修士論文提出しました 

September 26 [Wed], 2007, 18:13

修士論文を昨日提出しました。

平和学部にくるきっかけになった
私の尊敬する師であり友人のむのたけじさん、
月刊「世界」編集部熊谷さん、そしてなによりも
理解のある家族、特にいつも励まし寛大な態度で支えてくれている母、
本当にありがとうございました、これからもよろしくお願いします。

ということで、提出し帰宅した17時から今朝9時まで
何度か少し起きましたが、死んだように寝てました。
論文提出間際数日間はほとんど寝ていなかったので気持ちよかったです

そうそう、提出前日はずっとラジオを聴きながらやっていたんですが、
福田新内閣ニュース、こっちでも大きく取り上げられていました。
一時間に一度最初の何分かにBBCがニュースを流していたんですが、
ある人、「日本の新首相に福田氏」を「日本の新首相にTakoda氏」って言ってました。

・・・・・

て、もはや「福田」じゃないし。FukudaをどうしたらTakodaに
間違えることができたのだろうか。


ビルマでは仏教徒を中心とする、
軍事政権に反対する大規模な平和デモがあったようです。
Independent 25 Sep
早速卒論提出後、この出来事を読もうと
新聞屋さんに行ったら写真がINDEPENDENTの一面でした。
なんて心を動かすデモなんだろう。
スーチーさんも今だ自宅軟禁状態である軍事政権下のビルマで
デモを行うとは非常に難しく勇気のあることです。
敬意と連帯の念をこめてこの出来事を追おうと思います。

さて、今日からは卒論のテーマから離れます。
先日の日記で注射を打っていると書きました。

実は、10月8日からあるINGO(国際非政府組織)の
インターンでルワンダに三ヶ月行って来ます。
平和教育と和解に取り組んでいる団体で、
半分はリサーチ、半分は現地で活動に携わることになります。
いくつかあるうちの活動で、
地域団体と共に行っている孤児院での活動を選びました。
1994年の虐殺孤児を含む孤児院です。

ルワンダの人口60%が20歳以下の青年、子どもたちです。
あの虐殺をどう伝え、共生の道を創っていくかが貧困削減に加え
大きな課題の一つになっています。

あるエッセイで、ルワンダの歴史、1994年の虐殺と
国連の介入・活動、平和構築の形を書きました。
ルワンダのことを書いてそれで終了というより、
やっぱり機会があったら行って自分の目で
ルワンダを見てきたいという思いがありました。
そういうわけでインターンに応募して行くことにしたのです。
同じ時間(3月30日の日記)
ルワンダのこと(2月19日の日記)

なのでそれまではルワンダに行く準備に追われます。
研究がルワンダから離れ主に日中関係と和解だったので
また最初から読み始めようと思っています。

それにしても今日はとてもよい天気です!
喫茶店に行って読書してきまーす

アルコールなしですよ 

September 20 [Thu], 2007, 13:13

もうギリギリはやめよう!
と何度誓ったことか、この一年間。。
エッセイ提出締め切り時刻の10分前に終わったり、
締め切り前日に関わらず全然終わってなかったり、
いろんなことがありました。

来週の火曜が卒論提出締め切りです。
しかし、学校のコピーゾーンで製本をするとしたら
何日かかかるので明日が最終です。

無理だな、こりゃ。

ということで、その日朝9時に持っていくと
当日の15時に完成させてくれる魔法のお店に
月曜ダッシュで行くことになりそうです。

うはー、なのにブログかいてるし、Farewellパーティにはほぼ顔出してるし。
別れは重要なので、こればっかりは仕方ないですね。
卒論が終われば無問題であります。

さて、そんな私最近注射を打ちまくりです。
1週間で三回ほどNHSで打ったんですが、驚くべき事実が!
なんと、アルコール消毒されなかった。。大丈夫か。
新品の針だから大丈夫なのかね。

あのアルコールの消毒時のひんやりさで「注射を打たれる!」と
今まで気合を入れたり、覚悟してきたのに、突然打たれたので拍子抜けでした。
肩を出した瞬間、二の腕に打たれました。その間、数秒。まさに狙い撃ち。
いや、狙ってないな、どこでもよかったんだろうな、あの速さ。

