平清盛に物申す

February 02 [Thu], 2012, 0:38
 兵庫県の知事さんが、今年の大河ドラマに文句を言っているらしい。
 曰く画面が埃っぽいとか…。

 ずばり私も同感である。このお方に賛成する。むしろよくぞ言ってくれたと思う。

 あれはNHKが総力を挙げて製作したという【坂の上の雲】からだったと思うが、妙に歴史感を出そうという工夫で勘違いしたのか、画面がセピア風のカラーになり、薄い曇りガラスを通して見るような感じになった。

 一昨年の大河ドラマ【竜馬】では、それが益々甚だしくなっていた。実に見づらい。画面が汚い。これじゃハイビジョンなんて必要ない、と少なくとも私は思っていた。

 全くの予想だが、馬鹿なNHKの番組制作ディレクターがこの趣向に一人で悦に入り、周りは威光におののいて意見も出来ず、トレンドとして賛同する阿呆が局内に現れ、今年の大河ドラマ=【平清盛】にも、同じ手法が受け継がれたのだと思っている。

 たとえそうでないにしても、あの画像処理は実に下らない。あんなすっきりしない画像を観るくらいなら、同じ時代劇でも、私は市川昆監督が指揮を執った【仕事人】シリーズのような、クリアーで美しい画面が観たい。

 だから私にとってお偉いさんのコンプレーンは至極的を得ているのである。

 もっとも、大河ドラマなど私は興味がなくて、日曜の六時になるとテレビの前に鎮座するオフクロ様が見つめる画面を、晩飯を作りながらチラ見しているだけなのだが。

 それにしてもNHKも堕ちたものである。
 暫く前は看板ニュース番組でも、勘違いした愛想だけの噛みまくり女性キャスターを起用して、テレビの前でいらいらさせられたものだった。【最近の青山さん、井上あさひさんには好感を持っています】

 もっとも女性キャスターはずっと以前の【久保淳子さん】が、木っ端微塵にNHKの威厳を瓦解させて人気が出てから、どうも民放のようなキャラ優先路線を走り始めたのだが。

 これも時代の流れだろうか。

 そんなNHKが基本的に大本営なのだと露呈しても、まだまだ良心的な番組を、信念をもって制作しているディレクターもおられるが、少なくともここ最近の歴史ドラマの画像加工はいただけないと思っている。

 こんなことを書けば、海外に住んでいて受信料も払わずに何を言うか! と、憤る方も居られるかもしれないので説明しておくと、タイのUBCのどの番組パッケージサービスにもNHKは入っていないので、我が家では毎月1000バーツを受信料として、NHK視聴のためだけに別途支払っているのだ。

 つまりこれくらいは意見主張する権利があると思うわけで、NHKを楽しみにしているオフクロ様も同じことを思っていたそうだから、そのあたりは御理解いただきたい。

大停電?

November 09 [Mon], 2009, 1:07
 もう一月くらい前の話になるが、私たちの住むビラやアパート一帯が、電気工事のために大停電するという話があった。
 何しろ猿嫁が仕入れてきた話では、朝の9時頃から夕方の5時頃までの大停電。ならば大変だ、ということで、我が家でも早朝から真剣な準備に追われた。

 まず昼間でも電気が来なくなって一番に困るのは、水道が使えなくなること。これは我が家だけに限らず、大抵の家では貯水槽から電気ポンプで圧力を掛けて蛇口まで水を運んでいるため、停電になったらトイレすら流せなくなる。そこで家中のバケツやらタライやらに水を確保。さらに長い時間なので、冷蔵庫や冷凍庫には大量の氷を用意して入れておいた。

 また、どうせエアコンは使えなくなるから、窓という窓を開放して少しでも風通しを良くし、停電予定の朝九時を待ち、その間に猿嫁と話し合って、どうしても家の中が暑くて居られなくなったら、二人が交代で留守番して、オフクロ様と息子はセントラルにでも避難させようということにしておいた。

 やがて予定の時間が来た。

 そして、猿嫁情報通り停電はしたのだが、我が家のあるビラではわずか30分で復旧。それからまたいつ電気が止まるか、と心構えだけはしていたのに、そのまま丸一日…二度と停電はなかった。

 抜かりなく準備していただけになんだか拍子抜けである。もしかすると猿嫁の仕入れた情報のうちで、時間帯に関する部分だけはガセだったのかもしれない。

 しかし、アパートのある辺りでは半日ほど停電が続いて、皆大変だったようだ。

 思い出してみると、私たちが移住してきた当初はよく停電していた。酷いときには日が暮れてから4時間も停電し、暑くて室内に居られずに、ガレージにテーブルを出して蝋燭の光でテイクアウトしてきたタイ飯を食べたこともあった。
 その4時間というのは私たちにとって最長の停電だったが、それ以外にも、雨季にはしょっちゅう、どこかに雷が落ちる度に一時間くらい停電していた。

