2012年1月30日(月)午前4時37分

January 30 [Mon], 2012, 23:34

去年10月からベッドに伏していた母が、ついに早朝、この世を去りました。

胆嚢がんだった母は1月に入ってから、あっと言う間に衰弱し、骨と皮になって次の世へ行きました。

そこでは、きっと元のきれいな母になって、また日本舞踊を舞っているかもしれません。

2月1日がお通夜

2月2日が告別式。

もう、母と一緒に笑ったり、おしゃべりしたりすることは出来ないけれど、これからはずっといつも、どこへ行っても私の心の中に生きていてくれるのですね。

あなたが教えてくれた事は、決して忘れません。
ありがとう。


My mommySleep in peace

From your precious daughter





新年明けましたね。

January 07 [Sat], 2012, 9:40


母も、無事に新年を迎える事が出来ました。
いつものように、一緒におせち料理を作る事は出来ませんでしたが、今までおせち作りで母を手伝ったことのない弟の嫁さんが頑張って、お雑煮やサイドディッシュを作ってくれました。
姪っ子も、手伝ってました。
弟は、母を庇い、サポートし母に来た年賀状をひとつひとつ一緒に見て、読んであげていました。

客観的にそんな様子を見ていた私とサトパパだけど、実家の皆が母の事を通じて協力し合っている姿を目の当たりにしてちょっと安心しました。

毎年年末に実家へ行って新年明けて2日まで滞在するのに、今年はもない(地デジが観られない)から、年末の気分もわかないし・・・
で、行って来ました
高幡不動
境内までの長い列を待って、お参りし・・・・・はい! いらっしゃいました。遠くに見えるあの方が・・・

土方さん


いつもは母と準備するおせちも今年は、ご近所さんのおせちを頼んで実家へ持参しました。
そこのご主人と奥さんがいつも世話になってると言ってくれて、沢山サービスをして下さいました。

ありがとうございます


弟に支えられて居間へ出てきた母は、新年を祝う席に自分が参加出来た事を感謝し、自分がこんな状態なのにみんな(白ニャオはいませんでした)が元旦に集まって新年を祝えた事をとても喜んでくれました。
私も母が痛みもなく無事に新年を迎えさせてもらえた事を感謝します。



には、母の好きなマイケル・ジャクソン'This is it!'をかけておいたので、それも喜んで観てくれてました

今年はいい年になりますように

’わたしたちもよろしく’

と、言う事で・・・・・

母の事

November 30 [Wed], 2011, 9:36
夏休みの報告も済まないままに、気づけばもう12月になるところだったね
3月11日の地震以来・・・色々な事があったり、体調を崩したりしてる人の話・・・聞いたりした気がするな。
でも、我が家の一大出来事は、なんと言っても、母の病気発生

7月から何となく食欲がないと言っていたけれど、ニュースを見ていて大震災にあった人たちの姿を見ると胸が痛むから・・・なんて(今思えば)理由をこじつけてたけど、9月終わり頃に微熱が続くと言うから、血液検査をしてもらったら、即検査入院になってしまった。

2週間あまりの検査結果は、


「胆嚢がん」


もちろん、本人も知ってます。
それだから、私も母に会いに行きやすい。
変な芝居なんか出来っこないもん

弟は、医者から一足先に病名と余命を聞いていたけれど、私にをかけてきて

「先生から話を聞く前に、先に本人に話すから・・・隠している方が変でしょ、余命は別として。ババちん(孫たちが呼ぶ母の呼び名)の性格考えても言った方がいいから。」

って言うから、私も、「それでいい」と答えた。

区の健診とかも受けていたはずなのに、なんでそんなになるまで気づかなかったんだろうか。
しばらく食事をうけつけなかったから、みるみる痩せてしまって、貧血もかなり進んでいたけれど、輸血をしてもらってから、元気になって食事もしていた。
子供のころから日本舞踊をやっていた母なので、足腰は同年齢の人よりも強いらしく、かよわいながらも、杖もつかずに歩いていたし、自分なりに家でリハビリ(?)してたし・・・。

