内面の吐露

June 24 [Fri], 2011, 10:59
1週間でパートの仕事をやめてしまった。

パートとは言え、務め始めた時は骨を埋めるつもりだったのだが、日が経っていくにつれ会社の纏う空気に一向に馴染めない自分を感じ、会社の纏う空気が根本的に合わないと頭のどこかが逃げろ逃げろと常に警笛を鳴らし続けている状態でした。ただ、私はかなり鈍いタイプなのでその警笛にはっきりとは気付けないでいました。
面接の時から何か違和感を覚えてはいたのですが、頑張って馴染んでいけばきっと大丈夫と振り切っていました。

職場はほぼ主婦のパートさんばかりの女性空間。
入って1週間なのだから居場所がないのは当たり前なのですが、仕事中も休み中もどこか物凄く居心地は悪かった。
仕事が他の人に比べて遅く、自分なりに考えてスピードを上げようと試みても余計なことをするなと怒鳴られ、打たれ弱いタイプなので長くねちっこい説教は物凄い勢いでヒットポイントを削りまくっていきました。
似たようなタイプの方でしょうか?一緒に長々とねちっこい説教を共に食らった方がおられ、「ずっと耐えてきたけど、もう耐えられない」と言った言葉に、多分このままずっと務めていても体より先に心を壊すなと思い至り、鬱とかまではいってはいないが、近くまではいったことがあるので、その時の自分の状態を思い出し、「あんな状態はもう二度と嫌だ」とその日のうちに誰にも相談なしで辞めてしまった。
辞めた事に後悔はない。あのまま続けていてもきっと間違いなく辞めていただろうし、長引けば長引くほど双方共に傷が深くなるだけだっただろう。
私は自己防御の為に仕事を辞めた。
もちろんこんなこと言ってはいない。言えばもっと説教が長引いてもっとダメージが大きくなったに違いないから。一刻も早くあの空間から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。一方的にこちらのことを決め付けられ感情的にねちっこく罵られ「勝手に私と言う人間を決め付けないでくれ!!」と思いもしたがそう言ってもきっと口答えするなとさらに説教が伸びるだけだと放置しました。


前回、人に精神的に追い詰められていた時にボーダーラインを見てしまい、多分、あの一線をこえたら心療内科に直行だなと直感的に感じていました。
次、似たような状態になったらきっとあのラインを超えてしまうと思うと、怖くて怖くてしかたがないのです。その半面、あのラインを超えて壊れてしまえればどんなにいいかとも思うときもあります。


今現在、辞める際に思いっきりなじられたのがわりとトドメになってしまい、人が怖いです。会社が怖いです。そしてそんなlことで人と社会が怖くなる自分が嫌です。
次の仕事を探して面接を受けようにも「またパートのおばちゃんまみれな女のねちねちしたところが逆巻く職場になったらどうしよう」とか「また短期間でやめてしまったらどうしよう」とか考えはじめると思考の全てがネガティブになっていきます。
短期バイトから慣らしていこうと決めてはいるのに、面接お願いしますの電話を入れるのさえ恐ろしい。
「誰か助けてくれ!」と内心は叫んでいるのですが「それは甘えだ」と否定してくる部分の方が大きいです。

この程度の悩みなんていっぱい苦しんでいる人たちからしたら吹けば飛ぶような可愛らしいものでちゃんちゃらおかしいでしょうが、私にとっては今、これが苦しくてたまらない。
早く仕事を見つけて両親を安心させてやらないとと焦り、人にまた怒鳴られたら嫌だ嫌だと逃げ回り、こうやって書き出していくと本当に甘えですね。
数年単位で周期的に訪れる数年単位で居座るネガティブ期に見事にはまっている今、「それは甘えだ、その甘えを克服し、もっと前向きに己を鍛えて進め!」と言う感情は筋雲のように心の表層にはふっと現れはするのですが、すぐに掻き消え、腹の底からの「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい死んでしまえるのならこのまま消えてしまいたい」と言う感情が溢れてきます。

両親と祖母は今までの稼ぎと年金で食べていけると思います。
そうなると私には守らなければと言うものも、この世界にい続けたいと思えるほどの未練も執着もなく、ただ、ただ、遠い昔の産まれて初めて出来た一番大切な異種族の親友に「私は私の人生を生ききったよ!」と最期に会いに行くこと以外しがみつくものが何もない。
私は今、死者にすがって生を繋いでいる。
趣味も、ネガティブ期の今では大した未練にはなってくれない。


手に職もないし、この先正社員なんて年齢的につけないだろう。
結婚だって私の内面にはそうそう踏み込ませない対人距離では耐えられないだろうし、相手にも失礼だ。
そうなると一人でこの家と田畑を守っていくことになるのだが、そんな稼ぎはない。
パートでは守るどころか、自分ひとり生かせていくことすら出来ないだろう。
将来、もし生活保護を申請しにいくとしても妹夫婦がいるだろうと多分受理してもらえないだろう。
自殺する勇気もなく、先の見通しも一切ない。
この不安感からやる気や生きる気力が尽く奪われています。
まだ恵まれているこの状態から「助けてください」と声を発するのは甘えなのだろうか?

パートを繰り返し微々たる賃金を稼ぎ、両親が生きている間はその年金で何とか生を繋ぐというイメージしか思い浮かばず、ほぼ希望が見出せません。生きていたいと思うこともありません。あるのは一方的に交わした死者との約束だけです。
家族にはこの部分を見せたことがなく、きっとこれからも見せられないだろう。
命が危機に晒された時、私はきっと「助けて」と言葉に出来ないと思う。
悩みがあっても人には相談せず、抱え込み続けた人生なので頼り方がわからない。
こうこうこう言うことで苦しいんだ、どうしたらいいんだろうと言うだけでもいいと思う。頼り方はきっとそう言うのもだとおもうんだけど、言えない。どうしても言えない。
人前に出るとテンションは勝手に上がる。だから多分、私のこの表に出ているのと真逆なネガティブな所はある友人一人しか知らないと思う。


誰かに手を差し伸べてもらって助けてもらいたい半面、これは甘えだ、自分の力で何とかしろと言い続ける部分もある。むしろ後者の方が大きい。
思考が纏まらない。
誰かに助けてもらうのは甘えなのだろうか。
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