 これがネパールのように停電が当たり前で、電気が来ていたらラッキー、というような国ならまだしも、タイでは電化製品も充分に普及しているので、それが使えなくなると本当に困る。

 そういえば私が子供の頃は、日本でもよく停電があった。当時住んでいたのは東京だけれど、突然真っ暗になる夜が、年に数回あったのを覚えている。楽しみにしていたウルトラQの放送が、突然見られなくなって、子供心にも激しく憤慨したこともあった。

 それが今から40年以上前の話だから、タイはもしかすると、その日本の40年前くらいのところを、数年前にようやく通過して今日に至っているのかもしれない。

 何にしても、近頃停電が少なくなったことは事実。次はぜひ中堅の優等生的途上国として、乾季恒例の断水を撲滅することに力を注いでもらいたいものだ。

顔面強打

September 09 [Wed], 2009, 6:22
 その日、私は朝からボーッとしていた。前夜、釣った魚の刺身をツマミに、AおじちゃんやTカメラマンと飲んだ日本酒が残っていて、しかも二日連続の睡眠不足だった。そして実に珍しいことに頭痛も感じていた。

 だが、もう一週間以上も前にお誘いを頂いていたし、私自身とても楽しみにしていたので、約束どおり御大の待つ海辺のコンドへ向けて出発した。当日はボートでパタヤ沖の島へ出て、素潜りで貝を獲ったり釣りをしたりして、のんびりと一日を海で過ごすことになっていた。

 バリハイ波止場へ着いたのは午前7時過ぎ。ここでボートを降ろした。その場所はコンクリートの緩やかなスロープが海の中まで続いている。

 私は釣りを40年以上もやっているけれど、ボートに関しては全くのド素人。それでも何かお手伝いできることはないかと、海にゆっくりと浸かっていくボートの後ろを、そろそろと普通に歩いていた。

 が…突然、空が見えた、と思った瞬間、物凄い勢いでコンクリートに叩きつけられていた。しかも顔面から。
 激烈な痛み。しばらく立ち上がれずにいた。何が起こったのかさっぱりわからなかったので、私は最初、誰かに後ろから襲われたのかと思った。

 だが、ずっと後方から見ていた先輩が、滑って横に転んだのだ、と教えてくれた。しかし、転び方にも程がある。こんな激しい転倒をした経験などなかった。
 
 かつて柔道3段の親友と手加減なしの乱取りをやっていて、払い越しや小外刈りで何度も思いっきり畳に叩きつけられたことがあったが、こんな物凄い高速回転と衝撃ではなかった。今は亡き橋本選手をKOした、小川直也のSTOでも、こんなスピードではなかったはずだ。正に0コンマ0数秒で、私は自身の100キロの体重を乗せて回転し、コンクリートに顔から激突したのであった。

 右下の唇が切れて血が流れているのが判った。舐めると血の味がして、砂も口の中に入ってくる。それより酷く痛むのは左頬の丁度頬骨の辺りで、こちらはみるみるうちに腫れていくのが判ったし、そっと触ってみると皮膚がザラザラになっているのが感じられた。
 他に先週自宅トイレでタイルに打ち付けた左アバラと、肘、それに左ヒザも痛い。
 
 実に不思議で仕方がないのは、左顔面を強かに打ちつけて大きく傷つけているのに、下唇の、しかも右端が切れていて、その間にある鼻にはかすった跡もないこと。

 ビデオでも撮ってあったら、一体どういうことだったのか検証してみたいものだが、愚考すると、私は干潮のスロープで浮き出していた海苔の類で滑って、普通に後ろ向きに転倒するところを無意識のうちに受身をとろうとし、体を横にした状態で左半身から叩きつけられ、一度頭部がバウンドした後で、今度は右の口付近を打ちつけた…としか考えられない。

 そうでなければ、鼻と、体の前面の腰の部分に装着していたカメラや携帯が入った、幅の広いウエストポーチがまったく無事で、背中と右半身には打撲がないのに、右唇が切れていることの説明がつかないのである。

 同行していた皆さんがとても心配してくれた。とにかく鏡がないので、自分の顔がどうなっているのか判らない。ハンケチを左頬に当てると、リンパ液で薄くなった血が、何度拭いてもくっついてきた。中には薬を買いに走ってくれるという人もいたが、私は丁寧にお断りした。

