ご無沙汰しておりますが 

March 14 [Mon], 2005, 18:27
近況を列挙しますと、

1)副作用で増えていた体重が9kg減(これといって特別なことはしていない)。
2)自炊というほどでもないけれども自炊するようになった。
3)掌編小説を4本書き、芥川賞候補作家・Kさんにみていただく。
4)それを某文芸誌編集者にお渡しする。
5)長野のS君の結婚披露宴にてスピーチ、余興を披露。
6)掌編5作目に突入。
7)ものを書く日々です。

ルーツの旅 3 

February 04 [Fri], 2005, 22:35
祖父と祖母は7つ違い。姉さん女房だった。お世辞じゃなく祖父の若い頃の写真は相当かっこいい。あまり目立ちはしなかったが祖母はくる病で背中が曲がっていた。そんないくつかのハンディがあったのに祖母と結婚したのは何があったのだろうか。それは父もわからないと言う。いま生存している祖父の兄弟は4人。そのうち一人は従妹のおばあちゃん(うちはちょっと複雑なのです)で、従妹の実家に住んでいる、という。「聞けばわかるかな?」、「どうかな」、そんな感じだ。これは生きている間に福岡でも行って聞いてみたいと思った。

話は前後するが、祖父が東京にいるときに祖父の弟が祖父を頼り16,7歳のときに上京してきたという。父がその年になったときに今度はその叔父を頼りに上京している。「歴史は流転するんだな」と父は言っていた。父は上京したくてその大叔父に毎日手紙を書いたという。「東京なんてこない方がいい。あんたのお父さんがそれをよく知っているはずだ」と拒まれ続けるが、本当に毎日手紙を書き続け、ついに大叔父が根負けしたという。父が上京して最初の1ヶ月はその大叔父の家に住んでいた(千住)。その大叔父がある日、創価学会に入会した。ものすごい勢いで折伏(布教)をしたらしい。電車で隣り合わせれば折伏、道を歩いている人をつかまえては折伏。その大叔父はまさに大往生だったのだが、死ぬまで折伏を続け、生涯400人前後の人を創価学会に入会させたという。時代は「折伏大行進」。父と父の兄も同時に折伏を受けるが、父はその場で入会する。「なんで?」と聞いたら、「断るのめんどくさかったから」という。ちなみに叔父はその1年後に入会。いまは創価学会員ではない。父が上京して3年後、祖父が東京に遊びに来るが東京案内しようとしたら逆に案内されたと言っていた。

・・・・・・ふぅ。これでぜんぶかな? 今日聞いた思い出せることを走り書きした。ああ、指が痛い。

ルーツの旅 2 

February 04 [Fri], 2005, 22:32
今日は、こんな話を聞いた。
父方の祖父母の話だ。
もともとささねこ家の祖父母は東京に住んでいたという。30数年東京(等々力)に住んでいたが、昭和10年、大東亜戦争(と父は表現していた)が始まる、というので祖母の実家のある大分に引っ越した。そのときには父の姉と兄はいたという。このふたりは東京での生活を覚えているかもしれない、と言っていた。東京で祖父はマッチ箱に広告を書く仕事(今でいう広告代理店?)をしていたり、自分で株屋を始めたりしたらしい。しかし、それも大してうまくはいかなかったようだ。祖父はハイカラで、カッターシャツの襟や袖だけ別の取りかえができるものを着ていて、カフスボタンもしていたらしい。「ジャンボズボン」(マンボズボン)も持っていた、と言っていた。果たしてその「ジャンボズボン」とはどんなものか、まったく想像もつかないのだが、聞いたとおりに書いておく。芸事が好きでバイオリンを弾いていた。チャンチャンバラバラの曲を弾いて、と父がせがむと、喜んで弾いてくれたらしい。それが父の楽しみの一つだったようだ。そのバイオリンは「鈴木の9番」という(これもよくわからないが)、高価なものだったらしい。それを父の兄が片田舎の楽器屋で「新しいものと交換してあげる」と騙され、粗末なバイオリンと交換してきて、祖父はそうとう叱ったと言っていた。また祖父はひょうきんなところがあり、丸太の橋にぶら下がり、「落ちるーっ」と叫んでは子どもたちを驚かせたという。5,6歳だった父は、その手をとって引っ張り上げようとしたが、いま思えば、そっちの方が危なかったなあ、と笑う。そんな祖父の実家は福岡。12人兄弟の長男だった。家業は質屋。長男だが、飛び出してしまったという。飛び出した後、その質屋も潰れ、祖父の3番目の弟が新しく質屋を始めたらしい。12人兄弟の世話をずっとしてきたのがその3番目の弟だ、ということだ。

