『古事記』の文体・表記について―「為」の場合―

August 23 [Thu], 2012, 0:30
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1.古事記の表記について
 みなさんは『古事記』の本文を目にした事があるだろうか。『古事記』は全て漢字で書かれていて、万葉仮名と変体漢文(漢字の音と訓とを交えたもの)で表記してある。その『古事記』の表記には多くの問題が残されている。
まず始めに挙げられるのは『古事記』をどの様に読むのかだ。ここまで読み進めた人の多くは「コジキ」と読んだのではないだろうか。しかしこの『古事記』という表記には「フルコトブミ」と読むべきだという説もある。『古事記』の読み方に関して最初に問題にしたのは有名な本居宣長であった。どちらが正しいのか、当時はどの様に読んでいたのかという事に関しては資料がないために断定する事は出来ない。
 日本語学の観点から『古事記』を考察すると、大きな問題点は2つあると私は考える。1つはなぜ漢文と日本語が混ざった様な不統一な表記で記されたのか。もう1つはある漢字を音と訓どちらで読むべきなのか、そしてその漢字がどの様な用法で用いられているのかというものである。
 そこで今回は“漢文では<タメに・タり>と読み、よく目にする「為」という漢字が『古事記』の中でどの様に読まれ、使われているのか”に的を絞って考察し論じる。

2.「為」の表記の種類
 『古事記』の本文の中に、「為」の表記は上巻・中間・下巻合わせて164個認められた。今回は「為」をどの様に読んでいるのかという観点で分類した。「為」の読まれている部分を片仮名で示した以下の区分を参照されたい。

@広い意味で何らかの動作を表す読み<セ・シ・ス>
A何らかの変化を表す読み<ナる>
B「〜と思う」という意味を表す「以為・為」の読み<おモふ・オモふ>
C何らかの行為の受け手・目標となるものを表す用法<タメ>
D稀な読み<アり・イふ・マる・ワザ>
Eその他(本文には認められるが訓読文で漢字表記されていない)

 それぞれ@108例、A16例、B16例、C6例、D7例、E11例あった。以上の事から、「為」は『古事記』の中で少なくとも11の読みを持つ文字である事がいえる。まず始めに@〜Eの用例のを適宜挙げ、訓読文と本文を示す。

@広い意味で何らかの動作を表す読み<セ・シ・ス>
 (@)訓:いかに為(セ)む(下・209頁)
    本:為那何然(下・526頁)
   (A)訓:妣(ハナ)の国と為(シ)て、(上・88頁)
      本:為妣國(上・488頁)
 (B)訓:詐(イツハ)りを為(ス)る神と謂(オモ)ひて、(中・150頁)
      本:謂為詐神而(中・508頁)


A何らかの変化を表す読み<ナる>
 (@)訓:吾(ア)は汝(イマシ)命(ミコト)の妻(メ)に為(ナ)らむ(下・188頁)
    本:吾為汝命之妻(下・521頁)
B「〜と思う」という意味を表す「以為・為」の読み<おモふ・オモふ>
   (@)訓:人其の河上に有りと以(オ)為(モ)ほして、(上・45頁)
      本:以為人有其河上而(上・473頁)
   (A)訓:故(カレ)人民富めりと為(オモ)ほし(下・179頁)
      本:故為人民富(下・518頁)
C何らかの行為の受け手・目標となるものを表す用法<タメ>
   (@)訓:御子(ミコ)の為(タメ)に答へまつりて歌ひて曰(イハ)く(中・157頁)
      本:為御子答歌日(中・510頁)
D稀な読み<アり・イふ・マる・ワザ>
 (@)訓:我(ワ)が従(ヲ)父(ヂ)に為(ア)り(下・235頁)
    本:為我之縦父(下・533頁)
 (A)訓:一つには兄弟(エオト)と為(イ)ふ(下・208頁)
    本:一為兄弟(下・526頁)
   (B)訓:其の大便(クソ)為(マ)る溝(ミゾ)より(中・99頁)
      本:其為大便之溝(中・492頁)
   (C)訓:名も無く為(ワザ)も無く(上・17頁)
      本:無名無為(上・463頁)
Eその他(本文には認められるが訓読文で漢字表記されていない)
(@)訓:命(ミコト)を誤(アヤマ)たず、悪(アラ)ぶる神を射つる矢の至れるならば(上・68頁)
   本:不誤命為射悪神之矢之至(上・481頁)
(A)訓:御寝(ミネ)し坐(マ)しぬ(中・122頁)
   本:為御寢坐也(中・499頁)
(B)訓:其の嬢子を儛はせしめたまふ(下・217頁)
   本:為儛其嬢子(下・528頁)

