スカイツリー 高すぎ

June 17 [Fri], 2011, 2:15
 2012年5月に東京スカイツリーが開業すると知った。
 それと同時に展望台の料金も発表された。

 来年中にはまた家族全員で東京に行き、この昨今、日本の唯一の希望のシンボルみたいに騒がれているタワーに、オフクロ様を昇らせてあげよう…と思っていただけに、その金額を聞いて驚いた。

 大人3000円!!

 これは高くないか。いや、高すぎないか? 
 私たちはタイ価格に慣れているだけに、いくら日本一の展望台でも昇るだけで一人3000円=約1000バーツというのは、とんでもないボリだと思ってしまう。

 かりに我が家みたいに大人三人と子供一人でのこのこ昇ったら、万札一枚では足りなくなる。

 毎回、日本に帰るたびに目の玉が飛び出るくらいの出費になるので、正直どうしようか考えている。だが、バカは高いところが好き。つまり私は昇ってみたいのだ。

 オフクロ様に入場料のことを話したら即座に言った。

「そんなに高いのなら、その分で美味しいものを食べたほうが良いんじゃないの」

 正論に感じた。

 それにしてもデパートが不調なだけに、東武さんもえげつない価格設定にしたものだ。建設費を早急に取り返したいのだろうか。
 いずれにしてもぜひ再考をお願いしたい。

タイの温泉

November 25 [Wed], 2009, 0:37
【この記事は前に掲載しているものからの続きです】

 サンクラブリー観光を終えて、昼過ぎに引き上げた私たちは、トンパップーンを通り越してカンチャナブリー側に走り、次の予定に入れていたヒンダート温泉に向かった。

 タイには温泉が幾つもあるが、ここも有名なものの一つ。そのせいか私たちが到着したら、ロシア人と韓国人が大型観光バスで乗り付けて入浴中であった。

 当日の天気は快晴。木漏れ日が心地よい。この温泉は雰囲気が凄く良いのである。
さらに私がとても気に入っているのは、温泉の浴槽のすぐ隣に川が流れていること。つまり湯あたりしそうなほどのぼせ上がったら、いつでもすぐ横の川で、気持ちよく体を冷やせるのが嬉しい。

 その川の流れは結構速い。息子などは抱いていないと下流に押し流されてしまいそうなほど。また、私たちが訪れたときは、まだ雨季ということで水も増水して薄茶色に濁っていたが、乾季になればもっと水色は良くなって、流れも穏やかになる。

 さて、義母と姪は温泉というものに入るのが初めてだった。最初はおっかな吃驚だったけれど、次第に慣れて湯治を楽しんでいた。そして普段は水に浸かりたがらない猿嫁までもが、シャツを着替えて入浴。どうやら日本に行ったときに、温泉には美肌効能があると知って、それを期待したらしいが、実際のところこのヒンダート温泉にどんな効能があるのかは判らない。

 湯は透明で硫黄臭くはない。さらに地下で川の水と混じっているのか、それほど熱くはない。湯温は40℃くらいではないかと思う。ボコボコと沸いてくるような感じではなくて、どこからか滲み出してくるような湯である。

 息子は暖かいプールみたいな感じで楽しんでいた。そして温まってから、火照ってピンク色に上気した体を急流の川で冷やすのが気持ち良いらしく、何度も川と浴槽の間を行き来していた。

 そのようにのんびりとして雰囲気の良い温泉だけれど、更衣室もシャワーもあるのに鍵の掛かるロッカーみたいなものは見当たらなかったので、置き引きには充分な注意が必要。そういうことは私よりも泥棒天国タイで育った猿嫁や義母が鋭いため、二人は常に交代で荷物を見張っていた。

 ところでここは入場料を取られる。ちゃんと整備してあるのでタダではない。猿嫁が助手席から支払ったので判らないが、多分タイ人と外国人では料金が違うはず。そのあたりは恐らく、あの能書きだらけで分厚くなって、持ち運びに不便な黄色いガイドブックに、行き方共々詳しく書いてあるはずなので、もしこのブログを見て興味を持った方は御自分で調べていただきたい。

 恐らく、カンチャナブリーにでも泊まれば、お手ごろなツアーが沢山あるはずである。

《写真》団体客が帰った後の温泉は、とても静かでした。浴槽は三つあって、微妙に湯温が違うように感じられます。この写真は真ん中の一番深い浴槽で、左側には天然の渓流が流れているのが判ります。

サンクラブリーという町

November 24 [Tue], 2009, 0:24
 タイとミャンマーとの国境まであと少し、というところに、サンクラブリーという小さな町がある。私たちが泊まっていたカオ・レム湖の北の端に面していて、山岳民族や少数民族がその町の周りを拠点にして生活している。

 私と猿嫁はまだ結婚する前に、バイクに二人乗りしてこの町まで来たことがあった。観光的な目玉としては、ちょっとタイっぽくない仏塔のある寺と、今から100年以上も前に初代が作られたという、モン族の木橋が有名。

 と…書いてきて思い出した。この町の最大の観光資源は、乾季になるとカオ・レム湖の底から顔を出す、水没した大寺院なのだった。これを見学するにはボートを雇うしかなくて、それが結構いい商売になっているようだ。
 ただ雨季には見られないために私も一度も訪れたことがない。

 ここまで普通の観光客が来ようと思ったら大変である。そのせいかバックパッカーは根性のある欧米人の若者をチラホラ見る程度。

ちなみにここへ来るには、バンコックからカンチャナブリーまでバスで来て、そこからトンパップーンという街でバスを乗り換えるのが普通だけれど、上手く乗り継いだとしても軽く8時間くらいは掛かるはずだ。またカンチャナブリーから直行便もあるらしいが詳細はわからない。
いずれにしてもエアコンもない、サスもガタガタのローカルバスである。長いこと乗っているだけで疲れるし、トンパップーンからサンクラブリーまではとんでもない山道で、タイでは珍しく急カーブの連続。我が家の車でもローギアでないと登れないような箇所がある。