でも、また、昨日入院してしまった。
朝、急に発作みたいなのを起こして、看病していた弟夫婦が救急車を呼んだ。
幸いにもかかりつけの病院のベッドが空いていたのでそこへ入院。
私が着いた時には、酸素吸入され落ち着いた顔で私を迎えてくれた
弟が、母の前でジョークを交えて、発作が起きた時の様子を話していたが、母も救急車のサイレンの音は覚えているだけで自分に何が起こったかわからなかったそうで、笑ったりびっくりしたりしながら弟のジョーク混じりの説明を聞いていた。

母は、父の時にもそうだったが、苦しみや痛みは押さえてもらう処置はしてもらっても、手術はもちろん、化学療法も行わず余生を過ごしたいと言う希望もあり、在宅看護を始めたばかりだったのに・・・。

意識がはっきりして落ち着くと、自分がいなくなってからでは出来なくなる手続きが必要なものがあるだろうから、今のうちに署名やサインをすると言うので、他の人から見れば冷静で、冷たい家族に思われるだろうけれど、母を交えて弟と今後の話をしてきた。
時々、訳のわからない事を言う母ではあるけれど、自分に戻ると冷静に色々を気を配る姿に頭が下がる思いだ。

同じ階の病室にいる人の会話が時々聞くでもなく聞こえてきたが、おそらく年配のご夫婦で、奥さんが入院されているのだろう。はっきりと言っている事はわからないけれど、声をあげて、何故自分が病院にいるのか、とかこんな所にいたくないとか、旦那さんに文句を言って、それを根気よく説明する旦那さんらしかった。

母が自分の事を
「人の世話になるだけしかならない人間になった。」
「わがままを言ってばかりで、大変な患者だろうね」


と言った時、そのご夫婦の話をして

「それを考えれば、(母は)いい患者さんじゃないの?」

と言ったら、

「私は今、過去も先の事も考えていないよ。ただ、『今』を考えているだけだから。文句なんて言えるわけがない。こんな人間でも世話をしてくれてるんだから」

って答えた。

そう・・・

『今』を生きる。

これは、私やサトパパの信条であり、うちの凸凹からも学んだ事。

 (動物)は、『今』を生きていると言う事。

過去も未来も関係なく、『今』を生きている。だから、一生懸命に、そして迷う事もなく、今必要な事を考えて生きている。
人間は、「過去、現在、未来」に生きる事が出来る唯一の生き物らしい。だから、複雑なんだって。

「人間なんだから仕方ないじゃない」

と言うのはいい訳で、やっぱり逃避じゃないかな?と母の言葉を聞いて思った。
母と
『今を生きる』
について深く話した事はないけれど、自分の余命を感じながら生きている母の言葉は、私に重い。

「こんな病気になるなんて。私の体に10年以上も黙って巣くって何てやな奴!」
「ご飯を食べるたびに、私の胃には『栄養を採るんだよ』って優しく言うけど、左のこの辺(胆嚢のあたり)には、絶対優しい声はかけないんだ。こいつめ!って思う」

以前から

「うちは癌の家系じゃないから」

って母から聞いていたから、がん保険にも入ってないくらいで、そんなだから母の病気を知った時の私は、

『今』を生きる。

事さえ、どっかへすっとんで、正直言って体調を崩してしまった。母の病気の事だけじゃなく、母が亡くなってしまったら浮上してくるかもしれない実家の問題とか考えたら、さすがに丈夫さを誇っている私の胃もまいってしまったのかも。

でも、改めて何が今必要なのかを考えたら、私がまいっている場合じゃないと思って、

<元気な私、復活!!!>




カラ元気ではありません。母から頂いたこの生命、大事にしていかなくては。


今、病室では、がん患者がいるとは思えないほど、笑いにあふれています




これは、私への『備忘録』でもあります。

夏休みプチ旅行(2日目)

September 10 [Sat], 2011, 16:41
1日目をアップしてから1ヶ月近くもたってしまいました。
何てことはない、もう旅行の話は書き終えたと思ってました

そう、2日目は、乗鞍岳へ行ったんです。
今まで何回も、来ているのに、乗鞍岳へ行った事がない事に気付いたのです。
ここは、は連れていけないので、ペンションに凸凹を置いて行きました。
“お留守番ですか?”

