結成ヒストリー最終話 

2007年08月15日(水) 23時38分
そーまっちが入った後の流れは、以前のアキオの部屋に既に書いたので、省略します。(手抜きと思った君!なかなか鋭いぜ) 8月19日 古巣オリンズでの八周年記念ライブを間近に控えた、創設メンバーのアキオ氏とたねひろ氏に 話を聞いてみました。


「八周年ですね!こんなに続くと思ってましたか?」たね「いや、まったく思ってなかった。焼酎でヨッパラッてなんとなく参加して、、運命を感じるな」 アキオ「俺は産まれた時からわかってたさ」 たね「鉄こん筋クリートのセリフぱくってるだけじゃん、すぐ影響されんだから」アキオ「言ってみたかったのです。すいません」 「なんで続いたのだと思いますか?」 たね「やはりアキオ君に、弱味を握られたのがでかい」アキオ「全く同感です」 「音楽的に合ってるのではないのですか?」 たね「酒飲みとしては合ってる時もある」 アキオ「全く同感ですな」 「もっと真面目に答えて下さい!アキオ氏はたくさん曲を作りましたが、どうやって作るのですか?」 アキオ「ふとした時に降りてくるのさ。神様の贈り物だ。俺はそれを捕まえればいいだけだ。 などとキースは言ってますが、僕の場合 そんなことはなく
て、結構必死で作ります。でも皆に気に入られようと、作りはしません。原型を持っていってリハで馴染む曲だけ生き残ります。だからプレイしてる曲以外にも、ボツ曲はたくさんあるのです。」 たね「ボツにしても怨み事を言わない君は偉い!」 アキオ「いや、、家で愚痴ってます。最低〜 」 「ロックぽくないですね〜 たくさんメンバーがかわりましたが?」 アキオ「それは皆仕事もプライベートもあるし、でもお客さんは、お金払って来てくれるし、自分が疑問に感じたら辞めるのは当然だと思うし、強制でやるものではないから」 たね「そう、でも 皆 いいメンバーだった。ありがとうと言いたいよね」 アキオ「本当に誰一人欠けても、ここまで続けられなかったと思う」 「今までで一番印象的だったのは?」 たね「万馬券が当たった事」アキオ「ダイドーの自販でコーヒーが当たった事」 「バンド
で!わざとやってますね」 アキオ「印象的というか、いろんな事があっての8周年で、決して綺麗な道のりではなかった。そこで辞めなかったのは、やはり その時のメンバーの一言だったり、何よりもみに来てくれるお客さんの言葉だったり、全て絡みあっての8周年だから、ひとつなんてあげられない。でも、出来たらもう何も起こらず普通に10周年は迎えたいな」 たね「そのとうり、やっぱ 俺たちまだまだだし、全然これからなんですよ、出来たらこのメンバーで、いろんな意味で向上して、続けられる限り頑張ってみたい」 「最後にまともな答えが聞けて良かったです。じゃあ これからも頑張って下さいね!」 アキオ「たねさん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」 たね「馬鹿やろー、まだ始まっちゃいねーよ」 「またパクりましたね。ではライブ会場で!」

結成ヒストリー第六話 

2007年06月16日(土) 0時55分
「サンキューソーマッチ!」 その頃の8ccはまさに、酒を飲む暇もない忙しさだった。 毎週の様にライブやイベントをこなし、合間には、1thアルバムのレコーディングも始まっていた。 しかし、突然のベース「土居サトシ」の脱退。またしてもメンバーは苦境にたたされていた。 土居さんの脱退については、参議院選に立候補したかったとか、カリスマ美容師になりたかったとか、様々な憶測がとびかったが、おそらくどれも嘘であろう。 とりあえずは一月後に決まっているライブをどうこなすかが問題だった。 ハツヤ氏は「俺が足でドラムを叩いてベースを弾くよ」などと言ったが、土台無理な話であった。 たねひろは「ギターを弾きながら、口でベース音を出すってのはどうだ?」という案を出したが、ゴスペラーズでもそんな芸当は無理だろう。やはり代わりのベースを探すしかなかった。

