出産→育児→そして現在。 

September 05 [Tue], 2006, 2:46

出産予定日は7月3日だった。でも、実際は6月30日に出産した。3322グラムの女の子だった。
ママになった喜びはとても大きかったが、そのウラでは不安も大きかった・・・。
先のことを考えると不安は大きくなる一方だったが、先ではなく今を考えるべきだと、そう自分に言い聞かせて『がんばって育てていこう』と決心した。子育てが大変なのはみんな同じだと思うから。。。
そして早1年が過ぎ、今年の6月に無事1歳のBIRTHDAYを迎えることができた

ベビが何を言っているのか聞き取れない。。。
お風呂では機械をはずさなくてはならないので、まったくコミュニケーションが取れない。。。

子育てについて色々悩みが増えてきた今日この頃。。。
そろそろ私と同じ人工内耳装用者と出会いたい・・・。
色々と情報交換、相談などできる相手を見つけたい・・・。
そして思い切ってACITAに入会してみた。
入会したことにより、色々な方と出会えれば良いなぁ。とそう思ったのである。
それと同時にNETでも色々と探してみようと思った。

そして現在。。。まだ出会えていない。。。  
でもいつか出会えることを信じて、平凡な毎日を送っている。

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次回からは日記形式でお届けしまぁす



免許取得→仕事探し→就職。 

September 04 [Mon], 2006, 14:07

手話サークルに入って約1年がたち、ある程度人工内耳での聞き取りも上がってきて、
『免許とって仕事探そう』と思うようになる。。。そして友達と一緒に教習所に通うようになる。

講義はできるだけ前の席に座り(何を言っているか理解できなかったが)一生懸命聞いた。
家に帰ってから講義の復習を欠かさなかった。
実技の時に自分は何号車にいけばよいか、アナウンスが聞き取れなかったときは事務の人に聞いたりした。車内では1対1なのでなんとか教官の言っていることは理解できた。(たまに聞き取りにくい教官もいたけど。。。)
そんなこんなで、無事に免許取得できた私は、『次は仕事だなぁ。』と思い、仕事探しが始まった。


仕事はなかなか見つからなかった。。。
最初は障害者向けの求人で探さなかった。自分が興味を持った職業を探して、面接に行ったりしていた。健康な人より聞こえにくいから、不利だということはわかっていたが、自分の中で妥協したくなかったのである。たてつづけに採用試験に落ちまくりの私は『やっぱり聴力ないとだめなのかなぁ。』と凹む日々を送っていた。
そんな時、母に『やっぱり障害者向けの求人の方が良いのでは?!』と言われた。
私は3ヶ月ごとに通院している。その日は会社を休まなければならなくなるのである。
色々考えた末、障害者向けの求人で探すことに・・・。そして、商業高校を卒業していた私は銀行に就職した。


中途採用?!のため、1月入社だった私。。。正月明けからの出勤だった。
その銀行には難聴者が数名いた。(みんな年上の方でした)手話がちょっぴりできるようになっていた私はすぐに溶け込めた。『手話活用できてるよぉぉぉ。』と感動Aだった。
配属された係の方々も、とても良い人ばかりで、耳のことはみんな了承済みなので気が楽だった。(耳のことに関してのみ。笑。)何度も聞き返してもわからないことは、筆談してくれた。
係の方々ともすぐに仲良くなって、仕事もがんがんこなしていった。
係には同年代の子が沢山いたので、とても楽しかった♪
沢山話すと自分もリハビリになるので、皆さんに仲良くしていただいてホントありがたかった。
でもでも女性ばかりの職場だったので、人間関係など色々ごちゃごちゃしていた。
そんな話についていくのも大変だった。。。まぁ今では色々と勉強になったなぁと思う・・・。

そして入社して4年半後、出産を機に退職する。(一昨年の6月末に退職。。。)


手話サークル。 

September 03 [Sun], 2006, 2:05
人工内耳の手術後の外出は、通院くらいだった。
その当時は通院だけで精一杯だった。他の事をする余裕なんて全くなかった。
なにかしたいと思っても、耳がだめだから・・・。とすぐ諦めてしまっている自分がいた。

手術した当時は、あまり世間に人工内耳は知られていなくて、ネットで検索しても同じ境遇にたっている人たちと出会うこともできなかった・・・。そんな時、ふと

『手話サークル探してみようかなぁ。。。』と思った。

手話サークルなら、手話を覚えれば自分の居場所があるような気がした。。。視野も広がると思った。
そして地域のポータルサイトのbbs に『市内で活動している手話サークルを探しています。』とカキコをした。自分で1歩踏み出せた私はそこでYさんと出会った。

