第二の人生を迎えた恩師からの電話

April 07 [Sat], 2012, 10:00
皆さんこんにちは、青木でございます。

ジャイアンツのあまりの貧打ぶりにストレス溜まりまくりの私ですが、先日とても感動的な事がありましたので紹介したいと思います。

新年度を迎え桜が咲く頃になりました。東京では例年に比べ一週間ほど遅くに満開の便りが聞こえてきた今日この頃です。

さて感動的な事とは、4月2日の夜に何と荒澤先生から電話があった事です。昨年は先生もいろいろと大変な事もあり、私からも連絡できずにいたものですから、何かあったかなと思いつつ電話をとりました。



すると先生からいきなり話を切り出し、『第2の人生を今日から始めたのさ。』と唐突にお話を始めました。

私もうっかりしていたのですが今年の3月で定年を迎えていたのです。

聞くところによると北区の児童相談所に勤め始めており、なんでも今日(4月2日)が仕事始めの日だったそうです。児童相談所では新入社員の如くに廻りの方に挨拶を行ったそうです。

先週まで中学の校長先生をしていた事はリセットし、新たな気持ちで業務に取り組んでいるとの事でした。

先生は次から次へと話し始めました。

なんでも、あの坂野先生から定年を迎えるに当たり手紙を頂いた事は声高にお話をされました。電話口で手紙の内容を一字一句伺いましたが、その中で『あなた(荒澤先生)にはたくさんの事を学ばせて頂きました』との言葉があったそうです。

荒澤先生にしてみれば坂野先生は一回り以上の先輩であり自分が学ぶことがあっても学ばせることは無いと思っていたものですから、その言葉にはいたく感動されたようです。



その手紙を受け取った翌日に、荒澤先生は坂野先生の自宅を訪ねたそうです。

その際は酒も飲まずに5時間近く延々とお話をされたそうです。坂野先生は73歳なるそうですが未だにスキーなどをしていて、悠々自適の生活を送っているとの事。

我々の中学時代にはプーマのジャージを身にまとい、無精ひげを蓄えた怖かった坂野先生がなつかしく思い出されました。

私が荒澤先生を師と仰いでいるように、荒澤先生は坂野先生を師と思っていたようです。

ただ私が思うに教育に関しての思いは同じだったかもしれませんが、中学自分の私にはまったく異なる教育手法と感じておりました。正直言って坂野先生とあまり話をした事が無いのでわからないというのが本音です。

さてその後も先生のお話は続きました。

私が昨年の大変な事が起こって以降は、逆に連絡を取らないでおりましたが、先生はしっかりと私の心情を読み切っていたようです。しかしながら教え子の方々からは励ましの言葉を頂いた事がうれしかったとの事でした。その話を伺ったときは何とも言えない気恥ずかしさがこみ上げてきました。


■建設中の建物を皆に説明しながら

その様な中で、新年度を迎え新たな道を歩み始めた初日に、わざわざ電話を頂いた私は幸せ者だと改めて感じ入った次第です。本当に有難いと思います。

私が現在、歌舞伎座の建設に携わり来年の竣工を目指し頑張っていることを伝えるのが精いっぱいでした。竣工後には招待しますのでぜひお越しくださいと申し上げて電話を終えました。

その直後に、電話を頂いたうれしさと裏腹に逆に申し訳ないという思いがどんどん大きくなっている自分がいました。

なかなか気後れする性格は治らないものだとしみじみと思います。さて私は2年前に着工した歌舞伎座も完成まで残すところあと1年になり、あわただしい日々を送っていますが、頂いた電話を励みにまた頑張っていこうと思いました。

以上

東日本大震災より一年

March 11 [Sun], 2012, 21:41
早いので震災から一年です。私も一年前のブログを読み直してみました。

陵陽の同期や仲間で直接津波や原発事故の被害に遭ったメンバーはいないようですが、さてこの一年皆さんはいかがお過ごしでしたか。



東京だけなのかも知れませんが当時の震災後「無闇な自粛」気風が蔓延しました。本来夜には無関係な消灯傾向で街灯、コンビニの看板照明が落とされ昨年末までそれは続きました。

一度コンビニでその事を尋ねてみました。すると「夜の消灯は無意味とは知っていますが、クレームを寄せてくるお客様がいてうるさいのです」との返事でした。

結局、被災と無関係だった都民に無闇な苛立ちが蔓延していた気がします。



私が勝手に推測したのは、皆、震災が発生するまで自分の事ばかり考えて生きてきた。そこへ震災が起こり実際は何もそれに対して出来ない。急に今までの自分の生き方に立ち返ると自責の念が起こった。そして周囲の出来事に「不謹慎だ!」と追求することで「自分は不謹慎ではない」とポジションを作っているのでないかーーと言うことです。