 そんなところに私はちっとも行きたくなかったけれど、義母に見せてやりたい、と猿嫁が言うのでカオ・レムのダムを見学した後、一時間ほど山道を走って連れて行ってやった。そして寺院や土産物屋など見学して、モン族の橋を見に行ったら、地元の子供がすかさず取り巻いてきて驚いた。

 まるでネパールである。

子供たちは学校も休みなので、客引きをしていた。ボートに乗らないか? というのである。客を連れて行けば幾許かのリベートが貰えるようだ。また、ある子はボートに乗らないと見るや、橋の上をゆっくりと歩く私たちと歩調を合わせて、町の歴史やら橋が作られた年号やら、観光ガイドみたいなことをし始めた。写真を撮ろうとすると、シャッターを押してくれるという。

 みんな素朴な顔をした子供である。ただでさえこんなタイの端っこの町まで来る観光客は少ないのに、今は世界大不況で益々少なくなっている。必死の様子の子供たちを見ていたら、なんだか可哀想になってしまった。

 それは猿嫁も同じだったらしく、橋の袂に全員で並び立ち、記念写真のシャッターを押してもらったときに、最後まで付いてきた数人に20バーツ札をあげていた。

 タイ語の解説は私にはちっとも判らなかったけれど、猿嫁や義母には興味深い話だったらしい。きっと20バーツくらいの値打ちはあったことだろう。
 
 パパとママに守られて、食う苦労も稼ぐ苦労も知らない息子は、古い木の橋上で、サンクラブリーの子供たちを不思議そうな顔で見ていた。どうもその眼が、姪っ子と違うように感じたのは、気のせいだったのだろうか…と、今になって思う。

義母のラオス旅行

May 17 [Sun], 2009, 2:19
 先頃私がラオスに行った後、猿嫁が自分の母親も寝台列車に乗せて国境まで連れて行き、ラオスを見せてあげたい、と言い出した。
 
“孝行をしたい時には親はなし”
 そんな格言を思い出したので即座にOKした。大体にして猿嫁は5人兄弟なのだが、皆揃いも揃って自分達の生活に精一杯なので、小旅行にでも連れて行ってあげられそうなのはヤツしかいないのである。

 人生64年のうちに、これまで寝台車にも飛行機にも乗ったことがなく、外国にも行ったことがない義母。

ナイアガラの滝も、ピサの斜塔も、シドニーのオペラハウスも、ルーブルも観て、モンブランも眺め、ビクトリアピークやエンパイアステートビルにも登っているオフクロ様と比較したら、途端に可哀想になってしまった。しかも、汗水たらしながら必死で5人もの子供を、見事な阿呆ばっかりとはいえ、健全に育て上げたのだから、腕白息子1人で四苦八苦している私としては、尊敬するしかない。

 そんな気持ちもあって、チェンマイ旅行の列車チケットを買うときに、猿嫁と義母のノーンカイ行き一等個室寝台と、帰りのウドンターニー→バンコック便も予約しておいたのだった。

 ホテルはノーンカイには良いのがないが、友好橋近くにある、以前ホリディ・インだった一応市内では最高級のリゾートがあるので、それを電話予約した。
 また、ラオスに入ったら、私がナム・グム湖に行く時に世話になった、誠実な運転手にビエンチャン近郊の観光を頼むようにと、彼の電話番号も渡しておいた。
 
 そうして3月24日から三泊四日で、猿嫁は義母と2人でラオスへと向かった。

 ここで面白い話がある。実は義母はパスポートを持っていない。しかし、ラオスには入国できるのである。何故かと言うと、タイ⇔ラオスの文字通り友好協定で、パスポートなしでも写真を添えて短期滞在申請書を提出すれば、最大二泊三日まではラオスに居られるからだ。

私は友好橋を渡るときに、これを利用して両国民がイミグレを通過するのを数多く見かけていて、日帰りだけかと思っていたが、猿嫁がよくよく調べたら違うと判った。パスポートなしでも二泊までOKなのだそうだ。

 また、これと良く似た制度でタイ人なら、ミャンマーも陸路入国が可能。

かなり以前、結婚前に猿嫁とカオ・レム湖までライギョを釣りに行き、そのついでにミャンマーとの国境までレンタバイクでツーリングしたことがあった。その時、猿嫁は突然ミャンマーに入って見たい、と言い出し、『パスポートも用意していないのに行けるわけないだろう。このタコ』という私を国境に置き去りにして、IDカードの提示だけで何やら紙を貰い、カメラをぶら下げてスイスイとイミグレブースを通過したことがある。

 このとき私は呆然と驚いていたが、どうやらタイ人ならどの国境からでもミャンマーにIDカードの提示だけで入国できるらしい。
 ただし、何日滞在可能なのかはわからないし、果たしてラオスと同じ様に、ミャンマー人も簡単にタイに入国できるのか…という部分については不明である。

 さて、猿嫁のラオス旅行のほうは、元々ご先祖様がラオス方面から流れてきたらしいこともあり、とても義母は喜んでいたそうである。ただ、帰りのフライト時は凄く恐がったらしい。
 だが、猿嫁もささやかな親孝行が出来て嬉しかったようだ。

 一方私は猿嫁がいない間、息子とオフクロ様の世話に追われていた。特に息子は怖いママが居ないから、まるで“水を得た魚”のように遊び、夜更かしをし、連日暴れまわっていた。
 だが、ママが消えた二日目の晩になると不安そうな顔になり、しきりと何時帰ってくるのか? と尋ねるようになった。
『ママがいないほうがいいんじゃないの?』
「やっぱいたほうがいい。パパもママもオバアチャンもいたほうがいい」
 私の意地悪な質問に、息子は泣きそうな顔をしながらそう答えた。

