親がいない

June 06 [Tue], 2017, 20:04
なんだろう……。
だらだらしている。

本を読んでる。
一冊読むと次が読みたくなるから、波に乗ったら次々行こうっていう気にはなる。

ゲームしたいなぁーと思いながら本を読んでる。
なぜなら本を読んでるとどんどん時間が下ってきて、昼が15時になり、15時が18時になり、そしたらもうすぐ、20時、(←今ここ)そしたら、ここがもう、境目で(他のことをやるか、やらぬか)ここで、更に本を読むことにしたらあっという間に23時半くらいになってる。寝る時間だ。
そういうのが、困る、なぜならば、寝て明日になると、たいてい、休日の次は出勤日だから働かねばならないのだ。

そしてまた休日は来て、このような繰り返し。

目的とか、変化とか、変化に対する行動とかが無い者だから、
寿命ばかりが減っていく。
本当にブログばかり書いている場合じゃないのだ。

そして、どうしてこんなに張り合いが無いのかと考えた所、さきほど、
「親がいない」という結論に達したのだ。

部屋の隅を見渡しても誰もいない僕しかいない部屋、に、本やCDやTSUTAYAで借りたDVDやらが転がっている。
僕は次やることを誰にも命令されず、駄目だしされず、寝る時間だって自分で決めて、
ゲームをしたり、飯を食ったり、する。

これでいいのか、という基準さえも自分で。
社会人1年目にして、今月で27歳。

親がいない、という心情そのものが、子供だなぁ。

戯曲を書こう! その@

May 30 [Tue], 2017, 23:01
みんなー戯曲を書いたことがあるかい? 僕はあるよ。

戯曲って何か知ってるかい?
紙とインクでできているのが主流ですね。

紙って知ってるかい、
お尻を拭くやつだぜ、つまり戯曲はお尻もふけるんだぜ。

ま、じっさいどうでもいいよな。
細かいこと気にする奴は学者にでもなっちまえ!

えーとね。
授業の課題とかの異常に短いのを除くとね、僕が書いた戯曲は、たぶん、長い(90〜120分)のが、3本。
中くらい(だいたい60分)のが3本、と、だいぶシンメトリー入ってますね。6角形の6本くんです。

これはね、同級生の平均でいうと、少なめだね。たぶん。
ただ、すべて、上演したものしかカウントしていません。
というより実はね、これくらいの長さ(60分〜)の戯曲で、上演が決まっていない状態で書けたものっていうのが一本もないんですね。
つまり、〆切があるからこそ、完成があるわけです。
この〆切(しめきり)というのは、上演本番のことです(※あれ、おかしいなぁ、ナチュラルにそんな気がしていたけど、毎回ニセモノの「〆切」というものに悩まされていた気がするぞ?)
ちなみに完成した台本と言うのは、〆切の日にちの時点で紙に印刷されたインクの連なり、或はwardデータのことですね。

で、今回のブログの趣旨、いままさに、もう一本戯曲を書きたいなぁと思って、
書こうと思うんすけど、
実は、〆切(本番)がないんすよ、これ。
そういうことって以前にもあって、つまり、全部挫折しているってことなんすね。

だから、今回もまた挑戦な訳です。
いままで6本書いてても。
つか、たぶん、これはレトリックではなく純然たる事実なのですが、
毎回台本を書くスパンが空きすぎて、書き方を忘れてて、なんとか何か書けるようにすることから始めなきゃなんすけど、俺の卒業作品の副論文も、そういう趣旨だったんすけど(書く工程の中に、書き方を思い出すロスがあり、それが、俺の執筆活動を逆スムーズにしている、トラッシーなもの量産タイムになってしまっているということの、報告?)

