【1】 市町村合併と新選挙法『都県国会制』 

2006年04月05日(水) 14時01分
 2001年(平成13年)11月8日  提案者 宮本 六三四
 時代の流れと共に社会は大きく変化した。今の科学、情報手段の発展した結果、時間は速く、空間は小さくなった。

 それだけに今の市長村の空間面積は小さすぎると言わざるを得ない。だから市町村の合併は、当然庁舎も減り、市町村議員数も減り、役場の公務員も減り、社会の合理化に役立つことは言うまでもない。

 しかしながら、今の時代が経済的に厳しい時代だから、そうせざるを得なくなったとはいえ、逆にそこで働く公務員が人生の中で長年に渡り、働いてきた場が無くなることは許されない。

 どんな人も、頭の中ではその仕事の延長線上での未来に、自分の生活を結び付けて考えているから、職業の変更または、職場環境及びその人間関係をすぐ変えるわけにはいかないのだが、今の時代は多くの人々が無理矢理変更を余儀無くされているのは決して良いことではない。

 自然は徐々に少しずつ変化するが、突然の変化は殆ど災害となる。自然の中の人間もそう簡単には変われないし、当然社会も徐々に少しずつ変化していくべきだし、人間の生きること、生活そのものは6〜60年の間隔の中でゆったりと生きていくのが望ましい。

 マハトマ・ガンジーが塩の行進をした時「善きことは、かたつむりの速度で動く」と云った言葉を思い出す。それなのに、国家という得体の知れない組織が、その急激なる変化を意図的か、又は、失策により作り出し、庶民はそれに振り回され、倒産、失業、就職難、過労死、自殺へと追い込まれている。

 犠牲者は確かにほんの一握りの国民かもしれないが、戦争を除いて、こんなひどい状態はここ60年なかった。原因は、頭の良いとされている高学歴の選ばれた指導者、官僚、政治家、学者の失策に他ならないし、その対策も復元もできないままか、もしかして己の利益の為、しないのかもしれぬ経済的混乱と貧困は異常としかいいようがない。

【2】 市町村合併と新選挙法『都県国会制』 

2006年04月05日(水) 14時01分
 不良債権の早期処理を急ぐと、恐慌になる恐れがある。過去数年間不良債権をなくせばなくす程不良債権は増加し、会社は倒産に追い込まれ、失業者、自殺者、犯罪者が増加してきた。

 不良債権を増加させ、通貨の流通量を減らし、貨幣価値を上げ、物価を下げ、高額資産を減価させて、それから、あらゆる物価を下げて、給料までもどんどん下げて、業者は倒産し、労働者・勤労者は失業する。そのような構造を作り出した指導者は、不良債権者にさせられた者に責任をなすりつけて潰したりせず、すべて助けて生かす方向に考え方を変えればすぐ景気は回復する。

 それが自然の教えだと思う。花も実もすぐには咲かず実らない。育ちが良いものや、悪いものもある。熟するものも大小様々だ。
しかし、時の流れと共に徐々に力をつけるものもあるし、気候や環境が悪い時もある。今の社会はそんなときで、庶民は耐える他はないが、政治家、官僚及び社会を動かす指針を決める権力者は慈悲と情をもって、物事を徐々に変化させて欲しい。
御国の為だと言って一足飛びにことを運ぶと犠牲者が出る。たとえ非効率非能率であっても、国家の運営は犠牲者を一人も出さないのが国家たる使命で意義があることに、指導者達は目覚めて欲しい。選ばれた指導者は、天の定めにより、人よりも秀れた能力を持って生まれ、他の人々を正しく良き方向へ導き、弱者を助ける義務を負うものである。そうした後に、指導者は富と名誉という権利を得るのだ。そのことを、選ばれた指導者は胆に銘じて欲しい。

 市町村合併にしても、公務員の誰一人として辞めさせることなく全員をそのまま使い、時間をかけて自然減とすべきだ。そして余った人員は新しい分野へ仕事を作ってまわすのが、知恵であり創意工夫であり、人助けであり、国家の義務だと思う。民間は大変苦しい状況だが、この不況でも、例外的に、利益は出てないが社員を辞めさせることなく存続させている企業もある。その指導者は素晴らしい人だ。