 どんなに叱られても、煩く言われても、やっぱり母親の存在は特別なのだ。そして子供にとって、両親が揃っていることは大切なことなのだ。

 私はそうとうに『ママが居ない方が良い』のだけれど、息子のシリアスな言葉を聴いたら、ずっと離婚は出来そうにないことがわかった。

チェンマイ旅行…その5

May 13 [Wed], 2009, 6:22
 インセクト・ズーの後はいよいよ遥々パタヤから一緒に旅してきたキヂ君たちの出番になった。メーリムからチェンマイに帰る途中にある、何とか言う貯水池に寄ったのである。【名前忘れました】

 実はこの貯水池、猿嫁が17年前に義母を連れて訪れたことがあって、そのときに釣りをしていた人がかなりいたし、当時の思い出があるから行って見たい、ということで、トクトクの運転手に案内を頼んだのだった。

 で、着いてみると、なかなか雰囲気の良い場所だった。何でも泳げるビーチもあるらしく、周遊道路の向こう側からは、水音と子供達の歓声が聞こえていた。
 私たちは、トクトクの案内で池の左岸に周り、その辺りに沢山並んでいる藁葺き屋根のテラスに入った。これはバンブーハウスのように水に浮いていて、中にはテーブルがあって茣蓙が敷いてあり、食事をしながら釣りが出来るという、タイならではの施設。天井は低いが池の上を伝わる風が通って涼しい。

 座ると早速、私は仕掛けを準備した。コンパクトロッド二本には吸い込みを用意し、4・5メートルの振り出し渓流竿にはウキをつけてヤマベ釣りの仕掛けを付けた。
 そこでいよいよキヂの登場。スチロールの箱を開けてみると、長旅と高温にも関わらず、彼らはとても元気である。その中からミドルサイズのヤツを手にとって、小さな袖針6号に通し刺しにした。
 だが、針に刺してもタイのミミズからは、あのキヂ特有の臭いのある、黄色い汁が出てこない。針穴から出てくるのは黒い糞みたいなものばかり。やはりミミズの種類が違うようだ。

 それでもミミズだから何か居れば釣れると思い、横でワクワクしながら見ていた息子に、テラスの目の前に振り込んでから竿を持たせてやった。すると、ものの数分で勢い良くウキが消しこんだ。オオッ! やったと思って息子に竿を上げるように言ったが、戻ってきたのはダラリと伸びたミミズ…。合わせ損ないだと思って、今度は私が竿を持つ。しかし、次に出たアタリも見事な空振り。それから約30分。私は真剣に魚を掛けてやろうとしたが、どうしても針に乗らない。どうやら浮きテラスの周りには、タナゴ針でないとフッキングしないような、とてつもなく小さな雑魚が群れているに違いなかった。

 そのうちにあんまり釣れないので息子が飽きてしまい、結局ボウズ。投げ込んで置いた吸い込みのほうにも反応ナシ。どうもラオス以来、私はかなり重症な淡水魚釣りスランプのようである。
 結局、遅めの昼ごはんを食べて、私たちは午後四時過ぎに貯水池を後にした。やはり、アジアの淡水釣りはいつもそうだが、数回通ってからでないと釣果はみこめないようだ。

 そんな20日の夜はホテル近くのジャパニーズレストランへ。何となく居酒屋風の雰囲気があったし、またしても天麩羅やオデンが食べたいという息子のリクエストを尊重したのだった。
 確か店名は【一休】だったはず。地元の人に人気があるのか、私達が入った午後七時近くには、かなりの席が埋まっていた。ここで久しぶりに掘り炬燵式の座敷に座り、思いつくまま適当にオーダー。およそ10品も頼んだろうか…そして運ばれてきてみると、どれもかなりのボリューム。これは食べきれない、と思ったが、日本食を見るとダイエットを忘れる猿嫁が、かなり平らげたので持ち帰りはナシになった。

 この店で驚いたことは、店員さんが皆かなり日本語上手なこと。きっとお客さんとの会話で少しずつ覚えていったのだろうが、純粋日本人と暮らして六年、もう日本語ペラペラの息子が生まれて四年もたつというのに、未だに屁ほどの会話しかできない猿嫁に、私は爪の垢を煎じて飲ませてやりたくなった。

 だが、それを鋭く指摘すると、「パパも六年もタイに居て、ちっともタイ語がダメじゃない」と反撃されるので、猿嫁が何か後ろめたいことをしでかした時にしか言えない。

 一方、息子は日本語が通じるので不思議な顔をしている。また、料理の味も良かった。特にギョーザは、パタヤの「粽」さん以来、実に久しぶりに美味しい! と唸るものに出会えた。手作りなのはすぐに判る。しかも確か80バーツくらいだったはず。あんまり美味しいので、ギョーザだけはお代わりを頼んだ。

 それにしてもチェンマイ…私は好きだ。何よりパタヤよりずっとタイ人たちの質が良い。穏やかで、落ち着いているし、【微笑みの国】などという在住者にとっては嘘としか思えないキャッチフレーズも、ここでは真実味を感じることが出来る。街も綺麗だし日本人のロングスティヤーに人気があるというのも頷ける。
 加えて感じたことは、ドライバーの交通マナーが良いこと。パタヤのように脳味噌という器官を持たない連中が、ルール無視の無謀運転をするところを見かけなかった。
はっきりいって、海があって新鮮な魚さえ手に入るなら住みたいくらいだ。パタヤより涼しいし、オフクロ様にとってはこちらのほうが向いているような気がする。