 これは決して格好付けで言うわけではないけれど、私は激痛を感じながらも、こう考えていたのである。
『昔、お国を守るために戦ってくれた軍人さんたちは、もっと酷い怪我をしながらでも頑張ったはずだ。遊びに来てぼんやりしていたために怪我をし、意識もあるのだからここで騒いでは恥ずかしい』
 それに経験上のある治療をしたかったので、勤めてかまわずに出発しましょう、と声を上げ、
 結局ハンカチを当てたまま私は乗船し、ボートは沖にある島を目指した。

 パタヤの港から高速で飛ばして40分。ラン島のまだ先にある、びっくりするくらい海の綺麗な島である。

 ここでみんなシュノーケリングをすることになっていた。私はズキズキと鈍痛を放つ顔に水中眼鏡をつけて、海に飛び込んだ。さすがにゴムベルトが締め付ける左頬には激痛が走るので、かなり緩めた。

 その状態で約二時間。私は海の中で美しい珊瑚礁を観賞しながら貝を獲っていた。要するに綺麗な海水で傷口を消毒・洗浄したかったのである。海水には殺菌効果がある。だから水虫なども長く浸かっていると治癒してしまう。下手なアルコール消毒や、赤チンなんかを付けるよりはずっと擦過傷には効果があるのだ。
【犬のダニ・ノミ・シラミ取りにも最高です】

 そこそこに貝を獲ってボートに上がると、なんだか気分がスッとしていた。相変わらず顔面もアバラも痛いけれど、傷口は強烈な日差しを浴びて乾いていった。

 家に帰ると、猿嫁が私の顔を見て飛び上がらんばかりに吃驚した。すぐに病院へ行こう、という。家の鏡でよく見てみると、擦過傷は下ろし金で削ったようになっていて、横4センチ、縦5センチほど頬の皮膚が無くなっていた。しかし深くはなかったし、海水で洗ったので、傷口そのものはツルンとして痕に残りそうな感じではない。

いずれにしても、ヒビが入っているにせよ、亀裂骨折しているにせよ、顔にギブスなどするわけはないのだから、医者に掛かったって痛み止めと抗生物質を処方されるのが関の山。私は自分でドルマイシン軟膏を塗りつけ、顔半分が隠れるような絆創膏を貼って、そのまま放置プレイで行くことにした。

 それから一週間、体の左側をベッドにつけて寝られなかった。これを書いているのは、顔面強打してから丁度2週間目の、八月二十九日の深夜だけれど、海水治療の効果があったのか傷口は膿みもせず、傷跡も一度皮が剥けてからほぼ綺麗に消えている。しかし、まだ左頬はかなり痛い。今そっと触ってみたら、左頬骨が右側のものより歪に膨らんでいる。もしかすると折れて変形したまま固まっている過程かもしれない。
【本日は九月九日で、画面強打してから三週間以上経過していますが、左頬骨のあたりは触るとまだ痛いです】

 そういえばボートの上で先輩と御大が言っていた。
「もう少し打ち所が悪かったら死んでいたかもしれないね」

 二度あることは三度ある。私は次回に気をつけるしかないようだ。

水掛け祭り

April 28 [Tue], 2009, 3:55

 パタヤでは19日がソンクラーンの本番だった。市内の道路には交通規制が施行され、この日ばかりは街中異様な熱気に包まれていた。

 なんといっても、ソンクラーンのメインは水掛け合戦である。猿嫁に言わせると、本来これはタイ正月を祝い、自然と水の恵みに感謝するもっと厳かなもので、あんな馬鹿騒ぎをして楽しむようになったのは、近代になってからのことらしい。
 
 タイ政府も、この世紀末的な馬鹿騒ぎの季節は、毎年もの凄い数の人が酒を飲んで酔っ払い、交通事故を起こすので、かなり頭を悩ましているようである。そこで考え付いたのが、水掛け祭りの時間差開催らしい。全国一斉に同日にやらないで、例えばパタヤ近郊の場合、18日がナクルアで、19日がそれ以南の市内で、20日がサタヒップ、という具合に水掛けを日別に解禁するのである。

 これによってどのくらい交通事故が減ったのかはわからないが、この時間差開催はずっと以前から続いている。

 そんなソンクラーンだが、私たちには苦い思い出があって、こちらに移住してきた最初の年に、オフクロ様に市内の異様な興奮状態を見せてあげようと、当時の車で出かけた際に、セカンドロードで超酔っ払い運転のトラックにオカマを掘られ、買ったばかりで綺麗だった車の後部バンパーが醜く凹んでしまったことがあった。しかも事故が起きても大渋滞で警察は来ないし、保険屋も来ない。都合四時間近くも私たちは車の中に閉じこもり、道路際で盛大に水を掛けられながら呆然とするしかなかった、という嫌な記憶だ。