【3】 市町村合併と新選挙法『都県国会制』 

2006年04月05日(水) 14時00分
 只、公務員の仕事の内容は公務に絞るべきで、民間でやれることは全て民間に任せ、公務員がやるのはいけない。公務とは何かをここで整理整頓し、確認し改善する必要がある。そのことにより民間は失業者を雇用して合理的に働き、全体の労働時間を短縮することができる。それが人間にとって、計り知れない利益をもたらすだろう。

 なぜなら、現代人は働き過ぎだ。日本人は特に世界平均より労働時間が多い。人生をもっとゆったりと暮らすべきだ。それでも豊かに幸せに生きていけるはずだ。

 高望みせず、地球の波長に合わせて、地球の寄生人であることを自覚し、ゆったりと生きていくべきだ。つまり地球の自然の再生力れに合わせて、無理な生産や開発を抑えて、地球を傷つけ、痛め、破壊することなく、宇宙と地球の波長に合わせて、もっとゆっくりと人生を楽しむべきで、人間生活の一日の流れは江戸時代の庶民の時の流れに戻れるはずだし、労働は科学知識の発達がそれを助けてくるので人間の労働時間はもっと減らせるだろう。

 昼間働き過ぎで、遊び休む暇がなく、夜遅く寝るから深夜営業が増えるのだ。早く寝れば光熱費がかからず、地球も休める。そして、深夜労働をできるだけ減らし、夜と昼のけじめをつけ、人間は夜中は寝るものだという当たり前の生活の実現を、これからの世を担う若い指導者たちに切望して止まない。

 次に、市町村の合併と、指導者について述べたい。国家は小さな集団の集合体、つまり個人、家族、学校や職場、市民、県民、国民から成り立つ。従って、個々の小さな集団の全てが犠牲を負うことなく、国民一人一人が幸せで豊かな生活を送れるようにするのが、国家の必然的目的である。だが、ともすれば国家は国民の意に反して、一人歩きし、国家の為と称する少数の間違った指導者達により、経済恐慌を引き起こしたり、挙げ句の果てには戦争にまで国民を追いやるようなことが起こってしまう。

 もう二度と間違いは繰り返さないで欲しいと国民は願っているのに、国家は国家の安全の為に、国益の為にと言って、他国との争いを呼ぶようなことをしてしまうことがある。

【4】 市町村合併と新選挙法『都県国会制』 

2006年04月05日(水) 13時59分
 これは国家運営の方法に問題があるからだと思う。これからの未来を観ると、過去のやり方のまずい点を改善する必要がある。
まず、国民の意思が反映するような国家運営方法を構築しなければならない。今、小泉首相の言っている構造改革に最も必要なものは、この国家運営方法の思い切った構造改革をすることではないだろうか。

 その具体的な方法の基準とは、まず、日本の面積は戦後曖昧になった北方四島を除いて、減るわけでも増えるわけでもないのだから、行政の単位である市町村をまず市だけにして、町と村は面子を捨て、住民の新しい良き生活の為、協力合併し、新しい市とする。

 その単位は約十万人とし、面積よりも人口を重視して、将来人口が減ったら、又合併すれば良いと思う。そして大きな単位では、道州制という考えもあるが、私は、現在一都一道二府四十三県のうち、府を都にし、道を県にし、三都四十四県とする。つまり東京都はそのままで、京都府と大阪府を、京都及び大阪都とする。

 そして北海道を北海道県とする。そうすると単純明快で、小学生も覚えやすくなり、日本の全体像が見えやすい。
つまり都道府県区市町村を都区県市の、八つから四つに改善するのだ。北海道の支庁と、県の郡は廃止する。

 それと同時に肝心なことは、この単位と国家との関係をより密接で効果的にする為、区都民、市県民の願望が国家に直接届き、又、その意思が反映するように選挙方法を変更改善することだ。その方法とはまず、各市は市議を、各都は都議を人口割合により選出した後、その市議及び都議の中から代表に選ばれた者が市長区長となり、その中から代表に選ばれた、市長と区長は県議又は都議となり、その選ばれた代表が知事となり、副知事が都と県の運営に当り、その県と都の代表である知事が国会議員を重複する。そしてその代表が首相となる。

【5】 市町村合併と新選挙法『都県国会制』 

2006年04月05日(水) 13時58分
 国会議員数は人口に応じて百人位とする。そしてその秘書や提案協力者は、県議や都議とする。そして、区や市の意思が都と県に反映し、都と県の意思が国に反映するという連合性が、国民一人一人の願望と意思を国家に反映するという利点を生む。首相は市議か都議及び県議、そして知事、国会議員を経て選出される。