 話がまた逸れたけれど、結局この日本料理店では、肴が美味しかったのでビールの大瓶3本に冷酒二本など飲んで、私はちょっとほろ酔い気分にしてもらえた。その勢いで猿嫁と息子を先に帰し、ホテルの帰り道にあるビアー・バーの並んだソイに行こうとしたら、猿嫁が突然得意の醜い仏頂面に。私としてはホテルにいると毎夜聞こえてくるムエ・タイの歓声に惹かれて、ちょっと試合を見てみたかっただけなのに、若いお姉ちゃんにも声を掛ける、と勘ぐられたようだ。

 いずれにしても酒を飲むのなら、猿嫁よりも若いお姉ちゃんの顔を見ながら飲むほうが、絶対に、確実に、美味しくなる。それは仕方のないことなのだ。新婚でも無い限り、世の亭主族は皆そうであるはずだ。で、なければ男としてどこかに機能障害があることだろう。

 だが、私は諦めた。お姉ちゃんは一瞬だが猿嫁はこれからもずっと、というより少なくともすぐ後にはホテルの部屋で仏頂面をすることだろう。それは実に鬱陶しい。それで与えられるストレスと不愉快と怒りを天秤に掛けたら、馬鹿馬鹿しくなって息子の手をとった。

 そうしてチェンマイ最後の夜は健全に、そして詰まらなく更けていった。けれど、息子にとっては忘れられない旅になったはず。今度は秋の休みに、何処に行こうかと、私は今から考えている。

【今回で長々と続けたチェンマイ旅行記は終しまいです】

チェンマイ旅行…その4

May 12 [Tue], 2009, 3:37
 次の日、三月20日が息子にとってはチェンマイ旅行のハイライトとなった。
 実は到着日に駅から乗ったトクトクの中で、息子はある魅力的な観光施設のパンフレットを見ていたのである。それは強烈な磁力で彼の興味をひきつけた。
 その名もサイアム・インセクト・ズー。パンフの中には世界中の昆虫がちりばめられていた。

 それを見てからずっと、どうしてもソコに行きたいというので、当日は朝からトクトクを一台500バーツ【約1500円】でチャーター。何しろその昆虫ズーは、メーリムという隣町にあるのでかなり遠いため、行き帰りの足を確保しておいたのだった。

 余談だけれど、私たちはこの施設のパンフレットを最初に乗ったトクトクから貰っていなかったので【一枚しかなかったので遠慮しました】、施設の名前がうろ覚えでわからず、ホテルのフロントで位置を確かめるのに間違えて『インセクト・ミュージアムはどこですか?』と尋ねてしまった。すると、市内にあるという答えが、怪訝な顔と供に返ってきた。まるで、“そんな所に行きたいのですか?”という顔だった。
 そして行って見ると確かに市内に存在していたが、何だかとても妖しげだった。その外見は普通の一軒家。一部の壁を取り払って中が少し覗けるようにしてあるが、展示物が私達の見たパンフと全く違っていた。
 私達が覗いているのに誰も出てこない。石や作り物のデカイ蝿や蚊みたいものが、入り口らしい部分のショーケースの中に並んでいる。しかも入場料が大人500バーツ【約1500円】!?。“マジかよ? 高すぎる。 止めよう”すぐに結論が出た。
 これではホテルのコンシェルジェが怪訝な顔をするわけだ。

 で、本物のほうのインセクト・ズーは、チェンマイ市内から北に立派な道路を走って40分くらいかかる場所にあった。街の名はメーリム。たどり着く前にスネークショーやお猿の学校の看板など見かけたので、結構チェンマイから観光に訪れる人が多いようだ。そして肝心のインセクト・ズーは街のメインロードから小さなソイに分け入ったところに存在していた。

 民家の土地を改造して造られたような感じだが、入り口の部分ですでに妖しいインセクト・ミュージアムとは明らかに違う雰囲気を醸し出していた。そこには大きな標本箱に入った、沢山の虫の標本が展示されていたからだ。さらに入場料も良心的。大人が100バーツ【約300円】で息子はわずか50バーツ。

 恐らくその家の主婦であろうオバサンにそれだけ払って中に入ると、途端に息子のテンションが爆発した。もう一面珍しい昆虫の標本で一杯だったからである。
 以前書いたけれど、私は小学校の二年生くらいまで熱心に昆虫少年をやっていたから、その価値が痛いほどよく判る。
 今から四十年くらい前の東京渋谷には、確か児童科学館【もしかしたら違う名前かもしれません】という名の施設があって、私は日曜など一人でよく訪れていた。そのビルの二階だか三階だかに、世界の昆虫標本を集めた展示エリアあったからだ。そこで見たモルフォ蝶の美しさは目に焼きついているのだが、並んでいた標本の種類や数から言うと、このタイの片田舎の街にあるインセクト・ズーには遠く及ばない。もっとも現代の日本にはもっと凄い昆虫博物館があるのだろうけれど…。

 マダガスカルのニシキツバメガ、宝石のようなモルフォ蝶たち、メガネアゲハは様々な色の種類が展示されているし、パプアニューギニアの珍しいクワガタや、かつて私が生きているのを一度見たくて仕方がなかった、ゴライアス・オオツノハナムグリまで展示されていた。しかも何匹も。
世界最大のバッタや帝王ゼミ、ナナフシなども並んでいる。私の生涯の敵である蛾も、気味悪くなるくらい物凄い数が標本になっている。

 さらにカブト・クワガタ類は、およそ世界の全種を網羅していた。失礼だがこんなところに、よくこんなに集めたものだ。それだけでも驚きなのに、なんとこのインセクト・ズーでは、カブト・クワガタ類をブリーディングしていた。つまり生きたネプチューンカブトや、アカアシクワガタや日本でいうオオクワガタの仲間も見られたのである。もう息子は興奮して飼育箱から離れようとしない。どうやら1匹でもいいから欲しくて仕方がないらしい。だが、私は昔からカブトやクワガタは森で捕まえてこそ価値があると思っている。だからあえて聞かなかったが、もし売っているのなら、その旨必ず飼育箱に書いてあるはず。
 