が出ている観光センターまで車で行って、そこから約50分。
畳平に着きました


ここは、日本で乗り物で一番高くまで登れる場所だそうです。(約2,700m)
途中の残雪では、夏スキーを楽しんでいる人が思ったより沢山いました。


畳平のバステーションに降り立つと、やはり下界よりは寒かったんだけど、ピリっとした感じでよかったな。
ステーションを下るとそこは、高山植物が沢山咲いている『お花畑』でした。




お花畑には、木道があって、そこを歩くんだけど、どこにも何人かはいるんですね、そこからはずれて写真を撮ってる年配の団体さん。
しっかり、監視員から叱られてました。写真を撮るのに夢中になるのはいいですけど、ルールは守りましょう。
花たちを守る事にもなるのだから。

乗鞍岳まで行かなくても、すでに2,700mくらいある所なので、雲が湧いては消えていきます。
 

小さい頃から、そして今でも、私は、空に浮かんでいる雲を見ると、つかみたい衝動にかられるんです。
綿菓子みたいに、モコモコしていて甘いのかな?なんて、大人になった今でも、そんな気がしてます。
で、ここで、雲をつかんでやる事にしました。




確かに、雲の中に手を入れているはずなのに、冷たくもなく、モコモコでもない・・・。

『雲をつかむような話』

って、確かにこれなんだ。

・・・と実感

まだ、つづく・・・・・

夏休みプチ旅行(1日目)

August 14 [Sun], 2011, 9:34
東日本大震災、福島原発事故・・・・と、それに伴う日本の政治家の無能さが発覚し、この先日本がどうなるのかと言う不安にかられた3月11日以降・・・。
夏休みは、諸事情も重なって、恒例の『飛騨たかね野麦オートビレッジ』でのキャンプは中止にしました。
去年は、管理人でもある奥原さんのご家族のご不幸が重なりゆっくりとお酒を酌み交わす暇もなく、今年は2年ぶりの乾杯かと楽しみにしていたのですが、何が起きるかわからないものですよね。

そんなところで、夏休みの旅行は、その途中の乗鞍高原でストップしました。
この先を行けば、キャンプ場だな、と思いつつ、車はいつも乗鞍で世話になる ペンション 『陽だまり』 へ向かいました
チェックインまでの時間は、サトパパの希望で、一ノ瀬園地へ寄りました。

ここには、こんな池もあり、
池の周りを歩ける道もあります。
池をはずれれば、散策路があるので
それに沿って歩いていけば、ぐるっと一周徒歩で回れます。
去年は、ぐるっとしました。
何事も冒険心を持って!がモットーのサトパパです。

さっそく去年とは違う、横道にそれました。
何だか、枯れ枝とか、虫とかがくっつきそうな、藪の中を歩いて山を登って行きます。
私もアドベンチャーは嫌いじゃないけれど、そう言うものは遠慮したいタイプ・・
レイラも同じ・・・・で、私とレイラは下で待機。
サトリとサトパパは、似てますねぇ、こう言うところ。レイラと私も似てますが














ちょっと一杯

探索後は、その日お泊りのペンションへまっしぐら。
(今年は写真を撮ってないので、数年前のものですが・・)
ここはお料理も本格的です。特に去年から、お嬢さんがキッチンにはいったので、なかなかユニークなお料理も出てくるようになりましたよ。