それでおれ思ったんすよ、そーいうのいい加減にやめたい、ちゃんと設計図を作って、それにそって、
ときに逸脱しながら、ストレスなく、生産的に戯曲を書いてみたいって。

で、戯曲の書き方、とか、物語の作り方(※1)、みたいなのを読んでノートに纏めてみたり、してたんですが、
登場人物や舞台の設定とか、筋書きの案のメモとかで、ノート一冊埋めたりしてみたのですが、
はっきり言って、毎回のそんなの全部忘れて、無視して、
いきなり台詞から、いきなりト書きから、
書いて、捨てて、書いて、捨てて、
ちょっと気に入ったの残して、それに都合のいいところを書いて、
捨てて、
役者にやってもらって、捨てて、
行き詰まって、
役者に即興でやってもらって、
録音して、
文字起こしして、
書いて、
なんとか、行き当たりに進めて、(とくに展望とか、書きたいこととかない。ちなみにこの「書きたいことがない」というのも副論文に書いて、ゆえに、作品が駄目なのだ、と書いて、副論じたいが悲惨な出来だった。)
ということを繰り返しており、
じゃあ、事前に書いたメモとか全部なんなんだって感じで、うん、まじで意味ない感じしかしない。
から、今回はそういう筋とか予め書くのを、始めから放棄するっていう戦法で、
執筆をスムーズ化させたいと願っているよ。

(つづく?)


〜〜〜

※1ガルシア・マルケス(愛称ガボ)の書いた『物語の作り方』で気に入っている文章は冒頭ほど近くにある

「ものを書く時は、セルバンテスよりも自分の方が上なんだと自分に言い聞かせなければならない。とにかく理想を高く掲げて、一歩でもそれに近づこうとすることだけだ」

って言葉。

他の本とかで、こと細かく、戯曲を書く段階などを丁寧に、啓発的に書いている本を舐めるように線引いて、ノートに写したけれど(だからその本はもう、人に上げちゃった、線ごと)
感心したのに、一つもまともに実行できなかった。
心がけはしたけど、ほとんど何にも反映されなかった。

結局僕の戯曲に反映されるのは、いつもくちゃくちゃになった僕だけだ。

あああ

March 30 [Thu], 2017, 20:42
アルバイトに少し慣れてきたので、少し余裕が出てきた。
ら、いいなと思う。

今日はお休み。
朝から、戯曲を直す。
賞に応募するためだ。

在学中の最後に上演した戯曲が丁度60分もので、賞の規定に合うのだ。
これで、玉は打ち止め。
今後演劇と再会しなければ、新しい戯曲は書けまい。
上演せずとも、戯曲は書ける、のかもしれないが、
やっぱり上演されてこその戯曲だし、パワーを持つのだと僕は思う。

書き直すと言うことは、自然と再読することになる。
僕は、久しぶりに自作を読み返すとき、はじめはとても面白いと思う。
そして駄目な所を発見する。
面白いけれど最高ではないなと思いつつ。
最高のものが書けない僕が書いたものしか、僕にはないことに気づく。

そして、何らかの理由で、近い時期にもういちど読み返すと、今度はヒドく、粗末で、無意味なものに思える。今日はそう思いながら、稽古用の台本を、ちょこちょこ、第三者に見せる用に直した。それはひどく非クリエイティブな作業だった。


〜〜〜


なんだかんだで、時間が経った。
印刷した戯曲を送付して、郵便局から帰るともう18時を越えている。

僕は図書館にいった。
返却したはずの詩集が、利用者カードを見る限り返していないことになっていて、僕は延滞状態になっている。それによって今は本が借りられない。

詩集コーナーに行って、またも返したはずの本が棚にないかを確かめた。
もちろん、ない。
とすれば普通、僕が返していないことを疑うだろう。
部屋は何回も探してみた。狭いワンルームを片付けながら、ベッドの下まで覗いてみたが見つからない。
弁償すべく紀伊国屋やジュンク堂などの超大型の本屋に電話しても、在庫切れだし、版元自体にすでに送れる状態の本がない、という。

犯罪者気分で、ゲートをくぐると、借りられないけど魅力的な本があれこれある、それらの背を歩きながら観察して、ときにペラペラ捲った。
詩集のコーナーでエミリー・ディキンソンの本、アメリカ文学の本で、子供のための詩のアンソロジーを読んだ。翻訳がダサい。のか、なんなのか、あんまりだった。
死語をたくさん、見つけ、普段はそういうの結構好きだが、今は胃腸を傷めているせいか、そんなことではしゃぐ余裕がなかった。(これは明らかに良いことではない)