 この最初の建物の中では、息子が異様に熱心に展示物を見ていたので、かなり時間を食った。それから進路に向かって進むと、今度は生きたナナフシや擬態をする虫のコーナーがあって、その先では生きた大ムカデやサソリが展示されていた。なんとそのサソリもブリーディングしているという。

 息子があんまり真剣な顔でサソリを見つめているので、近くで作業をしていた若いオーナーが、子育て中のサソリを動かして、白い小さな幼生を見せながら話しかけてくれた。彼は英語が堪能だったため、色々なことが判った。

 真っ先に私が聞いたのは、どうやってこれだけの世界中の昆虫を集めたのか? ということ。そして答えは彼も父親も、大学で昆虫の研究をしている博士なので、親子二代に渡って収集していたら、こんな数と種類になったという。そして珍しい昆虫は数が減っていく一方なので、ここでブリーディングして数を増やしたいと考えている、と教えてくれた。そのための費用を稼ぐ手段として、このインセクト・ズーをオープンしたのだとか…タイでは時折吃驚するくらいの清廉な賢人・君子・英雄に出会うことがあるが、この人物も然り。そして大学教授なら納得である。

 結局、インセクト・ズーでは大学教授のオーナーに解説してもらいながら、トンボだけを飼育しているハウスや、生きた蝶を沢山放してあるハウスなども見学させてもらい、とても楽しい時を過ごせた。息子は大満足で、もうこれだけでチェンマイに来た価値があったと考えてもよさそうだった。

付記=ちなみにサソリやタランチュラの餌はコオロギだそうです。そのためにここではコオロギも養殖していました。
《写真》インセク・ズーにて。ここで見られるコレクションのごくごく一部です。
【続きはまた明日掲載させて頂きます】

チェンマイ旅行…その3

May 11 [Mon], 2009, 7:37
 パンダを観た後はプラプラと園内を回った。しかし、息子を肩車で乗せて歩く私よりも、完全崩壊状態のダイエットで、とうとう人生最高体重記録55・7キロをマークしてしまった猿嫁のほうが、すぐに弱音を吐き出した。喘ぎながらモノレールに乗ろうという。
 私のほうも異存はないので、結局周遊券みたいなチケットを購入。これは園内を一周するうちに、7つくらいある駅で四回乗り降りできるというルールのようだった。大人が確か1人70バーツ【約210円】くらいだったと思うけれど、猿嫁が払ったので確かではない。モノレールに乗って吃驚したことは、各車両に一台エアコンが搭載されていたこと。しかもそれが私の部屋にあるのと同じ家庭用だったから驚いたのだが、お陰で涼しい思いをしながら園内を上から眺めることが出来た。

そして乗って正解。思った通りチェンマイ動物園はかなり広い上に、山の斜面に作られているので、急な坂が多かったからだ。

 結局私たちはルールを利用して三回下車し、それぞれのエリアで色々な動物を観た。ペンギン舎の脇では、かつて私が見学した淡水魚の展示エリアが、廃墟のようになっているのを発見して感慨を味わった。

 最後に正門近くの駅で下車して、ゆっくりと出口に向かって歩いていると、猿嫁がお土産を発見。パタヤで待つ姪や義母に何かを買っていこう、という話になった。そこで見つけたのが下の写真にあるオモチャ。実にシンプルな民芸品なのだが、これがなかなかの優れ物だったので、息子より私が気に入って購入した。



 これはどう遊ぶのかというと、ただ竹の棒の部分を持ってグルグルと回すだけなのだが、遠心力で紐に繋がっているオモリが回転すると、正にセミの鳴き声がするのである。それが実に本物そっくりの音なので、私はその素朴さといい、一個たったの10バーツ【約30円】という安さといい、感動してしまったのである。
 ちなみにセミといっても、日本のミンミンゼミやヒグラシのような鳴き声ではなくて、ギーギーと、やたらと煩いタイのセミの鳴き声である。
【タイでは蝉のことをヂャンカチャンと言います。言葉の発音が自体面白いのですが、煩い虫という意味だそうで、そういえばネパール語で蝉もヂャンキリといい、やはり意味は煩い虫。この二つの言語が似ているのは、恐らくタイ・ネパールとも、多分語源になっているサンスクリット語から来ているからかもしれません。】

 これをお土産に三本購入。他に吹きながら下から出ている棒を押したり、引いたりすると、鳥の鳴き声になる笛も、やはり10バーツで同数買った。二つともこれまでパタヤでは見かけなかったので、子供たちには珍しいものになるかもしれない。

 そんなお土産をぶら下げて、私たちは次にドイ・ステープに向かった。これもソンテウと交渉したのだが、私が日本人だと見破られてしまい、最初に交渉した貸し切りはなんと500バーツ【約1500円】だと言う。しかも片道だというから舐めていると思い、乗り合いを待つことに…それだとわずか1人40バーツ【約120円】らしい。
 待つこと15分。乗り合いが来てドイ・ステープの寺院入り口まで連れて行ってくれた。そこからは私にも猿嫁にも、とても階段を昇る根性が無いので、ケーブルカーを利用。エレベーターみたいな代物で、景色が眺められないのが残念だが、あの急な階段を、息子を連れて昇ることを想像したら、とても文句は言えない。
【これは外国人の私が50バーツでした。タイ人の猿嫁は30バーツだったような気がしますが確かではありません。息子はタダでした。】