 この『都県国会制』は、今までの代議制から、国民の直接政治参加制へと大きく改善されることになる。これで、今問題となっている、住民への直接投票はより具体的になり、悪意ある議員の、私的な考えを封じ込めることができる。
長野県の田中知事の意思は、県民の意思の反映に他ならない。組織を利用し、個人的利益を貪る議員を排除し、市民の考えを市議会に反映し、それを県議会に反映し、それを国会に反映するという、一直線に繋がった、整合性のある構造改革だ。 

 それによって国民が、国会をよく見れるようになる。

 鈴木宗男氏は、ある点で犠牲者だ。なぜなら、どんな国会議員も県議も道議も都議も府議も市町村議員も口利きや仕事の紹介、仲介はやっていることだ。政党にも関係無く、どの政党もやっていることだ。
只、彼はやり過ぎただけだ。根本的なことは、彼を辞めさせたところで何も変わってはいない。この悪い構造を改革するには、構造を変えるしかない。それが『都県国会制』だ。

 市民区民の人数に比例した市議都議を出し、そこから人口に比例した県議を出す。そこから人口に比例した国会議員を出して運営するということにより、国民の意思が国会に反映する。そして、各々の議員は区・都・市・県の代表であり、各々の組織の考えや意見を代表するものであり、私心を入れないこととする。

 国会でのあらゆる法案は、一度末端の市議県議区議都議で検討し、その間の議論はしっかりと時間をかけてやる。その結果を各々の代表、つまり知事が国会に持ち寄り、議決する

【6】 市町村合併と新選挙法『都県国会制』 

2006年04月05日(水) 13時57分
 この方法だと、政党政治は崩れて派閥もなくなり、政治家の中の親分格や秘書の口利きや政治に無駄金のかかることも、今よりは少なくなり弊害が減るだろう。

 参議院は各界代表からなる議員を選び、立法に対して衆議院と議論を展開する場とする。つまり財界、教育界、NPO、医学界、弁護士会等、学会各界の代表が地区の定めをなしに全国区から立候補して国民一人当り三名連記し、上位から定数分を選出する。そして、専門家の意見として政治に提案し、積極的な議論をして本当に国民の為になる提案が、参議院存続の有効な理由となるのではないだろうか。

 とにかく、国民に解かる、開かれた国会、国家としたい。今日本に法律がどれだけあるか誰も知らない。何千なのか、何万なのか、どこに聞いても誰に聞いてもわからない。それなのに、国民はどんな法律でも、たとえ内容を知らなくとも守り従わなければならない義務がある。国民権利の法律よりも、義務としての法律の方が多いし、国家のための法律としかいいようのないものもある。

 明治からあるカタカナ混じりの法律は作り直すべきだし、法律文そのものも、法律家の為にあるような難解な文章が多いので、国民がわかりやすい口語体の文章に書き直し、改善する必要があると思う。
それと、似た法律同志は合体して一つにし、法律の全てを大分類から小分類まで、整理整頓してできるだけ数を減らし単純明快にして欲しい。

 議員立法が好ましく、それは国民主権による立法としたい。官僚は国民の代表である国会議員の命令に従い、国務に務めて欲しい。国民から仕事を取り上げることなく、あらゆる仕事を国民に委ね、本来の仕事である国民の生活と経済活動に対する管理監督と指導提案にし、公務員の自然減による小さな政府として欲しい。

 そして、税金の使途が、恵まれない人々にも幸せと豊かさが届くようにして、平和な社会を造って欲しい。

【7】 市町村合併と新選挙法『都県国会制』 

2006年04月05日(水) 13時54分
 戦争は大きな集団犯罪であることを自覚し、それ故、軍隊を廃止して警察とし、あらゆる集団犯罪を防ぐ方法を国民の為に、構造改革として創造して欲しい。戦争は集団犯罪であり、それを取り締まる軍隊はなくして警察として欲しい。そしてあらゆる国の辞書から、戦争と軍隊という言葉を永久に無くして欲しい。