福間健二の訳で、ブローティガンが東京で書いたらしき詩集を読む。
詩人の訳だからか関係ないのか、違和感があまりなく、いつものブローティガンと会う。
毎回同じ憂鬱なコード感が基調で、いかにも孤独げで、さびしげ、僕もつられてさびしい気持ちになる。

続いて、文芸誌のコーナー、群像?(新潮? 記憶がない)の特集は「日記」
色んな文学者が日記(あるいは、というテーマの依頼原稿)を書いてる。または読んでる。
僕も徹夜で読んでしまい、少年漫画の続きよろしく、次巻を求めて図書館へ走った山田風太郎の『戦中派〜日記』シリーズや、二階堂奥歯の『八本脚の蝶』が紹介されている。
あと最近、池袋で買った、武田百合子の『富士日記』も。

『八本脚の蝶』についての文章は、その単行本自体にも寄稿している穂村弘が書いている。
『八本脚〜』自体が多くの引用によって著された本に関する本で、読書にまつわる本で、文章を読む奥歯の文章を読む、という「本」濃度の高い構造物なのに、その解説文ではさらに、『八本脚〜』という本を紹介する穂村弘(彼が紹介する「八本脚」の中にもまた穂村弘の文章がある)という普通ならメタメタメタで、回りくどくて、オブラートに包まれ冷めてしまいそうなものだが、穂村と奥歯の親和性と、穂村もまた引用する奥歯を引用することによって、ただただ『八本脚〜』を読んだときの自意識、価値観の変容を追体験させられる。

会社に就職した奥歯は、一年に365冊以上の本を読むが、もちろん大学生の頃はその2倍は本を読んでいて、小学生のときはその3倍は本を読んでいた。という、

上に書いた価値観の変容と言うのは、
このように、書物の世界の存在感や重要度が、現実のそれを上回ってしまっている人が居るのだな、というリアリティであり、
この書物を読んでいたときの自意識とは自分が二階堂奥歯のように物事を見たり、感じたりできない、という歯痒さと不思議さである。

物語。
何冊本を読んでも、こむじかしい、じっさいたぶん、かなり立派な哲学書を何冊読もうと、
あくまで、二階堂奥歯は物語を守るものであり、
自分の好きに、忠実で、忠実すぎるほど忠実で、
おいおいおい、ってかんじですが、
なにはともあれ彼女の日記は今でもネットで読める。
とても素晴らしい文章群だ。

僕は、
読書や、映画鑑賞、演劇と触れる経験、
知識、感受性を揺さぶる、あるいは、人格を形作るあらゆる体験を、
数や、名声や、いわくありげな実(じつ)で、計る愚かさを踏みがちな、ってか良く踏んでる(まんま)愚者だけれど、それでも「数」や「名」や「実」より、「好き」のが強いことを知っている。僕は僕の周りにも何人もいて、本やテレビの中にも何人もいる、なにかが好きな人が羨ましい。

僕が大学を離れ、演劇を離れ、社会的な手続きや、賃金のための労働をしても、
今、そんなに手ひどく壊れていないのは、そんなに強く、何かが好きではないからだと思う。
(そして、労働や社会での活動の中からも、楽しさややりがいをなんとか見出して、受けとめられる自分になりたい。という社会的にあんまり問題のない前提で考える凡人だからだ。)

一方で、大学などで学んだ影響もあり、
また、子供時代の自分と、たいして子供と変わらない今の自分のために、
そうした社会生活と肩を並べるほど愛せる何かを、自分に見つけてあげたいと思っている、
それは自意識でもあるし、何かを探求することで自分以上の大きなものと繋がれないかとも思う。
(人によっては宗教、人によってはある種の道(〜どう)、人によっては芸術、かなぁ。或は人間関係。人から得られる尊敬。)
ものの、
かつては少しはあったような書物や、
ゲームや音楽や演劇や映画などのカルチャー、
世の中って、世界って、自然ってなんだろう、なんでだろ?
その他全ての無益な思考、に対する、嗜好、
希哲学のようなものを、
いまいちど、と、何度も思ったような青臭いこと思ったのでした。