(つづく)

ルーツの旅 

February 04 [Fri], 2005, 21:16
ここ最近、かなりの分量の文章を書いている。部屋の寒さで手がかじかんでいるのもあると思うのだが、キーの叩きすぎだ。指先と第2関節がキシキシ痛む。

書いていて思う。ああ、これまで書いてきた日々の日記は財産だなあ、と。日記は「その日のことを書く」ことの連続だ。そのときにはその断片しかわからない。しかし、あるテーマで何かを探ろうとするとき、これが非常に役に立つ。自分のためのデータベースになっている。自分に拍手。よくここまで書いてきました。自分に自分で取材することができる。なんと便利なツールなんだろう。

2003年8月分まで日記のバックアップをとる。

さて、今日の昼、またまた例のごとく、父に誘われ食事。カツカレー。
最近父はぼくとの食事を楽しみにしてくれているみたいだ。
それはぼくがよく話しかけるから。
調子が悪いときはずっとだんまりを決めこんで食事をするものだから、美味しいものも美味しくなくなる。だが、最近父に聞いてみたいことがたくさんできた。「もしもしボックス」を書いているときもそうだったが、そもそも何故うちが、あの実家に住み始めたのか、とか、おじいちゃん、おばあちゃんの話を聞かせて、父ちゃんの少年時代を教えて、と質問攻めだ。

ちなみに、実家に住み始めたのは、たまたまふらっとそのあたりで家を探しているときに、当時は麦畑だった家の前の駐車場にぽつんと家があったのだという。その家には老夫婦が住んでいて、縁側ではおじいさんが日向ぼっこをしていた。
「あの、このへんで住める家はありますか?」
若き父はそう尋ねたと言う。
「やあ、うちがもうすぐ出るからここに住めばいいよ」
そう言われて住み始めたのだという。−−それから36年。もう、たしかに家は限界だ。家賃を上げない代わりに大家さんは一切管理しない。柱は腐っているし、隙間風はぴゅうぴゅう吹き込んでくる。母は「もうみっともないから今すぐこの家を出たい」と散々父に訴えたらしい。ああ、ああ、と父はその気のない生返事を繰り返してきたが、ついに母が爆発した。それで、いよいよ本腰を入れ始めた、という次第だ。

(つづく)

掌編できました。 

February 02 [Wed], 2005, 23:09
朝起きて午後3時過ぎまで、掌編の後半にとりかかる。途中父と食事をする。牡蠣フライ。
今回の掌編のタイトルは「もしもしボックス」。例のごとく、というか'70年代の福生が舞台である。読んでいただければわかるのだが「もしもしボックス」というのは、昔あった汲み取り式のトイレである。テーマは「反戦」であったり、人種問題であったりする。主人公は6歳。当時の福生を思い出して書いてみた。小さな子ども社会が大きな大人の論理(ここでは戦争)に飲み込まれていくさまを描いた。あと2回は書き直しが必要な、いわゆるラフ版だと思っている。そういえる所以は、「もしもしボックス」というのであれば、「オチ」の部分で「もしもしボックス」も出すべきではなかったか、作中に他の作品・村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を出している部分を削除するか、他の形で言い換える必要があるというという課題が残っているというところだ。あと細かい言葉の使いまわしなどいくつか変更をしなければならないところもある。

