映画

January 30 [Fri], 2009, 9:31
昨日、一昨日と映画観ました。
映画観たのってひさしぶりだ。
私は影響を受けすぎる人間なので、映画で狂った殺人鬼が惨殺を楽しんでいるシーンなんかを観ると
本当に気が狂うんじゃないかと、血に快感を覚えるようになるのではないか恐くて、少しでも恐そうな映画だと敬遠しちゃうんです。
その敬遠が重なって畏怖となって、dvdのパッケージだけでは判断出来なくなってしまい、映画を観ることが出来なかったのですが(本当極端な人間;)、アッシュのモデルのフェニックスをどうしても観たくなり、思い切って観てみることにしました。
まず最初は、スタンドバイミー。
今まで生きて来たなか(といってもかなり少ない)で断トツ一番の映画。
映画ってこんなに面白いんだ、泣けるんだと思わせてくれた作品。
線路を上手く使って感情が表現されてるなあ。この表現はすごい!!
線路のように、皆がそれぞれの道を進んで行かなければならないことを感づいていたけれど
認めたくなかった。経済事情等、小さい頃は気にしなかった友情以外の事が、彼らの友情を脅かそうとしている。だけど、まだ知りたくない。友に無垢の愛を注ぎたい。子供から大人へとなっていく過程での葛藤。最後、主人公のもとから離れ消えるクリス。このシーンの線路は見事に、クリスが人生という線路から離れたことを隠喩しています。
主人公が、何故死体を運んで英雄になる道を放棄したのか。
それも、私的には、また線路と繋がっているのですが、こいつら(青年のギャングみたいな奴ら)と同じ路線は選びたくない、仲間にも選ばせたくないということだと思います。
線路は、さまざまな道と繋がっている。
ギャングの登場は2つの意味があると思う。
一つはカインコンプレックスを友情によって乗り越えた証明をさせるため。
二つは少年達の将来像の象徴であるギャングを登場させ、自分の道を切り開くきっかけをつくるため。
まっちゃんのエッセイを読んでからマッチ棒(平均)を探すくせがあるんですが、不思議とこの映画にはマッチ棒が無い気がします。みんなどっかしら現実味が無い。
でも、なんだか、映画なんだけど、においがリアルに感じられる。
一番ぐっときたのが、最後らへんの主人公が小説を書いているシーンで、もうあのときのような友達はできない。もう二度と?とあるんですけど、その?に物凄くぐっときました。
もう2度とと言い切ってしまうと、この映画の印象が大分違っていたと思うんです。
?が、まだ希望を持っているってあたりが、なんだ、大人になっても変わらないじゃん。と思わせてくれる。大人になっても子供の感情を持っておくことが出来るっていうことを教えてくれました。
20世紀少年で、悪ガキが集まってラジオを聴いているシーンがあるのですが、それはこの作品のオマージュらしいですね。

次に観たのが時計仕掛けのオレンジとエデンの東。
時計仕掛けのオレンジはスタンドバイミーに比べて、説明的でした。
エデンは聖書ってましたねぇー。もろ。
キャルがわけわからん内にモテモテ設定になっていって、異端児設定だと思っていた私はそこで混乱。しかし、不思議だ。相乗効果って凄いね。どんどんキャルが格好良く見えてくるもの。
モテる男女がとことんモテんのはそれだね。
時計仕掛けはビジュアルが凄い。入りから主人公のドアップて。
それで例の雨に唄えばを唄いながら輪姦するシーン。
卒業式まで死にませんで文化祭かなんかで雨に唄えばを唄わなきゃならなくて
この映画のことを挙げて嫌だと書いていたことを思い出した。

今から化粧します。。。。
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