 頂上付近の寺院に着いてみると、やっぱりかつて眺めた素晴らしい展望は見られなかった。せいぜい数十メートル下の木々が見えるだけ。まだ雲空だったせいもあるし、先頃のチェンマイ近郊の山火事で、空気が煙っているせいもあるようだった。だから景色の見えない息子は詰まらない。パパとしてはタイでは高いうちに入る山の上から、眼下に広がるチェンマイ市内を見せてあげようと思ったのだが、この計画は失敗。一応、猿嫁と息子がお参りして、私たちは早々に市内に戻った。

 ホテルに戻るとすでに夕刻。
皆歩きつかれて、もうホテル外に出る気がしなかったので、この日の夜はメーピンホテル内の中華料理で済ませることにした。
 このレストラン、雰囲気もサービスも良い。だが、飲茶のあるラインチタイムはともかく、ディナータイムは物凄くヒマである。観光客が一連の騒動で減っていたせいもあるけれど、私はメニューに並んだ価格がちょっと高すぎるのではないかと思った。

 ここで息子はまたしても天麩羅が食べたいと言い出した。前夜揚げたてのカリカリを食べられなかったからで、そんなメニューはないはずなのに、横でやり取りを聞いていたウェイトレスがシェフに聞いてくる、と言ってキッチンまで行ってくれた。私はタイのこういう融通性が好きだ。悪くすると“銭で白を黒にして何でも出来てしまう”、というルール無視になるけれど、レストランレベルでは有難いことである。

 そういえば、経営していた日本レストランで、物凄く困ったリクエストがあったのを思い出す。一つは一貫のマグロの握り寿司を八つに切ってくれ、というもので、もう一つは手巻きの裏巻きを作ってくれ、というものだった。どちらも技術的には可能だが、二つ目は断った。客の手にシャリがくっ付いて、とても食べられないに決まっていたからだ。考えてもみて頂きたい。手巻きを裏巻きにしたら、海苔の外側についたシャリを直接掴むわけだから、スシバー越しに手渡した時点でもうベタベタになっているはず。

 その他に頭に来たのは、店で高い空輸の生ハマチを使っていたのに、アメリカ人の客に“これはハマチじゃない。嘘をつくな”と言われたとき。理由は判っていた。この客は寿司屋にはよく通っていたが、脂の回ったギトギトの冷凍ハマチしか食べたことがなかったのである。
 私は説明したが、客が理解しなかったので『御代は要らないからお帰りください』と言って追い出した。こういう客は始末に悪いが、いずれ自分の愚かさに気が付くことだろう。

 話を元に戻すと、結局、このホテルの中華料理屋さんでは、小皿料理を八品に、ワインをカラフェで頼んで息子のフレッシュオレンジジュースなども加え、〆て4800バーツ【約14,400円】。お椀のフカヒレスープと、干しアワビの創作料理が価格的に重かった。

 【続きはまた明日掲載させて頂きます】

チェンマイ旅行…その2

May 10 [Sun], 2009, 0:47
 チェンマイ駅からはトクトクでホテルに向かった。こういうときにタイ人がいると楽である。私が目立たないように後ろで控えて、猿嫁が交渉するのだが、まずボラれるという心配がない。
 駅からナイトバザールの外れ近くにあるホテルまで、50バーツで行ってくれた。

 チェックインしたインペリアル・メーピンは値段の割には高級だった。部屋も広くて清潔感があるし、親子三人で一泊朝食つき2400バーツなら決して高くない。もっとも今タイは昨年の空港閉鎖から続く一連の政治的騒乱で、観光客が文字通り激減し、かなりの数に上る有名観光地のホテルが、こぞって値引きしているというからそんな価格なのだろう。要するに今タイに来るとお得なのである。ちゃんと予定通り無事日本に帰れるかは別として…。

 そのようにホテルは良かったけれど、天気は最悪だった。薄ら寒いくらいの曇り空が続いていた。天気が雨を予感させたので、予定していた貯水池での釣りは中止。はるばるパタヤから持参したキヂは、さらにチェンマイでお休みになってもらうことになった。

 釣りが中止になっても息子は元気だった。このホテルの庭は広いので、そこで遊んだり、プールを見学したり、どんどん時間は過ぎていく。そして午後五時過ぎにプラプラとチェンマイ市内を散歩。まだ多くの店が準備中のナイトバザールを見学し、そのままビン川のほとりにあるレストランまで歩いた。

 メ・ナム・ビン沿いには雰囲気の良いレストランが並んでいる。その中で私たちはグッドビューを選択。ここで川沿いの涼しい席に案内してもらい、適当に料理を注文。その時点まで息子は元気で、最近お気に入りの天麩羅をリクエスト。だが、それが運ばれてくる前に、気持ち良い川風に吹かれてベンチシートで爆睡を始めてしまった。

 仕方なく、私と猿嫁で運ばれてきた料理に箸を伸ばす。席の横に生えていた大木では、物凄い数のセミが鳴いていた。黄昏時が終焉に近づくと、テーブルのローソクや、川岸に飾り付けてある行灯に火が灯って、ちょっと心が豊かになる。また、料理もこのクラスのレストランとしては安くて美味しかったし、サービスも良かった。

 けれども結局、息子はずっと寝たまま。まるで明日の動物園と水族館のためのエネルギーを充填するように、とうとう支払いを済ませても目覚めなかった。

 翌日、夜半に降り始めた雨はずっと朝まで続いていた。それが小降りなったのは10時頃。空も明るくなってきたので、11時前にはホテルからソンテウを拾って動物園に向かった。
 今から12年前に、私はこの動物園を訪れたことがある。印象では広大で、とにかく坂が多くて、汗だくになって園内を回った記憶が残っている。その当時はまだ体重も90キロに届かなくて、週に四回はジムに通っていたから、そんな坂の多い園内をかなり歩けたのだが、現在は言葉を話すミナミゾウアザラシという悲しさ。しかも息子がいる。疲れて「抱っこ」や「高い・高い」攻撃をされたら、ひとたまりもないような気がしていた。

