スパノバシックス・03 

June 19 [Mon], 2006, 23:55
 <エムの心臓>

  01

 たとえば銀色に続く通路の片隅で、エムの胸に耳をあて、エムの左手に自分の右手をそっと重ねて、祈るように瞼を伏せてながら動かないサフィの姿をよく目にする。
 サフィの唇はいつもかすかに動いていて、ひっきりなしに何かを呟いている。
 周囲を憚る様子のないその声はあまり大きくも小さくもなく、通路を通りかかる誰かの耳にも当然聞こえてしまう。

 それは、上目遣いと遠慮がちな言葉が常であるサフィの、奇妙な、そしてただひとつの悪癖だった。

 みんな怪訝そうにふたりの様子を横目で流して行き過ぎていくけれど、サフィにはそんなことは関係ない。背中を丸めて、エムの心臓の位置に頬を擦り寄せ、エムの背中を痛そうなくらい壁に押しつけながら、何時間も何日もそうしている───はずだ。

 これは私とリュビの勝手な予想だけど、もしも誰からも顧みられず、二人を求める声もなく、世界中にお互いしかいなければ、きっと彼女たちは永遠にそうしつづけるに違いないと私たちは思うのだ。私はリュビと、とろけそうな甘い笑顔がとびきりの彼女と、いつも半分笑いながら、囁くような声であの双子について話し合った。
 それは私にとって、私たち自身のことを話題にのぼらせない、ひとつの手段でもあった。
 実際のところ、私たちには、何時間もそうして過ごしていられる時間は与えられていない。サフィとエムが、飛行場に通じるラッタルの陰で、あるいは格納庫で眠っているのスパノバの中で、二人きりで寄り添っていられる時間はいつもせいぜい数分だ。
 サフィがそうしているあいだ、エムはいつもつまらなそうに天井を見上げていたり、サフィの背中越しに持ち上げた自分の指の先のまるい爪を眺めていたりする。
 自分にしがみついているサフィの存在がまるで見えていないかのように、また、そんな自分たちが第三者から見ればどんなふうに映るのかをちっとも認識していないかのように。
 潮時が来ると、エムがサフィの名前を呼ぶ。一度だけ、小さな声で。 
 サフィが少し顔を上げる。エムはその身体を自分の身体から引き剥がし、まるで何事もなかったかのように歩き出す。サフィと目を合わせることもしない。

 エムは、本当に、サフィをおいていくことを躊躇わない。

スパノバシックス・02 

June 17 [Sat], 2006, 3:02
 その時のことを、あとになって何度も思い出してみる。
 私たちのことをながれぼしのようだと言ったあの人のことばといっしょに。

 とくべつなことを言うようにはちっとも見えなかったのに、先生の唇がいつもどおりかすかに動いて、少しも揺れない声でそのことばをつむぎ出すと、私たちはみんな、まるで星に打たれたように動けなくなってしまった。
 いつも授業のあいだじゅうつまらなそうにしているエムでさえ──心底けだるげにだったけれど──その時ばかりは目をあけた。
 だって、そんなことを私たちに言うひとなど、それまでひとりもいなかった。
 そんなことを言ったら先生のおかしなところなど、私たちはいくつも挙げることができる。
 私たちの目を見て、私たちの名前を呼んで、なにかあったときには、その乾いた痩せた手を私たちの肩や頭のてっぺんにそっと置いてくれて。
 そんなひとを、わたしたちはそれまで一度もみたことがなかったのだ。

「それは、希望という名がついています。知っていますか?」
 
 誰も答えなかった。みんな握りしめた自分の手か、そうでなければ机の疵を見ていた。
 長い沈黙のあと、先生がペルルに視線を向けた。
「ペルル」
「はい」
 おさない声。かわいいペルル。
「答えて下さい」
「はい。のぞみ、という意味です」
 その時、一度も笑い顔を見たことがなかった先生の目が、ほんの少し、本当に少しだけ細められたような気がしたのは、錯覚だったのだろうか。
 ペルルが回答に対する判定を待っていた。
 いつもはすぐに「違います」とか「その通りです」とか言う先生が、その時はなぜか答えるのに時間がかかっているようだった。
 自分で出した質問なのに、難しすぎたのかしら。
 みんなが多分そう思い始めていたとき、
「その通りです、ペルル」
 いつも通りの静かな声といっしょに、先生は頷いた。
「とても大切なものだということを、憶えておいて下さい」

 それは、私たちの物語のおわり。
 あと一ページですべてが完結する、その瞬間のできごとだった───

スパノバシックス・01 

June 17 [Sat], 2006, 2:57
 その日、先生は私たちを前に静かにこう言った。

「君たちは、星をも砕く石の翼に乗って、私たちの手の届かない大きなそらへと飛んでいく。
 暗黒のカーテン、一千億をくだらない惑星、熱のないカイパーベルトに、シリウスの兄弟星───そんなものに向かって熱の尾を引く、流星のようなこどもたちです」

 いちばん小さなペルルが、その白いおかっぱの髪を揺らして、くすぐったそうに笑った声を覚えている。その横でビアンカが窘めるように彼女のやわらかい脇を肘でつついている様子も。
「君たちは、夢を見ることのない生き物です。こどもというのは、そういうものです」
 サフィールが青い瞳をじっと先生に向けている。
 ぎゅっと握りしめられた拳はお行儀よく膝の上に並べられていて、いまにも泣き出しそうなのを必死で堪えているみたいに唇を結んでいた。
「夢を見ないかわりに、君たちが眠りの中で培うものはなんでしょう」
 そこで、先生はサフィールの隣で眠るように目を閉じていたエムの名前を呼んだ。
 まるで、本当に夢から醒めたような顔で、エムは椅子に座ったまま、教壇に立つ先生を見上げた。
「それは、僕たちが答えることではないのでは?」
 明るい緑の瞳を先生に向けて、エムは聞き返した。
 瞳の色以外はすべてがおなじもので出来上がっているはずのサフィとエム。
 でも、たったいま、サフィは心配そうに横目で片割れを伺い、エムは退屈そうに再び眠りに落ちようとしている。
「そう……そうであるかもしれません」
 先生は言った。エム以外の私たちは、みんな先生を見た。
 リュビの手が、机の下で私の手を握っているのがわかった。
 彼女の掌はいつも温かくて、私はいつもそれが少し気味が悪いと思うのだけれど、リュビのことは好きだった。
「私は君たちに学問を教えます。星々のあいだで生き抜く術を教えることもあります。
また、君たちの身体を流れる血液と呼ばれるものの成分がなんであるか、解析する手伝いをすることもあります。
 それと同じくと考え、私は君たちに教えましょう。
 いつか、暗黒の海でたったひとりになったとき、それが君たちを救うことがあるかもしれない」
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