親からもらった素晴らしいもの

February 20 [Mon], 2012, 17:55
よしもとばななさんの人生の旅をゆくを読んでいたらいろーんなことを考えさせられたのだけれど一番がこの親からもらった素晴らしいもののこと何度かmixiで書いたけれど父には仕事を楽しむことをもらった会社を経営していた父は、当然経営の苦労はあったろうに私には一切それを見せなかった一番覚えているのはどの温度でどの圧力で水を流すと良いかというのをシャワー室でもって、一緒に考えたことだ父の仕事は自動制御盤装置の製造、販売、メンテナンスだったので何かしらの水の制御の仕事だったのだろう実験みたいで楽しかった後に溶岩浴の仕事をしたときも、溶岩の厚みとか、部屋の温度と湿度とか、を試行錯誤しながらしていた。
頭を使って、手を動かして、作り上げるそれが実に楽しそうだった。
高校生になって、アルバイトをしろ、と言われた厳格な女子高校だったため、本来は禁止なのだが、こっそりやった成績が落ちたら即辞めることという条件つきでしたアルバイト私は、本当にやって良かったと思っている厳しかった、泣かされた、震える手でクレームの電話を取った桜祭りの騒動のなか、ドリンカーを必死にこなした。
たくさんのお客さんを一気にさばいたり、忙しくても必死な顔を見せずにやる根性が養われた銀座や赤坂の店に連れて行ってくれた兄弟たちと、訳も解らずにナイフとフォークを使い、ステーキのコースを食べたことを忘れない大人になった私を当時のエスカイヤークラブという、会員制のレストランに連れていってくれた。
そこにいたウエイトレスさんたちは、全員バニーガール姿で、網タイツで私は大人の世界をちょっとだけ味わうことが出来た父は、身分や肩書きで友人を選ぶことをしなかった河口湖にはたくさんの芸能人が遊びに来たし、一緒に話もしていたけれど芸能人だろうが、ヤクザだろうが亡くなった父の親友はヤクザ女子校生 動画の親分だったしw地元の人だろうが、みな同じように接していた母からは奉仕の精吹vをもらったいつでもどこでも、困ってそうな人が居れば話しかけて世話するし近所の子供たちはみな、我が家の庭で一緒に水遊びをしたり、お昼にそうめんを食べたりした。
その子達の親は、預けっぱなしだったと聞いて、驚いた街頭で募金活動があれば、必ず募金していたまた、母は私たちの探求心を大切にした上野の博物館が何階建てか忘れたけど各階をまんべんなく見せるために、何日も続けて連れていってくれた学ぶことが大好きだった私には、幼稚園からワークブックを与え造ることが大好きだった弟たちには、父の工具箱を自由に触らせた私たち3人子供は母の元で、自由に遊んだり学んだりした食事は質素でおもちゃは与えられなかった私たち3人は、みな工夫して遊ぶことを覚えた千葉の田舎で育った私たちはそれこそ泥んこになって日が暮れるまで遊んだ夕方にはアニメを見8時だよ、全員集合の日以外は夜の8時に寝かされた早寝早起き、よく食べ、よく遊ぶそんな当たり前の育ち方をした
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