三四郎 

2005年03月06日(日) 5時11分
夏目漱石の三四郎を読んだ。過去に読んだ気もするが読んでいない気もする。
熊本から上京してくる東大の学生、三四郎を中心とした青春小説。なにより、出てくる地名が懐かしかった。本郷、根津、西片・・・ 住んでいた時に読めばもっと味わい深かっただろうに、と思う。何しろ、小説中の地理が頭の中で実際の風景と重なるのだから。三四郎は菊坂下で待ち合わせをしている!なんて、結構衝撃的だ。なにか、三四郎が実際にいる人物のような気がしてくる。小学生の時、大河ドラマを見て武田信玄が実在すると思い込んでいた気持ちが蘇ってくる。何も変わっていない。。。
今も明治時代も男子学生の考えることは変わらないんだなあと思った。三四郎には3つの世界があった。一つは遠くにある。平穏である代わりに全てが寝ぼけている故郷がある。二つ目の世界のうちには、苔の生えたレンガ作りがある。その中には歴史の重みを含んだ手垢にまみれ、埃を冠った書物がある。3つ目の世界には、電燈、銀匙、歓声、泡立つシャンパンの杯、そして全ての上の冠として美しい女性がある。 なるほど。三四郎23才。思わず自分を重ねてしまう。 物理学者も登場し、社会から隔離された変人として描かれている。光の圧力を測る、実験屋である。かなりリアルに描かれている。漱石は物理学者の友達もいたのだろうか?なにか、自分の身に重ねられることが多く、不思議な感じがした。 三四郎池では何も考えず生協の弁当を食ったぐらいだ。今度もう少しゆっくり歩いてみよう。

魅力 

2005年03月04日(金) 3時22分
3日坊主の3日目!今後が楽しみです。
人間って色々な経験をすればするほど魅力的になるっていいますが、これはちょっと考えるべき問題です。色々経験しようと思って、気持ちを定めずに沢山のことに手をつけると、それはやっぱり魅力的にならないんじゃないかと思います。魅力ってゆうのは、何か奥ゆかしい、考えが深い、底が知れないといった、人間性の深さに関係するところにあると思います。これは、物事を深く追究する人間でないと身につけられないんじゃないか。日々の思索が深い人もいるだろうし、職業として1つのことを追究している人も人間性の深さを身につけられる可能性が高いんじゃないかと思います。全ての人が魅力的になりたいと思っているかどうかは知らないが、少なくとも自分はなりたいと思っている。知識は人間性の深さに影響を与えるだろうが、それに優るのはやはり知恵ではないか。その時、その場で出せる事。これが、実力であり、本当に身についた知恵というものだろう。頭ではわかっているんだが出せない、では魅力は感じれない。つまり魅力はない、ってこと。どうすれば知恵が身につくのか。人から教えてもらうのではなく、日々自問自答し自分で答えを出していくことこそが知恵となるのだろう。そして、知識と知恵が高いレベルでコラボレーションした時、その人間はなんともいえない奥ゆかしさを纏うのだろう。だから、勉強するんです。勉強は自分でするもんだってゆうのはそうゆうこと。自分で出した答えこそが正解なんだということに気づいている人は少ない。

決断 

2005年03月03日(木) 0時52分
決断の重みは対象となる物事により異なる。人生は日々決断の連続であり、決断を全くしない日など存在しない。決意、決心、決断、色々あるが、決断までいかないと大抵人は行動しない。 生きていくうえで一番重要な能力は決断できる能力だと思う。才能があっても決断できなければ前に進まない。才能がなくても決断できれば少なくとも状況を変えることができる。 例えば自分が有り余る金をもち、有り余る自由な時間を手にいれたとしても、日々成長、前進する感覚がなければ生きていることは苦痛でしかない。これは世の中の人がみんなそうであるとは思わない。ただ、自分がこの価値観のもとで生きようとしていることは幸福だと思う。だから自分にとって決断できる能力は必要不可欠だ。日々、勇気をもって決断し成長することに喜びを感じていれば、脳はそれに応え、進むべき道を教えてくれる。自分の中でい良い循環のループをつくればいいのだ。川は流れを止めると澱み、腐ってくる。流れるものは止めてはならない。常に流れの中で考え、動く。バスケットでもよくいわれる。この世の中で起こる事は全てアナロジーだ。

初挑戦 

2005年03月02日(水) 1時20分
友達のblogを発見し、自分もやってみる気になった。 卒論も終わり、新たな一歩を踏み出す気分がふつふつと湧いてきているからかもしれない。 つい最近、blogなるものがはやっていることを認識したパソコン音痴な自分には、かなりの挑戦である。
といっても、他人の書いた日記を見る機会はしばしばあったので、自分も書いてみたい!という気にならなかったわけではないが、おそらく、そんな邪魔くさいことはしないだろうとふんでいた。ところが、である。人生何が起こるかわからない。といっても続くかどうかもわからないが。 誰かが読むのかどうかさえわからない。ただ、自分の考えを書き留めるのに使うにはいいツールではないか。

せっかくだからいっぱい書いてしまおう。明日には書いていないかもしれないから。
今さらながら思うことは、人は色々考えながら年をとっていくんだろうなということ。
自分が人生をどう生きるかということを考えることは今始まったわけではない。ただ、その思考がより現実味を帯びてきたといえる。今までぼんやりと思い描いていた未来像ではもう限界に達しているのだろう。現実を直視し自分と本当に向き合う時期が来た気がする。 誰もが考え悩むことなのかもしれない。自分は何をして生きていけばいいのか。高校生でも考えるこんな簡単な問いの答えはそう簡単にでない。時間は選択肢をせばめる。せばまることがこわかった昔は可能性が減っていくことがたまらなくいやだった。未来は常に想像のつかないものであるべきだった。 しかし、時は選択を迫り、自ら道を創ることを迫る。当たり前かもしれない。 自分には他人より何ができるのか、 何が好きでたまらないのか。プロフェッショナルへの道はその問いなしには始まらない。
そしてそのあとには地道な努力の時期があるのだろう。その先に何があるかなんてわからない。ただ、その過程こそが人生であり、そこを楽しめれば満足できるのだろう。自分だけ満足するってゆうのは結構難しいことで、他人を満足させて生きるように人間はうまく作られているに違いない。 自分の生き方に自信と責任をもてること。これが社会を形成していきる人間のひとりひとりが達成すべきことだろう。
まずは1歩踏み出すことだ。方向はだれにもわからない。いまだ未来は予測不可能である。
うれしいかぎりだ。

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