痛くなかったのは、注射の種類によるのだろうか
それともアルコール消毒がなかったからだろうか
と疑問に思っております。

注射って何度もやると慣れてくるものですねー。
最初はもう憂鬱だったんですけど、3度目は全然余裕でした。

なぜ、注射をうったのか、は、長くなるので、また次回お話しすることにします。

写真は同じ誕生日のMiguelフロムUSと。
「ここが一章で、ここが二章」「結論はここ」と
二人でお腹の肉を卒論に例えて話し合いました。

・・・ばかですね。

安倍さんとテロリズム 

September 16 [Sun], 2007, 21:05
安倍さんの辞任について。

「大物政治家一家に生まれ、ご自身は三代目。サラブレッド!」
なんてメディアが昔よいしょしてましたが、
(→岸信介はA級戦犯だったのにかかわらず。)
所信表明のすぐあとに辞任してしまう無責任な幕引き。

私は、色んな経験をして身をもってこうしたい、ああしたいと感じ、
市民の方々のために動きたいという人こそが政治を志すべきだと思います。
ってか、それが当たり前なんですが、
日本はそういう人があまりにも少なすぎるのではないかと感じます。
安倍さんは、どう考えてもそんな人ではなさそうでした。
ただ、そういう家に生まれたから、という感じでやっている雰囲気がしました。

彼の辞任会見の中でどうしても納得できないのが、
市民に対して何の謝罪もないことです。
アメリカの意思に添えなかったことが、
一番の大きな原因だったような会見でした。

「ーそしてまた先般、シドニーにおきまして、
テロとの戦い、国際社会から期待されているこの活動を、
そして高い評価をされているこの活動を中断することがあってはならない、
なんとしても継続をしていかなければならないと、このように申しあげました。
国際社会への貢献、これは私が申し上げている、
主張する外交の中核でございます。ー」

テロとの戦い、といいますが、ではテロとはなんでしょう。
Stereotypicalでなんの生産性もない「テロとの戦い」。
テロがなぜ起こるのか、それに着目せずに
「テロとの戦い」という言葉で全てを正当化する。
過程をすべて無視して結果だけを切り離して
「なんの人間性もない恐ろしいテロリストたち」に仕立て上げ、
彼らを始末することによって「国際社会へ貢献」するのでしょうか。

それだったらただ単に憎しみが拡大するだけです。
第二の9.11発生に助力するようなものです。

国連に平和構築部門というものができました。
平和維持活動だけでは平和は築けないという
長年の痛い経験から作り上げられたものです。

「テロとの戦い」という名目のもと、武器を持って、
「人的資源」を使って血を流すことこそが、
平和国憲法を持っている日本が行う正義でしょうか。

私は違うと思います。

平和国憲法を持っている日本としてできることは、
平和構築プロセスを考えることだと思います。

たとえ、1万歩譲って、極度の単細胞になって、
本当に「テロとの戦い」=「悪との戦い」と捉え
日本ができることを探そうとするのであっても、
それは武力を持って「平和維持」に携わることではない。
どうしたら紛争後、対立を乗り越えて共生していける
平和な状態に戻れるのかを考え、「平和構築」に貢献すること、でしょう。

まず、なによりもです、
「テロとの戦い」なんて善悪ニ元説でしか
考えられず、アメリカの言いなりになって動くような人を
首相にするのは、もうやめたいですね。

「テロとの戦い」とか「9条が安保の足かせだ」とか
言い切って政策を展開する単細胞な人が多すぎですね。
特に政権をとっている自民党の中には。

排除だけで平和が創れるわけがありません。
排除は憎しみを生みます。
その憎しみはまたテロリズムを強いものとします。
diverseな見方をしていかない限り、
なぜテロが起こるのか原因を考えようとしない限り、
結果論だけに固執して一方的な正義を振りかざす限り、
テロリズムは激しさを増していくだけであると考えます。