アキオは、ありとあらゆるコネクションを駆使して、ある情報を掴んでいた。 昔、ハツヤ氏とコンビを組んでいたベースマン「相馬タカシ」が故郷の札幌に潜伏しているというのだ。 アキオは彼の、ファンキーで太いベースはもちろん、誰にも真似できないMCにも一目おいていたのだった。

アキオは札幌に飛んだ。しかし、住所も何もわからない。3日間の滞在の中、アキオは焦った。何よりも手ぶらで帰りハツヤ氏にキレられるのを恐れたのかもしれない。

とりあえず新聞に広告をうった。「タカシや連絡おくれ、みんな待ってる」と、しかし全く効果はなかった。チラシや貼り紙で「指名手配 相馬タカシを見つけたら金一封」と 顔写真入りで呼び掛けたが、来たのは何故か同名の犯罪者の情報だけだった。 塞ぎこんだアキオは、あきらめて映画でもみて帰ろうと、映画館に入った。 映画のクライマックス、後ろで感動して泣いている男の声がした、振り返ると正にその男こそ、相馬タカシ その人だったのだ! 映画の後アキオは、言葉巧みに彼を誘い、次のライブでは「イェーイ!人類に愛を、僕に仕事を!」相馬タカシ節が炸裂していたのだった。

余談だが、その時二人が見ていた映画とは「エバァンゲリオン」だったという。 次回 結成ヒストリー最終回 に 続く!

(無題) 

2007年04月13日(金) 21時02分
テスト

結成ヒストリー第5話 

2006年11月23日(木) 23時36分
「キレる奴、爆初谷」


小山氏のバンド脱退は、メンバーの中ではかなり大きかった。 アキオ氏は、マスコミ対策を考えて、記者会見の練習までしたのだが、特にどこからも要望がなく、8ccの知名度の低さと、日本の音楽事情を改めておもいしって、更に落ち込んだという。

しかし、ライブスケジュールは詰まっている。アキオは気をとりなおして行動を開始した。 そこで目をつけたのが「爆初谷」こと、はっちゃんである。彼とはセッションもしたことがあるし、そのタイトなドラミングは、8ccに新たな風を吹かせてくれるのではないかと思ったからである。

果たして彼は参加してくれるのだろうか?
アキオは考えいくつかのプランを実行した。
まずは、ファミレスに行ってパフェをおごるプラン。初谷氏の甘いもの好きに目をつけた知能的プランだ。 しかし8ccが酒好きという事は彼の耳にも入っていて、「無理せずビールでも飲みなよ」などと言われ、一杯のつもりが、記憶をなくし、目的も忘れ、長々と「藤子不二雄」のAとFについて語ったあげく、会計も初谷氏が払ったのだった。
次のプランは、初谷氏の好きな競馬場で偶然会うプランだ。噂によれば彼は起伏の激しい性格で、競馬に勝った時なら機嫌よく参加してくれるのではないかという心理的盲点をついたプランだった。だが、彼の買う馬買う馬いっこうに当たらない。 結局全てレースを外し、噂以上のキレっぷりで、関係のない高校生に「未成年がこんなとこ来てんじゃねぇ」と説教まで始める始末だった。タイミングを掴めぬまま、アキオは競馬場を後にしたのだった。


残された最後のプランは「普通に誘う」だ。初谷氏がヘルプで参加したライブを、アキオはたねひろ氏と見に行き、終了後声をかけた。「8ccのドラムが辞めちゃってさぁ、ハハハ、困っちゃって、一緒にやらない?はっちゃんだけに、8ccなーんちゃって!」うまくないシャレを効かせて精一杯気軽に誘ったつもりだった。彼は言った。「あーそうだってね、こないだ土居さんから聞いたよ。んで、俺もちょうどバンドが解散したばかりだから、よければ一緒にやろうっていっといたよ。あっ、ただし条件つきだけどね」

なんと!すでに承諾済みだったのだ。拍子抜けした二人だったが、新たな風の予感にガッチリと握手を交した。そして、はっちゃんの出した条件にメンバー全員サインをして、第二期8ccがスタートしたのである。 さて、はっちゃんが出した条件とは、、、。


