ゆめゆめ屈するな!小沢一郎。屈すれば日本国民が死ぬ。 そもそも、強制起訴そのものが無効。第五検察審査会はまともに開かれていなかった。

May 22 [Tue], 2012, 2:50
首相と小沢氏の会談調整の意向mediaid4そもそも、強制起訴そのものが無効ゆめゆめ屈するな小沢一郎。
屈すれば日本国民が死ぬ。
第五検察審査会はまともに開かれていなかった。
門前払いが、まともな司法。
ネット市民は、声を大にして言い続けねばならない。
最高裁の犯罪を隠蔽。
検察の犯罪を隠蔽。
国会で、たださねばならない。
消費増税と、小沢氏への攻撃回避を取引しようなんて、まるでナチス橋下の、仮装の利益をちらつかせるやり方。
橋下氏は実際には存在しないレトリックによる利益を作為的に創出することによって、相手に要求を飲ませるべきであると述べています。
そして、この仮装の利益をより有効に起動させるためには、譲歩の演出法が重要になると説きます。
参照自分らの勢力が加害者として、小沢氏に攻撃を加えておきながら、私の言うことを聞いたら、攻撃を回避されるという利益があなたにはやってくる。
得ですよ、小沢さん、私がその利益を苦労してあなたに差し上げるのです。
取引しましょう。
悪い話ではないでしょ。
控訴も無罪にするよう、米国経由のご指導で、司法官僚も動かしますから、裁判もメディアも思い通りです。
ね、小沢さん。
悪党だ。
野田も最高裁も、検察も、メディアも。
ゆめゆめ屈するな小沢一郎。
屈すれば日本国民が死ぬ。
参考以下、天木さんのメール2つ。
天木直人のメールマガジン2012年5月11日第370号控訴の対抗策は検察審査会制度の矛盾を白日の下にさらす一涛ヒ破だ小沢遥結愛裁判はもはや政治の場の戦いに移ったごとくだ。
もはや我々にできる事は限られる。
それでも我々は出来る限りの事をしなければならない。
どうすればいいか。
それは今回の控訴という暴挙を木っ端微塵に打ち砕くために検察審査会の無効性を訴えて強制起訴決議はなかったという一涛ヒ破で攻めることだ。
小沢裁判に対する批判の中でこれまでさんざん言われてきた事は検察の捏造捜査報告書が検察審査会を誤って誘導したということであった。
それはもちろん大きな問題だ。
しかしもはや検察を批判するだけでは十分ではない。
もはや検察叩きは当たり前になりつつある。
誤りを犯した検事の起訴、処罰まで進もうとしている。
おそらく検察組織の改革までも行なわれるかもしれない。
しかし検察が責任を取ることで小沢国策犯罪に蓋をしてはいけないのだ。
検察批判が高まる一方でまったく批判の矛先が向かわないのが最高裁である。
最高裁事務総局という名の司法官僚や、その頂唐ナある竹崎最高裁長官の責任は一切問われない。
この聖域にこそ国民の目を向けさせなければならない。
なぜ最高裁の責任が大きいのか。
それは最高裁が検察審査会を牛耳ってきたからだ。
検察審査会の悪の根源は検察ではなく最高裁なのだ。
そもそも検察審査会の強制起訴議決がなければ小沢起訴はなく、小沢裁判はなかった。
裁判員制度の導入とともに検察審査会法を改正して検察審査会に大きな権限を持たせた司法改革こそ追及すべきなのだ。
司法改革の張本人である最高裁の責任を問うのだ。
たとえば、誰が何の目的で検察審査会に強制起訴という絶大な権限を導入したのか。
誰でも裁判の判決を不服として申し立て出来る制度が適法なのか。
個人的恨みのある者が悪意で申し立てできるような制度が適法なのか。
小沢一郎ならずとも、我々誰もがそのような形で起訴されるようになれば暗黒の世の中になる。
これこそが究極の人権侵害である。
何よりも、今度の事件で検察審査会が開かれていなかったとしたらどうか。
形式的に審査員を選び、審査員間における審議や議決が、我々が当然視しているような形で行なわれていなかったとしたらどうか。
もちろん強制議決など不当、違法である。
繰り返して言う。
強制起訴議決がなかったら、あるいはそれが無効なら、玄関口でこの裁判は成立しなかったのだ。
共謀罪がどうだとか、認識があったかなかったか、などという議ェ一切ナンセンスなのだ。
実は市民の中で検察審査会は開かれていなかったという事をあらゆる調査の結果間違いないと最高裁に詰め寄っている一人がいる。
当然ながら最高裁はこれを一切認めない。
メディアは検察のことはさんざん叩いても最高裁は追及しない。
この一唐ェ明らかにされた時唐ナ小沢起訴のすべてが吹っ飛ぶ。
森ゆうこ議員が求めている秘密法務委員会の調査対象はまさしく検察審査会が開かれなかったという事に対する検証なのである。
我々にできる事は検察審査会の存在を検察に証明させることだ。
秘密日青海委員会は必ず実施させなければならない。
その過程で最高裁の疑惑を白日の下にさらすことだ。
聖域にメスを入れることである。
了天木直人のメールマガジン2012年4月24日第330号26日の小沢判決の前にどうしても書いておきたいこときょうのメルマガはこの一つにとどめておきたい。
ここ数日の間、私は連日のように東京を往復して小沢裁判の問題に関わってきた。
小沢問題にここまで関わることは私の本意ではなかったのだが、行きがかり上そうなってしまった。
私をそうさせたのは無私の立場から真実を追求したいと願って小沢問題を調べてきた何人かの良心的な市民活動家の誠意と熱意であった。
そして国会議員でただ一人、小沢問題に真剣に取り組んできた森ゆうこ議員と話しながらその活動に敬意を抱いたからである。
