知床雑感 

March 06 [Thu], 2008, 18:08
知床―『地の果てる所』

 知床に旅をした。知床への思いにかられて着想五年。夢が現実となった。女満別に降りたって、あとはJRとバスを乗り継いでの気ままな旅。
 知床はアイヌ語で「地の果てる所」を意味するという。日本最後の原始境であり、太古の姿をとどめる大自然の秘境。アイヌ伝説が語りつがれるロマンの地でもある。
 知床連山に抱かれるように、ひっそりと小雨に煙る知床五湖。厳しさに耐え、鍛え抜かれた自然にはどこか凛とした清涼感がある。そこは大自然の悠久の世界。その奥深くに身を沈めると、削られた魂にみずみずしい生命の息吹がそそぎこむ感じがする。湖辺に立つ姿はあまりにも小さい。
 人も自然も、そうした厳しい試練を経て初めて、その輝きを増すのであろうか。やがて冬。人を寄せつけぬ世界に戻るのであろう。ブュニー岬から眺める奇岩のウトロ港。オホーツクの波に洗われた夕景は、鮮やかな残影となって消えない。
 第三展望台の真下に広がる神秘の摩周湖。一瞬息をのむ。透明度は世界一。海面まで三百五十メートル。湖への急斜は四十五度。怪しいまでの青藍色。原生林に抱かれた阿寒湖。霧にかすむ雄阿寒岳。湖上遊覧船からの眺めは言葉にならぬ。
 時間待ちのため、約二時間を過ごした摩周の麓・弟子屈の町。水量豊かな釧路川が音をたてて流れる。その流れをぼんやりと眺める。町は無人。連絡ミスで土砂降りの雨のなか、約一時間立ち尽くした岩尾別バス停。そして異国情緒豊かで幻想的な夜の釧路・幣舞橋。
 人生には、やはり“間”というものが大事なのであろう。

立山に思う 

March 02 [Sun], 2008, 10:44
立山の夜明け

立山 

March 02 [Sun], 2008, 10:37
何故なのだろう。立山・後立山連峰とは何か。

何故かしら、北アルプス、とりわけ立山連峰・後立山連山に惹かれる。
  北アルプスを思うとき、不思議と銀座を連想する。その雰囲気が似ているように思え
  る。おしゃれで、気品に満ちて、その姿は美しく万人を魅了する。清涼感がある。
  俗世間には無関心。しかと距離を置いている。そんなイメージだろうか。
  あるいは、殺伐とした世相に毒されつつある人間世界。そのありようについて、自然
  という異なる次元から、『あるべき姿』を、静かに諭してくれている、そんな気もする。

  強烈な印象が3つ、残映として脳裏に深く刻まれている。

  ひとつは、能登半島の付け根近くに氷見市という街がある。そこから仰ぎ見た表立山。 
  白銀の切り立った絶壁は、仰角を超え天に連なる。神々しい。しばし茫然、息をのむ思い。

  2つめは、奥蓼科のピラタスロープウェイ。北八ケ岳連峰のひとつ北横岳山頂(2473メートル)。正確に言えば、八ケ岳中信高原国定公園・雲上の神の園『秘境・坪庭』。
そのロープウェイからみた360度の大パノラマ。
  左手前に八ケ岳連峰、その向こうに富士山、正面に南アルプス、右側かなたに中央ア
  ルプス、そして右後ろに銀嶺に縁取られた、華麗な北アルプスの白銀の絶壁の嶺々。
  日本アルプス全体を俯瞰できる唯一のスポットであろうか。

  3つめは、函館行きの飛行機の窓からみた北アルプスの山々。
  ちなみに、立山は神の山とのイメージが強かったが、本当は現世ではなく、『あちら側
の世界』を意味する山だそうである。今回初めて知った。
  少しづつ『あちら側』を意識しはじめたわが心の深層。何とはなく『立山』に惹かれ
  る思いと奇妙に符合する。偶然であろうか。
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さすらい人が、ときどき思いのままに…。
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