 だからそれ以来ソンクラーンのときは絶対に外に出ないことにしていた。街中酔っ払いだらけなので、出てもろくな事にはならないからだ。

 しかし、今年は違った。田舎から甥っ子たちが遊びに来ていたし、息子もすでに分別のつく歳になったので、私達のアパートに住む住人のピックアップトラックを運転手付きで借りて、パタヤの南側だけぐるっと回ろう、ということになったのである。

そして20日の午前11時。我家に迎えにきたトラックの荷台には、すでに大人2人と子供5人が乗っていた。そこに私達夫婦と息子が乗り込んで出発。だが、意外と慎重な性格の息子は、荷台に乗らずに助手席に乗り込んだ。猿嫁がかなり熱心に荷台で水合戦しよう、と誘ったが、息子の気持ちは動かない。結局、用意した水中眼鏡と巨大な水鉄砲を息子が持つことはなかった。
 きっと揃いも揃って親が馬鹿だから、馬鹿騒ぎが嫌いなのだろう。そう考えて息子を荷台に乗せるのは諦めた。
【写真=ソンクラーンのために用意したウェポン。大が350バーツで小が80バーツでした】

 それから三時間。渋滞する街を私たちは巡った。どこも本当のお祭り騒ぎである。特にビアー・バーが並んでいるエリアでは、タイ人たちよりもファランが酔っ払って大騒ぎをしていた。だが、皆楽しそうだ。大人が子供の心になって、実に楽しそうに水掛け合戦をしている。

 そんな水掛け合戦の弾薬はでかいバケツに溜めた水である。私たちは荷台に二本用意したが、甥っ子達が景気よくぶっ放すものだから、一時間もしないうちに弾尽きて、すぐに路上の水売りからデカイ氷とドラム缶二本分くらいの弾を購入。これが結構高い。いつもなら2000リッターで150バーツの水が、その五分の一くらいで200バーツもした。

 午後三時、散々騒いで私たちは家に帰還。二時過ぎにはまた弾薬が尽きていたから、最後は無抵抗で攻撃に晒されるままになっていた。

 それにしても、こんな戦争なら罪はない。いくら撃ち合っても1人の負傷者も出ない。それに意外と楽しい。
 もうすぐ50歳になろうというのに、私は年甲斐もなく、来年は武器弾薬をもっと山のように用意して、今度こそ息子を荷台に乗せてやろうと考えていた。

最近あせったこと…そのU

April 20 [Mon], 2009, 6:08
 あせった話の第二弾である。これはつい最近のこと。

 親友の五平餅夫妻+Kさんが三月初旬にパタヤに遊びに来て、沖釣りに出た翌日のことである。

 いつものように私はリールをバケツに溜めた真水に漬けて、潮を落とすことにした。海釣りで道具を使った場合、これを怠るとすぐに傷んでしまう。塩の結晶が様々な部品を浸蝕してしまうからだ。
 特にリールの場合で、安物の中国製はヤバイ。ほって置くと肝心のメインシャフトを固定しているベアリング部分が錆び付いてしまい、酷い時には次回の釣行に使用できなくなる。

 だから今回もラインの塩出しも兼ねて、真水を取り替えつつ、二日ばかり漬けておくことにした。

 そして、皆が日本に帰ってから、バスルームでリールを取り出して最後の水洗いをしたのだが、その時に私はとんでもないことをしてしまったのである。

 バケツの中には大小取り混ぜて四つのスピニングリールが入っていた。どれも古いものである。一番新しいものでもすでに12年は使っている。つまり大切にしてきたわけで、リールは本来、手入れさえしっかりしてやれば、軽く20年以上は使えるものなのである。

 モノがスピニングなのでバケツの中ではドラグノブとスプールを外し、裏側に回りこんだ潮の粒まで洗えるようにしてあった。だが、その水の量が多すぎたので、私は何の気なしに大便器の中へその余分な水を捨てたのだが…なんと、スルっと一つの小型スピニングのドラグノブが、便器の中に落下してしまったのである。
 アッ…と思う間もなく、ドラグノブは便器の穴に吸い込まれていった。日本製で軽量化を目指していたリールだから、ドラグノブまで軽く出来ていたわけだ。これが鉄製なら運固のように便壺に溜まっていてくれるのだが、悲しいかな軽量の部品は、バケツから流した水流に乗って、肥溜めへと向かってしまったのである。

