さて、ふとした事からリンチが始まって以来、Mは権力者の様に振る舞うようになったので、
幼児以外では派閥のようにMに媚びるグループと、Mに怯えるグループが出来たようです。
そんなある日、客間に外人さん夫婦が来ていた。青い目に金髪の女の人・・
(なあんて綺麗なんだろう・・・)
そう思ったら、同じ年の一番優しい男の子を、アメリカへ連れて行くって?
その後に、私の一番のお友達、幼児組から一緒だったNちゃんが養女に・・・
Nちゃんは一週間も泣き明かしたそうだ。やがて年が明け私が7歳になると、
8つ違いの姉も女子部屋でリンチを始めたMも、就職列車で都会へと去って行った。
そし入れ違いに、今度は両親の病気や貧困といった家庭の事情で、数人が固まって
入園してくるようになった。
小学校への登下校には、子供の足で片道40分かかりました。
毎年正月には新しい足袋と下駄が頂けたのですが、次の正月までには足袋は小さくなるし
下駄はすり切れています。鼻緒をしかえては持たせるのですが、2年生の真冬、みぞれの
降りしきる中を足袋が濡れてしまい、よけに冷たいので足袋も下駄も脱いで素足で下校し
た事もあります。
《家》に帰ると、夫婦先生が「寒かっただろう・・」と声をかけてくれたけど、
毎年冬になると両手両足にしもやけが出来て辛かったなー
次の日足袋は無いと思っていたら、先生がちゃんと乾かしてくれてました。
意外だったんでとても嬉しかったです。
登校時は、それぞれの歩幅で下駄の音がカタカタと響いて賑やかでした^^
(体育の時間は裸足でした)これは当時の社会事情だし、仕方がないとしても、
登校時はお姉さん達と一緒なので、寒くて涙ぐんでると、学校から帰るとリンチが待ってました。
この時期は姉御肌のMとは違い、ただ単に権力を示したいだけの上級生が残っていたので、
機嫌をそこなうと、すぐリンチで大変でした。
私が小学3〜4年から靴に変わったと思います。
足袋を履いて靴を履いて・・・この方法は、成長期の子供にも経済的にも良かったのではないかな(笑)
5年生位になった頃、初めて靴下と靴という今のスタイルになりました。