これらの用例を踏まえた上で問題点として浮上してくるのは、B-(A)の「為」をなぜ一語で<オモふ>と読んだのか、そしてE-(@)(A)(B)で、本文に「為」は認められるにもかかわらず訓読されなかった理由である。この2点を以下の章で論じたい。

3-1.<オモふ>と読む「為」
 高校の漢文の授業ではよく「以(オモ)為(へラク)―ト」の形で用いられ、‘<オモへラク〜ト>:〜と思う’という読み・意味で用いられる。そのため、B‐(@)の様な用例は納得するだろう。しかし『古事記』の中では「為」一語で<オモふ>と読む用例は2つあった。

(@)訓:穢汚(ケガ)して奉(タテ)進(マツル)ると為(オモ)ひ(上・45頁)
   本:為穢汙而奉進(上・473頁)
   訳:穢して進上すると思って、(上・274頁)
(A)訓:故(カレ)人民富めりと為(オモ)ほし(下・179頁)
   本:故為人民富(下・518頁)
  訳:そこで、民は豊かになりつつあるとお思いになり、(下・393頁)

この2つの用例の中の「為」を他の読み<セ・シ・ス・ナる・タメ・アり・イふ・マる・ワザ>に置き換える事は出来るだろうか。置き換え不可能という点からここはやはり<オモふ>という読みが文の流れや、意味として最もふさわしい。しかし中には、

(B)訓:故、妾(ヤツコ)今本(モト)の身を以ち産まむとす。(上・86頁)
   本:故妾今以夲身為産(上・487頁)
   訳:私も本来の姿になって産みます。(上・312頁)
(C)訓:其の天皇の御頸(ミクビ)を刺しまつらむと為(ス)。(中・122頁)
   本:為刺其天皇之御頸(中・499頁)
   訳:天皇の御首を刺そうとし、(中・343頁)

この様に現代語訳の部分を「私も本来の姿になって{産みます。/産もうと思う}」や、「天皇の御首を{刺そうとし、/刺そうと思い、}」のように、区分@広い意味で何らかの動作を表す読み<ス>の未来の事柄を示す用例に限っては、<オモふ>という読みと置き換え可能なものが認められた。言い換えれば、これらの<ス>と読まれている「為」は<オモふ>と読んでも良かったはずである。
 (@)(A)の例に戻って考察すると(@)は推量、(A)はこの用例の後の文章が「もうよかろうと、労役と租税をお命じになった。」とあることから、ある事柄に対する推量・過去の事柄に対する判断であると言える。
 山口佳紀氏は著書『古事記の表記と訓読』の中で(B)(C)の様な<オモふ>と読める<ス>の方がむしろ例外であり、その様な<ス>を「日本語としての自然さを重視して、オモフと訓んでおきたい。」と述べている。しかしもし『古事記』の中で「為」一語で<オモふ>と読む場合に対しての用法を示すのであれば、ある事柄が起こったそれ以前に対する推量や判断表すと言えるのではないだろうか。

3-2その他(表記なし)の「為」
 本文中に「為」の表記があったにも関わらず、訓読文に漢字表記されなかった例は前述したと通り、11例あった。従来の研究では、この読まれない「為」は不読である変わりに下接の文字が動詞である事を示す用法があるとされてきた。たしかに

(@)訓:其の熊野の山の荒(アラ)ぶる神自(オノ)づからみな切り仆(タフ)さえき。(中・92頁)
    本:其熊野山之荒神自皆為切仆(中・489頁)
(A)訓:其の嬢子を儛はせしめたまふ(下・217頁)
 本:為儛其嬢子(下・528頁)