日本は問題が山積しています。
国内問題と国外問題を同時に捉え対処していく、
そんな当たり前のことができる首相を
誕生させていかなければいけませんね。

出会いと別れ 

September 15 [Sat], 2007, 1:42
今までいた自分の環境から離れてここブラッドフォードに来て
一から生活や友情を築きはじめて早一年。

終わりの時期を迎えています。

といってもまだ卒論が終わっていないのでストレスフルですが、
友人たちが一人、また一人と去っていきます。
なのでほぼ毎日お別れ会と見送りに行っています。。



ハイロウズの曲に「見送り」というのがあります。
「なんでいつも見送る側は所在無く立ち尽くすんだーー
飛んでいく君に心持って行かれちゃうよ」

ホント毎日こんな感じです。

寂しいです、とても。
多くの友人が去り、全てが思い出になる瞬間を
ここまでリアルに同時期に体験することって、
高校の退寮日以来なかったかもしれない。

今日ケイが帰りました。彼女は名古屋出身で同じ学部の学生。
コソボのアイデンティティの問題を研究しています。
卒論は、平和教育によって、
コソボで共通するアイデンティティを創れないか、というテーマ。

依然住んでいた家を9月1日に出なければいけなかったので、
今日まで二週間うちに滞在していました。
二人一部屋二週間。お互いかなりの出不精だし、
私は基本的に一人の時間がないとゆっくりできないタイプなので
最初は正直大丈夫だろうかと思ってました。

が、今日まで本当に楽しい濃い共同生活ができました。
八方美人でへらへらしている私とは違って、
ケイは自分の姿勢が本当にはっきりしていて気持ち良い人。
はっきりしすぎて、好き嫌いが顔に容易に出てしまうのがちょっとネックですが、
本当に素直で愛情深くて素敵な人です。

私の一歳下なのに面倒見が良くて、いつも安定してて、
ちょっとおばさんくさいので、私は、おけいおばさんと呼んでいました。
自分で言ったオヤジギャグに全力で爆笑するとことか、ホントお茶目さんです。

今朝8時のバスに彼女が乗りこむ瞬間まで全然実感が湧きませんでした。
本当にいなくなるんだろうか、なんて疑問に思うほど。

彼女がバスに乗り込む時に密かに書いた手紙を渡すと
「ありがとう。さやへの手紙居間に置いておいたから」と言われた瞬間、
もうだめですね、涙が溢れました。手紙を書いてくれたなんて全くの予想外。

私は人をサプライズするのは好きだけれど、
逆に人に何かをやってもらうのはダメです、弱いんです。

乗り込み、席に着いた彼女を見ていたら、
思い出がどっと押し寄せてきて、涙が止まらなくなって、
拭いても拭いても流れてきました。

彼女は基本的に人に涙を見せない強気な人なんです。

窓越しに見えました、
こちらを見ずに反対側を向きながら
流れる涙を必死に拭く姿が。

そして、バスが出る瞬間まで私のほうを見なかった彼女が、
バスが出た瞬間、こちらを向いて精一杯の笑顔をつくり手を振りました。

悲しみを懸命に抑えたその笑顔が、もうなんともいえなくて。
バスを見送りながら号泣してしまいました。

2週間の共同生活でどんなに精神的に助けてもらったことか。
彼女の深い愛情にどれほど感動したことか。
心から感謝しています。

本当に出会えてよかった。

出会いがあれば別れがあるのは当たり前ですが、
やっぱり別れはいやです、苦しいです、辛いです。
でも、逆に言えば、そんなふうに思える人に出会い、
友情を築いているというわけで。
そして、このような気持ちは、足元から平和を創っていくという
私の夢を支える基盤になっていくのだとも思います。
私の心を人生を豊かにしていくために必要なものだと。

ケイ、またすぐ会おうね。
ありがとう。

左から Ahmad(Lebanon)、ケイ、Issam(Morocco)

Happy Birthday to Issam 

September 01 [Sat], 2007, 12:40
今日はフラットメイトのイッサムの36回目の誕生日。
おめでとう!イッサム!