 私は焦った。
 すぐにどうにかしてドラグノブを救出する方法を考えた。
 一番良いのは便器を床から外さずに、吸い出すことである。幸いにしてアパート工事のときに、湧き出してくる地下水を汲み上げるために買った、強力な電動ポンプがある。直ちにそれを用意。次に便器の中にそっと水を注ぎ込んだ。普通水洗トイレの仕組みは、大量の水が一気に投下されることによって、横S字型の内部を、排泄したブツが流れていくように出来ている。だから、ゆっくり水を入れればS字管部分の喫水線までは水が溜まる。それを一気にポンプで吸い上げれば、中で逆流が起こって、もしかしたら運固まみれになろうとしているドラグノブが、無事に舞い戻ってくるかもしれない、と考えたのである。

 用意をしてから、期待を込めてポンプのスイッチを入れた。だが、結果は×。二回目もダメ。三回目で私はこの方法に見切りをつけた。

 こうなったら便器を外すしかない。そう思ってよく見たら、タイの工法に愕然とした。私のトイレの便器は、セメントや接着剤でガチガチに床に固定されていたのである。普通あるはずの大きな便器固定用ネジもない。

 それでもマイナスドライバーとハンマーで少しずつ脇を削ってみたが、こんなことだけ頑丈にしてある。ビクともしない。結局、古いリールのドラグノブ一つのために、便器を叩き壊す訳にもいかないので、泣く泣く私は諦めた。

 後日、釣具屋を三箇所回ってネジ山の合うスペアを探したが、返ってくる答えはどこも同じだった。
「中国製のリールなら、ドラグノブのスペアが沢山有るんだけどねぇ…」

 そういうわけで、私の使い慣れたリールは今こんな風になっている。
【仕方がないのでワッシャーとボルトで止めましたが、当然ドラグは使えません】

鰯の頭も信心から

October 11 [Sat], 2008, 9:52
 猿嫁がアパートから変なものを持ってきた。ビニール袋に入れて運んできたのだが、家の中へは入れずに、私の眼を避けるようにして干物造り用の網を持ち出した。

 一体何をするのだろう、と思って、見て見ぬ振りをしていたら、網を物干し場に持っていき、そのビニール袋の中に入っていた布を、その中に広げた。
 私はそれを部屋の窓から凝視していたのだが、思わず窓を開けて声を掛けてしまった。今、正に干されようとしているものが、どう見ても肉の一部のように見えたからである。
『何だそれ?』
「ミャオ」【タイ語で猫のことです】
『猫の死体か!?』

 実は当日早朝、アパートの義母から電話が掛ってきて、また猫が子供を産んだと知らされていたのである。だから、その赤い小さな肉片のようなものは、もしかしたら死産になった仔猫の死体かと思ったわけ…。しかし猿嫁の答えは違った。本当は低脳の中学生が喋るような英語でやり取りしているのだが、それでは皆様に不快な文章を読んでいただくことになるため、一応人間らしい言葉になおして書き残したい。

「これは猫のヘソの緒」と猿嫁。
『何でそんなもの干すんだ。気持ち悪いじゃないか!』
「これには運が良くなる力があって、お金が沢山入ってくるってタイでは言われているの」
『ケッ、くだらネェ』

 そういうときのタイ人には何を言っても無駄なので、私は窓を閉めた。何でも良いが、猫のヘソの緒で金が入ってくるなら、誰も苦労なんかしないはずだ。大体、本当にそんな言い伝えがあるかどうかも疑わしい。だが、きっと猿嫁は財布の中にでも入れるはずだ。

 そういえば、この日ウォール街は大混乱で、ダウが777という【大工の源さん】なら爆発連チャン確定で大当たりになり、$箱の山が通路に一杯になるような数字で、大暴落した日。

 私はそのヘソの緒をニューヨーク証券取引所にプレゼントしてやりたくなっていた。

 しかし、良く考えてみたら、先頃、ヘビの皮を見つけて財布に入れたのは私だった。そうしてみると、猫のヘソの緒も変わらない。それに気付いたら実に汚い言い方だが【目糞、鼻糞を笑う】というのは、こういうことを言うのかもしれないと思い当たってしまった。

理解不能

August 05 [Tue], 2008, 0:40
 電話線の調子が悪い。ここ最近ずっと調子がよかっただけに、これには閉口している。症状はどういうものかというと、ネット接続している最中に突然ブツッと切断されてしまうのである。それが接続後5秒くらいの時もあるし、15分もしてから、というのもある按配。