 そんな不安を猿嫁は熟知している。チケット売り場で色々と尋ねてから、バスの乗車もセットになった入場券を買ってきた。ちなみにこれは親子三人分でわずか240バーツという安さ。しかも水族館の入場券も付いている。確か、Aオジチャンの見せてくれた、北部で名の通った情報誌【チャオ】によると、水族館の入場料だけで1人300バーツ以上だった気もするが、なぜこんなに安いのか…その辺りはナゾである。
 
 そんな訳で、私たちは動物園の入り口から連絡バスに乗った。これなら楽チンで、ものの10分もしないうちに、立派な水族館の前に到着。新築だけあって中も綺麗で、私たちはゆっくりと売り物の水中トンネルなど見学。けれども、私的には期待していたプラー・カーホー【サイアム・ジャイアント・カープ】の大物が観られなかったのでガッカリ。居ることは居たのだが、みんな50センチ程度の、この魚にしては小物だった。

 かつて、この動物園にまだ水族館が無くて、申し訳程度の淡水魚の展示をしていた時には、ドでかいこの魚が居たのである。どう控えめに見ても、推定体重60キロ以上はありそうな、1mオーバーのプラー・カーホーが居て、私は生まれて初めてそのヘラブナの化け物みたいな姿を見たとき、本当に驚愕を覚えてのけぞったのだった。しかも頼りない記憶に依れば二匹は飼育されていた。さらにこれまた絶滅寸前のチャオプラヤー・キャットフィッシュの大物や、ライギョの王様=ジャイアント・スネークヘッドも別の水槽で展示されていて、はっきり言って今の水族館よりも多大なインパクトを与えられたのであった。
 それも今は昔。懐かしい思い出である。

 次に水族館から少し坂を下って、お目当てのパンダを観る事に…。こちらは中に入るのに大人50バーツ、子供20バーツを徴収される。それはこの獣舎だけ独立して特別製だし、中に入ると館内冷房が良く効いていたので理解できた。
 初めて上野に来た時もそうだったが、やっぱりパンダ様には特別待遇が必要なのらしい。

 息子はいよいよ本物のパンダを観られる、というのでかなり興奮していた。で…中に入ってみると、確かに居た。しかし、メスの方は昼寝中らしく、どう眺めてみても姿が拝めない。オスのほうは寝床の手前にある台の上に居たが、こっちもゴロリと横になって眠っていた。その怠惰ぶりはまるで私である。太り方も似ている。違うのはパンダ様が皆に可愛がられて、愛嬌もあるが、私には全くない…ということ。それでも息子は肩車してやると、かなり熱心に、パパそっくりに動かないパンダを観ていた。


【続きはまた明日掲載させて頂きます】

チェンマイ旅行…その1

May 09 [Sat], 2009, 4:04
 私は子供の頃の夏休みに、父親にどこかに連れて行ってもらった、という記憶がない。せいぜいのところ映画くらいで、それも何度も約束を破られた上でのことだった。
 そんなことがずっと続いていたので、小学校の低学年から1人でどこかに出かける癖が付いて、私はずるい大人をアテにしない、つまり実に可愛気のない子供に出来上がっていた。だから人に合わせて行動することも苦手だし、そもそも孤独が大好きな人間になってしまった。

 だが、息子にはそんな欠陥人間にならないためにも、楽しい思い出を残してやりたい。そして長い夏休みにどこかに連れて行ってやろうと思い、色々な条件を考えた結果、タイ北部のチェンマイにした。日程は3月16日から四日間。21日の午後には家に付く予定にした。
 ただ、普通に行っても面白くないので、行きはバンコックから個室の一等寝台列車、帰りは航空機でドンムアン空港帰着とした。

 チェンマイへは過去に三回行ったことがある。だから街の様子はだいたい判っていた。今回はさんざん説得したけれどオフクロ様は“絶対に行かない”の一点張りで、とうとう私のほうが折れたので、お留守番をしてもらうことに…。

 目的は動物園で本物のパンダを見ることである。加えて最近完成した水族館も面白そう。さらに山らしい山のないパタヤに住んでいるから、ドイ・ステープに登ってみる計画も組んだ。

 ホテルは親子三人で一泊2400バーツ【約6700円】のインペリアル・メーピンを三泊予約。本当はネット予約ならもっと安かったのだが、すこし前に掲載したような理由で利用不可。仕方なくこれもHISのパタヤ支店のお世話になった。

 さて、当日は早目にパタヤを出発。何しろバンコックの地獄渋滞にはまって、午後7時25分発の列車に乗り遅れたら大変なので、午後4時には玄関前からプライベートタクシーに乗り込んだ。
 しかし、予想に反してスムースに到着してしまい、私たちは結局長いことファランボーンの駅を見学することに。それでも幸いにして息子は列車も旅も好きなので、グズることもなく時間を消化。7時少し前にホームに入ってきた列車に乗り込んで、個室の中で楽しそうにはしゃいでいた。

 実は息子がこの一等寝台に乗るのは二回目。二年前の夏にバンコックのSさん主催の温泉旅行で、やはりこのファランボーンからトランまで揺られて行ったことがある。その時も快適だったし、何よりも個室で他の乗客に迷惑を掛けないから、息子にとっても自由に出来て良いのである。
 やがて定刻通りディーゼル機関車が動き出して、私達の乗る最後尾の一等寝台車両も動き出した。すでに日は暮れているが、アユタヤを過ぎるあたりまではちらほらと商店街などあり、外のネオンや街灯りを眺めるのも楽しい。さらにオバアチャンが息子のために作ってくれた、愛情のたっぷり詰め込まれたお弁当がある。
 中にはお稲荷さんやカラアゲ、大好きなソーセージ、そして焼きソバなどが入っていて、息子はまだドンムアンを過ぎる前からそれを開け、長い時間を掛けてすべて平らげてしまった。

