであったが、あまりにも設計コンセプトが変わりすぎたのか、思い切って名前まで変えてしまった。 これが良い目を出したのであろう。 とにかく室内が広い。 従来の車からは設計思想的に作れなかった居住空間である。
本来ならばこんなに広い室内を作れば車のデザインは可笑しくなってしまうものだが、まったく上手くまとめている。 ある意味この時代の革命車であるといえる。 そのためか真のサニーの後継が消えてしまった事が残念であったが、この新しい意欲的システムが成された事は大いに評価できる。 
このティーダのデザインにあえて苦言を言えば、特徴的なリアランプ部分に比べヘッド部分が単純すぎて印象が薄い。 平凡な顔立ちであり、可愛いだけの印象は車を軽く見せる 。 ヘッドライトやグリル部分にはもう少しデザインが欲しい。
・・・とは一般的意見だが、なんといっても居住空間に革命を与えたデザイン功績が圧倒的に優先していたと認めたい。

本田車について言いたい事がたくさんある。
極論だが、初代シビック以来本田は車のデザインが出来なくなってしまったのか?
近年、明らかに本田が売れなくなっている原因はデザインの下手さであろう。
初代シビックの大ヒットは、ある意味デザインの革命的存在であった。
蛙を押しつぶしたような、当時は変?な発想のデザインが思いっきり愛着のある車として長く愛された。以降このデザイン傾向を継承する本田バリエイションが続くが、これっきりになってしまった感がある。
パチンコ機で例えるならフィーバー7機が大ヒットして以降これに次ぐ機種が出なくなった雰囲気に似ている。 日本の車メーカーで最もデザインに力が無い会社になってしまった。
いったいどうしたというのか?
初代シビックのデザインの何が良かったのか充分反省?しているだろうか・・・そう、反省だ。
蛙を押しつぶしたような・・・とは言ったが、バランスの取れた前後車輪の位置とリアの曲線が描くデザインも完成度が高い。 ヘッド部分も決して飽きの来ないノーズがライトと相対して可愛らしさを匂わしている。 それに比べ他のバリエーション車にはどの部分をとっても良い車としての要素を持ち合わせていない。 
良い点が理解できるから欠点を知るのである。
初代シビックの何が良かったのか・・・は、以降の車種の欠点を認めることからやり直すべきである。
自社工場で車を作る人たちですら、“この車欲しい”と思わないような車ばかりである。
最近特に不自然なのは、2012年アコードである。
側面を走る前下がりの中途半端なライン溝はあるべきではない。 車のコンセプトが消えている。
アコードは走りの車か? といってそんな車ではない。 では、高級感のある一般大衆車か? 
どちらかというとこのように思うのだが、そうならばこの側面のラインは台無しだ。
ラインが大きく前下がりで先端が上がっていることもバランスが悪い。 ウインドウ下部の位置も本体ラインにマッチしていない。 リアのランプは何を考えた事かお粗末。 全体的にもデザインがこてこて領域に入ってきている。 まるで度素人集団である。
日産のチームと比較すると20年は遅れている感じがある。 デザインチームの刷新が必要なのではないのか?
2005年以降世界で爆発的にヒットした車にオデッセイがある。
この車の存在は有る意味新規領域分野の先駆者的存在であった。。
7人乗り乗高級乗用車として一つのジャンルを成し得たもので、企画コンセプトが時代のニーズの最先端に位置していた。 車のデザインとしては特別に良かったとは言いがたいが、普通乗用車にワゴン車機能を持たせた事が新鮮だった。 車格からしてライトバン(ステイタスワゴン)である以上デザイン的に凝る部分が少ないともいえるが、当時一般的だった角型ヘッドライトを、フロントノーズと大きなバンパーからの隙間に横長に配置した印象は一瞬にそれとわかる存在感であり、新時代の印象にマッチしていた。

中国でも時々見かける人気の車がスズキ車の中に有る。
スウィフトである。 ミニクーパーを思わせる基本デザインは他社に無い個性を持っている。
この車は一般乗用車をデザインするときに脳裏にあった一般車の基本的ラインに全く影響されていない。 ミニの持っていた小さい可愛いにプラスして野生的一面も作り出している。
小型車にありがちな軽くて弱いイメージが精悍さによって打ち消されているからであろう。 思わず車の外観にラリー調の文字や絵でも貼り付けてみたくなる車だ。
車を買う人の気持ちになってみたとき、このような遊び心を持った車は欠かせないが、いざ買う時になってみると先ずは一般大衆車?(カローラやティーダ・・・・のような)へいく人が多い。 ヨーロッパでミニクーパーやVWカブトムシを買う人の気持ちがこれに該当するはずだ。 
遊び心の車には、デザインがこれを買う人の気持ちに強い印象を与えた時に売れるかどうかが見えてくる。 先にも書いたがデザインは売れない結果では意味が無いのである。  高級車には高級車に要求されるデザイン的ポテンシャルが必要とした時、デザイン的にもその車の持つステイタスが重要になる。 デザインが良くても可愛い高級車は良いデザインとは言えない。 それは車のデザインをしているのであって他の何物でもないからである。 人の好みは千差万別とは言ってもそれなりの方向性がある。 時代とともにその方向性が変化する事はあっても、突然大きくは変わりようが無いのも現実だ。 
スウィフトは遊び心を持った領域のデザインであり、この領域のニーズを作り上げていく事がデザインの重要部分であろう。 他社がなかなかこの領域に踏み込めないのは遊び心は好き嫌いが激しい事である。 良いとして出した車でも売れない事が多いからだ。 車を2台持つならば買いたいとする場合が多いのも事実である。 
そこでファーストカーとしてこの車を買ってもらうデザイン要素が必要になる。 そんな要素がデザイン的に含まれてこそ良い車になるのであるが、スウィフトは単なる遊び心の車デザインだけではなくファーストカーの位置づけをも持ったそんな要素が見て取れるデザインを作り出している。

4、ちょっとの違い

デザインは恐ろしい。
車である以上4つのタイヤは欠かせないし、エンジンやヘッドランプ、バックライト等いやでも必要なものがある。 タイプもセダン、ハッチバック、ボックス等の領域においてデザインが成す範囲は限られているとしたものだが、実際問題としてほんの少しの線(ライン)の違いで車の見た感じは大きく変わってくる。
製造現場では0.001mm=1ミクロンの単位は極微の世界で計測には大変難しい技術が必要であるが、不思議なものでこの1ミクロンの世界は手の感覚には確かに大きく伝わってくる世界でもある。人間の感性は極微の世界を見極める物があり、それは数字で表現できることなら理解しやすい事だが、デザインの良し悪しのように数値化できない世界の出来事は過去より一個人?に頼ってきた。
であるからこそ、放っては置けないのである。
この領域を特別視して甘やかしてきた事を反省するべきである。
確かに数値化できない世界を事前に説得するのは難しいことであるが、それは慣れていないだけで単なる感性だけの世界ではなく、多くの分析と反省で成し得て行く世界なのであろう。 
5年かけて1台の車デザインを作るとした時、製造現場から見ればなんと贅沢な世界であろうかとため息が出る。 そんな世界がデザイナー業界であるのなら必死になるやり方を構築するべきである。
どん底感があれば新鮮なデザインが描けるものだ。 言い換えると良いデザインを描き出していくシステムを見つけることである。 それは、デザイナー達のプライドを傷つけるものではなく発展させる事と認識するべきであろう。
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