8cc参加への定義。 ひとつ、飲み会への参加は強制しない事。無理に誘ったらキレます。 ふたつ、日曜のゴールデンタイム(競馬の時間)にリハを入れない事。入れたらキレます。 みっつ、ライブの前日は徹夜で飲まない事。飲んだらキレます。 よっつ、一日一膳! 以上 爆初谷 かなり過酷な条件だったが、彼をメンバーにするため皆、心を鬼にしてサインをした。その結果、ドラムに安定感が出て、はっちゃんのハイトーンのコーラスも加わり、セッションっぽいロックバンドが、みんなが歌えるロックバンドに変化していった。 お客さんも増えた。イベントにも多数出た。正に波に乗ろうというその時、まさかのベース土居サトシの脱退が決まったのだった。


〈続く〉

結成ヒストリー第4話 

2006年09月13日(水) 21時14分
「サヨナラをいう前に」


1999年、秋。かのノストラダムスの大予言がみごとに外れ、五島勉が雲隠れしている頃、バンドは多忙を極めていた。 先ずは柏の路上ライブ。 その頃柏は、某TV番組から生まれたグループが、昔、柏で弾きかたりをやっていたという事で、それにあやかろうと、ストリートミュージシャンが溢れていた、とりあえず彼等も便乗してみるか、とやってみたのだった。 結果、四人にPA無しはキツク、ライブといえる演奏にはならなかったが、土居さんが、妙に酔っぱらいになつかれて、ギターケースには投げ銭が、貯まった。本来の目的と離れ、酔っぱらいの余興みたいになっている所、うら若き女性の視線が! 彼女こそ、のちに首都圏でバンドをやってる人なら、知らないものはいない程、有名になる「ミエP」その人だったのdeath。
偶然柏にいた、彼女は「8ccも私のイベントに出て下さいよ〜」と誘ってくれたのだった。メンバーはまるで、個人的にデートにでも誘われた訳でもないのに、顔を赤らめていた。ちなみに、土居さんは、酔っぱらっていて、既に赤かったので、余り変わりなかった。 この出会いがキッカケとなり、今でもお世話になっている、船橋月への出演が決まったのだった。

その他にも、柏ウーへの出演。Fオレンジという、異才「広瀬」さん率いるバンドと対バンだった。
そのベースが、そーまっち。ドラムが、バクハツヤ氏であった。8ccとそーまっちの初めての出会いはここだった。これが後に重要な意味を持つ事になるとは、誰ひとり思いもよらなかった。ただアキオだけは、FオレンジのFっていったい何だ?藤子F不二雄みたいだな、広瀬さんは、三上博そっくりだな、と思っていたが、決して口にはしなかったという。
そのほか、たねひろとアキオの二人だけで予選を勝ち抜いた、柏「ストリートブレイク」残り二人は、仕事で欠席だった。

オリンズ主催のホールライブにも出演した。 だが、この頃から、ドラム小山和良の奇行が目立ってきた。
ストリートブレイクの本番の時間になっても、現れないので、電話すると、おもいっきりパチンコ屋にいたり、オリンズのサウンドチェックにも来ないので、電話すると、今度はサンバカーニバルのオネェサンに釘ずけになってたり、正に戦慄の奇行士だった。(この時トラで叩いてくれたのが現在のドラム、若草山苺なのだから、運命は既に交差している) バンドの調子と裏腹に、彼のやる気は急速に失速していった。
そういえば、たねひろと、小山氏が、日比谷野音の「ブルースカーニバル」を観にいった時の事、ステージでは、大御所バディガイが熱演を繰り広げていた。そのクライマックスに、バディは自らのピックを客席に投げた。まるで「次はお前の番だぜ」とでも言う様に!そして、そのピックは真っ直ぐたねひろに飛んできた。彼は、バディからバトンを受け取ったのだ!驚喜する彼に、小山氏の連れの女性が「わ〜凄い!見せてぇ」とねだってきた。彼は快くピックを彼女に渡した。と、その時である!なんと彼女は、その大事な記念ピックを自分の口の中に入れ、悪びれもなく、吐き出してたねひろに返したのである!