 午後十時前に、猿嫁が車掌をコールして二段ベッドを作ってもらった。今度はそれを昇ったり降りたり、そんなことが楽しくて仕方がないらしい。
 一方私は、出発前に買ったウィスキーを調子に乗ってボトル半分ほど開けてしまったら、もう10時頃には列車の揺れに誘われてウトウト。上段に昇って横になったが、興奮気味の息子が寝かしてくれない。『パパうるさいよ!!』とかなんとか言って、寝ている私の腹にニードロップを落としてくる。
 私のイビキより、列車の騒音のほうがよっぽど煩いはずなのに、パパが寝てしまっては面白くないらしい。

 そんな調子でずっと騒ぎ通してから、時計の針が12時を回るころに息子は下段で猿嫁と一緒に眠りに付いた。今度は逆に私が眠れない。目の上30センチにある天井を見つめながら回想に次ぐ回想。いわゆる思い出巡りである。

 それでも午前三時には眠りついて、翌朝目を覚ましてみると、ランパーンの辺りを通過するところだった。すでに起きていた猿嫁によると、予定より三時間遅れで到着するようだ。まぁ、タイの列車が遅れるのはお約束みたいなものなので、ちっとも驚かないし、これで早すぎるチェックインが昼頃の丁度良い時間になると思えた。

 息子はすでに午前10時を回っているというのに、まだ目を覚まさない。体力の限界まで遊ぶといつもこうだ。翌朝は羨ましいくらい長く寝ている。

 午前11時半。列車はゆっくりとチェンマイのプラットホームに滑り込んだ。私達も他の乗客とともに下車。ホームに降り立ってしばらく歩くと、すぐに目に飛び込んできたのは赤い色。先頃タイ国内を騒乱に陥れた赤服軍団ではない。売店に並んでいた綺麗なイチゴの赤である。それを見たらチェンマイに来たんだな、という気分になった。猿嫁もそのイチゴに刺激されて、早速二袋を購入。ホテルに入ったらすぐ食べるつもりのようだ。

 そうして、私たちは北の都チェンマイに着いた。列車の旅は、のんびりしていて実に良いものである。

付記=バンコックからチェンマイまでの一等寝台車料金は、おとな1人約1300バーツです。身長110センチ以上の子供は車内で車掌に470バーツ徴収される、ということでしたが、息子の場合はなぜか無料でした。

【続きはいつものように明日掲載させて頂きます】

ラオスの写真

April 11 [Sat], 2009, 1:16
 せっかくTカメラマンが良い写真を何枚も撮ってくれたので、そのごく一部を掲載させていただきます。なお、このブログには一度に四枚しか掲載できません。御了承ください。

【高台から見たナム・グム湖の一景】
 島の向こうには、また数え切れないほどの島が連なっている。向こう岸は遠く霞んで見えない。全体を写すにはビデオカメラでなければ不可能。

【ナム・グム湖のダムサイト】
 日本の援助で1975年に完成した。ラオスでは唯一の水力発電ダムだが、人口が少ないため、消費電力を賄って余りあるとか…電化製品がまだ国内に普及していないのも一因だと思うが、余剰電力はタイに売却していると聞いた。
付記=ナム・グムにはあと二つダムがあると車の運転手に教えられましたが、真偽のほどは定かではありません。

【嵐の憂鬱を慰めてくれたラオスのウィスキーとビアー・ラオ】
 ローカルウィスキーはなんと2本で14000キップ〔日本円で一本70円くらい〕という破格。これを市場で買ったとき、言い値があまりにも安かったので、からかわれているのかと思ってしまった。値段の割りに決してまずくない。

【島の間を進むボートから】
 とにかくナム・グムは島だらけ。仮に自分でボートを運転していたら、湖上で迷子になるのは必至。ほとんどの島に人影はない。
プロフィール
  • ニックネーム:小林龍彦
  • 性別:男性
  • 誕生日:1959年
  • 血液型:AB型
  • 現住所:国外
  • 趣味:
    ・アウトドア-Fishing
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1998年度JTB旅行記賞受賞。
他にハービス旅大賞、PROMISE.ESSAY大賞・優秀賞、三省堂「私の辞書活用法」エッセイ・優秀賞、男の生き様コンテスト・優秀賞、北海道池田町百周年記念事業、ワインにまつわるエッセイ・入賞、東京都近代水道百周年記念、水のエッセイ・優秀賞、他・・01年までにエッセイ・紀行文で入賞十数回。
02年三月号から03年十月号まで月刊誌【つり人】に《世界の釣流》連載。
著書に《人生を激変させた神の魚サハール》【つり人社刊】がある。
【略歴】 1959年東京都生まれ。 81年、大学中退後、シベリア鉄道経由で渡仏。釣り竿を抱えて欧州11ヵ国を放浪の後、帰国。 83年、渡米。4年後NY州マンハッタンにて日本レストラン開業、10年間経営。 96年、事業売却、帰国。その翌年釣り竿と供に中国、ベトナム、カンボジア、タイ、インド、ネパールを半年間漂流。初めて未知の大魚サハールの存在を知り魅せられる。同年、中国茶輸入業開始。 98年、タイ経由でネパール訪国。同年ラオスを一ヶ月間放浪。 99年、大河産のサハールをターゲットに三度ネパールに飛ぶ。また、オーストラリア、ニュージーランドなどに釣行。 03年、タイ王国に移住。
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