Yさんは私より3つ上のきれいな方だった。もちろんYさんは健聴。
手話歴は長くて、素敵な方だった。聞こえなくて、手話もできない私に一生懸命、話掛けてくれた。
私の話に耳を傾けてくれた。それがとても嬉しくて週1のサークルはとても心地よかった。。。
そして指文字から一生懸命勉強した。手話を覚えることによって、他の人たちとも交流が持てるようになり、とても嬉しかった。みんなといろんな話ができるようになった。

以前STの先生が『手話は覚える必要ありません。』と言っていたが、私は手話サークルに入ったことで、社会復帰への意欲が増していったように思えた。

ありがとう、Yさん。ありがとう、手話サークルのみんな・・・。
みんなのおかげで私は少しずつだけど変われたのだと思う・・・。

Yさんは結婚を機にサークルやめてしまったけれど、私は現在も在籍中・・・。
入った当時のメンバーは現在は数名しかいないけれど、今は今で楽しい♪
これからもずっとサークルは続けていきたいと思っている。


今だから言える・・・。 

September 02 [Sat], 2006, 17:28

今だからこういう話ができるんだけど・・・。

聴覚を失った時、現実を素直に受け入れられなくて
ぶっちゃけ人生がいやになったときもあった。
障害者になったんだ…。って変に意識しすぎている自分がいた・・・。
昔の友達とか、近所の人に会うのがとても嫌だった・・・。
なんでもマイナスに考えてしまうようになっていった・・・。
聞こえないせいで夢も夢のままで終わってしまった・・・。
未来なんて自分にはないと思うほどだった。
聞こえない自分がとても嫌だった・・・。自分の居場所が無いように思えた。

でもいつかはちゃんと、聞こえない自分に向き合わなければならない時がくることはわかっていた。
それは誰かが解決してくれる問題ではなく、自分自身でなんとかしなくてはならない問題だった。
だけど、私はなかなか向き合えずにいた。。。ていうか、向き合いたくなかった。
自分は障害者だとすんなり受け入れられなかった・・・。

あの頃はホントになにもかも嫌だった・・・。

















昔のことB(転院→手術→音入れ編。) 

September 01 [Fri], 2006, 10:30
パソコンがいきなり壊れてブログがとまってしまってました
どうもすみませんでした・・・m(_ _)m


では前回の続きを・・・。

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東京のに転院して最初の1週間は手術のための検査をしました。
人工内耳の手術を左右どちらの耳にするか決めるため、聴神経に電気を流したり。。。
針のようなもので聴神経を刺激する検査らしいのですが、この検査はめっちゃ痛かったです
その検査の結果、私は左耳に手術することになりました。
そしての内の美容院にて耳の周りの髪の毛を剃ったり着々と準備していきました。

そして手術の日がやってきました。私は手術そのものが人生初だったので、前日からかなり不安でいっぱいでした手術当日は家族がにかけつけてくれたのでちょっぴり心強かったです。
そして麻酔のため、手術前に肩に注射を打ちましためちゃA痛かったです

私は午後一での手術でした手術時間が予定よりも延びて、病室に戻ってきたのは夜の9時頃でした。病室に戻ってきた時の記憶は麻酔のせいか、ほとんどありませんでした。あとで母に聞いたところ、みんなの名前を呼んでいたそうです。

手術した日の夜はめちゃA長い夜でした。麻酔がきれてから目がさえてしまって、なかなか眠れませんでした。酸素マスクはとても苦しかったです。(自分ではちゃんと呼吸ができるって思うのですよ。。。)変な呼吸のしかたになってしまい、腹筋が痛くてA大変でした

次の日の朝には酸素マスクも取れて、トイレも自分で行っても良いとのことでした
苦しかった酸素マスクがとれたときは、すがすがしい気分でした
そのすがすがしい気分もつかの間、その後、びっくり事件がおきました
トイレに行こうと思い、病室を出たら大きなめまいにおそわれ、廊下で倒れてしまいました
頭がぐるぐるして、立てないし、まっすぐ歩けず・・・そんな自分にびっくりでした

そしてその約1週間後、抜糸をしました。これまた痛かったです
あまりにも痛いので、普通は1度で終わらせる抜糸を2度に分けてやってもらいました。

そしてその2週間後(手術して約3週間後)待ちに待った音入れの日がやってきました。
私は前日からドキドキでした。母も朝からに来てくれました
耳鼻科の先生方、STの先生、コクレアさん、母に見守られながら音入れがはじまりました。

人工内耳で初めて人の声を聞いた私の感想は・・・
『ワイドショーのプライバシーかかった声だぁ』 でした。
なんていうか、ロボットみたいな、まさに機械の声って感じでした。