いずれにせよ、ラフなのだがしかし、この状態で一度UPして皆さんのご意見を賜りたいと思う。ご感想、ご意見は新・BBS(総合)にてお受付いたします。どうしても人に見られたくない感想をお書きになられる場合にはzinko_ss@hotmail.comまでメールください。

掌編は、中、短編に手を出しては書き上げきれない状況がつづいていたため、「書き上げる充実感」を味わって、次へとつなげていきたいという思いもあって取り組みました。三田先生が仰るとおりに「10枚一単位」だと思いますので、まずその基本から入っていきたいという思いもありました。

いずれにせよ、完結した作品をUPするのはHP開設以来、数年ぶりということになる。どの程度のものが書けているのか、書けていないのか、認識しておきたいという個人的な願望も強くある。書き込みしてくださることを心からお待ちしております。「読んだよ」だけでもかまいません、よろしくお願いいたします。ないとかなりへこみます(笑)。

本当に日が出ているまでが「動ける時間」。時間を有効的に使っていきたいと思っている。
精神状態は悪くない。キープできるよう生活のリズムには特に注意している。

掌編はじめました 

February 02 [Wed], 2005, 2:14
朝日が窓に差し込むのと同じ頃に目が覚める。熟睡できたし、今日も快い目覚めだった。
朝から午後2時まで掌編の前半を書く。自伝的なもので、HPの日記では何度か触れてきたことだ。明日か、明後日には完成すると思う(創作は正午前後までと決めているため少々時間がかかる)。完成したらHP上で公開したいと思う。そしてその分量の公募があれば出してみたいと思う。

それにしても、昨日のYの電話ではないが寒い。部屋にいても手がかじかむくらいだから相当寒い。動けるのは日が落ちる前までだ。日が落ちたら24時間ほぼつけたままの状態でいる電気カーペットに貼りつくようにしている。暖をとるために風呂に入る。風呂があることのありがたみをしみじみと噛み締める。

小説のテンポはかなりつかめている。本当にここのところ調子いい。

沖縄も寒いらしい 

January 31 [Mon], 2005, 23:59
朝、快適に目覚める。寒いが、窓からはまぶしい太陽がのぞいている。

昼、父に誘われ食事。実家の引越がようやく具体的に動き始めた。間取りには不服だが(生活動線が滅茶苦茶になりそう)、とりあえずの仮の住まいだ、という。まあ、いいんじゃないか、と思う。早ければ3月にも引越はなされるようだ。

夜、沖縄のYから電話がある。「寒くて目が覚めた」という。日本列島を覆う寒波の影響は沖縄にも来ているらしく、夜は寒いらしい。「どのくらい寒い?」と尋ねると、「お前といたときくらい寒い」という。「じゃあ、厚着をして、窯の横にいれば大丈夫なんじゃないか?」というと、「海からの風がびゅうびゅう吹き込んで来るんだよ。明日ゴルフなのに・・・・・・!」と、トホホと嘆いている。「じゃあ、熟睡しないとダメじゃん!」「そうだよー」と笑っている。「ところでさ、自分そっちいったらなにができるかな? お医者さんもはやく沖縄へ行った方がいいっていう感じのノリだし、どうなんだろう? 夜勤はできるけどなあ」、「そうだなあ、夜勤だなあ」と、たぶん、これ以上話すのもつらいくらい寒そうなので、話題はここまでにした。

うーん、職人になっちゃいたい、という一言がいえなかった。まあ、急ぐ必要もない。のんびり構えておこう。

浅い眠り 

January 30 [Sun], 2005, 19:39
眠剤をとめて2日目。「スッキリ、シャッキリ」感が本当によかったので、飲まずにいた。

・・・・・・午後1時まで眠れない。眠剤代わりに読んだのが内村鑑三の「キリスト教問答」(講談社学術文庫)。これがまた、浅い眠りにはあまりよくなく、「動物と人間の共存」をテーマにしたような夢を見る。猟が倫理的に許されるのか云々。鹿と菌類と人間が入り乱れてのドタバタ。