ピレニーズのおじょうひめもすっかり大きくなって看板犬を勤めてます。
まだ、若くて、やんちゃなハイパー娘なので、例によってサトリの『喝!!』が入った時もあったようですが・・

ペンションのひろ〜いドッグラン
お部屋でまったり

つづく・・・・・・

チャイクレ、レイラの「6歳おめでとう!」

June 20 [Mon], 2011, 23:18
今日は、レイラがこの世に生まれた日


に来て3日目の夜(3.5ヶ月)
ちっちゃくて、弱虫で・・・・なんで、こんな子が家に来たのかって・・・正直思ってた・・・

家の中で縦横無尽に走り回るから、いつもサトリに怒られていた

10ヶ月の時、社会化途中でレッグペルセスになって、手術もしたし・・・。
他のワンコがそばに来ると、怒るようになっちゃうし、お散歩で他の人が声をかけてくれても、唸って歯をみせるし・・・。
特に獣医さんが男性だったせいか、すっかり男嫌いになっちゃったし・・・

でも・・・・
今は、こんなにりっぱ(?)になりました。

色々な方のおかげで、人間恐怖症犬恐怖症も ほとんど(95%くらい) 克服し、今は、K9ゲームに、他のたちと参加出来るし、お年寄りが沢山いる施設へ訪問活動も出来るようになりました。

これからも、仲良くやっていこうね。

「K9ゲーム」の仲間たちと



サトパパのヴェジガーデン

May 23 [Mon], 2011, 13:20
 今年は、諸事情が好転して、いつもよりも広い範囲でお野菜を栽培する事が可能になり、大喜びのサトパパですはりきってます

今年は東日本大震災原発事故と日本は今までにない、アポカリプス に襲われて国民の意識は一気に東日本に向いていると言っても過言じゃないと思います。
ガソリンは上がり、被災地ではお米も野菜も作れず、電力も不足するだろうとか言われた当時、危機を感じた東日本の人たちが物を買い占めた結果、一時は、スーパーマーケットへ行ってもガラガラの状態。





長い人生の中で、こんなに薄暗くて、品物のないスーパーマーケットなんて見た事ない!


サトパパは、もう何年も前から、いずれは来るだろう、こう言う事態に備えて、自分たちの為ならず、ご近所にも分けられるくらいの食糧は確保しておこうと言う信念のもとに、空いている土地で野菜を育て始めた。
全くの自然農法だと言って、とりあえずカボチャや、豆、トマト、なす・・・なんかを植えていた。
耕しもせず、肥料も使わず、パラパラを種を撒くサトパパをちょっと冷やかにみていた私なのだけど、それでもカボチャも2,3個出来たし、トマトもなすも、形が悪かったり、風や雨を受けて、傷ついたりしながらも収穫出来たので、サトパパは、自慢してましたね

2年ほどそんな「自然農法」で、やってましたが、今年は色々と本を読んで勉強をし、本腰をいれて耕しました。
近所で、いつも上手にお野菜を作っているおばあちゃまが、そんなサトパパを見つけて、鋤(すき)とかも貸してくれたりして・・。

2月末から耕して、4月初めに種や苗を植え始め、そして5月の初めにはこんなになりました

レタス系が豊作でご近所に差し上げたり、お友達に持って行ってあげたりしたのだけど、まだまだ食べきれないくらいに出来ました。うちでも、毎日大盛りサラダです。<レタス以外はお店で買ったものです


そして、今は、こんなになりました。
色んな種類のお野菜が、元気に育っているのですが、その中の一部のうちのベジたちをご紹介します。
<キクイモ>

<とうもろこし>

<さつまいも>

<色々レタス>

<ごぼう>

<じゃがいもの花>

色々な野菜がありますが、それぞれのニーズに合った場所に植えられています。
この野菜たちの間には、ハーブも植わっているんです。
コンパニオン・プラントの役目を持って植えられているものもあります。
 ナスタチウムカモミール