 私は二つのプリペイドプロバイダーを使い分けているが、そのどちらでも発生するため、やはり電話線が原因のように思われる。

 そして先頃、全く理解不能の事態が発生した。上手くご説明できるかどうかはわからないけれど、あまりにも不可解なので、タイではこんなこともあります、という意味で箇条書きにて経過をご紹介したい。

1 夜7時頃、我家の固定電話の呼び出し音が鳴った。

2 受話器を取ったら相手は無言で、いくら呼びかけても、何やらザワザワと街中の喧騒のようなものと、遠くの会話が聞こえてくるばかり。その状態から相手の端末は携帯電話だと思われた。

3 猿嫁からお湯が沸いたと声を掛けられる。私は調理中だったので、慌てて電話を切らずにキッチンに戻った。

4 それから30分、電話のことは忘れていた。そしてハッと思い出し、戻るとまだ電話は繋がっていた。だが、幾ら呼びかけても上記と同じ状態。これは相手が間違えて掛けたまま忘れていると推察し、受話器をちゃんと親電話の上において通話を切断した。

5 40分後、夕食を終えてから電話を掛ける用事を思い出し、受話器を取ると、なんとまだその無言通話状態が続いていた。びっくりして電話の親機の電源を落とし、再度スイッチを入れた。しかし、また受話器を取って通話しようとすると、発信音が無く、無言電話との通話状態が続いていた。

6 呆れたので電話線そのものを一度親機から抜く。これで切断できたはず、と思って繋ぐと、まだ無言通話が続いている。

7 次に電話機そのものが壊れた可能性を疑い、電話本体を電源も必要としない、さらに無線子機の付いていない、旧式のものに変えてみた。だが、なんとそれでもモジュラージャックにラインを差し込むと、その無言通話状態のザワザワという街の喧騒が聞こえてくる。要するに、電話線まで抜いているのに、その通話状態が切断できないという状態。

8 あまりのことに、私の知識では何が起こっているのか判らず、携帯電話のほうから、猿嫁にTOTという電話局に連絡して、苦情を言ってもらった。しかし、返答は明日にならないと何も出来ない、というもの。

9 その苦情から数十分後、再度電話を取ると、ツーという発信音が…。電話は何もなかったかのように、以前通り使えた。

 以上が事の顛末だけれど、こうなるともうタイ的にはピー【幽霊・精霊・妖怪】の仕業と考えるしかない。何しろ電話線をぶっこ抜いているのに、切断されない会話などというのは、私の知識では理解しようがないのである。

 ちなみに我家の固定電話は日本製のファックス機能付きNECで、無線子機が付いているが使用していない。

 その後、電話局が我家のラインを調べに来たが、猿嫁の話では何の異常もなかったとのこと。だが、つい二日ほど前、また怪談染みた不可解が発生したので、そちらのほうも後日ご紹介させて頂こうと考えている。

The 阿呆

December 13 [Thu], 2007, 4:54
 昨日、一昨日と不本意ながら更新を休んでしまった。
 この間にも数百のアクセスを頂戴していたらしく、その数を知って何やら申し訳ない気持ちになった。

 実は一昨日の明け方から、また電話線が不通になっていたのである。その前兆として異変は大分以前から始まっていた。少し前に書いたように、接続がブツブツ切断されてしまう上に、スピードも新聞などの写真の少ないページ一つを開くのに、数分かかるというくらいに落ちていたのである。

 そしておとといの早朝四時頃からは、まったくネットに接続出来なくなった。いつもの通りメールを読むついでにブログサーバーに接続してログインし、書き溜めてあるエピソードからコピーしようと、いざモデムを起動させてみると、なんと『発信音がありません』の表示が…。

 接続速度が遅いのは、タイで鍛え抜かれた忍耐で我慢できるけれど、これではどうしようもない。すぐに電話線を電話機に戻して、受話器を取ってみる。ウンもスンもツーない。先の切れた糸電話に耳をつけているようなものである。

 こういうことはこの5年近くの間に数回あって、いずれも半日までに復旧していたため、私はとりあえず一昨日早朝の更新を諦めた。そしてその日の昼過ぎに猿嫁を通じて電話局に苦情を言わせると、『当分復旧しません』との答えが返ってきた。タイではこういうときにバックアップなどないのである。

 明けて昨日の昼過ぎ、のこのこ起き出して受話器を取ってみた。相変わらず生体反応? がない。さらに夜…まだ不通。こうなるとさすがの私もイライラが募ってくる。
 だが、いくらなんでも二日間も電話線が不通というのはおかしい。もしかしたら我家の外のラインを、クレーン車か何かが引っ掛けたのか?…そう思って電信柱のごちゃごちゃになっている線から電話のため、と思しきラインを目で追って、ずっと異変がないか確かめてみた。結果、何もおかしなところはなかった。

