左サイドの稲妻 

2005年10月01日(土) 15時55分
カリスマの引退

 私は再び研究室に通う日々を送っていた。そしてそこにはロッジの姿もあった。
研究室に戻ることになった時、ロッジをどうするべきか迷った。初めは家に残し留守番させようかと思っていたが、ロッジに外の世界を見せることは必要と判断し一緒に通うことにしたのだ。
 もちろんロッジにはjoss stickの研究は荷が重過ぎるため、簡単な仕事を与えた。
ロッジの仕事は3つだ。
一つ目はトマホークのアイドリング。
二つ目は防波堤の粉砕。
そして三つ目はお茶酌みだった。
 アイドリングはインターネットの普及した今の時代では、ベンザルコニウムでもできる仕事であるためロッジも直ぐに覚えた。
防波堤の粉砕はいわゆる『左手の法則』を習得するのに苦労していたが、それを覚えてしまえばあとはプログラムに従うだけなのでロッジも難なくこなした。
以外にも、いややはりというべきか一番覚えが悪かったのはお茶酌みだった。何度やっても茶柱が2本しかたたないのだ。しかも電波の非常にいいところでやってもなかなか3本たてることはできなかった。

u=9.7における板の影響 

2005年09月30日(金) 11時31分
トラブルとトラベル
 ロッジと暮らし始めて最初にに苦労したことはコミュニケーションだった。ロッジは言葉を話せないのではと思うくらいしゃべらなかった。私の質問にもほとんど首を縦か横に振ることで自分の意思を表現した。ハイかイイエで答えられない質問にだけとても簡潔な言葉で返事をした。ほとんどの質問に無表情で答えるロッジが唯一破顔させる言葉はなぜか『半額』だった。このことに気づいたのはフィルタの交換時期が迫っていた9月の終わりのことだった。カラフルなコードをPCに繋がずコネクタに繋げてしまう可愛い一面を持っていることに気づいたのもこの頃だった。
 食事についてはほとんど苦労はしなかった。というのもロッジは好き嫌いが全くないらしく、私が与える食事は全て綺麗に平らげた。一度試しに舞茸とドライバーをボンドで炒めたものをだしてみたが顔色変えずに食べきっていた。ちなみにこの時のデータレイトはその時までで最高の2000をかるく超えていて、カラーリンクは700前後だった。
 そんな生活が2ヶ月ほど続いていたが、私もロッジにかまってばかりはいられない。やりかけの研究もあるし、洗濯物も溜まっていた。ロッジは睡眠、食事、トイレ以外の時間をイスに座るという行動をして過ごしていた。

今日の実検 

2005年09月29日(木) 14時31分
覚えているだろうか…
今日は特別な日になった。あの赤りんごでおなじみのロッジがついにレーザーを抱えて走り出したのだ。
これにはさすがのオレンジ教授も驚きを隠しきれない様子だった、
なにしろロッジときたら仕事をしにきたと思えば、休憩室で映画を見ていたり、まじめに働きだしたと思えば、インターネットをしているといった感じで、半ばみんな呆れて諦めていたのだ。
 なにがロッジを変えたのかはわからない、しかしただ一ついえることは、ロッジは走ることができ、その足でどこにでも行くことができるという事だ。そしてそれが全てである。
 相変わらずレーザーは蒼が碧よりもよく出ているがそんなことは今のロッジには関係ない。例えトラバースが朽ちようともロッジは立派にレーザーを操ることができるだろう。
 思い返せばロッジとの出会いは衝撃的だった。オレンジ教授の紹介で会ったロッジはなんとも表現しがたい身形だった。ぼろぼろのバンドTシャツに三分丈のジーンズ、足元のスニーカーにはケチャップがこびりついていた。顔は青白く、髪型は坊主と七三分けの間の様な感じだった。パンパンに膨れたショルダーバックを背負い、右手には懐中電灯を握り締めていた。
しかしなぜか羽柴秀吉のようなオーラを感じたことは今でも鮮明に覚えている。そんなロッジをよろしくとオレンジ教授に云われた時はさすがに背筋が凍った。しかし自分をここまで育ててくれたオレンジ教授の頼みなので、私はロッジと暮らす覚悟を決めたのだ。
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