私は中途失聴なので、健聴だった頃の音と人工内耳での音を比較する事ができました。
その点、先生方には私の聞いた音の感想は『表現がわかりやすい』と大絶賛でしたが、私は正直なところ複雑でした。前に聞いていた音と、人工内耳を使用して聞く音では全く違う音だったからです。
手術をする前はこんなに差があるのかと思っていなかったのです。なので、ぶっちゃけショックでした。
その私の心境を察したのか、STの先生は『今後リハビリすることにより、聞こえの力は上がっていきますよ。一緒にリハビリ頑張っていきましょうね。』と励ましてくれました。私は『はい。』と答えたものの、やっぱりショックでした。わたしが人工内耳にたいしての期待が大きすぎたなぁ。。。と。。。
音入れが無事終わり、夜は疲れたせいかぐっすりな私でした

そして数日後、STの先生とリハビリがはじまりました。
私の担当だったG先生はとても熱心で、いつしか私の心も動いていきました
『先生が言っていた言葉を信じてみよう。リハビリ頑張ってみよう!!』と・・・。

そして術後の経過もよく、音入れから2週間後、退院しました。
今後のリハビリは3ヶ月に1度の通院で。ということになり。。。

そんな感じで私の人工内耳との生活が始まりました。












昔のことA(入院生活@編。) 

June 17 [Sat], 2006, 0:55
その年の5月下旬のこと。検査A&点滴の入院生活が始まった。結局、最初は検査入院だったのが『治療しましょう。』ということで長期入院に。。。

そして半年ちょっと経ったある日、担当の先生に病気についての説明があった。
『あなたの病気は原因不明の突発性の難聴です。現在の医学では確実な治療法は無いので、今後の聴力の回復は見込めません。あきらめてください。』と言われ、今まで何があっても笑顔で頑張っていた私はそこで初めて泣いてしまった。先生や看護士さん、両親のいる前で号泣してしまった。ただAもう悔しくてA…。
そして先生は『聴神経が正常ならば聞こえを取り戻す別の方法はあります。』と人工内耳の話を始めた。『手術して、人工内耳を埋め込めばリハビリ次第で再び音を聞くことができます。でもこの手術を受けるということは、もう自分の聴力の回復を待てないということ。つまり再び以前のように自分の耳で聞くことができなくなります。このまま回復が見込めない聴力の回復を待つか、手術をするか・・・。手術をするなら聴神経が正常な、つまり早いうちに手術をしないと、効果ありません。どうしますか??』と言われた。
(後から聞いた話だが)その時両親はすぐに『何もしないなら、手術して、聞こえをとりもどした方が良いのでは・・・。』と思ったそう。でもその場ではとても言えなかったそうだ・・・。そのときはまだ、私はそんなことを考える余裕すらなかった。というか、そんな手術のことを考えたくなかった。あたしはまた自分で以前聞いてた、聞こえてた音を再び聞きたいと思った。どうにか奇跡を信じたいと・・・。


でも1週間たっても、2週間たっても音は全く聞こえてこなかった。そして数ヶ月が経ち、あたしは決心した。『手術受けよう!』それと同時に休学していた短大を退学することを泣く泣く決めた。授業が英語なので手術を受けたら、授業についていけないと思ったのだ。。。そして翌年3月に手術の為、東京のに転院。第2の入院生活が始まったのである。  続く。

昔のこと@(人生が変わった編。) 

June 16 [Fri], 2006, 23:00
いきなり現在の事を書いてもどうかと思ったので、ここ数日間は昔のことを書きたいと思います


あたしの人生が狂いだした年、あたしは高校3年生でした商業高校を卒業し、ツアーコンダクターになりたかったので(高校在学中にツアコンになりたいと思い始めて…。)、その春、親の反対を押し切って県外の観光学科のある短大に進学した商業高校で情報処理の勉強をしていたのに全く違う方向に進学したので、勉強が大変だろうと思っていたが、短大に入学できたことが何より嬉しかったので、私は何が何でも頑張ろうと張り切っていたそれに1人暮らしにとても憧れていたのでホントに毎日が楽しかった1日、1日がホントに充実していた
友達もできて『この生活にも慣れたなぁバイトでも見つけようかなぁ』なんて思い始めたある日悲劇は訪れた
目覚めるといつもと何かが違った。をつけても何も聞こえないのであるが壊れているのではないかと思い、実家にをしてみる私。。。呼び出し音も聞こえないその瞬間、頭の中が真っ白になった友達にをしてその日は学校を休み、すぐにへ向かったそしてその日、そのままアパートには戻れず即入院することに・・・。まず検査の為の入院だという説明を受けたその時はまだ、もう2度と学校へ行けなくなるなんて思ってもいなかった・・・。続く。


ブログはじめました。 

June 15 [Thu], 2006, 0:44
あたしは19歳の時に原因不明で両耳の聴覚を失ってしまいました中途失聴者ですそんなあたしのことをいろいろと書いていきたいと思いますちなみに今は1児のママしてますあたしはブログ初心者ですどうぞよろしくお願いします
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