イッサムを表す言葉をあえて選ぶとしたら「徳」。
彼は、もう徳の塊のような人。

こんなに何でも話せて、人とは何か、「徳」を教えてくれて
スーパー知的で、ユーモアがあって、繊細で、
私の悪いところをはっきりと指摘してくれて、
私をすごく大事にしてくれてる人と出会えたことに感謝します。
イッサムとの出会いは、本当に尊くて尊くて仕方ないっす。

まぁ、お互い兄妹みたいな関係なので、
友情は一生涯続くのはわかっているんだけれど、
あと一ヶ月で離れ離れなんて、こりゃ、ロミオとジュリエット並の悲しさです。
ほんとーに彼には何でも話せて何でも盛り上がる。
特にうちの母ちゃんもイッサムに会ったら大好きになるだろうなぁ。
日本に絶対招待しよう。そして大好物の昆布をいっぱい食べさせてあげよう。

とにかく、イッサム、この日記読めないのはわかってるけれど、
誕生日おめでとう!!


No matter how, when, where, what...you will do,
I will support you and be with you!
You are all in all to me!

卒論以外のなにかを書こうかね 

August 26 [Sun], 2007, 14:20
最近寝ても覚めても卒論である。
夢の中ですごく書いてて起きたら夢だったとか、
夢の中で三章の構造を考えていて、
起きたらすっきり構造が見えてきたとか。

人間は慣れる生き物だ。
今までは授業で書く5000字のエッセイ、長い、長いと思っていた。

卒論では1万5千〜2万字なんだけど、
最近短すぎて収まるわけないじゃないかと思うようになってきた。

なおかつ、1年で一体自分は何を学べたんだろうとも思う。
最初はついて行くのに必死で、あー自分は大丈夫なんだろうかとか、
やっぱりアカデミックはむいてないなぁとか思って
落ち込むこと多々あったのに、最近は
このまま研究を続けることができたら
どんなに幸せだろうかと考えるようになってきてしまった。

この変わりよう、自分でも驚愕すぎて自分不信になりそう

て、ここ最近、書くことが卒論に関係したことだらけ、でもないけど、
頭も卒論でいっぱい、太陽がいっぱい、なので、全然関係ないことを書こう。

台湾の薬剤師2人キキとララ、モロッコのイッサムと
一緒に住んでいるため、彼らの友達とも仲が良い。
特にキキとララの台湾の友達たちは
うちによく集合しているし、結束が固いため、
高確率で会うし、たまに一緒に出かけたりする。
その中のボー(って言っても、千と千尋の坊じゃないよ)という
同い年でアニメーション勉強してる男の子とは
いつも変な顔対決をして競っていて
最近私は教授と呼ばれるようにまでなったんだけれど、
最近そのボーが台湾のミュージックビデオに出ていたという事実が発覚

@光良 妹妹
ABelieve MV

Aは5秒くらいしかでてないけれど、
どちらもボーは去っていく男性を演じて?いる。
特に@はクールで全くキャラと違うので相当うけてしまった。
しかも@のボーカルが「おぎやはぎ」のやはぎにそっくりで
これまたうけてしまった。ホント、似てる。
やはぎって眼鏡とると絶対こんな感じだ。

それにしても、ボーと撮った写真ってこんな類しかない。。



・・・・・



最近、母から突然の電話(って、いつもしてるか)で、
母にホンキで、結婚したいなら
そろそろ考えたほうがいいんじゃないと言われた。
母は私が子どもをたくさん授かりたいのを知っているからである。

そして「あ、そういえば、うちには見合いの話も何もこないなぁ」と言っていた。


「そりゃ、やっぱさ、うちに来るって結構しんどそうじゃない?
母親チャレンジャーだし、娘も最近人が変わったように勉強ばっかしてるし。」

すると、母「あ、そっか。確かに、母ねー!」と
ある意味すっきりして大笑いしていた。
そして一緒になぜか盛り上がって通話終了。

なぜかいつも母とは盛り上がってしまう。
自虐ネタでも、なんでも。

・・・

不思議だ。

2章について 

August 22 [Wed], 2007, 5:55

終わったー!ついに、二章が終わりました!
と言っても、まだドラフトだし、
気づいたら約7000字になってしまったし、
今教授に送ったばっかりだから、
きっとダメだしいっぱいされるんだろうけど、
まずは終わったー!!

