笑う門には福来る。

August 02 [Thu], 2012, 18:04
彼女から聞いた話。
これは食堂でのネイリストの会話である。
レントゲン撮ったらさ、肺の中が白いの。
これって、削ったお客さんの爪なんだよねーあー体に悪そうだよねー。
マスクしたくても、客商売だしさーぞっとした、という話なのだが、確かにぞっとする。
人間はなんて鈍感なのだろう。
肺に積もる塵に気づくことすらできない。
それどころか、気づいたところで自力でメル友募集掲示板取り出す術がないのである。
平気な顔をして、一生身の内で飼い慣らすことしかできない。
これは削った爪の塵だけではない。
髪の毛や埃、それに煙草の煤やアスベストも昔から言われている。
溜まった水や黴だって出てこない。
人間の肺は、日常不可欠な呼吸の最前線に置かれながら、どんな空気でも取り込んでしまう。
内蔵の中でもかなり苦労人と言えそうだ。
とはいえ、その苦労は肺だけではない。
年を取ればちょっとしたことで胃がもたれるし、諺でも喉元過ぎれば熱さ忘れるである。
腹に収まった後は自力ではどうしようもない。
肝臓や膵臓だって、どんなに体を維持しようと愚かに酒を飲む者は後を絶たない。
大小の腸、腎臓が要不要いくら漉し続けても、詰まってしまう何かを入れる輩がいる。
それは遥か昔の喉元で全て分け終わっているのだ。
こうすると、三つほど分かることがある。
一つは、個人の意思と言うものがどこまで効力があるかが良く分かる。
つまり、身の内と言うのはほとんどの人間にとって自分ではない。
人間中身が肝要なんて言ってみても、人間に産まれたと言うことは、つまり土台から無理な話なのだ。
あくまで私たちが私として振る舞えるのは、肌か手か口元か、そこらにしかない。
舌先三寸なんて人間は信用してはならない。
もう一つは、外面から内面ができあがるというので間違いがないことだ。
それもそうだ。
手や口を動かして、吸い込んだ物、食べた物で内蔵が働いているのは上記の通りだし、まあ元を辿っても男と女の肌と肌のそのまた奥が、色々くっついた末にある。
視唐広げれば、環境が個人に与える影響は多大なものだし、そのちょっとした影響で個人の人格と言うものはできることが多い。
無A与えられたものを全部取り入れるか選ぶかは肌が決めている。
なんか、法人と言う人間が透けて見えてくるようだ。
別に、友達の輪とかサークルとか、家族とか国家でも良いけど。
最後に一つは、内蔵の手段についてだ。
元気な内は、胃は受けつけなければ吐くし、内蔵も液体をキリキリ分泌して流しだそうとする。
肺だって吸うと吐くのを繰り返しているがそうだ、笑うじゃないか。
大きく息をわっはっはっはと吐き出す。
これは唯一、他の内蔵より気持ちの良い主張である。
それらの要素があるから全体であり、一つの形である。
ばらばらになったら、それは死亡となる。
肌は大元の内蔵に負担をかけるべきではない。
また、内蔵もうじうじと受け入れている場合ではない。
胃が溶け、蔵が歪み、骨が軋んで、肉が爛れる前に、吐いて、分泌して、笑うしかない。
なにせ、外側にとって中身なぞ自分ではないのだ。
困ったものである。
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