おびただしくTVを中心とするメディアで流される震災の画像は、被災地には流れていません(TVはない)しかし我々にまるで、思考や行動や義務を迫るように感じられます。

ソフトバンクの孫正義社長のように多額の個人寄付や、自然エネルギーの会社を立ち上げるなどの対応が一般人の我々には出来ません。



私は思いました。結局『絆』などと曖昧な言葉を掲げていますが、被災地に目を向けても具体的にはほとんど何も出来ない。政府に任せる以外にない。

そして同時に我々個人も震災や不慮の事故に遭う可能性は付きまとう。とどのつまり自分の周囲の人々を大切にする事しかないのではないかと。

私はやはり母親や兄弟の事が頭に浮かびます。いまこそ親孝行をしなければと。



そしてやはり日本人にほとんど信仰心が薄れていることも気になります。災害で突然家族や知人が亡くなってしまう現実の前にそれを納める論理などあり得ないのです。

皆さんも実家の信仰を確認し直す機会かもしれません。



さて『追悼』と言っても何を追悼するのか。知人が具体的にいない場合には困ります。

私はやはり亡くなった方々へは今後の日本をよりよい国にしていきますーー具体的に自分の仕事を通じた誓いをするしかないかなと思います。

このたびの震災はすさまじい、約一万六千人が亡くなった災害ですが、現地にも何度か出向いた自分にはどうも体験したことのない戦争を体験したように、空襲に遭ったような感覚があるのです。



焦土と化した町並み。そこは『復興』というより『こうなってしまったから、むしろ出来る事』に大きく転換した施策を実施する機会と捉えるダイナミズムも大切です。

結局何があっても我々は生きて行かねばなりません。自分の事ばかり考えてきた人はそこを顧みて、亡くなった方々の為にも人間らしい良い国日本を築いて行きましょう。



■被災に遭った友人がいる本日の気仙沼の景色

第39回東京陵陽会・2012新年会!「今年は我々の年だ!」

February 04 [Sat], 2012, 14:36


改めて新年明けましておめでとうございます!世界的に大雪の報道が散見され、東京でも降雪がありましたが皆さまお元気でしょうか!

このブログをスタートし初めての我々の干支(辰)を迎え気持ちは盛り上がるばかり。

そんな東京陵陽会の新年会にビッグなゲストが初参加。それは3年4組の山田である。そう、野球部の山田、奇しくもマンガ『ドカベン』の山田太郎とかぶりがちですっかり自分も彼のポジションはキャッチャーと思い込んでました。

現在山田は環境技術産業を手がける企業に所属し、最近では新エネルギー分野にも進出し、出張で日本を飛びまわって多忙の日々。

実名登録のSNSサービスfacebookで、連絡が取れるようになり、東京へも頻繁に来るとのことで、調整をし続け今回やっとタイミングが合った次第。



野球部の山田が来ると言うことで、東京にはBandoと岡田もいるのですが、岡田はホテルの仕事上週末&年頭は多忙で、Bandoは何とか駆けつけてくれるとのこと。

今回は田山も直前で予定変更で無理となり大久保もネコの宿泊予約(?)が入りドタキャン。山田は東山小であり野呂とも面識があるわけですが、野呂はお子さんが受験で、今回は涙の不参加でした。



陵陽で南高や旭丘、東高など公立優秀校のメンバーは大抵『美園英進学院』に行ってましたが、実は山田はそこへ就職し12年間も社員として指導をしていた人。青木等も北大時代はアルバイトをしている者は多かったが、社員になったのは山田ただ一人。

英進に思い入れの深かった青木は当然、思い出話から近況までこの話を盛り上がる盛り上がる。

大道は無関係(札幌セミナー派)なれど、余りに盛り上がっているので、聞いているだけで面白い。



あ、本日ははじめて池袋の開催です。実は毎回いろんな場所でやりたいのですが、神奈川方面から参加のメンバーもいるので、限度は新宿までかな〜と思っていましたが、実は青木もBandoも大久保も池袋の方が便が良いので、今回話を聞くと山田は池袋が常宿。そこで池袋にしました。

店はかこいや 池袋東口店。寒さが続く本日は塩ちゃんこ鍋もオーダー。




山田は札幌セミナーから英進に移籍組(上浦、関谷も)なので、山田と大道は一時期セミナーで一緒でした。

冒頭で山田が何を言うかと思えば「小学校と中学で俺は調子に乗っていた。今は反省している」と唐突な発言。そんな事を突然言われても完全に我々は違和感なく山田とつきあっていたのだから。

まま、本人は反省したいのでしょうから、それはそれでいいのですが。



今回は青木、大道、藤原、山田、遅れてBandoと男子のみ。一見華がないように思えますが、実はこれはこれでお約束の「陵陽の女子で誰が好きだった?」話が遠慮なく出来ます!これは定番ながらめちゃくちゃ盛り上がります(笑)



そこで山田にぐいぐいと尋ねると、全員驚愕したのが、まず一般男子が挙げるであろう定番美人が一切出てこない!N村さんに及んでは名前と顔が一致しない認識レベル(!!)