彼はこの時の様子を、こう回想する「全くあの時は、怒りが頂点に達して、アクマイザー3みたいに、黄色から赤に変身するかと思ったよ。でも、小山君の連れだし、女性じゃん?俺は笑って許したのさ。でも、心は、泣いていたんだ。敗れた高校球児の様に、30年ぶりに再会した親子を見つめる、徳光さんの様に!そして、又ひとつ俺の心にブルースが刻まれたって訳さ」(たねひろ自伝『反逆のアイドルたねひろ、彼こそThe・8cc』より抜粋)

そして遂に小山和良はバンドを脱退した。 当然メンバーは止めたのだが、彼の意志は固かった。しかし、まだまだ決まっているライブやイベントがたくさんある。落ち込んでも要られず、次のドラマーを探さなくてはいけない。そこで目をつけたのが、前途の「Fオレンジ」が解散して、フリーになっていた、バクハツヤだった。


〈続く〉

「アキオの部屋」 

2006年08月26日(土) 11時01分
結成ヒストリー第3話 「夏の扉」 1999年、夏。
かのノストラダムスが、悪魔の大王が降りてきて、世界が崩壊すると、予言していた渦中に、バンドは、千葉の海岸にある、音楽館で、一泊二日の強化合宿を行った。正に、命をかえりみない、とてつもない勇気のある男達だ。
小山氏が仕事の関係で、夕方に現地に来る事になってしまったんで、残った三人で、朝五時に出発をした。 BGMは、アキオ編集の60〜70年代のロックミュージック!海沿いで「セイリング」がかかったときには、まるで、洋画のアクターにでもなったみたいで、最高にハイになっていた。
二時間チョイで、大網辺りの海に着き、海の家で一服。 朝からビールに、焼ハマグリと早くもリラックスムード。 目的を忘れて、はしゃぐ三人だった。 軽く飲んで海へ、 土居さんは、海パンを忘れてきてしまったんで、どうするのかと思ったら、なんと全裸で海水浴! さすがは、ラ・フランスならぬ、裸・日本 土居サトシ! 朝早くで余り人がいないビーチだとしても、あまりにも大胆な行動に、清水とたねひろは、驚愕した。 そして彼の、いろんな意味での大きさに感嘆した。しかし、何故か二人は、彼の半径300m以内には、決して近寄らなかったという。
その後、三人は、長い海沿いを、上半身裸にサングラスという、いでたちで車を飛ばした。そのさまは、まるで「ワム」のプロモビデオのようだった。
上興津にある、スタジオ件宿泊布施につくと、さすがにバンドマン、目的は忘れていない、なん時間もリハを繰り返し、新曲だった「愛っていったいなんだ?」や「テーマ」を仕上げていった。 夕食時に、小山氏到着。 もくもくと夜九時すぎまで、リハを繰り返した。
皆さんは、この後、大宴会になると予想するのだろうが、さすがに皆疲れきっていて、ビール一杯でノックアウト。 ダラダラとベットへ。
しかし、元気な男がひとりだけいた。 遅れてきた小山和良である。 普段寡黙な彼だが、この時は饒舌で、寝ようとする、三人を阻止して、海にナンパに行こうという。
適当に聞いていた三人に、いかに、夏の海の夜が、素敵な場所かを淡々と語っていた。自らの体験談を交えて、、、。
その姿は、さながら、マハリシの説法を聞く「ビートルズ」のようだった。
小山氏の熱意が皆に通じて、四人は夜の、危険な海へ! この後、なにが起こったかは、ここには記さないが、一つだけわかった事があった。それは、俺達にはバンドしかない。という事だった。
朝七時、朝食に起きたメンバーは、やたら元気で、早くもスタジオ入りしている、小山氏を除く三人で、トランプに興じる事にした。 「ババ抜き」をやろうと、土居さんが言い出したからだ。 清水アキオは、「いやぁトランプって久しぶりだなぁ。ところで、ババより強いのって何だっけ?」
小学生でも知ってる「ババ抜き」で、ババより強いはないだろう。彼は一体どんな子供だったんだろうか。優しい、たねひろ氏は、ゆっくりとババ抜きのルールを説明してあげた。強いとか弱いとかじゃなくて、最後にジョーかーを持っていた人が負けなんだよ、アキオ君と。
しかし、この時彼の頭のなかは、こう言っていた。「ババより強いのはアンドレだ」と。