残すは3章!
戦争犯罪人に対する過酷な処罰と人道的対処について書きます。
「精神構造の変革」の成功例として、
やっと自分の書きたい分野について
言及できるので嬉しいです。
むはは。

2章はなぜ戦場で人を殺すのか
(自己防衛ではなく、市民・捕虜の殺害、虐殺など)
だったので、理論的なことももちろん入れましたが、
元兵士の証言もたくさん入れました。
特に日中戦争時における、
日本軍の初年兵に対する実地訓練の一環であった「捕虜刺突訓練」。

実地訓練に参加した方々の証言を翻訳して入れたんですが
やはり当時体験された方のお話は生々しく重く、
翻訳する途中で泣けてきたり、具合が悪くなったりと
正直、非常に苦しい思いをしました。

でも、こういうお話こそ、証言こそ、戦争を知らぬ世代である私たちが
しっかりと聞き、読み、触れて、受け継いでいかなければいけないことですよね。

時間は誰にも止められない。
過去は誰にも変えられない。

しかし、その当時を生きた人びとの息吹である歴史を学び、
戦争を体験した方々のお話をもっともっと聞き、
過去の教訓として、平和な未来を築くための糧にすることはできます。
というか、しなければいけないと思います。

いくつになっても、世代を超えて、
子ども達とも平和についてなど意見交換したいなぁと強く思った章であり、
敬愛するむのたけじさんの生き方に改めて感化された章でもありました。

Vodka 

August 15 [Wed], 2007, 22:58

もう二週間前になるんですが、
「ロシアの名酒Vodkaを飲もう会」を
写真の4人(左からシャイロ、アナ、エスダ、カティア)としました。

カティアはロシア人(右端)、
アナはノルウェイとロシアの
ハーフ(左から2番目)なので、
伝統的なVodkaの飲み方をしようということに。

伝統的な飲み方は、
「一人が代表して願い事を言い乾杯。
息を深く吐き、吸う時に一気にショットを飲み干し、
ピクルスのにおいをかいだ後、食べる」だそうです。


家で一本飲んだ後に皆でロシアンレストランに行きました。
すごくおいしかったし、楽しかったんですが、
正直、後半は、まあ皆そうだったんですが、部分的な記憶しか残らず。。

ちなみに後日聞いたところ、
帰り道、私はカメラを首からさげて歩いていたそうなんですが、
「あ!私のカメラは!?」と騒ぎ始め、「Here!!」と皆が何度も教え、
「あ、あった。ありがとう」と微笑むということを、5分毎に繰り返していたそうです。

文化交流としてはいいかもしれませんが、
身の程を知ろうと今回こそはホンキで思いました。

Stop!Yopparai!

卒論 

August 14 [Tue], 2007, 21:52
また更新が滞ってますなー。

最近はずっとパソコンの前にいて、卒論を書いてるんですが、
全然進まないです!
なら、卒論やれ!と言われそうですね。

三章構成で今二章なんですが、予想以上に時間がかかってしまってます。
教授に言われた締め切り日からもう一週間もたってしまった。。
ぐーーーーー。

2章は、なぜ紛争では人を殺すことが肯定されるのか?
なぜ兵士は人を殺すようになってしまうのか?です。

なので、@紛争時の社会と
A戦闘地における兵士の精神構造に焦点を当てています。

イデオロギー、プロパガンダ(教育、メディア)、
法の制定などによって社会は戦争一色になり、
自国の利益のために戦争を間接的に支えるようになります。

一方、兵士たちはそんな社会を背負って戦闘地に行き、
直接人を殺すようになります。

しかし、兵士は初めから人を殺すことに躊躇していなかったのか、
というと全然そうではないんです。
心理学者Ben Shalitは、
「最も自身を脅かす要因だったものは何か」という質問を
元兵士たちに行いました。兵士たちのほとんどがこう答えたそうです。