本人曰く「俺はB級好み」とのこと。



まあ名前は伏せますが、何でしょう。Y縣等という懐かしい名前もでて、ガタイ良い系...と言いますか、丸顔系と言いますか、皆さん絶対にこれは当てられませんよ!知りたい人は本人に是非直接聞いて見て下さい。敢えて言うなら共通項は皆さんスポーツなさっている...程度でしょうか



仕事の関係上、東京ビッグサイトなどに企業出展しそこで製品、サービス説明などもしている山田は、南高⇒樽商で、大学では池田、安田(た)と同じ。卒業後は一旦普通の企業に就職も、英進から請われて社員になり、その流れから少子化で規模も縮小された現在、最近の英進の様子もよく知っています。

不景気不景気とは北海道からよく聞こえて来る声ですが、進学塾だとモロ少子化が影響するな〜って印象。



このブログではソフトやバスケット部を取り上げていましたが、案外野球部当時の戦績は聞いた事がないので、今回はじっくりそこを聞きました。

野球部のメンバーは知っていますが、名前を挙げると、小幡、米永、林、高須、高橋(龍)、千葉、佐藤(俊)、野村など。皆懐かしい。このブログ見てたら是非メール下さい!



改めて野球部のフォーメーションや成績などもかるーくおさらいするも、やはり野球も、剣道や、サッカーと同じで、中学のクラブとは別に道場や、クラブチームの存在など、決して中学校の部活動だけで語れない部分がありますね。陵陽野球部もなかなかの活躍も、人気スポーツだけあってなかなか苦戦したのだなあと実感。



てか男子だけの飲み会も久々だけどいいねえ!?。山田は仕事の関係で東京へ来る機会も多いとのことで、今後も是非ご参加戴けますと嬉しいです。 今回は本当にありがとう!お仕事頑張って下さい!

札幌や、内地で関東圏外の皆さんも是非ご連絡下さい!精一杯おもてなし致します!

ともあれ今年は我々の干支、辰年。個々人にとって充実した節目となり得る良い年にしましょう!

【青木Common Sense】-第17回- 2011年巨人軍総括

January 15 [Sun], 2012, 15:00
恒例となっている巨人軍の話題です。

昨年は2010年同様にセリーグ3位に終わり、さらにシーズン後にグラウンド以外での言うに堪えない内紛がありました。ペナントの結果でどうこう言われるのはやむを得ないのですが、フロントの問題で騒がれるのは精神的に答えました。

その件についてあまりコメントをする気にもならないというのが本音です。と言う事で、私なりにグラウンドの結果における今年の総括をしたいと思います。



1.開幕から交流戦終了後までの戦いを振り返って

さて、昨年は東日本大震災の影響もあり開幕が4月12日となりました。諸般の事情を考慮すれば当然の処置と思います。ただ開幕時期をめぐって巨人軍のフロントでの嫌な面が出ました。ファンとすれば心苦しい事が強く印象に残りました。

開幕戦の主催ゲームで東京ドーム(1987年以前は後楽園球場)以外の開催が初めてとなった2連戦の結果は、東野、内海の快投により2連勝を飾り良いスタートとなりました。

しかしながらその後は打てない試合が続き、貯金どころか借金の返済がままならない状態が8月初旬まで続くこととなります。


■東京ドームでの開幕戦(5月3日 対阪神戦)

その要因は数多くありますが、私が思うところは打撃陣の不調です。その中で統一球の影響が多く語られています。実際には芯を外すと飛距離が落ちることはありますが精神的な影響が大きかったのではと思います。

事実、西武のおかわり君こと中村選手は48本もの本塁打を放っており、わが巨人軍の長野さんも首位打者をとり昨年より打っています。

ところが飛ばない事を考えすぎた結果、打撃フォームを崩し本来のスイングが出来なくなったのではないでしょうか。

特に巨人では、小笠原、ラミレスの不調が長く続きました。また阿部ちゃんの負傷によりシーズン当初の戦力ダウンがあったのも痛かった事ですね。

そのような打撃陣の不調が最もひどかったのは本拠地東京ドームでの交流戦ではなかったかと思います。

一つは5月22日からオリックス、ホークスの4連戦。この4試合はきれいに各試合1点の計4点で4連敗。二つ目は6月3日からのファイターズ、マリーンズの4試合。

これは、ファイターズには連続零封され、マリーンズには1点、2点とこれも4試合で3点の4敗。さすがに投手がいくら好投をしても勝てませんね。


■5月22日オリックス戦の阿部ちゃん


と言う事で、交流戦は本拠地で4勝8敗となりそのままBクラスを継続するのでは思っていた次第です。最終の結果からすると、この本拠地で8勝4敗ならセリーグ優勝を成し遂げていたのですからまさに交流戦の影響がそのまま出た状況でした。

