大ニュース。 

2005年10月28日(金) 10時13分
すごく私的な大ニュースです。

オーストラリアはお米天国らしいっ・・・!

素敵っっ!!
お安く、そして味もまぁまぁらしいという情報を仕入れました。
よかった〜〜。
これでモチベーションも益々上がるってもんです。

英語をやっぞ! 

2005年10月27日(木) 16時56分
ちょっとずつだけれど、英語の勉強を始めた。

いろいろな日記やサイトを見たけれど、英語はやっぱり少しでもできる状態で行ったほうが良いということ。やっぱり日本人、ヒーリングに弱いらしい。
私も駄目駄目だ。
とりあえず、『英語は絶対勉強するな』というものを昔買っていたので、それをひたすら聞くように・・・・・・って、眠てしまうーっ!英語は日本人の耳には“雑音”として聞こえてしまうらしいのだけれど、た、確かに・・・もはや苦行だ(苦笑)
それと並行して、文法をおさらい、再学習しようとしたのだけれど・・・。中学の英語なのに、もはや彼岸が見えつつある。
ちっとも全然、覚えていない!
6年間の学習なんて、脳味噌のシワの一本にもなってないよ、これは!
・・・・・・ああ私はアホだー。

決定・・・? 

2005年10月25日(火) 16時42分
上司が帰ってきて、また話し合いの場が持たれた。
結局、辞職の意思は変わらないとの私の姿勢に、了承を取り付けることができた。
でも考えてみれば、辞めるっていう人を引き止めることなんて会社にはできないのだから、さっさとOKしてくれよー、って上司と話をしてる途中からずーと思ってた。
11/20で希望を出したけれど、引継ぎでもうちょっと伸びるかも。そうなったら、有給を使って12/20で辞めるようにして、休むけれど、一ヶ月分のお給料はもらおう。セコイかもしれないけれど有給ってちゃんとした権利だもんね。(と自分を正当化してみる)
さてさて、会社を辞めてどうするか。
お金を貯める。ってことなんだけれど。出稼ぎ、をしようと思ってる。
一人暮らしの予行演習にもいいかな。と思いつつ。
アウトソーシングっていうのかな?よく求人雑誌とかにも載ってるやつ。工場で働くの。
面接をしてもらおうと思ったのだけれど、退社の日が12/20だとしたら、ちょっと先過ぎるので、もう少し先でないと駄目じゃないかということを言われた。稼げるのは自動車組み立てなのだけれど、それは女の子(子っていう年じゃないだけどね・笑)にはキビシーらしいので、軽作業ででも稼げる仕事を狙っている。
気だけが急く〜〜。

辞めるどー! 

2005年10月20日(木) 16時27分
さてさて、会社を辞める決意を固めていた私だったけれども、実はまだ会社には何も言ってなかった。
こういうことってのは、実に言い出しにくいものである。言わねば言わねばと思っているうちに時間は瞬く間に過ぎてしまった。
けれどそうやってぐずぐずはしていられない。
ちょうど希望退職日の一ヶ月前ということと上司が中国に出張に行ってしまう前にと、思い切って辞職の意思を伝えた。
理由は、「やりたいことができたから」という曖昧な言い方を最初していたけれど、結局、「ワーキングホリデーに行きたいから」ということを言った。
あたりまえだが、上司はワーキングホリデーのことなど知らないので、ワーホリについてかいつまんで説明をしたりしたのだけれど、やっぱり引き止められた。
「後悔しないか?」とか「もっとよく考えてみれば」とか「勢いだけで決めるのはやめた方がいい」とか。
それは多分、私のことを思って言ってくれているんだろうけれど、でもはっきり言って鬱陶しかった。私が自分で決めたことじゃー、後悔しようが何しようが、それはそれでええんよ。って感じ。
とりあえず決定は上司が出張から帰ってからに持ち越し。
早く帰ってこーい。

ばれてないようだ・・・。 

2005年10月06日(木) 9時29分
車の代金が無事、口座に入金されていた。
おお、よかったよかった。

実はe吉の後部座席の床には一度醤油がぶちまけられているのだ。
もちろんシミはくっきりついているし、ほのかに香ばしい匂いもしている。
言おう言おうと思っているうちに、つい機会を逃してしまい、ガリ○ーの担当の人には言えずじまいだった。
マットを敷いてしまえば隠れてしまう範囲なので、大丈夫とは思うのだが、ちょっと不安だったのだ。
醤油ついてるんですけどー!と苦情がこないかどうか・・・。

ガリ○ーさん、ごめん!

e吉とのお別れ 

2005年10月06日(木) 8時27分
昨日は、わたしの車『e吉』とのお別れだった。
ワーホリに行くのだから、車はもういるまい、と売ることにしていたのだ。
維持費さえ惜しい懐事情もあったりする。
e吉はあの有名な三○の車なので、中々買い手が付かない。と、査定をしてもらった○リバーの担当の人も頭を抱えていた。
それというのも、わたしの希望価格が相場よりべらぼうに高かったためだ。
「や○ざみたいなこと言いますね・・・」と嘆かれた。
けれどまぁわたしとて鬼ではないので、話を詰めていって、互いの妥協点で即OK。
父親や母親に言わなくていいですか?と聞かれたがいいです。と答えた。親に対してわたしは常に事後報告だ。
本当は来年になってから売ろうと思ってたのだが、それじゃぁ益々買取金額が下がるし今が売り時だといわれたので、そうかそうなのか、と売ることにしてしまった。
わたしも大概に短慮である。