その後は、更にリハを重ね、バンドとしてのアンサンブルに、かなりの手応えをもって、夏の合宿は終りを迎えた。
これを期に、バンドは、馬橋オリンズだけではなく、いろんな場所でライブを重ねる事になる。 しかし、まさか、そんなときに、小山和良はバンドを去って行ったのだった。


続く

アキオの部屋 

2006年08月17日(木) 9時39分
結成ヒストリー 第2話
「始まりはジャージーに」 告白しなくてはなるまい。 皆さんの思い描く8ccは、恐らくロックバンドであろう。 今となっては、誰も否定しないだろう。 しかしだ、実は8ccは、ジャズバンドだったのだ!
そう、デビューライブには実は、もう一人ジャズギターリストがいて、ドラムの小山和良と共に、清水アキオの書く、ド8ビートの曲を思いきりジャズアレンジで、演奏していたのだ。 このミスマッチに、初ライブは、さすがの優しいお客様も、ドンびきで、唯一たねひろが決めたハープソロだけが、救いの様なライブだった。

清水アキオユニットと名乗った、その五人組は、音楽性も方向性もバラバラで、 その夜に、早くも解散したのだった。

しかし、清水は諦めなかった。 やっと組んだバンドである、これがなくなったら、又さみしい、一人の夜が続くのだ、それだけは避けたかった。 彼は又、電話魔と化していた。 全て悪いのは、ジャズギターリストのせいにして、もう一回だけチャンスをくれと、せがんだのだ。 一番早く落ちたのは、ベースの土居サトシだった。 数万円の裏金が動いたとか、動かないとか、ともあれ彼は参加する事になった。 そして、小山和良、ある日を境に、彼も参加を決意してくれた。ある筋によると、柏のキャバクラで前日に飲む二人を見たとか見ないとか、、。

そして、たねひろである。 かなり説得には難航した様子だが、またもや、焼酎五杯に、煮込みをつけた頃には、参加する事になっていた。 そして、年末に行われた、そのライブは、実に躍動感溢れるライブだった! 当時を知る、若草山 苺は、こう回想する。 「あの頃の8ccは、なんか神がかっていて、ジャンルを越えたパワーがあった。どちらかというと、余りこの頃は知らない人が多いだろうが、俺は、このメンバーの時が一番好きだったね。小山氏が抜けた後、ドラムがなんで俺じゃないのかって、思ったもん」 確に、四人が、一体になった時は、すばらしいかった。名物になっていた、土居さんのMCも、面白かった。 ハープしか吹かなかった、たねひろが、ギターも弾きはじめ、更に、音に厚みができた。 毎週の様に新曲を書いてくる、アキオの頑張りもあった。
そして異常な、酒量。 昼からサイゼリアで飲みはじめ、ワインをガンガン空けて、きずいたら、夜11時だったとか、ライブ前なのに、朝まで飲んで、車で寝てライブとか、よくあった。 その頃は、皆、酒を抜くため、ライブ前に必ず銭湯に行くという、恒例の行事があった。 で、ライブで汗かき、終わったら、また飲むのだ!
いつの間にか、バンド名もThe・8ccになり、馬橋オリンズにて毎月ライブを行っていた。 しかし、良いときと、悪いときが、余りにありすぎるのと、オリンズ以外の所でのライブに進出するべくして、バンドは夏の合宿に突入するのだった!