また、交流戦終了時の本拠地での戦績は、6勝11敗とビジターのような結果となりました。これも東京ドームなら打てると信じていた選手たちが統一球の影響で余計に打てずに負けがドームで増えるという悪循環が生まれたと思います。



2.交流戦以降から8月末までの戦い

レギュラーシーズン再開となりましたが、今年の低迷の大きな要因になる事が目立ってきました。それはヤクルトに対して極端に弱くなった事です。

開幕2連戦でヤクルトに2連勝はしましたが、その後は7月16日に勝利するまで引き分け2試合をはさみ8連敗もしました。

先ほどの交流戦の本拠地での弱さを挙げましたが、ヤクルト戦の弱さも前半戦での不調の大きな要因でしょう。

ドラゴンズには昨年と変わり五分以上の戦いをしているのになぜかと首をひねる場面が多かったです。ヤクルト戦の影響が明らかに戦績に現れてしまい、7月末の段階で34勝40敗4分けと借金生活が続く有様でした。


■7月3日対中日戦での澤村投手

勝ちきれない要因の一つにストッパーが固定できない事がありました。シーズン当初は山口の予定でしたが、故障によりアルバラデホ、ロメロと抑えにまわりましたが安定感を欠き、四球で自滅し最終回で逆転、同点にされる試合が目立ちました。

その苦しい状況を救ってくれたのが何と言っても久保の存在でしょう。2010年のシーズンはセットアッパーとして結果を残しましたが、2011年は救世主の如くにしっかりと9回を任せられる存在になりました。


■8月14日対広島戦 ヒーローインタビューの久保投手

実際に久保がストッパーを本格的に任されるようになり8月は7連勝を記録し17勝8敗1分の月間記録でようやく貯金が出来る状態になりました。一時は首位のヤクルトの1.5ゲーム差まで迫ったのもこの時期でした。

打撃陣もなんとか当たりだし、9月で一気に首位を狙う雰囲気が出てきたように感じました。戦績については8月末時点で51勝48敗7分となりました。

まさに残り2ヶ月で優勝に向けて走り出す準備が整ったと言いたい時でしたが。。。。



3.9月から終盤に至るまで

9月攻勢を期待していましたが、結局11勝10敗2分の成績となり中日に首位が入れ替わる状況でした。

巨人は勝負ところで勝ちきれずに1点差負けが目につくようになり、8月には打線が目覚めた感じでしたが9月に入るとまた7月以前のようにタイムリー欠乏症の状態だったと思います。

結局は9月の段階で自力優勝の目が消えて、優勝はヤクルト、中日のいずれかになりました。本当に勝ち星の差で3,4勝の差であったのですがこれが現在の巨人の実力なのかなあと思った次第です。

10月に入ると多少は意地を見せて、阪神に2夜連続のサヨナラ勝利や中日の胴上げ阻止の3連勝を果たしましたが時すでに遅しの感が拭えませんでした。

その中で2011年の最終戦で、内海の最多勝を決め、自身の首位打者を確実にした長野の代打逆転サヨナラ満塁本塁打はシーズンの鬱憤を晴らしてくれる一助にはなったかなあとの思いがありました。

しかしながらクライマックスには残れたものの神宮で勝ち越しならずに終戦を迎えたのは正に今年の巨人軍を象徴する3連戦ではなかったでしょうか。



■10月22日横浜戦
上 代打逆転満塁サヨナラ本塁打時の長野さんの打席
下 サヨナラ本塁打のホームインの長野さん




■10月30日クライマックス2戦目
上 阿部ちゃん本塁打時の打席
下 本塁打のホームイン時



4.2011年に活躍した選手について

チームの結果は残念でしたが、今年も新戦力がしっかりと結果を残したと思います。特筆すべきは、澤村と藤村でしょう。澤村は前評判の通りの結果を残したと言えますね。投球回数200イニングを達成した上で防御率2.03はあっぱれの一言でしょう。


■澤村(左) 藤村(右) のサインボール

勝敗は11勝11敗の五分でしたが打線の援護があれば15勝は計算できる存在になったのでないでしょうか。また藤村についても、持ち前の足を生かしレギュラーを掴みかけていると思います。

打撃にもう少し力強さが加われば確実にレギュラーと思います。また2年目のジンクスをものともせず、統一球の影響も受けずに首位打者を獲った長野も素晴らしかったですね。

さらに今年は内海の躍進が目立った1年でした。正に巨人のエースとして頼もしい投球をしたと思います。その信頼感が最終戦での長野のサヨナラ本塁打を生んだのではないでしょうか。やはりチームの投手の核たる存在になった感があります。