このe吉は友達の知人を仲介して買ったのだが、名義変更がされていないことが発覚した。
道理で税金の催促がこないはずだ。
仲介をした友達の知人というのが、もうとんでもない詐欺師まがいの奴で、わたしが先払いしていた(これはお前が悪いと散々言われたが・・・)車の代金を、あろうことか自分の借金返済にあてていたのだ。車がこないと催促をするわたしや友達に「○菱だから今検査をしているんだ」「納車しようとしたとき、ぶつけてしまって他のを探している」などと散々ほざいて約4ヶ月車はこないままだった。
やっと車がきたのだが、それは友達がお金を立て替えてくれて買ったものだということを後で知った。友達もわたしも悪くないはずだが、どちらも互いに対して申し訳なさ満々である。
わたしは確かに「名義変更をしておくから」という言葉を奴から聞いたのだ(だって戸籍謄本かなんかの書類を渡した)。
この件で抗議をしてやろうと電話をするが、奴は出ない。友達への返済も、どうやら滞っているようだ。
わたしは金銭的なダメージはさしてないのでこれも教訓と割り切れるが、友達は割り切るなんてできやしないだろう。元々胃炎もちだったのが、胃潰瘍にまで発展しなければいいが・・・。

そんなこんなで晴れてわたしは、チャリラーと相成った。
よもやチャリ通の初日に土砂降りの雨が降ろうとは思わず、一日目からすでに車のありがたさをしみじみと噛み締めてしまったのだ。

問題。 

2005年10月05日(水) 10時17分
ワーキングホリデーに行くと決心したわたしだけれど、問題があった。

お金だ。

働き出して7年間、もうすぐ丸8年に達しようかというのに、私にはほとんど貯金がないのだ。宵越しの金は持たない主義、というのは違うけれど、あれば使ってしまうのだ。用途は主に本。そしてダイエット(ただし成功例はなし)

ワーキングホリデーの費用として大体100万円あれば何とか・・・と言われているようだ。けれどわたしはワーホリで行って、ダイビングインストラクターになりたいので、費用はさらに倍の200万円は必要だ。
退職金と雀の涙しかない貯金を足しても100万円にはいかない。でも、仕事を続けるのは言語道断だった。我侭だけれどそれは本当に嫌だ。

1年間。

1年間でお金を貯めようと決めた。
そうしたらわたしは28になってる、それでもまだまだ大丈夫だ。
それにその間に英語を勉強できるじゃないか。
渡豪は2006年の11月を予定。

頑張ろう!

きっかけと決心 

2005年10月05日(水) 9時42分
前からワーホリっていうものに興味は持っていた。
けれどきっと出来ないだろうと、とりあえずのほほんと日々を生きてきた。

突き詰めてみると、一番最初の根っこは会社を辞めようと思ったことだと思う。
今の会社は勤めて7年になる。別に可も無く不可もなく。潰れるんじゃないかとの大概の予想を裏切って、細々とではあるがしぶとく生き残っているような会社だった。
そこそこ信頼されて、そこそこ仕事を任されていたが、去年直属の上司が辞めた。後任に入った上司とわたしは、全くといっていいほど馬が合わなかった。
仕事がもう嫌になった。元々そう面白味を感じていたわけではないけれど、全然まったくやる気が起きなくなった。
会社を辞める!
そう決意したのが始まりだ。

会社を辞めると決めてからしばらくして、名古屋に住む友達から
「海外旅行に行こうよ」とのお誘いがあった。その友達とはずっと行こうね、行こうね、という話をしていてでもずっと行けずじまいだったのだ。わたしは仕事を辞める気楽さもあって、もちろんOKの返事をした。行き先はあれこれと話し合って、オーストラリアに決定。今年の9月に行ってきた。

オーストラリアはたくさんのワーホリの人がいた。
いろいろ話を聞いているうちに、ワーホリへの憧れがふつふつと胸の中に沸いてきた。
オーストラリアから帰ってきて、いろいろとワーホリのことを調べた。年齢は30歳まで。ぎりぎりとまではいかないけれど、そう後はない。決断するのは今だろう。
けれどまだ決心がつかなかった。旅行中にはまったく英語がわからなかったし、わたしは自分でも呆れるほどの活字中毒で、お米中毒なのだ。一年間、漫画も小説も読めないし、おいしいごはんも食べられないということはわたしの中では深刻なことだった。
そんなふうに決心が付きかねる中、母親がわたしに仕事を辞めてこれからどうするんだと聞いてきた。
わたしは咄嗟に言っていた。
「オーストラリアにワーキングホリデーに行く」

そうなのか。やっぱりわたしはワーホリに行きたいんだ。

わたしはワーキングホリデーに行くことを決心した。

はじまり。 

2005年10月05日(水) 9時27分
ブログはじめます。
ワーホリに行くのはもうちょっと先だけれど、いろいろ書き込んで行こう
P R
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