続く

アキオの部屋 

2006年08月14日(月) 8時34分
8cc結成ヒストリー 第一話「たねひろとの出会い」


1998年 春の事だった。それは一本の電話から始まった。 その頃清水アキオはバンドを解散した後で、一人弾き語りのライブ活動をしていた。 その夜も彼は、日曜に行われるライブの準備に余念がなかった。 と、その時電話が鳴った。 しかし、こんなとき、かかる電話といえば、たいした用事でもないはずだ、留守電にきりかわるまで、ほっておいた。「はい、清水音楽事務所です。清水アキオはただいま、海外に放浪にいきました。その多忙な彼に、どうしてもという方は、伝えてやってもいいのでメッセージを、、、」 「あの、ブルースステーションというバンドの江戸サワモトですが、ライブにゲストで出演してくれないかな、、、」 なんと、当時、泣く子を黙らした後で、更に泣かすギター弾きといわれていた、かの、江戸サワモトさんからの、ライブのお誘いだ。もちろん二つ返事でOKだが、ナメられてはいけないと思い、「あー留守電聞きましたよ。
たった今ロスから帰ったばかりよ、えっ、あぁ自分探しの旅ってやつよ。で、さっきの話だけど、その日だけ、たまたまオフなんで、メンバーによっては出てもいいよ」などと生意気な返事をしたのだった。 大人の江戸さんは、怒りに震えながらも、紳士的に「メンバーは完璧さ、ドラムに初谷氏。彼は今いろんなバンドに引っ張りダコだけど、参加してくれるんだ。 後、ブルースハープで凄い男がいるんだ、たねひろっていうんだけど、、」 ライブ当日、彼はゲストとして3曲をプレイした。オリジナル2曲に、ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」だった。彼は、心をうたれた。 たねひろのハープに、そして、初谷氏のドラムに! しかしこの時は、初谷氏が、後に8ccに参加するなどという事は、まだ、しるよしもなかった。 何故ならこの頃彼は別のバンドをやっていたからだ。

そして、ライブ終了後、たねひろは、清水アキオに決定的な一言をいってしまう。 「なかなか楽しかったよ。今度オリジナルの曲でまた、ハープを吹かせてよ」そしてこともあろうに連絡先を教えてしまったのだ! たねひろは当時を振り返る。「いやぁ、社交辞令っていうか、軽い気持ちだったんだけど、まさか、あのあと、何回も何回も、、(泣く)本当に電話がかかってきて、、、」

清水アキオはしつこかった。ライブの度、誘い、デモテープを送りつけた。 やんわりと断り続けていた、たねひろだが、彼には弱点があった。 それは、酒好き、だというところだ。 清水は居酒屋にたねひろを誘い、おごった。
焼酎、五杯で、バンド参加を了解したという。


そして、同じ手口で、土居サトシをベースに、ジャズメン小山和良をドラムに、The・8ccの歴史がスタートしたのだった。

(続く)

初めての曲解説 

2006年03月10日(金) 22時19分
早いもんで今年も残す所9か月となりました。

皆さんお元気でしょうか? さて、アキオの部屋ですが、今回は、前回ライブでやった曲の解説をする事にしました。

全く興味のない方々ばかりでしょうが、どうか年よりの座れごととききながしてください。


「立石メモリーズ」
2thアルバム「Living in the world」を制作するにあたって、葛飾区立石にある「極楽や」という飲み屋さんに、出資をしていただいたのだが、その条件が、立石、葛飾、極楽や、のキーワードを使った曲をアルバムに一曲入れる、というものだった。
実は、身もふたもないんだが、私は、立石の駅に降りたのは、極楽やにライブをしにいく時しかなくて、立石という駅名さえしらなかった。
極楽やに通った、数少ない記憶を頼りに、詞を書いたのを覚えている。 カウンターで飲んでいる時、隣の常連さんが、「この店は家みたいなんだ、俺がくると、店員さんが、おかえり〜と迎えてくれて、俺も、ただいま〜と答えるんだ」と、語っていたのをそのまま全体のモチーフにした。
この曲は、いろんな方々にカバーされたり、ライブで合唱してくれたりと、本当に幸せな曲です。

「パーティは続く」
一番最近の曲です。ベース無しでライブをやる事になった時、三人でやってかっこいい新曲を作りたいな、と考えた結果が、この曲です。 ベースが無いのだから、間を埋めれるような曲とも思ったが、引き算の法則で、逆にスカスカにしたら良いんじゃないかと思ったワケナンです。最後の「どうせ明日になればみんな忘れちまってる」というのは、最近の自分の教訓みたいなもので、失敗しても明日になりゃ忘れちゃうんだ、と、自分を慰める為に使うのです。

「1 ・ 2・ 3」
この曲は「キラキラ」(2thアルバム収録)と同じ日に書いた曲。キラキラは絶望の中の希望というテーマで書いたので、凄い疲れた。で、何をそんなに真剣に歌詞をかいてんだ、と、馬鹿らしくなって、意味のない曲をと勢いで作ったのがこれです。ボツにしようと思ってたら、前の奥さんが、えらく気に入ってたんでリハでやったらハマりました。必ずという程ライブで演奏する曲。 これも2thに収録されてるが、相馬たかしベースバージョンと現在のミック遠藤ベースバージョンでは全く解釈が違っていて楽しい。是非ききくらべて!

