雨に打たれる 最終話 〜滴、落ちれば〜
2007.08.13 [Mon] 22:18

ふと気が付くと僕は寝てしまっていた。
テレビも付けっ放し、午後の情報番組が健康食品の宣伝をしていた。また朝には出会えなかった。最近はこんな日の繰り返しだ。ふとカーテンを避けて窓の外を見れば、また雨が降っているようだ。雨が降ると部屋の中はやたら暗くなる。当然、起きてもスッキリしない。こんな日はいつまで続くのか。雨が止んだら気分が晴れるだろうか。それとも雨は関係ないのだろうか。

寝ぼけたままの頭を揺り起こし、寝癖を掻きながら身体を持ち上げる。パソコンのスイッチを入れて歯を磨きに行く。今ではパソコンを通して世界中と繋がることができる。それなのに孤独感は耐えない。繋がっているはずなのに、自己の希釈、圧倒的多数の海。人ごみの中で寂しさを感じるように。僕は何処を漂っているのか。知らないうちに、僕は何処か遠い場所に流されて行ってしまったのだろうか。地球という大きな星の、隅っこの方へ。その隅っこには至る所にボタンがある。でも、ボタンを押したところで僕の寂しさは紛れない。結局は何も変わっちゃいないのかもしれない。どんなに技術が進んでも、むしろ発展が逆に、人と人を切り離していく。つながらなくても生きていられる、そんな錯覚が生まれ、気持ちは歪み、人は深い穴の中に落ちていく。声は届かなくなる。

パソコンのミュージックプレイヤーを起動して、お気に入りの曲を流す。流れてくる他者の価値観。何が正しいのか、何をすべきなのか。ガチガチの固体だと思っていた自分の輪郭が、グニャグニャと簡単に変わっていく。少なくとも僕らしいカタチをしていたであろうものは、元の様子を忘れてしまって、在るべき姿を見つけられないでいる。それでも事態は何も変わらず、焦りだけが虚しく宙に弧を描いて行ったり来たりしている。僕は何のためにここにいるのだろうか。僕とは何か。

くだらない自問自答も絶えることは無い。昨日買ったパンを食べる。ただ一つ間違いないのは、僕はここにいて、延々とゴミを生産し続けているということ。僕が生きれば生きるほど、地球の環境は少しずつ悪化する。でも僕は生きるのを咎められたことは無い。思考の暴走、何がなんだかわからなくなった僕はテレビに目を向ける。こうしていれば、ただ深深と時間を過ごすことができる。


ベランダでは滴が垂れている。ただ雨はどうやら止んだようだ。僕は準備をして外に出る。懲りもせずに僕の身体は生きることをやめようとはしない。それが当面の理由だろうか。このシステムが動き続ける限りは僕は生き続けるのだろう。

ラーメンは飽きた。夕食を考えながら自転車にまたがる。ふと昨日のことを思い出した。あの猫はまたあそこにいるだろうか。こうして無為な日々は続いていく。少し蒼い空が、正確には夕焼けを少し含んだ空が、雲の間から顔を覗かせている。自転車をこぎながら猫を探す。自転車から滴が落ちる。
 

雨に打たれる 第三話 〜雨は止んで〜
2007.08.05 [Sun] 18:18

ラーメン屋を出た時には、雨は止んでいた。だがしかし如何せん季節が季節だから、雨は何時降り出してもおかしくない。急いで家に帰れば、晴れ間のうちに辿り着けるかもしれない。僕はペダルをぎりと踏みしめた。

家の近くまで来て、ふと気付けばさっきの場所にもう彼女は居なかった。雨が止んで、えさを取りに行ったか、寝床に戻ったか。大したことではないのに、何故か少し寂しく思った僕は、自転車を止めて、少し辺りを見回してみた。曇り空の下の街、道路からは雨の匂いが上がってくる。先程と同じ街は、確実に時間軸を疾走していた。また僕は取り残されたのだ。猫は猫、鳥は鳥のコミュニティに属している。ならば、人間の僕は、人間のコミュニティに属せているだろうか。

「やめやめ。くだらない。」

僕はなんだかどうしようもない気持ちになって家に帰った。家に帰れば、箱の中で道化がおどけて見せたり、文化人が政治に文句を言ったりしている。僕はカレンダーをめくった。新しい月になってめくるのを忘れていたのだ。確実に僕の中の時間は停滞していた。

どうやらまだ雨は上がったままのようだ。できれば、僕が寝ている間に降って、僕が起きたらやんでくれれば助かるんだがなあ、と人間特有の理不尽さを振りかざし、そのおかげで、ああやはり僕は人間か、と実感した。テレビを消して布団に入る。だが寝れるわけも無く、暗闇の中で目を閉じる。こんなときには余計なことを考えてしまうものだ。頭の中から追い出そうにも、静けさがそれを許してはくれない。ループは拡大と縮小を繰り返しながら続く。

