朗読 

June 04 [Tue], 2013, 9:36
N氏の「S」という詩集を読み終え、彼の詩の朗読を動画で見ていて思ったが、詩は朗読すると散文に解けてしまう。なので詩は根本的に朗読に向いていないのではないか。少なくとも、読んでいる人だけに意味があるのでは。なぜなら、読んでいる人は大抵字面を見ているから。

SNS 

May 28 [Tue], 2013, 10:25
SNSに何も投稿できないなと言う結論に達して、またここに。暫くは脳内一人SNSだった。

 

March 10 [Wed], 2010, 21:13
身近な、運のいい女性が良い事を言った。
「出来事は取り様だ。自分は運が悪い、と言っている人間は、出来事の取りようをネガティブにばかり取っているからだ」
なるほど。ポジに取り続ければ陽転する可能性が生まれるということだ。
とても腑に落ちる話だった。

アニメOP 

November 22 [Sun], 2009, 20:29
某アニメのOPが、TVメディアのコンテンツ戦略に占拠されたところ、ファンたちが質的によくないと猛然と抗議しているという。

産業として生き残ろうとするTVがどんどん策略的、暴力的になっていく。
たとえばアニメのてこ入れ策。声優に有名人起用など。
ほかにも、24時間文脈なしに誰かが走るなど。

それに対して異議があがり始めている。とても好ましい。
もっと多くの人に気づいて欲しい。
TVメディアの可能性と日本の当該業界の現状とは、切り離すべきだ。

どこかで、TVは生き残るか?という問いに対し、
「国民の知的レベルが下がればもう少し」
という文章があって、ちょっと面白かった。


言わされていること 

November 22 [Sun], 2009, 20:24
最近100万枚売れたコンピレーションの紙に入っていた、CDの宣伝文句。

「今だから言える「アイ・ラブ・ユー」がある。」

これは話者が自分で思って言った言葉ではなく、自動的に生成された、意味のない言葉だ。
つまりはクリシェ。
今はこんなものが溢れすぎている。

ただ、広告として間違っているということではない。
正しくはないが。
広告は良質だったり文化であったりする必要はない。

ひとのため 

September 24 [Thu], 2009, 21:23
人のために活動するときに、邪念がある。

賞賛、尊敬、評価、そういうものを求めてしまう。
動機は人を助けたいからなのだが、そういうものがないとエネルギーが切れる。
相手に感謝されたいのだろう。
そういう自分が心底厭である。

精神的危機 

September 24 [Thu], 2009, 20:50
タイトルは、その昔目にしたマラルメの略歴の中にあった言葉。

何を目標にして生きていけばいいのか、わからなくなった。
仕事の成果を海外の賞に応募してみたのだが、2回続けて落選。
落選者の方が多いので客観的には落ち込むまでもないのだが、
自分の中で仕事のキャリアに一区切りをつけたいと思っていたところに、
そうもいかない事情になってしまった。
それも個人的な勝手な事情に過ぎないのだが。
どこまでいっても客観的にはくだらない。くだらない。時間が解決するだろう。

ここから話は別の局面に行くが
客観的にいってくだらないということは結局何の意味もない。
自分は他人の悩みに対して客観的にコメントを過去してきたが、
それが悩む側になって初めて無意味なことといま理解した。
いま、ジリ貧である。
時間も金もなく、すこしずつ貧しさに向かっている。回復できない。
意欲が湧かない。弱音を吐きたい。
こういうときは、元気になりたいと思わないのが面白い。
そのまま低空飛行を続ける意向はあるが、何とかしなきゃと思うことがない。

やる気が出ない人に向かってやる気をださなきゃと自分はいいかねないが、
いざ久しぶりにそうなると、それが馬鹿な言葉ということがわかる。

仕事に対して未来が見えない。いや、見えすぎるというべきか。
何に向かって努力すればよいのか今はよくわからない。
業務というのは、時間の無駄ではないか。
働いても豊かになるわけでもない。自分は十分働いた。
それなのに、職場に行くと、周りを見て、自分は周りの人よりも働こうとする。
いつまでそんなことを続けるのか。