 『私の辞書には、戦争と軍隊という文字は無い』と地球宇宙人の誰もが言えるように望み、そうすることに務めることを提案したい。

人間が幸福になる為の政治 

2005年11月19日(土) 21時58分
1994年 平成6年6月13日 記 宮本 六三四

           人間が幸福になる為の政治
         ≪共産党の名称の改善について≫


私は今生きています。今生活しています。今働いています。家族と一緒に、町内会の人々と一緒に、市民として、道民として、日本人として、地球人として、私は今生きています。人間の生活のなかで、個人の幸せと、各々が所属する組織の利益と、そして国民として、地球人として、皆んなが幸せになる為には、どのような政治形態が良いのでしょうか。
歴史という過去を振り返れば、それこそ哲学者ニーチェが云ったように、解釈のみ存在するということになり、個人の歴史、国家の歴史、人類の歴史も、それぞれに波乱万丈の歴史だと思います。
しかし私にとっては、今が肝心です。そして、つきつめた幸せの価値基準を考えて、その最優先事項を云うならば、それは私個人の幸せ、そして家族、同僚、社員、友人、知人、地域の人々、国民、人間ということになります。人間という文字は、人の間と書きます。当然個人だけでは生きられません。
自分の幸せは、他人の幸せなくして、成り立ちません。人と人の間が大切なのだと思います。

人間が幸福になる為の政治 

2005年11月19日(土) 21時56分
しかしながら、個人の価値観の違いは、想像を絶する程複雑に異なるものだと思います。例えば、性別、年齢差、職業別、地域差、人種別、生活信条、教育、成育歴、宗教観、そして政治形態、政治思想で、個人の価値観は全く異なったものになると思います。このような現実の中で、人類全部の個人の幸せを考えると政治的にはどこまでの範囲を、考えれば良いのでしょうか。私は一般的に云えば、国家という単位で考えるのが、今の地球上では妥当と思います。
もちろん地球上の人類全てを考えるべきですが、それは日本が充実した政治形態を整え、一般庶民が幸せな生活を送れるようになってからのことだと思います。
人も組織も国家も各々に山あり谷ありの歴史があり、時間の流れと共に変化します。その変化に受け身ではなく、積極的にその変化を受け入れ利用し、個人なり、組織なり、国家なりを、改善し、改革し、そして多くの人々が幸せになるようその改善を考えて、努力し、継続していくべきだと思います。たまに休み停滞しながらも、辛抱強く改善の継続を、することが重要だと思います。しかしながら、人間、年を取ると、過去にとらわれ、変化に気ずかなくなる人々もいます。人の世は、6年周期で、変化していくと思います。
1〜6才迄幼児の6年間、7〜12才迄小学校の6年間、13〜18才迄中学と高校の6年間、大学と大学院の6年間という周期は今の時代の日本での事実です。その後、30才、36才、42才、48才、54才の節目を経て60才で停年が今の日本での時代の周期なのです。私はこの6年周期で、人生の生活設計をたてています。
6才の18倍108才迄は人間で、それ以上生きられたら、生き仏になるのだと思います。長生きしたいという命根性は、108ツの除夜の鐘に入っているのかも知れません。人生いかに生きるかは、個人の自由意志であり、誰からも強制はされたくないものです。

人間が幸福になる為の政治 

2005年11月19日(土) 21時55分
共産党が出来て何年位になるのでしょうか。出来た時は、時代背景からして、皆んなでに幸せになる為に、色々なものを生しようということは、良いことだったと思います。しかし、今が肝心です。今の時代は、共産党が出来た時よりずっと複雑に変化して来たように思います。
そろそろ、共産党の名称改善の時期が来たのではないでしょうか。
私は、今はに同じく、の時代は終り、個人の幸せは、昔よりは良くなり、個人の価値観が多様化していると思います。そして、生力も、向上し色々なものが、豊富になってきました。日本では、物の生は、一応成し遂げられ、これからはどのようにして、地球を痛めずに、生するか、という方法論の、時代になって来たと思います。そしていかに、皆んなで豊かさを、合理的に分かち合い、人生を楽しむか、ということが大切な時代となったのではないでしょうか。
2006年04月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
■プロフィール■
■お名前■
  宮本 六三四

私は自称未来学者の宮元 六三四です。
日本の政治経済がより良く改善されるように、そして
戦争の無い世界にするために無い知恵をしぼっています。
つきましては皆様のご意見を賛否にかかわらずお聞かせ頂き
より良い世の中にするための案にしたいと思います。
最新コメント
アイコン画像aaa
» 【3】請願理由6 (2007年09月14日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:sansaro
読者になる
Yapme!一覧
読者になる