「ガマガエル」
20代の頃やっていたバンドで良くプレイしていた曲。ステージにはいつくばって唄ったりと、かなり、気持ち悪い演出でやった記憶がある。 エッグマンのブッキング担当に、「アキオ君は例えれば、漫画版デビルマンなんだよね、売れるにはアニメ版デビルマンをやらないと」みたいな事を言われたが、その代表みたいな曲だった。昔は言ってる意味がわからなかったが、最近成程と思うようになった。(遅い!) 苺氏のドラムでやりたくなって復活。

「本当の笑顔、嘘の笑顔」
これは初代ドラムの小山氏からバクハツヤ氏に変わる時、ハツヤ氏に叩いて欲しくて作った曲。(わりと私はそういうのが多くて「ノンフィクション」なんて曲は相馬さんにベースを弾いて欲しくて作った曲。)歌詞は当時出演したイベントの唄い手が、やたらヘラヘラして気持ち悪かったんで、たねひろ氏とビール飲みながら見てて「アイツラの笑顔って嘘の笑顔だよな」みたいな事を話てて、そういう感じで書いた詞です。良く聞くと解りますよ。

「情報の森」
これは8cc初期からの曲です。新宿の歌舞伎町にある喫茶店で書きました。 苺氏のドラムにピッタリで最近良くプレイする曲です。前回ギターがトラブり、たねひろ氏がハープに持ちかえてプレイしたのが実にゾクゾクしたんで、次回からはハープでやった方が良いのではと思いました。1thアルバム「The・8cc」に収録。これもアレンジ全然違うよ。

「愛っていったい何だ」
1th、2th両方に収録してるだけあって、8ccにとってとても大事な曲。もしかしてこの曲がなければ、とっくに解散してたんじゃないだろうか?その位方向性を示した曲です。 初期メンバーでリハをしてるとき、たねひろ氏がイントロのリフレインを弾いて、私がそれに詞と曲をつけていった。デモを作ったのを、たねひろ氏に聞かせた時、私は「これ、何かクサイ曲になっちゃって、サビとか大袈裟すぎるよねぇ」みたいな事を言ったら、彼が「いや、これは8ccのキーになる曲になるよ。是非完成させよう」と言ってくれたのを思い出す。千葉の海ぞいで合宿して、何度もこの曲を練習したなぁ。印象的なサビ前のコードチェンジはこの時出来た。これからも唄い続ける曲だろう。

「ラジオデイズ」
同名の小説に感銘をうけて作った曲。この小説同様80代フレーバーを全面に出して、全く同じコード進行で最後まで行くという、プリンスが良く使う感じを真似しました。でもパクリではありません、影響を受けただけです。

「8ccのテーマ」
これは詩、曲ともに、初代ベース担当、土居さんです。R&Bっぽいベースアレンジに7thギターが絡む感じも彼のアイデアです。この曲も合宿で練り上げた曲のひとつ。最多演奏回数を誇る曲でしょう。(テーマだから当たり前か) 8ccが続く限り、このテーマは不滅です。Thank Youチャンドウ!

てな訳で、だいたいこんな感じで曲というのは出来ていくものなんです。バンドのメンバーのちょっとした変化や、やりとりが思いの他強く反映していると改めて感じました。 いい曲を作る為に我々は日々いろんな経験をしていかなくてはなりません。

おおまかにみて、第三期8cc、ダンデライオンライブで何かを掴みました。が、その何かが何なのかは全く解りません。だから次回ライブ船橋 月で その何かがより明確になれば良いと思います。皆さん、呆れずつきあってちょうだいませ!