優秀であることで生きていることを許されると思っている、というのが自分の課題だと、いつか
医者は言った。そのとおりだった。
いつかその医者のところには行かなくなった。
課題が解決したからではなく、また優秀になってしまったからだ。
課題は残っている、自分の中に。

自分の時間を再構築するべきだろう。
横を見るのをやめるべきだろう。
もうひとつの重要な活動にもっと向かうべきだろう。
勇気を持って、長期的なビジョンに目を向けて重視するべきだ。

自分の人生で最も価値を置いているものは何だろうか。
自分は大事なことのために、家族も捨てることを厭わないような気もしている。
でもそれは今自分が家族に満たされているからかもしれない。
本来は放蕩、浮き草のように生きざるを得ない人間なのかもしれないとも思う。
出奔。なぜ手に入れた途端に、持っているものを捨てたくなるのだろうか。
そうでもないかもしれないが。自分にも分からない。

簡単かつ現代的に言うと、ストレスが溜まっているのだ。
危険を冒したくなっているのだ。
もやもやしている。つまらない。予定調和だ。今の仕事は私の能力からしたら、
始まった瞬間に結果が見えている。機嫌のよいときはいいのだが、
いまは苦痛でしかない。シジフォスの受けている罰のように。
何度も何度も同じことを繰り返す。繰り返す。






アイスを食べたければ 

September 10 [Thu], 2009, 0:48
外苑前から表参道へヤクルトファンを避けつつ歩いていたとき、ふと自販機の前で立ち止まった。
ぱっと目に付いたのは缶コーヒーだが、リシールできる別なものに変えようとした。
心で声がした。
「アイスコーヒーが飲みたければアイスコーヒーを飲めばいい。」

はっとした。
自分はよく、自分の欲求や判断を保留する。アイスコーヒーを飲みたい、と思った次の瞬間に何をするかというと、それを押しとどめるのだ。そして別の選択肢を探す。
その結果、元に戻ることもあるし、違うものになることもある。
自分の判断に誤謬の可能性が常にあることを意識するのは知性の証拠、と内田樹さんが言っていた。
そういう意味では私は知的な行動をとることが多い。

しかし、心の声は今日は違った。
アイスコーヒーを飲みたければ、アイスコーヒーを飲め。
アイスを食べたければ、アイスを食べろ。
50万近くするブライトリングを買いたければ、ブライトリングを買え。(安いセイコーの逆輸入品ではなく)
眠ければ寝ろ。

思えば、賢い、ということがバカに思えるときだった。
失敗できる権利を私たちは持つ。だから失敗してみてもよい。
しかも、自分の判断はあっているかもしれない。
たまには、躊躇せずにGOだ。

世界のどこかで悲惨がありつづける 

May 30 [Sat], 2009, 22:53
映画「ベルサイユの子」(2008)を見た。
ホームレス、失業といった社会問題を呈示していた。
「ロンドン」(2002)というPET SHOP BOYSの歌を聴いた。
クリミアで戦役を経てロンドンにやってきた、(おそらく東欧の)移民の歌。

My father fought in Afghanistan
His widow's pension ain't worth a damn
My mother works and goes home to cry
I want to live before I die

戦死した人の遺族年金の問題。
今日ショッピングセンターに行ったらUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が
イベント広場でパンフのサンプリングと募金を募っていた。

いたるところに社会の歪みと悲惨が転がっている。
映画を見ても、音楽を聴いても、買い物に出かけても。

現代と言う時代は、いったいどんな条件下で安穏と暮らすことができるのだろうか。









短いことはよいことの条件 

March 03 [Tue], 2009, 10:00
広告は無駄だから短くなくてはいけない。大事なことに時間を割けるようにするためだ。いまは必要なものまで短い。本末転倒。
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