■10月22日最終戦で最多勝の内海投手インタビュー


5.来年に向けての課題

昨年も一昨年も同じような事を言っていますが、先発陣の充実と守備力の強化、それと犠打をしっかりと打ち切る打線の形成では無いかと思います。

但し、久しぶりの補強で、杉内、ホールトンを獲得した事より先発については十分すぎる戦力と思います。


■東京ドームの巨人ブルペン(11月23日ファン感謝デー)

そうするとやはり抑えがどうなるかがポイントでしょう。久保も手術の影響により開幕も怪しく、原監督も久保はセットアッパーの起用を考えているようです。

私自身は久保がストッパーで良いのではと思っています。打線については、村田を獲得し長打力の強化を図っているように見えますが、2年前のオガラミに比べれば戦力ダウンは疑いようも無く一発に頼らない打線の形成が不可欠です。


■レギュラーシーズン終了時のご挨拶(10月22日横浜戦)

昨年もあと1点が取れていればという試合が沢山ありました。その中で1点を取りきる強さを身につければ確実に優勝を勝ち取れる戦力とは思います。

但し、大掛かりの補強をした時は優勝できない過去の事例もあり気持ちをしっかりと持ち決して油断しない事と合わせて故障者を出さないようする事が必要でしょう。

また2009年にブレイクした、亀井、松本の復活を望みたい所ですね。報道などを見ると太田を外野に転向させてレギュラー獲得を目指すようですが。私の考える現状での開幕戦のスターティングメンバーは、

坂本(遊)、松本(中)、長野(左)、阿部(捕)、村田(三)、小笠原(一)、亀井(右)、藤村(二)、内海(投)が理想ですね。

あと3ヶ月もすれば結果が出るでしょうが楽しみです。これにレギュラーを脅かす存在が次々と出てくる状況になれば多少のけが人が出ても戦いきれると思うのですがね。


6.最後に

いつもの如くに勝手な表現をしましたがお許し下さい。昨年は諸般の事情がありドームに行く機会が少なかったですが応援する気力は40年前と変わりません。今年も熱く応援をするつもりです。

そんな中で阿部ちゃんが今年は怪我無くシーズンを終える事を心から願っています。ファンとすれば阿部ちゃんが最後まで出場できれば日本一が達成できると信じております。

頑張れ頑張れジャイアンツ。今年は日本一を奪回せよ!!




■11月23日ファン感謝デー
上 巨人ベンチで阿部ちゃんの席に座るおじさん?
下 ベンチ裏の選手サロン(歴代監督の色紙展示)


※編集長注(画像は全て青木本人が撮影したものです)

陵陽18期で“少女時代”を構成するなら

January 11 [Wed], 2012, 1:18
遅ればせながら“K-POP”にはまってます。

主に少女時代KARAです。50才を目前にした独身中年男性ではありますがしかたがありません。



東方神起SHINee2PMなど男性グループにも注目しています。

私に限らず少女時代には中年男性のファンが多いのですが、これはよくわかります。



日本の歌手はいわゆる“スター誕生”世代の歌手が一通り終わった後、TV番組の 『オールナイトフジ』でのオールナイターズ〜おニャン子クラブあたりから全くの素人が、素人だからこその新鮮さをウリにするスタイルが出てきたあたりで、一旦プロフェッショナルな矜恃を保った歌謡界はぶっ壊れた感があります。



また、次第に男性も女性もブラコン(黒人系)に傾いた感があり、ダンスなどをウリにするとなるともう、顔は真っ黒けだったりして、自分としても「白人の次は黒人。どっちにしても日本人って西洋人コンプレックスから抜けないのかなあ」と感じ、元々聴く音楽は洋楽派だったこともありますが、ほとんど国内のポップスは聴かなくなりました。

我々の時代には不良だったような種類の現代の若者はダンスを習ったりして、夜の新宿では建物の玄関を使って練習をしている光景はごく当たり前のものになっています。もちろん彼らの頂点にあるのEXILEあたりなのでしょう。



いわゆるK-POP系の男性も女性も、共通しているのは「西洋人かぶれを感じない」と言う事で、まあ源流は結局西洋だとは思いますが、ちゃんとアジア民族的な良さを出して(ある種誇りとしているように)いる感じがします。

少女時代あたりも昭和世代の男性が好みそうな清潔さと凛とした印象の女性が揃っていて、素直に応援したくのではないでしょうか。

少し前に「冬ソナ」ブームもありましたが、あれは主にご婦人層のハートを直撃しましたが、恋愛物なのに、キスシーンさえない保守ぶりに少女マンガの里中満智子や萩尾望都あたりをどこか思い起こさせました。