そして、これは上から見たサトパパのヴェジガーデンです。

一般的には、雑草と思われるものも、特に他の野菜たちに影響を及ぼさなければそのままにしてあります。
が咲いている草には、蝶や蜂がやってくるので大事です。

アメリカ在住のお友達も、野菜を育てています。
彼女が、じゃがいもの芽かき(不要な芽を取り除く事)の画像を見せてくれました。
サトパパに、その話をすると、

「今年はとりあえず、(自分が参考にした)の通りにやってみるよ。」

と言う事でした。来年は、そんな作業も含めてさらに良いものが作れるのじゃないかしら?

私はと、遠慮がちに・・・・・収穫して、お料理して、よく出来ただの、もっとこうしたらいいだの、口を出すだけですが・・ (彼なりのやり方でやらせてあげてます。なぁんつって
お花の面倒はみていますよ。
オガタマのつぼみです。

おととし買ったカラタネオガタマは、去年の夏の暑さにやられて駄目になってしまいました。

リベンジではないけれど、今度はカラタネオガタマオガタマの木を2本購入しました。
カラタネオガタマの方は、花が咲かなかったけど、オガタマは咲きましたよ!!風にのって、バナナのような香り(どちらかと言うとバナナアイスの香りかな?)がします。

お花たち ヒメシャリンバイ、野ばら?、オダマキ。ピンクのは名前がわからないんだけど・・・


今日は・・・・
ひと雨ごとに、ぐんぐん育つお野菜たち・・・・・お花たち・・・・
楽しみだ

「助けてあげられなくてごめんね」

April 18 [Mon], 2011, 23:13
犬友の友人が教えてくれた、ある動物保護団体の被災地での救助活動・・。

現実を突きつけられる写真が載ってます。
悪いものを見てしまった、と思うかもしれない方はこのまま流して下さい。

被災地の動物たちに何が起きているのか、現実と向かい合えると思う方は是非見て下さい。
私は、泣くつもりはなかったんだけど、涙がこみあげて止める事は出来ませんでした。
こうなるまでの状況がいかなるものだったのかを想像してしまって・・・・。

http://banbihouse.blog69.fc2.com/blog-entry-2053.html#

「すぐ戻るからね」

きっと、飼い主の方たちはそう信じていたにちがいありません。
原発事故さえ起きなければ、きっと帰れていたはずです。

地震から1ヶ月

April 12 [Tue], 2011, 15:36
3月11日に東北で大きな地震が起きてから早くも1ヶ月。
普通なら2週間もあれば、復興への道も開けてくるそうだけど、今回は地震、津波の被害のみならず、原発の事故が人々にまだまだ不安を与え続けていると言う、史上最悪の災害です。

まず、亡くなった方たちのご冥福を心よりお祈りもうしあげます。
そして、これから自分たちの町を復興させていかなくてはいけない皆さまに、少しでも私のエネルギーが届きますように。


私のブログもあれからぷっつりで、どうしているのかと思っている人も・・・・・いるかな?

私は地震の時、ちょうど凸凹の散歩から帰った所で、人生初めての大地震にきっと顔は引きつっていたんじゃないかと思うけど、サトリが私の普通と違う動きと地面が揺れ、木が揺れ、家が揺れる事に気付き耳をピンと立てて右左に歩きだしたかと思うと、レイラも異常を察知したのか吠えだしたのよね。で、私もハッと我にかえり、

「(凸凹にとっての)リーダーは、平常心でいなくては・・・。」

と、その場で静かにしゃがんだら、凸凹もおとなしくなった。
そして、地震もおとなしくなった。

もちろんその後日本がどうなったかは、みんな、もう知っている通りです。

後でサトパパが言ってたけど、この地震で日本が2.4m動き地球の1回自転に要する時間が、1000万分の16秒だけ短くなったそうです。数字だけ見ても実感はもちろんないですけど
とにかく
今回の地震はすごかった!!
って事ですね。

