遅くなりましたが、
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
ということで新春スペシャル
「交響曲第8番」
マーラーの交響曲第8番を知ったのは
テレビでその演奏の模様が放送されていたのを観たのがきっかけで
結果、これがクラシック音楽をある程度本格的に聴くきっかけともなりました。
最初はただぼんやりと眺めながら聴いていた程度だったのが
これがなんとも気持ちよく、またその合唱に圧倒され
後であらためてしっかりと聴きたくなったのでitunesにて購入。
私にとってのクラシック音楽の入り口は、
バッハでもなく、シューベルトでもなく、
このマーラーの交響曲第8番だったという訳です。
「これまでの私の交響曲は、すべてこの曲の序曲に過ぎなかった。
これまでの作品には、いずれも主観的な悲劇を扱ってきたが、
この交響曲は、偉大な歓喜と栄光を讃えているものです」
とマーラー自身が語っているように
重厚な、音圧のあるパイプオルガンに始まり、
膨大な人数による合唱団の力強い歌声にまず圧倒される。
教会音楽であるので、歌詞は神を称える内容のものであるけれど
それらを覗いて聴いても、
何かしら心に訴えかけてくるものさえ感じます。
しかしながら、これはマーラーの特徴でもあるようですが
一般的な交響曲よりも変則的な構成ゆえに、
随所に「懐疑的な」ニュアンスも多分に含んでおり
第2楽章の始まり
(Poco adagio: Waldung, sie schwankt heran)に至っては
それまでの第1楽章での勢いを
全て否定してしまうかのごとく疑心的な様を呈する。
しかし、
疑って、疑って、否定して、否定して、その先に続くのは
絶望や諦めなどではなく、ゆったりとした心落ち着くやさしい世界。
だから私は第2楽章の
"Höchste Herrscherin der Welt"が一番好きです。
変則的な構成といえども、
主題となるメロディーがところどころに姿を見せるので、
全体としては統一感のある交響曲として聴けますが
逆に言うと、こうした懐疑的な部分があるからこそ
この交響曲を、
より味わい深いものとして聴けるのかもしれません。
今回、この交響曲を通して気づかされた事があるとするならば、
それは、曲を聴いていて何かしらこみ上げてくる感情がある、
単純な言葉で言うと、感動に他なりませんが
感動や、喜びというものは、与えられるものではなく、
自身の内から生まれるものである、ということを
あらためて気づかされたという点です。
もちろん、今までにも好きな音楽などを聴いて
ワクワクしたりドキドキしたり、そうした経験はありますが
意識的にも本能的にそうした思いに至ったのは
今回がはじめてではないか、とさえ思いました。
こうした観点をもってすると、
音楽を聴くということは、決して受け身的な行為ではなく
それ以上に、能動的な行為であるのだと思います。
人間というデバイスは
受信器であり、共鳴器であり、そして発信器である。
今後はこの「発信器」の部分、つまり
内からこみ上げるもろもろの思い、を大事にして生きたい、
と強く思います。
またそれが、内面的な強さを養い、
内面的な豊かさをもたらしてくれるのであるという思いで
生まれたキャラがラララちゃん(意匠登録出願準備中)です。
どうぞよろしく。

Sing Your Heart Out(思いのたけ歌っちゃいなよ!)は
歌に特化した表現となっていますが、
つまりは内面からこみ上げる思いを大事にしたい、
というメッセージです。
【新春スペシャル・オマケ】
話を交響曲第8番に戻すと、
別名「千人の交響曲」と称される事もあって
文字どおり千人規模の編成(その多くは合唱要員)で奏でられる交響曲ですが、
実はこの数を遥かに凌駕する交響曲というものが存在する。
そしてその響きは、誰しもが毎日聴いているものである。
「脳の中には一千億個のニューロンと呼ばれる神経細胞があり
シナプスを通じてその活動がお互いに響き渡り
私たちの意識を創り出している。
その様子は、オーケストラの様々な楽器が
力を合わせて一つの音楽を生み出すプロセスに似ている。
つまり、一千億のシンフォニーが絶えず頭の中で奏でられている。」
(茂木健一郎著「すべては音楽から生まれる」より一部要約して抜粋)
偶然にも交響曲第8番を聴き始めた頃に出会った書籍ですが
捉え方が面白く、興味深く読みました。
(タレント化してしまう文化人、学者の類はあまり好きではないけれど)
ということで、また来年!