しかし、自分が現在の韓国系歌手に感心するのはそのプロフェッショナルな姿勢です。

まず韓国は人口は日本の約1/3で音楽産業も日本の5000億円に比較して150億円ほどですから、本格的にビジネスを広げようとすると、国外に出ざるを得ません。

ですから、語学力や、あるいは歌、ダンスなどの実力を一定のレベルに仕上げてから出て行く準備をするといい、養成機関は平均3年から5年程度。この合宿生活の中で特に重点を置く物として、若くしてトップになった場合を想定して、家族との対話も盛り込みその場合に自己を支える道徳教育を踏まえるといいます。



こう聞くと“プロフェッショナルだなあ”と感心しますが、日本も“芸能界”の名の通り昔は皆それ(実力をつけてから活動する)が当たり前だったのです。かくいう私の師匠も、往年のエノケンをはじめとするボードビリアンの流れがあるので「芸人は芸事をしっかりやれ」と事あるごとに言っていて、我々もタップダンスや、ジャグラー、日舞などを習得していました(私は今でもタップダンスを踊れます)

これは昔の浅草を中心とする東京の芸人に色濃い習慣で、関西は“しゃべくり”も芸に含めてしまうので、東京のように習い事をする意識はありません。



一般の昔からの歌手もお客様の前では「失礼になるから」と豪華な服装のみで姿を見せる事が常識でした。

このあたりを振り返ると日本の芸能界もいつのまにか「素人芸」「外人かぶれ」の礼賛姿勢からいつ脱皮するのかなと心配になる昨今です。

「お金をもらっているのだからそれ相応の芸をみせるのが当然」と考える姿勢。

さて、それはそれとして、「陵陽18期の女子で少女時代を組むなら誰がいいかなあ」などと考えてみたりするちゃめっけは許して下さい(笑)







同級生からのコメント紹介8〜沼田・元島の巻〜

January 03 [Tue], 2012, 14:56
久しぶりの企画です。同期から続けて連絡を戴きましたので、メッセージをご紹介致します。

まず12月27日に連絡を戴いた3年1組の沼田(もっちゃん)です。
※当ブログの方針でフルネームは記載せず姓のみ記載します。


■先頭の多和の陰から顔を出している愛くるしい少年が沼田

沼田(もっちゃん)です。大道君、メンバーの皆さん、お久し振りです。美園小出身で、部活は活動中に廃部になった男子バドミントン部でした。

自宅が陵陽から30秒くらいのところにあって、その近所には「ババ店」(渡辺商店)と呼ばれていたお店がありました。現在、一人息子も陵陽生です。

※SNSより転載

もっちゃんはたしか『陵陽バンドブーム』(そんなのあったっけ?大道的な印象)ではギターやってなかった?お忙しいところ、ご連絡ありがとうございました。



さて、お二人目は本日ご連絡戴きましたが、実はいままで何かと陵陽会の宴席でも名前の挙がる3年5組元島です。

皆さんへ

ご無沙汰しております。18期卒の元島です。

旭が丘高校の同窓会経由で、Bandoさんからこの同期会の存在を知り、連絡させていただきました。

2年前にLinkedIn(米国発ビジネス系SNS)経由で高校の同期会が5年ほど前からスタートしたことを知りましたが、まさか中学の同期会もあるとは思いもよりませんでした。

ブログをざっと拝見さていただきましたが、圧巻の内容ですね。私は96年からアメリカで仕事をしており、現在はワシントン州のシアトル(レドモンド)に在住しています。

東京へは年に一度は立ち寄る機会があるので、もしタイミングが合えば皆さんと久しぶりに再開できれば楽しそうです。まずはSNSに顔を出してみますので、よろしくお願いします。2、3年の時の担任の先生ですが、2年は今井先生、3年は若林先生だっと思います。

まずは連絡まで。

※メールより転載



元島の画像がうまく見つからなかったのですが、皆さんはおわかりでしょう。背が高く眼鏡をかけていて学園祭ではバンドで出演、パートはギター。他がロックンロールを演る中で、(確か)プログレシッブ・ロックを演り、異彩を放っていた記憶があります。思えば当時から大人びてましたね。

その後もギターをプロ志向で継続していたようにも聞きましたが、このあたりは再会したらじっくりお話を伺いたいところです。



以上ご紹介致しました。他にも転校した、あるいは転校してきたから「いやあ、私の事など皆知らないし」などと思っている方!大道は全員覚えています(笑)!是非ご連絡をryoyo18@gmail.comへ下さい。

この他にも同期の兄弟や様々な関係者からも連絡を戴いております。

他の期は完全に無関係の姿勢を(ご自分の期の仲間で是非やって下さい!)貫いていますが(笑)同期の肉親や兄弟のご連絡などは大歓迎です。どうかこのブログをご利用下さい。

箱根駅伝を観て今年もおもふ。

January 01 [Mon], 2012, 11:27
今年も箱根駅伝がはじまりました。1/2に往路、1/3に復路ですが、1/2は高校サッカーやラグビーもあってスポーツだらけですね。