原発事故に揺れる日本はこれからどうしていくか。
私が連載で(?)書いていた『組曲 啓蟄』もどっかへ吹っ飛んでしまった・・・と言うより書く気が失せた!と言った方が正しいかも。

地震以降、日本と海外との報道に時差ならぬ、温度差があって、日本の報道はとにかくパニックを起こさせないようにと言う配慮からか、海外の報道よりもワンテンポ遅く、またちょっと控えめにされてきていた気がする。
その証拠が、昨日発表された【レベル】の問題。

【レベル5からレベル7へ】
【レベル5】と言われ続けていたものが、蓋を開ければ、津波に襲われてすぐにかなりの放射線が漏れていたらしく、海外が指摘していたようにレベルはとうに【5】以上のものだったとか。

私個人としては、原爆を体験した日本、地震国とも言われる日本が何故、原発に手を出したか長い間の疑問だったけど、「原発は安全だ。」
神話を連呼する企業を信じ、洗脳されるでしょう・・。
確かに24時間営業の店が増え、夜の街はネオンで昼間のように明るいし、経済大国と言われるほどの国になりそれにずっぽり私も浸かってしまってはいたけれど・・・。

でも、崩れたのです。
〔原発は安全だ〕の神話が。

今まで、原発について深くリサーチをしなかった自分にも腹が立ちますが、何を根拠にそう言いきれたんだろうか。

「安全だから、対処の仕方を考えてなかった。」 だ????
「この事故は想定外だった」 だ????

冗談を言ってるとしか思えない思いあがった大人の考え方ですよね。
企業や、政府は相手が核燃料だって事忘れてましたか?
この世の中には、必ず≪陰≫≪陽≫があります。
私は、『絶対』なんて言葉は信じません。ましてや、相手はウラン、中性子、プルトニウム。
この子たちが、おとなしくいい子であれば、世の中平和で楽しく明るくの≪陽≫
だけど、一度だだをこねたら、手のつけられない≪陰≫が顔をだすはず。

まさに、≪陰≫≪陽≫が裏表ではないですか。

『安全』

の言葉の裏には、きっと何が起きても、それを防げる手立てがあるんだろう、と思いませんか?
だから、『安全』って言いきれるんだろうなって、思いませんか?
でも、企業が言っていた『安全』の言葉の裏には、
「こう言う事態になるはずがない」・・・いいえ、本当はわかっちゃいるけど、
「そんな事考えたくもなかった」のかもしれませんね。

こうなってみると、日本を動かしているみなさんが、自国の経済を一番に考えていて、わかっているけど、そこに触れたくないから、自分自身に言い聞かせているだけの

『安全説』

だったんじゃないかって、懐疑的な気持ちになってしまいます。
まず、人がいなければ、経済も成り立たないはずでしょ?
日本人って、もっと賢い民族だと思っていたけれど、残念ですが、そうじゃなかったみたいですね。

素人なりに色々なバイオ燃料チェックしました。
地熱発電、水力発電、太陽光発電、海流発電、風力発電・・・いずれも完璧ではないのだけれど、すべての可能なやり方を試みれば人が普通に生活をしていけるだけの電力を確保するのは決して不可能なことじゃないんじゃないのかな?
それか、とりあえずそれぞれの各家庭で使うだけの燃料や物資を作りだす、って言う条例を作るとか?


いえ、いえ真剣ですよ。


って言ったらサトパパは、アイディアはいいねって同意してくれた。ただ、実行するのは難しいだろうけどって。
でも、不実行は無に通ずるから、まずは行動ですよね。

我が家もサトパパ頑張ってます。

サトパパのガーデンです。

それでも、春はやって来た!!