さて、で、寝覚めはというと、あまりよくない。「スッキリ、シャッキリ」が眠剤を飲む/飲まないとは、あまり関係がないということに気づく。いや、多分、関係はある。ただ、眠剤で脳をシャットダウンさせることで得られる「休息」と副作用(心身ともになんとなく重い)を天秤にかけた場合、どちらがその日にとってお得か、ということも計算に入れないといけないようだ。眠剤を飲まないで正午を越してしまうようであれば、これはもう、眠剤を飲んだ方がいい。眠剤を飲まない日で共通しているのは睡眠時間の長さに関係なく眠りが浅い(と感じるだけか、本当にそうなのかはわからないが)ということだ。気にしなければ気にしないですむが、耳鳴りがずっと続いている。

かくして「実験」はつづく。今日は眠剤を飲んで早く寝よう。「早く寝る」で得られるものは何か、実験してみよう。

テクノスタルジア 3 

January 29 [Sat], 2005, 15:08
で、ぼくのいままでの「人間関係」にもそういった「妖精」がいた。それが「沖縄」というものだと思う。聞きようによっては「差別発言」ととられるかもしれないが、沖縄は日本ではない。背景として持つ文化も違う。だからこそ「彼岸の存在」として相当ぼくの救いになった「恩人の国」である。その「妖精の国」に住むかどうかはまだ検討中だが、それが実現しようがしまいが、「未来を創造しようとしている」という点において、たしかに以前とは変ってきている。

さて、本を読み終えたあと、案の定、1時間半ほど眠ってしまった。また不快な夢だった。保育園に入園する弟に付き添う、というものだが、弟の顔が機械でできているというものだった。母親に、「無邪気な(元の)弟の顔のほうがよかった、なんで機械なんかにしちゃうんだよ」と抗議している。その弟の顔のネジが2つ外れかかっている。どうやらそれはぼくの仕業らしいのだが、幼い弟を何とか説得して寝かせ、ネジを締めるというものだった。弟に鏡を見せてはいけないと細心の注意を払っているのだが、たまたま鏡に映った自分の顔も機械でできている、というオチだった。半べそをかきながら「なんで機械なんかにしちゃうんだよ。その感覚が知れない」と抗議するぼくに、「あら、そのほうがかわいいじゃない。車のタコメーターみたいで」と母親は素っ頓狂な答えを平然としている。そういえば、「あら、そのほうがかわいいじゃない」といって気に入らない服をよく着せられたものだった。微妙に「テクノスタルジア」している夢といえば夢だったのかもしれない。

テクノスタルジア 2 

January 29 [Sat], 2005, 15:05
さて、話を戻すが、「テクノスタルジア」で思わず、ふっと笑いが出たのが「テレビの妖精」。「テレビの妖精」とは、今ではもう見かけることもなくなったが、プロレス中継や大相撲中継でカメラに向かっておどけてみせたり、「XX見てるか?」と叫んでみせたり、模造紙を広げてみせる人たちのことを指す。思わず「懐かしいな」と笑ってしまった。「ハイパーリアリティ・シンドローム」とも絡んでくるのだが、テレビが情報を一方向から流すものだということに気づかせてくれる存在だと香山リカはいう。送り手の意図したアングルなどからはずれたところで茶目っ気(?)をもってフレームインしてくる。これは「テレビの世界」の話だが、そういう存在はいまもある。決してなりをひそめてはいない、とぼくは思う。インターネットに場を移せば、「アラシ」などがそれにあたるだろう。「インターネット」という「特殊なコミュニケーション」の「場のルール」を無自覚的に踏襲している人たちに相当な不快感を与えるが、運がよければ、その「場のルール」というものが決して普遍的なものではなく、「特殊」なのだと気づかせる存在にもなると思う。

(つづく)
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