■今年もスタートを切った箱根駅伝

箱根駅伝も僕が高校時代の強豪校、すなわち日体大、順天堂、早稲田、日大らを中心をする一定の勢力で徐々になくなり、今年になると、青山学院大学、明治大学、駒沢大学といった、関東での有名校であるが、決して陸上競技での強豪校ではなかった勢力と、山梨学院大、城西大、国学院大、上武大あたりはもう完全に新興勢力と言ってよい大学の活躍も目立っています。


■選手達は全国の高校から集った精鋭達

しかしこれらのまだまだ耳慣れない大学も、古豪校出の選手が指導者となって選手の強化に当たっており、結局、少子化の流れで関東の大学はどこも入学数には神経質になり、箱根はある意味広告でもあるので、駅伝目的として指導者も熱心に勧誘するし、そうすると生徒も高校時代に活躍した日本全国の生徒を学費免除などの手厚い待遇で、呼びかけ、結局は前出の、一見新興校と見える大学もしっかりとした大学側のバックアップ体制もあって、どこも体制は似たり寄ったりだ。


■それでの古豪校の人気は相変わらずで今回の1区のトップ争いも早稲田、日体が競った

ところで、そういった広告塔としての“箱根駅伝効果”にアフリカ人選手の参加もあります。各校一度に2名しかエントリーを認められていませんが、それも“勝てば何をやってもいいのか”との視点もあり、何でもありにならないように節度、ルールを設けている。

確かに箱根出場選手10人が全員アフリカ人なら広告塔の効果はないだろう。

しかし私はもっと海外の選手が箱根に出ていいと思っている。世界規模の大会ではケニア、エチオピアをはじめとする高速ランナーだらけなので、日本もそのレベルに馴らしておくのは早いほうがいい。

例えばアメリカがいい例で、現在トラックレースの一万メートルで世界レベルの記録は26分台(世界記録は26:17.53エチオピアのベケレ)だが、日本では27分台後半(27:35.09)マラソンも国際レースでは2時間4分台あたりで勝負が決まるのに、日本では2時間10分あたりの選手しかいません。

しかし現在、アメリカも見ると学生時代からアフリカ系選手と競う中から白人で26分59秒60を出すクリス・ソリンスキー選手や、やはり白人でマラソンを2時間4分58秒で走るライアン・ホール選手が出始めアフリカ人選手と互しています。そして彼ら同様に好タイムを出す白人が増えています。


■2011年世界選手権でボルトと競って19秒80で3位となったルメートレ

昨年世界選手権で話題であったウサインボルトの短距離レースでも表彰台に白人フランス選手が活躍した記憶を持つ方もいると思いますが、彼はクリストファー・ルメートレ。100mを9秒92(フランス記録)200mを19秒80(フランス記録)で走ります。彼は2011の欧州選手権では100m/200mを制し今や、敵無しといって良いでしょう。ラスト前抜群の伸びがすばらしい走り方です。


■ラストの追い込みが素晴らしい(欧州選手権より)


■2時間4分58秒で走るライアン・ホール選手

どうも「黒人選手にはかなわないよー!」と皆さん思いがちですが、そんな事思っても仕方がないし勝負の世界はそれでも勝しかないのも事実です。



■26分59秒60を出すクリス・ソリンスキー選手(真ん中の坊主頭)

中日ドラゴンズの前監督の落合博満が、今季打線成績が全体的に低調だった事をとかく『統一球』のせいにしがちな中で「そんなの関係ない。技術の話を皆そのせいにして逃げ込んだ結果」と一刀両断していましたが、私もそう思います。

なんでも環境や「強いモノには勝てない」と思いがちな事は良くないなと思った次第。言い訳を生み出すだけですね。

2012年あけましておめでとうございます!

January 01 [Sun], 2012, 0:52

新年明けましておめでようございます!

今年は辰年!そう!我々1964年生まれ(早生まれゴメン)四回目の干支です。つまり今年で48才でっせ!


ここでちょっとうんちく。“干支(えと)”とは中国発祥の十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞です。60才を“還暦”と呼ぶのもここから来ています。

我々は十干で言えば甲(木兄:きのえ)です。そして十二支で辰(たつ)。これを組み合わせてはじめて“干支”といいます。

1966年生まれを“丙(火兄:ひのえ)午(うま)”と呼びます。これは聞いた事があるでしょう。

我々1964年の“甲(木兄:きのえ)辰(たつ)”は明治37年(1904年)以来です。次は2024年までありません。



“甲辰”の意味や背景は算命学や占いは様々にその性格や傾向性を挙げていますが、個人的には同じ年生まれが一斉に同じ傾向があると思えませんのでそんなのは無視です(笑)興味のある方は各自お調べ下さい。

それより面白いと自分が思うのは毎回の辰年に何をやっていたのかと言うことで、12才(1976年)は皆さんご存じの通り陵陽中一年生!我々が出会った年。

24才(1988年)は自分ならT軍団在籍最後の年。36才(2000年)はソネットというSONY系のIT企業にはじめて首を突っ込んだ年。そこから現在の会社に流れが続いています。こう見るとなんだかんだで毎回節目があります。

と言うわけで今年も大きな節目の年にする決意です!何とぞよろしくお願い致します。

あ!ブログも頑張ります!よろしくお願い致します。

第38回東京陵陽会兼『納会』激動の2011年を振り返る!