もう一度テレビをつける。こうして生活リズムはさらに崩れていくのである。
 

雨に打たれる 第二話 〜猫〜
2007.07.15 [Sun] 19:54

曇り空はより一層の圧力を持って空を埋め尽くしている。雲というのは雨粒の塊だと聞いたが、これだけ雨が降っても消えないとは一体どれだけの水分を独占しているのだろうか。雲を捕まえることができたら、きっと砂漠の緑化が進むに違いない、どうすれば雲を捕らえることができるだろうか、大きなビニール袋で包んでしまうのは如何だろう。

そんなことを考えながら、猫と雨宿りをしている。一体何をしているのだろうか。彼女は相変わらず空を見ている。人間というのは、どうにもこうにも飽きっぽい性格のようだ。次から次へと新しい何かを求め、何かをむさぼり、飽きれば捨て、放置し、無かったことにする。文明が発達すればするほど、傲慢さは増し、それでいて当たり前かのような顔をしている。猫に対して申し訳ない気持ちになりながら、空を見上げれば灰色は複雑な周期でダイナミックに動いている。世界は刻一刻と姿を変える。僕は急に寂しくなって、置いていかれたような気がして、思わずその場にしゃがみこんだ。雨は地面に跳ね返されてピチピチと音を立てていた。空はより遠くなる。

もし僕が猫だったら、世界は如何見えていただろうか。少しは世界と一緒に廻っていられただろうか。少しは自分の姿がきちんと形付けられただろうか。

僕は日本の片隅でうずくまっている。日本では、猫は「にゃあ」と啼くのである。

あくまでも、日本では、にすぎない。アメリカの猫、インドの猫、スイスの猫、はまた違った声で啼くのだろう。猫の啼き声に、人間の作った国境を持ち出すのは至極失礼な話である。猫には猫なりの境界線があって、彼らのコミュニティを重ねているのだろう。人間の僕には知る由もない話ではあるが。

雨はどうにも止みそうもない。そろそろ出発した方がいいだろうか。ふと彼女の方に目をやると、こちらにはやはり全く興味を示していない様子である。ひげはピンと張り、周囲の状況を事細かに把握しようとはしているみたいなのだが、その「周囲」の中には人間が居る必要は無いのである。

「また一人か。」

そうつぶやいて僕は自転車にまたがり傘を差した。腹が減っては戦が出来ぬ、が別に戦などせぬ、そう心の中で叫んだ僕は夕食を求めてこぎだした。
 

雨に打たれる 第一話 〜雨〜
2007.06.18 [Mon] 00:04

 今年も梅雨の季節がやって来た。
春と夏の境界線。四季のどれにも属さない、不思議な期間。
雨はただシトシトと降り続ける。
まるで汚れた地面を洗い流すかのように。
雨に打たれれば心の中まで洗い流されるだろうか。
流行の歌の中にそんな歌詞があった気がする。
だがそんなことはどうでも良かった。
雨音に耳を澄ます。地面の起伏を感じる。
跳ね上がった水滴は壁にぶつかって弾ける。
そうやって雨の様子を想像するだけで気持ちが落ち着いた。
いや、落ち着いたと自分に言い聞かせていただけかもしれない。
心の中には確実に不安の一種が存在している。
それを打ち消すかのように雨を描くのに集中する。
雨の日は外に出たくなくなる。



 今日もまた午後に目が覚めた。生活リズムはズレにずれている。身支度をすると食事に出かける。大学生というのは、一番不健康な世代であるかもしれない。自由に甘え、自由をむさぼり、自由に押しつぶされ、自由に囚われている。そんなことを考えてまた馬鹿らしくなった。自分の存在理由、自分の価値、世界の意味、ものごとの正しさ、どうでもいい事を考えるのが大学生の第一の仕事である。
 今日は雨降りだった。梅雨に入ってしまった世界はシクシクと涙を流している。そんな涙を、文明の利器「ビニール傘」で理不尽に避けながら自転車にまたがる。さあ、何を食べようか。迷った挙句ラーメン屋や定食屋に落ち着くのはきっと世の理だろう。ただ、水の中に居る感覚は思考をやや穏やかにする。雨の中の散歩などという、風流でなければ酔狂に違いないことを考えてしまうのも雨の仕業だ。自転車のペダルを踏むと、雨はある角度を持って僕にぶつかってくるのだ。

 ふと、街の端に目をやると小さな猫が軒で雨宿りをしていた。この街はやたらに猫が多い。だから不思議でもなんとも無いといえばそれまでなのだが、大抵、雨降りというヤツを猫は嫌いらしく、こんな空模様のとき彼ら彼女らはどこかに姿を消していることが多い。だがその猫は確実に曇天を見上げなら雨音を聞いていたのだった。可笑しくもあり、かわいそうでもあり、僕の心はすっかり小さな住人に向けられていた。自転車を止め傘を閉じて、一緒に雨宿りをしてみることにした。彼女は(そんな気がしたのだ)、こちらを気にすることも無く空を見ている。一体どういう心持ちなのだろうか。同じく空を見てみる。雨は当分止みそうにない。