 次に私の部屋の中を点検。すると、モジュラージャックが目に付いた。それは日本のように壁に埋め込まれた形式のものではなくて、我家に電話線を引くときに、工事係りがラインの先にぶら下げるようにして配置していったものである。
 何ともずさんな工事だが、電話からの電話線はちゃんと差し込まれている。だが、一応確認してみた。そうしたらなんと、ライン側の接続部分のプラスチックピンが掛けていて、端子がぐらぐらになっていた。慌てて差し込み直し、受話器を取ってみると『ツー…』という懐かしい発信音が…。

 考えてみれば一昨日に電話線が不通になってから行った、荒っぽい私の部屋掃除が原因だったようだ。それなのに【ここはタイだから】という根強い固定観念で、あくまでも電話局側に原因がある、と信じ込んでいた私は阿呆である。
 恐らく、電話線はいつものように6時間以下で復旧していたに違いない。そう考えると、メールの送受信も出来ず、ネットで新聞も読めず、このブログの更新も休んだ二日間が、何とも無駄なものに思えてきた。

 それにしても固定観念とは恐ろしいもの。少し前にはそれが原因で意味もなく新しい電子レンジを買って散財している。
 これからは【タイだから】という固定観念も、少しずつ捨てていく必要がありそうだ。

刃傷沙汰

September 29 [Sat], 2007, 3:14
 先週の夜中、猿嫁のケータイにEmergency callが入った。アパートの義母からのもので、二階に住む住人が夫婦喧嘩をして、なんと刃傷沙汰にまで発展したという。

 住んでいる夫婦は正式の賃貸契約者ではなくて、女房の妹が借りた部屋をそのまま間借りしていたようだ。
 慌てて猿嫁が駈けてつけてみると、部屋の中は修羅場だったらしい。夫婦喧嘩が勃発してから、旦那のほうが女房の腹に蹴りを入れ、その報復として女房が包丁を振り回したため、旦那のほうが手首や腕などを切られ、辺りには大量の血が飛び散っていたという。

 結局、荒れ狂う二人は他の住人たちで取り押さえ、殺人事件にまでは発展しなかったため、警察の介入にまでは及ばなかった。しかし、部屋を血だらけにされた猿嫁と義母はかなり憤慨していた。
 それにこれまでもその夫婦は喧嘩ばかりしていて、テナントたちから煩いと苦情を言われていたため、これを機に出て行ってもらうことにした。加えて二人をそのまま部屋に置いておいたら、いつまた殺し合いが始まるとも知れない。

 退去を通告して、ゴネたら私にも応援に来てもらうつもりだった猿嫁だが、女房のほうが亭主からの暴力に身の危険を感じていたのだろう、すぐに別々に出て行ったそうだ。
 その際にデポジットを返してくれ、と言ったそうだが、猿嫁はこんなに部屋を汚されたのだから『ふざけるな』と、怒鳴りつけたらしい。

 まったく馬鹿馬鹿しい話だが、タイの下層階級社会では、こういうことは良くある。大体にして、夫婦などと言ったって、下層階級で正式に結婚しているのは数が少ないらしい。大抵は同棲しているだけである。それがくっついたり離れたり、金のゴタゴタや痴情沙汰で逃げたり喧嘩したり、実に動物染みた世界である。

 中には人の良い人物もいるのだが、安アパートに転がり込んでくる人間の中に、それを見つけるのは難しい。
 そういう意味では猿嫁と義母は良くマネージメントしている。

 それにしても殺人事件にならなくて良かった。そんなことになったら、幽霊をやたらと怖がるタイ人テナントたちは、全員出て行くことになっていただろう。

猿嫁の先輩が来た

September 12 [Wed], 2007, 1:40
 足の痛みが取れてすぐ、我が家にお客さんがやってきた。猿嫁が姉のように慕うピサヌロークの主婦で、彼女の旦那がパタヤで行われる会合に出席するので、二泊三日の出張になったため、一緒についてきたのだった。
 
 彼女は猿嫁より8つ年上である。以前クリニックで働いていたときの同僚で、昔は随分とお世話になったらしい。なので私もそれなりに接待することにしていた。
 その先輩の旦那は私より3つ年下。ピサヌロークの役所で働いているとのこと。それがどんな会合でパタヤに来るのかは聞かなかったけれど、出張してまで出席するところをみると、そんなに低い地位ではないのだろう。