の様に不読の「為」の後ろに動詞がくる用例は11例中6例認められた。問題は残りの5例である。

(C)訓:男建(ヲタケビ)して崩(カムアガ)りましぬ。(中・91頁)
   本:為男建而崩(中・489頁)
(D)訓:御寝(ミネ)し坐(マ)しぬ(中・122頁)
本:為御寢坐也(中・499頁)
(E)訓:其の妹(イモ)の礼物(ヰヤシロ)として(下・207頁)
   本:為其妹之礼物(下・525頁)
(F)訓:己(オノ)が妹(イモ)や、等(ヒト)し族(ウガラ)の下席(シタムシロ)にならむ(下・207頁)
   本:己妹乎為等族下席(下・526頁)
(G)訓:是(コ)れ既(スデ)に汝(イマシ)命(ミコト)の功(イサヲ)ぞ。(下・231頁)
    本:是既為汝命之功(下・532頁)

以上の用例の中で、(C)(D)(E)に関して言えば訓読文の中に「為」の漢字の表記は無いにしても、読まれていると言える。(C)(D)は<シぬ>、(E)は<シて>の部分である。いずれにせよ区分@の読み方だが、訓読文で漢字表記されなかったという点から例外的であると言えよう。(F)(G)は(C)〜(E)の用例の様に説明出来ない事から、特異であるといえる。この2つを説明するにはまず訳文を示し、この訓読しか本当にないのかを考察する必要がある。はじめに(F)について考察したい。

(F)訓:己(オノ)が妹(イモ)や、等(ヒト)し族(ウガラ)の下席(シタムシロ)にならむ(下・207頁)
   本:己妹乎為等族下席(下・526頁)
   訳:自分の妹を、同じ血族の末席に置くわけにはいかない(下・425頁)

この部分には脚注がついていて、「同じ血族の下等になろうものか、なりはしない。天皇への反逆を示唆する。」とある。この事から、「や」は系助詞で反語を示し、「む」は未然形接続の助動詞「む」の連体形としての役割を果たしている。そこで「為」を使役の助動詞「す」の未然形<セ>と読めば、

(F‐1)訓:己(オノ)が妹(イモ)や、等(ヒト)し族(ウガラ)の下席(シタムシロ)になら為(セ)む
     訳:自分の妹を同じ血族の末席に置かせるわけにはいかない

となる。そうすれば「為」も訓読でき、訳も少し丁寧な印象に変化する。次に(G)を考察する。

(G)訓:是(コ)れ既(スデ)に汝(イマシ)命(ミコト)の功(イサヲ)ぞ。(下・231頁)
    本:是既為汝命之功(下・532頁)
    訳:これはすべてあなたの功積です。(下・448頁)

この用例に用いられる「為」は区分Dの<イふ>に置き換え可能な事が分かった。区分Dの<イふ>という読みは全体で2例あり、

(H)訓:一つには天皇と為(イ)ひ、(下・208頁)
   本:一為兄弟(下・526頁)
   訳:あるいは天皇であり(下・246頁)
(I)訓:一つには兄弟(エオト)と為(イ)ふを(下・208頁)
   本:一為兄弟(下・526頁)
   訳:あるいは兄弟でもあることなのに(下・426頁)

この<イふ>は「〜ある」という訳があてられる。この読みを(G)に適応すると、

(G-1)訓:是(コ)れ既(スデ)に汝(イマシ)命(ミコト)の功(イサヲ)と為(イ)ふ。
    訳:これはすべてあなたの功積である。

となる。以上の事から、区分Eその他(本文には認められるが訓読文で漢字表記されていない)に関して言えば、「為」を訓読文に含める事もでき、場合によっては他の区分に読み換えられる可能性を持っていると言える。

4.まとめ
 本来はもっと類例を挙げるべきなのだが、適当な用例がなく理解しにくかった部分も多くあっただろう。しかし本論を通して、『古事記』の中で「為」は多くの読みがあるという事が分かってもらえたと思う。
 しかしよく考えれば、1300年前、『古事記』の文章をどう読んでいたのかという事を正確に知っている人など現代にはいないのだ。私が「為」を研究して抱いた感想は“『古事記』を書いた人・読んだ人々は「音」を楽しんでいたのではないか”だ。多くの読み・用法があるという事はそれだけ沢山の読み方の可能性を秘めているわけである。
 みなさんも是非『古事記』成立1300年のこの時に、日本の起源に触れながら日本語の音を楽しんでみて下さい。
              (4634文字)
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