小沢問題が国家的な陰謀であることはもはや疑いの余地はない。
しかし、だからこそ、その証拠を突き止めることは不可能だ。
権力側は決して証拠を見せないからだ。
たとえ証拠が見つかってもそれを認めないからだ。
そのような制約の中でどうしたら動かぬ証拠を見つけられるか。
私の関心はその一唐ナあった。
そして様々な情報を通じて私が確信するに至ったのは検察審査会は開かれていなかったのではないかという疑惑を徹底的に検証することだった。
なぜならば小沢起訴は検察が二度にわたって不起訴にしたものを国民から選ばれた検察審査会が強制起訴したからだ。
もし検察審査会が開かれていなかったら強制起訴は成り立たない。
裁判そのものが成立しない。
小沢一郎が裁判で問われているものが、秘書との共謀であろうが、政治資金の記載漏れであろうが、そんな事は二の次だ。
そもそも裁判が成り立たないのである。
もし検察審査会が開かれなかったにも関わらず小沢一郎を起訴したならそれは紛れもない陰謀であり国家犯罪である。
どんなに国民が無知、無関心であってもさすがに気づくだろう。
この国はとんでもない国だ、と。
だから一涛ヒ破で検察審査会は開かれていなかったという新事実を明らかにすればいいのだ。
もちろん検察審査会が開かれていなかった、というのは誇張である。
形式的には開いた形を取っていたに違いない。
しかしそれは全員が一同に会してまともに話し合って審査したと言う意味での審査会ではないということだ。
すべては最高裁、最高検がシナリオを書き、決議に導いたという意味で開かれなかったという意味だ。
その証拠を市民活動家が見つけ、森ゆうこ議員と一緒になって最高裁、最高検に質してきた。
ところが最高裁、最高検は一切の応答を拒んできた。
どうにもならないから森議員が衆参両院議長に検察審査会の実態を調査する法務委委員会秘密会の招集を求める要請書を提出したのだ。
遅きに失したうらみはあるがそれでも判決前にそれを求めた事は正しい行動だ。
残念ながらその要請書に署名した国会議員は720余りいる国会議員のうちのわずか100名余りであった。
この国の国会議員が、いかに問題意識が希薄であるかということだ。
最高裁、最高検に対して臆病であるかということだ。
しかも大手メディアはこの重大な動きについて書かない。
きょう4月24日の新聞もほとんどもの森議員の行動を無視している。
私が見落とさなかったのは読売新聞の記事だ。
読売新聞は検察審査会制度に詳しい専門家の名を借りて、判決直前にこのような動きを見せるのは政治の司法への介入だと批判している。
とんでもない。
法務委員会で検証しようとしているのは司法官僚の実態だけではない。
検察審査会が適正に開かれていなかった事を知っていながら、あたかもそれが開かれていたと当然のように書き続けたメディアの共謀性を問うことでもあるのだ。
森ゆうこ議員の調べで検察審査会が適正に開かれていなかった事を示す決定的な証拠が見つかった。
検察審査会法では、検察審査員を前にして検察官はなぜ起訴しなかったか、出来なかったか、その理由を検察審査会が起訴議決する前に説明氏なければならない事になっている。
ところが担当検察官がそれを行なったのは何と強制議決の後だったと証言している者がいることがわかった。
この疑惑を森議員が質したところ、その検事は顔面蒼白になったという。
以来その検事は森議員の照会に応じなくなったという。
法務委員会の目的はその検事と証言者の双方を証人喚問し、どちらの言い分が正しいかを白黒つける事にある。
ところがおそらく法務委員会は開かれないであろう。
残念ながら、政治家は動かない。
政治家を動かすのは国民だ。
その国民を動かすのはメディアの正しい報道だ。
ところがメディアが小沢問題を正しく報じない。
最後の手段は外国特派員協会における記者会見を行なうことだ。
外国特派員を通じて世界に発信するのだ。
この国は政治弾圧を公然と行なう違法国家だ、日本のメディアはそれを知っていながら書かない。
権力側ついて正しい報道をしない。
だから外国特派員の助けを借りてこの国で行なわれている一大政治弾圧を世界に伝えて欲しいと訴えるのだ。
そしてその記者会見を行うのは26日の判決前でなければならない。
判決で有罪が下されればすべては終わりだ。
その前にどうしても記者会見を行なう必要があるのだ。
出来れば小沢一郎自身がそれを行なうのがベストである。
私なら記者会見に出てこう訴える。
私は明日26日無罪の判決を受けると確信している。
しかしたとえ無罪判決が出たとしてもその判決は無効だ。
なぜならば検察審査会の適正さに疑義が見つかったからだ。
だから明日の判決言い渡しは延期される事を求め驕B
検察審査会の疑惑が解明された後に私はいかなる判決も受け入れる。
この事を伝えたいためにここに来た、と。
果たして25日の外国人特派員協会における記者会見は開かれるだろうか。
小沢一郎は出席するだろうか。
因みに私が23日に外国人特派員協会を訪れた時、そこには判決が下される26日の午後に政治評ニのジェラルドカーティスが小沢裁判、判決結果とその衝撃というタイトルで講演することが掲示されていたのを見つけた。
権力側はすべて見通しだ。
手回しが行き届いている。
だからこそ小沢一郎は25日になんとしてでもそこで記者会見を開かなければならないと思う。
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