新生8ccスタート! 

2006年02月18日(土) 22時05分
バンド始まって以来の苦境だった。
長い間ドラムを担当していたバクハツヤが脱退し、苺王子が加入したまでは良かったが、これからというとき正かのベース、そーまっちの脱退! めったな事ではヘコマナイ我々もさすがに堪えた。そして何度目かの解散の二文字がメンバーの頭によぎっていたのも事実だ。
そーまっち脱退が決定した後のバンドミーティングは実に思いフインキで行われた。場所は市川にあるアジア料理屋。苺氏は言った「大丈夫、俺は残るよ」 この一言で、俺は解散などしない、続ける事が大事なんだ。と強く思った。おそらく、たねひろ氏も同じ思いだったに違いない。 ベースなんて募集すればすぐ見付かるさ!そんな軽い気持でホームページに募集を載せた。しかし、、 長い間ベースは決まらなかった。ライブもアルマナックでやった。アコライブの一本のみ。半年以上ブランクがあいてしまった。
その間に私に玉のような可愛い長男が産まれたりと明るい話題もあったんだが、バンドの再開メドは全くつかなかった。 密かに私はベースを練習したりもしていた。
口火をきったのは、たねひろだった。「うだうだしてもしょうがないぜ、三人でやれる事をやろうぜ」 10月にオリンズでのライブを決めて三人の8ccのスタートだ。最初のリハでは私がベースを弾いた。 無理だった。 ツケヤイバで出来る程甘いもんではない。ポールやスティングは偉いのだ。永吉さんも凄いのだ。 次のリハではアコギからエレキにもちかえた

これはなかなか評判が良かった。音量がアップしてタイトなサウンドになった。
ヨシ、これでいけるぜ、三人の結束は意外にも固く、リハ後の飲み会も予想以上にもりあがった。しかし、誰かがベースがいればなぁ、などと言うと、とたんにフインキは重くなった。 そんななかで行われたオリンズでのライブ。たくさんのお客さんに救われまずまずの出来だった。
そして続いて行われた、北千住ダンデライオンでのライブ。ここで奇跡は起こった。
ライブ後、マスターのミック遠藤氏が声をかけてくれた。「俺でよければベースやらせてもらえないかな」たねひろ氏は言った「有りがたいですが、酒は飲めますか?それが条件なんだけど」遠藤氏は含み笑いを浮かべながらビール、焼酎、ウィスキーを黙ってイッキに飲み干した。決まりだった。
12月の船橋 月でのイベントを終え2006年

一月二九日 オリンズでのフルメンバー初ライブ。 サウンドとしては、余りにも甘く、間違いだらけだった。私も風邪をこじらせ声がかれてしまった。満足な出来とはいえないが、まるでバンドを始めた頃の緊張感が感じられ、実に新鮮なライブだった。いきおいだけは最高だった。
なんせ新生8cc初ライブである。沢山のお客さんに見守られ、無事終ることが出来た。 打ち上げももりあがったし、楽しい夜だった。 しかし、我々は、こんなものではないのだ。まだまだ やれる筈なのだ。新生8cc次回、ますます研きをかけダンデライオンへのライブに挑みます。皆さんよろしくお願いします! そして四月の船橋 月を経て、五月には、8cc、七周年記念ライブ、苺氏のソロ、ミック遠藤氏のソロを始めとして、アザミ嬢や土居サトシ、そーまっちや久しぶりにキャンサーズも出演する記念イベントをアルマナックハウスで開催します。ハツヤ氏には出演交渉中、初代ドラマー、小山ジャンレノ和良は未だ消息掴めず。 8ccに関わってきた人たちが多数出演します。ゴキタイクダサイ!
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:清水アキオ
読者になる
牛丼はもちろんつゆだく
さっぽろ一番はだんぜん塩派の蟹座、 B型、 人科、 雄類です。

カテゴリ“アキオのABC”は私がアルファベット順に、タイトルをつけてエッセイやら小文やらをつけていくという内容です。AからZまで、続けますんで、面白くない時も見逃して下さい!
カテゴリアーカイブ
Yapme!一覧
読者になる