奥歯が持っていた嗜好性、フェチズム、明治、大正の文学、ロマン、血へドロ、病んだ性的な闇的な(←ほら、アホだ、言葉にすらできない。一億分も理解できないアホだからだ)シモーヌ・ヴェイヌや、ウィトゲンシュタイン(←頭良さそう、くらいしか言えない。)に関する理解や愛を、僕は持ち合わせていない。そのことをディスるような人がいたら正直引くけど(って全然引いてなくても、引くって書きたい派ですが)

でも、ボルヘスとかメルヴィルとかカフカとかもっとちゃんと読みたい作家は居るし、
正直、おれは生きてて、彼女はもう本の中にしかいないのだから、生きてできることをしっかりしたいと思う。恥ずかしいけど、そう書いてしまうような人生を僕は選びたいと思うの。

思うの。
はたから見たら、気持ち悪くて、指をさされるような自意識や表現であっても。

家に帰って、菊地成孔の荒れてた頃の文章の収録されている「スペインの宇宙食」を読む。
どうしたら、こんな文章が書けるのか、こんなに膨大なことを記憶して、歪曲して、装飾配置(デコレーション)できるのか、理解不能でした。
毎年(本当は毎月)読むべきだと思う。

しかし、僕は文章が下手だ。
うまいと思ったことは、正直にあまりないけど、
本当に下手だ。
愚痴るだけではなく、僕はもっと自分が好きになれるような文が書きたくて悔しく思うよ今は。


(要らないおまけ)
今日戯曲賞に応募して、
自分の文や考えの貧しさに、少しげんなりしたが、それでも少し、なのは、
あくまで、戯曲、に関して、僕は、
文章のうまさとか、考えの立派さ、隙のなさなどは、
ゴキブリのような昆虫の未熟児が、奇形の内臓で生む、不完全な糞よりも(そんなものがあるのかはしらないが)メルドなものだと思うので、戯曲を書いてて、文章力に落ち込むことはない。

ただひたすら世に溢れる優れた本を読むことによってのみ、
さっきあげたゴキブリの幼虫以下の文章とも言えない奇形を意識することができ、
ひょっとしたら、その改造が期待できるのではないかと思う。

が、そんなことはどうでも良いのだ。

なにかを、好きになればいいのに。
好きにすらなれないのか。
好きになりたい。
好きってなんだ。
今のままでは、好きなんて言えない。

この「好きになりたい」という感情には、恋とか愛とかみたいに、立派に共感される名前すらなくて可哀相だと、今思いました。


日記的な記事

February 22 [Wed], 2017, 9:57
ルサンチマン。
仕事や毎日のことがうまくできないから、死にたい。うまくいってたらしにたくない。

ちゃんとやるのを避けている。
うまくいってないまま、優位な気分になろうといている?
超人目指さず。

まっとうな幸福考えず、

死ぬくらいなら、田舎に戻る?
東京にいる意味ないし?
東京に愛しているもの(人、文化、場所)がもうない?

すりきれた。ひきのばされている、
怠惰になり、
かつての模倣すらできなく、したくなくなり、
どんどんダメになっているのに、ダメになる毎にたまっていく無駄な
ものを、良いものだと思おうと?
最小限度の努力。
幸せになる努力をせずに?

宗教に入ったら楽なのかと思わなくもない、
かつてのように無宗教であることに誇りをかんじない?
だが、宗教に入ることにも希望も期待もない、
けっきょくなんにもしたくない。

よみたくない、みたくない、ききたくない、

いっぽう体はわるくなり、不快になり、睡眠、食事、すべて楽しくなくなってきて、
仕事というものに一定の時間を拘束されている現状になれざるえない。

ノードラッグ、ノーアルコール、ノーシガレットの砂糖中毒。
肝臓は健康、胃腸が弱い。
肺や呼吸器も弱い。
心臓も強くない。
皮膚?
歯が悪い、明らかに悪い。
目も悪い。結構悪い。
鼻が悪い。昔から悪い。
耳が悪い。注意力が散漫。