 この旦那、背は低いがなんだか女に持てそうな雰囲気がある。猿嫁いわく、それが心配で女房が付いてきたのだとか。実際のところパタヤでその気になれば、遊ぶところは幾らでもあるので、そんな気持ちも解らないではない。
 けれども、我が家族と一緒にレストランにご招待したとき、それがかなりキツイ感じで現れたので、ちょっと旦那のほうが可哀想になった。

 きっかけは酔った私が冗談で、旦那にこう言ったことだった。
『せっかくパタヤに来たのだから、これからゴーゴーバーでも行きましょうか?』
 それを聞いた旦那はニヤニヤしただけで言葉を濁したけれど、女房のほうは途端にキツイ目つきになったのである。まだ行くとも行かないとも言っていないのに、私も睨まれてしまった。一方、猿嫁は私が冗談で言っているのをわかっていたから、何も言わないし反応しない。

 だが、空気は変わった。どうも話を聞いていると、旦那はいつも相当に厳しい戒律を課せられていると見て取れた。猿嫁の先輩は異様に嫉妬深いようなのである。

 当然、その夜は息子もオフクロ様もいたし、そのまま散会になったけれど、後日猿嫁に電話がかかってきて、ピサヌロークへの帰り道で夫婦喧嘩になったとか。
 旦那のほうが、いろいろと口うるさい女房に爆発したらしい。それを聞いて、私は当然のことだと思った。男というのはあまり手かせ足かせ嵌められると、女なんて鬱陶しいだけの存在になってしまうのである。私の見る限り、猿嫁の先輩はToo Much。トイレに行ってなかなか帰ってこないだけで、どこかの女と話していたのでないかと疑われ、今夜どこかへ行くつもりだろう、と罵られ、これでは旦那も嫌になるだろう、と思えた。

 タイでは痴情のもつれからの殺人事件がやたらと多い。話がもつれるとすぐ殺す。その中には、男からの嫉妬に混じって、女からのそれも混じっている。要するにタイ人は男女とも、激情家で短絡的であるようだ。
 殺すだけではない。タイ女の側の非情な報復手段はもっと怖い。
 
先日も【タイの地元新聞を読む】という、私のようにタイ語が読めない者にとってはとても有難いサイトに、笑っていいような悪いような、痴情のもつれから犯行に及んだ女房のニュースが掲載されていた。
 浮気者の亭主を無理に酔わせたか、薬を飲ませたかして、前後不覚にしておいた妻が、男の如意棒を切り取ったというのである。この手のナニを切り取ったという話は、タイではかなりの数に上り、まさに泉下の阿部定さんもびっくりの事例が沢山ある。
 これまでで一番笑ったのは、切断したナニを女房がアヒルに食わせた、というもの。次におかしかったのは風船につけて空に飛ばした、という傑作。そういえばドブに投げ込んだ、というのもあったような気がする。
 どれも縫合手術で如意棒が復活しないように、という恐怖の怨念が込められているので凄まじい。切り取る時点でも凄いが、血まみれの一物を風船に括り付ける神経とはどんなものなのだろう。

 一度猿嫁にそんなことが出来そうか、訊いてみる必要がありそうだ。
プロフィール
  • ニックネーム:小林龍彦
  • 性別:男性
  • 誕生日:1959年
  • 血液型:AB型
  • 現住所:国外
  • 趣味:
    ・アウトドア-Fishing
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1998年度JTB旅行記賞受賞。
他にハービス旅大賞、PROMISE.ESSAY大賞・優秀賞、三省堂「私の辞書活用法」エッセイ・優秀賞、男の生き様コンテスト・優秀賞、北海道池田町百周年記念事業、ワインにまつわるエッセイ・入賞、東京都近代水道百周年記念、水のエッセイ・優秀賞、他・・01年までにエッセイ・紀行文で入賞十数回。
02年三月号から03年十月号まで月刊誌【つり人】に《世界の釣流》連載。
著書に《人生を激変させた神の魚サハール》【つり人社刊】がある。
【略歴】 1959年東京都生まれ。 81年、大学中退後、シベリア鉄道経由で渡仏。釣り竿を抱えて欧州11ヵ国を放浪の後、帰国。 83年、渡米。4年後NY州マンハッタンにて日本レストラン開業、10年間経営。 96年、事業売却、帰国。その翌年釣り竿と供に中国、ベトナム、カンボジア、タイ、インド、ネパールを半年間漂流。初めて未知の大魚サハールの存在を知り魅せられる。同年、中国茶輸入業開始。 98年、タイ経由でネパール訪国。同年ラオスを一ヶ月間放浪。 99年、大河産のサハールをターゲットに三度ネパールに飛ぶ。また、オーストラリア、ニュージーランドなどに釣行。 03年、タイ王国に移住。
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