コート

December 03 [Tue], 2013, 23:00
「ああ、馬場に叱(しか)られた時か。あいつは弘法(こうぼう)にも筆のあやまりさ。」能勢は、教員の名前をよびすてにする癖があった。
「あの先生には、僕も叱られた。」
「遅刻で?」
「いいえ、本を忘れて。」
「仁丹(じんたん)は、いやにやかましいからな。」「仁丹」と云うのは、能勢が馬場教諭につけた渾名(あだな)である。――こんな話をしている中に、停車場前へ来た。
 乗った時と同じように、こみあっている中をやっと電車から下りて停車場へはいると、時刻が早いので、まだ級(クラス)の連中は二三人しか集っていない。互に「お早う」の挨拶(あいさつ)を交換する。先を争って、待合室の木のベンチに、腰をかける。それから、いつものように、勢よく饒舌(しゃべ)り出した。皆「僕」と云う代りに、「己(おれ)」と云うのを得意にする年輩(ねんぱい)である。その自ら「己(おれ)」と称する連中の口から、旅行の予想、生徒同志の品隲(ひんしつ)、教員の悪評などが盛んに出た。
「泉はちゃくいぜ、あいつは教員用のチョイスを持っているもんだから、一度も下読みなんぞした事はないんだとさ。」
「平野はもっとちゃくいぜ。あいつは試験の時と云うと、歴史の年代をみな爪(つめ)へ書いて行くんだって。」
「そう云えば先生だってちゃくいからな。」
「ちゃくいとも。本間なんぞは receive のiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえ碌(ろく)に知らない癖に、教師用でいい加減にごま化しごま化し、教えているじゃあないか。」
 どこまでも、ちゃくいで持ちきるばかりで一つも、碌な噂は出ない。すると、その中(うち)に能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでいた、職人らしい男の靴(くつ)を、パッキンレイだと批評した。これは当時、マッキンレイと云う新形の靴が流行(はや)ったのに、この男の靴は、一体に光沢(つや)を失って、その上先の方がぱっくり口を開(あ)いていたからである。
「パッキンレイはよかった。」こう云って、皆一時(いちどき)に、失笑した。
 それから、自分たちは、いい気になって、この待合室に出入(しゅつにゅう)するいろいろな人間を物色しはじめた。そうして一々、それに、東京の中学生でなければ云えないような、生意気な悪口を加え出した。そう云う事にかけて、ひけをとるような、おとなしい生徒は、自分たちの中に一人もいない。中でも能勢の形容が、一番辛辣(しんらつ)で、かつ一番諧謔(かいぎゃく)に富んでいた。
「能勢(のせ)、能勢、あのお上(かみ)さんを見ろよ。」
「あいつは河豚(ふぐ)が孕(はら)んだような顔をしているぜ。」
「こっちの赤帽も、何かに似ているぜ。ねえ能勢。」
「あいつはカロロ五世さ。」
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