脳は特殊、特殊といえども、悪いこと多し。
生きにくくはある。
生き易い要素もあるはず、


〜〜〜〜


(しばし横たわる。僕は今ベッドに座って書いてるから、そのままパソコンを閉じて、体を横にすればいい。)


こういう気持ちを、シンガーソングライターなら歌にする。私小説的な歌詞を、
もう少し前衛的な人なら、ノイズにする。
詩人なら詩に。隠喩などを使う。

人にとっても価値あるものに。

内省的な内容の文章は、
基本的にはつまらない。

僕の好きなフォークシンガーの歌詞なんて、社会性に満ちてる。
エルビスプレスリーは自分のことばかり歌うが、チャックベリーは自分の周りにある世界のことを歌う。

どっちも質による。上の場合は二人とも良過ぎる。

良くない人は辛いだろうな。
人を楽しませたり、共感させたり、燃やしたりすることができなくて。
社会を破壊することも。

〜〜〜
仕事は努力のコーチかもしれない。
一人でもなりたい自分に向けて、頑張れる人はいるだろうけど、
そうじゃない人は、仕事ができるように頑張ることが多いと思う。
せめてコーチぐらいは選びたい。

自分の努力をコントロールする存在。
自分の(あるかなしかの)成長の方向を決定する存在は、自分で決定したい。
そういう念が無念である。
でも、それなりに頑張った。
2つも仕事を変えた。

〜〜〜〜

横たわって、考えるなら、しっかり横たわって考えよう、
その際、野心とか、出世したい気持ちとか、サクセス(はともかくイーブンくらいは)目指す気持ちや、行動は置いといて。

何にも書かず、何にも読まず、何にも学ばず、何にも聞かなくとも、よいはずだ。

〜〜〜

この家は日の光が全く差さない。
住環境は大事。
自然と触れると、憂鬱が晴れる。
むしろかなりいい気持ち。

むかし、憂鬱だったり、内省的になるのは、働いていないからだと思っていた、
どうもそうではなかったみたいだ。この1年を考えると。

天職とか召命とかよくできてるよね。

February 21 [Tue], 2017, 20:11
おれは何のために生きているんだ。
使い道あんのか?
誰かにCallされても、役に立つことはできるのか?

こういう気分のときは、
あれだな、テロとか誘われたらやりかねないよね。
宗教とか入りかねないよね。

パレスチナとか、物語がシンプルでも、それがすごく説得力を持つ所もある。
父親を殺された、やつらを殺す。とか、家族のためならおれは何だってするとか。

それって生きてるって感じなのだろうか?

何か、物語的なものに巻き込まれるのは楽しい。
それが虚構だとわかっていて、安全だと分っていて、皆正気だと思える場所ならなお楽しい。
健全な演劇の上演プロジェクト。稽古場。芝居のいちばんいい所は必ず終わりがくること。
そして、すぐまた別の全く違うまとまった作品やら、人間関係やらが始まる。
そういうメリハリのついた環境には、中毒性がある。

おれの現況にメリハリがついてないなら、自分で何かをしてでもメリハリをつけたくなる。
でも本当はメリハリなんてついていなくても人生は人生だし。
きっと楽しさなどはあるのだ。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:はいじんぞう
  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 誕生日:1990年
  • アイコン画像 現住所:東京都
  • アイコン画像 趣味:
    ・結局あまりないことに気づいた。
読者になる
2017年06月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
最新コメント
アイコン画像海外腎臓移植
» 一人雑談 (2016年06月24日)
アイコン画像おきざっきー
» サンザシ酒 (2011年11月12日)
アイコン画像大島康彰
» 僕の大切なウォークマン (2011年10月31日)
アイコン画像sena
» 僕の大切なウォークマン (2011年10月30日)
アイコン画像やす
» アンディモリ (2011年02月09日)
アイコン画像とっくん
» アンディモリ (2011年02月09日)
アイコン画像やす
» 宣伝 (2011年01月11日)
アイコン画像とっくん
» 宣伝 (2011年01月08日)
Yapme!一覧