組曲'啓蟄' 第1楽曲 2曲冬のソナタ

March 07 [Mon], 2011, 16:10
退職後、日本語教師になろうかと勉強してきた1年間
通信教育は、一人で・・・それこそ自己管理で勉強をすすめなくちゃいけないので、結構だらけがちになりやすい
だから、時々、セミナーなんぞへも参加をして、日本語教育検定に向けて自分にムチをあててみた

そんなある日のセミナーで先生が、言っていた・・。

「日本では直接法(日本語だけで教える事)で教えるが、余裕があれば、生徒の言葉を多少わかるといいかもしれない。」

「日本で日本語を習っているのは、韓国人と中国人が圧倒的に多い。」(私が勉強していた当時の話)

韓国・・・・・・・と言えば、私がOLでバリバリ働いていたころ、日本で『韓流』ブームを作りだしたきっかけとも言われる、ペ・ヨンジュンと言う韓国の俳優が出ているドラマが日本国内で爆発的人気だった。
彼の来日の模様がに映し出されると、すごい数の女性・・・・・しかも、中年のおばさまたち・・・がひしめいていた。
私のまわりでも、彼が出ていた『冬のソナタ』に夢中になっている人がチラホラいたけれど、私は仕事で帰りが遅くなるのもあったし、全然無関心だった。(見る時間がなかった・・と言うのが正しいかな?)

私の高校時代からのclosed friendミータン『くされ縁の友人』と呼んでいるが)、も、そのうちのひとり・・・。
私の退職後、即に

「今は時間があるでしょ?いいから、絶対観て!!

『冬のソナタ』のDVDを貸してくれました。(半強制的に??)
彼女は、自分の息子の元カノが韓国の女性だったのが縁で韓国語を習い始めました。
結局、二人はで今はほとんど使う事がないと言っていますが、それでももう何年も学校へ通って続けてます。

私も実は、では数えきれないくらい前に父が仕事の関係でソウルへ転勤になったのがきっかけで、韓国語を勉強しました。
『冬のソナタ』で、再び韓国語に触れ、日本語教師のセミナーで、

「何か生徒の母国語を知ってるといい」

と聞き、何も迷うことなく、韓国語への興味が湧いてきましたよぉ〜

奥にしまってあった、参考書を引っぱり出しましたが、言葉もやっぱり時代と共に変わります。日本語しかりですが。
英語を学んだり、教えたりする経験から、語学を学ぶにはやはり、その言葉をより多く聞いて耳に覚えさせNativeの口の動きを見て真似るのが一番だと思っているのと、同じパターンのストーリーの中にも心に残る場面、韓国人俳優の感情の表現力に惹かれつつドラマを片っ端から・・・サトパパがあきれるほど見始めるようになってしまった・・・・。

おかげで、と言うか何と言うか・・・・、ウリ チング私の友達ミータンも、びっくりするくらいに短期間で、色々な表現を覚えたけど、丸暗記なので限度がある・・・。
今年は春からこのミータン先生と一緒に、もそっと(もうちょっと)文法から学んでみようかと計画してます。
何しろ、彼女は私の眠ってる子を起こした張本人でもありますしね。最後まで、面倒をみていただくつもりです。




P R
プロフィール
サトリとレイラ
サトリ シャイロ・シェパード
           2003年2月3日 
       プリンセスエドワード島生まれ  
レイラ チャイニーズ・クレステッド・ドッグ
           2005年6月20日
      愛知県瀬戸市生まれ
     
      凸凹コンビだけど仲良し

二匹の世話人
Finch(ママ) 
      女性の方のみですが、英語・日本語教えますよ!サトリとレイラに会いにいらっしゃい!今も、ドッグトレーニング、ホリスティックの勉強も頑張ってます。


Ostrich(パパ)
     神奈川県の某中学の英語教師をしながら武道の稽古に励んでいるアメリカはサンディエゴ出身。
           
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  • 現住所:東京都
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    ・映画-その時の気分によって色々なジャンルをみます!
    ・旅行-好きなんだけど、凸凹がいるとなかなか遠出出来ないですねぇ。
    ・語学-言葉を勉強するとその国が見えてきます。
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