「人を殺すこと」

彼は「死への不安」だと思っていたらしいのですが、
そう答えた人はほとんどなく、
大多数は「人を殺すこと」と答えたそうなんです。

ではなぜ人を殺すことに慣れていってしまったのか。

私はアジア和解、特に日中和解に関心をおいているので、
ケーススタディは日中戦争時の日本社会と戦争時の兵士たちです。

草の根からちょっとでも日中和解に貢献できるよう、
まずは2章終わらせますー。

サプライズパーティ 

August 06 [Mon], 2007, 0:00
今日は踊るPHDで知られるMasaくんの誕生日。
まさくんは私と同い年で、現在、生物兵器禁止条約交渉を
研究している博士課程3年目の学生です。

日頃お世話になってるし、仲の良い親友といった存在なので、
誕生日に何かしたいと企んでおりました。
そして、思いついたのが「サプライズパーティ」。

決行。

まず彼の友人、私&彼の友人でもあるMAの皆に声をかけて
メッセージカードを書いてもらい&お家に19:30まで来てもらうことに。
で、私はまさくんを映画に無理やり誘って行きました。

観たのはトランスフォーマー。
ありゃ、すごいっすね、技術的に驚きましたよ。

しかし、ちょっとしたハプニングが!

映画の前にホームメイトのイッサムと、
パーティ用に手巻き寿司を何本も巻きまくったので、
手がスーパー生臭かった私。

すると「魚くさい。生臭い。」と連呼するまさくん。
やばいなーと思いながら、「そう?」というと、
「うん、すごく生臭い。この映画館











スケール大きすぎ。。。
私の手のせいで・・・映画館ごめん、明白なる名誉毀損。
何度突っ込もうと思ったことか。

映画が終わったのが19時ちょっとすぎ。
するとダンス仲間からトレーニングになぜ顔を出さないのかとの電話。
これはちょっと予想外でしたが、まぁ、
時間的に余裕があったので、ダンスの練習場に行くことに。

そして帰宅20時。
彼のフラットメイトのYすけさんに連絡し、「静かに待機」合図を出します。

で、玄関のドアを開けて台所のドアを開けたら・・・・



サプライズ!!!!



卒論で皆忙しくて時間ないのに20人以上の友人たちが
集まってくれて、歌を皆で歌ってくれて
私にとっても嬉しい嬉しいサプライズでした。

その後、ダンス仲間も計画通りお家に来て祝ってくれました。

皆からもらったメッセージは大きな画用紙に
裏表貼ってこんな感じになりました。
ぶれてて見にくいですが、白いとこにも実はメッセージが!


やっぱサプライズっていいねー!
あの驚きようを見るのがたまらないし、
誰かを喜ばすために、人種を超えて、国を超えて、
皆で一つになるってホントPeaceの根源だと思う。

特に尽力してくれたYすけさん、Tada、ホントありがとう。

Masaくん誕生日おめでとう
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  • アイコン画像 現住所:国外
  • アイコン画像 職業:大学生・大学院生
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    ・音楽-甲本ヒロト
    ・読書-漫画も好き
    ・映画
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私は今イギリスで平和学(紛争解決)を勉強しています。

母は秋田三区、総選挙浪人中の
京野きみこです。
http://yaplog.jp/galinaisno1/

「え?母ちゃん、選挙にでるなが!?」という感じでしたが
「好きなように生きなさい」と言われて育ったので、母にも好きなように生きてほしいです。

このブログは母が県議をやめて国政に挑んだ2005年の「小泉劇場」選挙から始まりました。もともとは娘の立場としてうちの母ちゃんを描こうと思っていましたが、最近は専ら自分のことや生活を書いてます

ちなみに母=無条件に応援
というわけではありません。

母を応援する理由としては、
@人生経験値の高さ
(農家出身・両親の離婚を体験・一からのホテル業起業・ 出産、
育児(4人)など)
A守る!憲法
B基本的に
「長い物には巻かれよ」が嫌い
Cイデオロギー・ポリシーに賛同
D自民党が好きではない
Eジェンダー的観点
☆女性のdecision makingへの参加を応援・推進
F世襲ではない
など(順不同)が挙げられます。

なおこのブログは私の独り言を
載せておりますので、
このブログ=母の考えやスタンスではありません。

メールは
sayahome@hotmail.com
までよろしくお願いします。
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