December 27 [Tue], 2011, 2:16
陵陽中18期関係の皆様!今年もお世話になりました!

なんと言っても今年は三月の大震災から始まった政治の混乱、原発騒ぎと大変な年でした。私もブログの更新も滞りまことに申し訳ございません。

そんなこんなで納会の日程もやっと12月26日に決まりました。日程調整では申し訳ございませんでした。

さて今回の場所は『花咲酒蔵 ウメ子の家 銀座店』。待ち合わせの場所は有楽町マリオンの大時計の前。

大人のデート定番のこの待ち合わせ場所。田山と野呂は全然知らなかったそうです。私にとっては1984年の上京時はじめてアルバイトをしたのがこのマリオンの建築現場。思い出の場所です。



■有楽町マリオン。もと日劇です。

本日集合したのは久々の青木、野呂、田山、大道。パネルには今年なくなった有名人。立川談志、スティーブジョブス。金正日をあしらいました。なんだかよくわかりません。


■今年は色々ありましたが、何とか年を越せそうです。



■大道さんは髪も伸びひげ面でむさ苦しさ山のごとし





■青木と野呂が揃えば熱い話題は子供の学校に関わるコストのすさまじさ。熱い、実に熱い



■スーパーゼネコン勤務の青木。今回の震災ではとにかく大変、多忙でした。連日ハードで帰宅もままならなかったとか。


さて、現代。子供が学校に行くとどれほどコストが嵩むか。また、コストを掛けたことで結果も出るので、それはやむを得ない現状がある。独身の大道にはズシズシ来るお話。

また、震災時の青木の多忙さなど話はもりあがりあっという間に二時間経過。お店を変えることに。

さて、現在青木は歴史的な建築物の現場を観ています。本日は銀座。まさにこの現場の近くです。そこでその場所にな案内してもらうことに。

■ここが現場。特殊な構造は新聞にも紹介されています。


■責任者自身に説明をしてもらう贅沢さ。

4階分のホールがあるためにそこに柱は立てられません。そこで橋のように一旦そのホールを支え、地上階29階の建造物を支える特殊な構造。


■モノを作る仕事っていいですね。時代や歴史を創っているともいえましょう

さて、年末の銀ブラ(死語)もおつなモノ。ついでに「らしい場所」を歩きます。


■三原橋地下街

まず橋の下に映画観がある“三原橋地下街”です。ここには映画館や飲食店が“実に昭和そのもの”の佇まいで存在しています。



■雰囲気のある看板が目印

さて、寄り道も済んで二件目は文学好きの田山垂涎の文豪が通った歴史ある本格バー“ルパン”に。ここは1928年(昭和3年)創業。


■一枚板のカウンターが気分。風格がある

永井荷風・川端康成と言った文壇の方々、 藤島武二・藤田嗣治・有島生馬・安井曽太郎・岩田専太郎・東郷青児・岡本太郎と言った画壇の方々、戦後は太宰治らも通ったという。


■こうみると青木も無頼派の作家のように見えなくもない。


■店内には独特の歴史感が漂います



■田山も女流作家に見えなくもない

歴史漂う店内で文壇界気取りでお話は盛り上がりました。やっぱり陵陽の仲間は盛り上がる。気の置けない仲間とはこのこと。青木も肝心の巨人軍の総括と来期の展望を語る前に終電時間が迫り解散へ。

続きは新年会でやりたいですね。

皆さん!今年も諸々大変でありましたが、ありがとうございました!来年は我々の干支(えと)辰年です!

第37回東京陵陽会!「帰ってきた男北田」

November 12 [Sat], 2011, 1:03


藤原がせっかく在京の北田を発見してくれて、東京陵陽会も盛り上がったと思いきやまたまた異動で旭川勤務となった北田。このたび出張で上京とのことでまたまた会えることになりました!

宿泊先が品川とあってお店は『五大陸 アレア品川店』

さて、誠に偶然ですが、北田に連絡をもらう数日前に「ブログを見たよ!」と小林厚子先生(旧姓三土)から大道宛に連絡があったのです。

現在はご主人の、現在も三段跳び北海道記録保持者の小林裕信さんとともに砂川に赴任されているということで話がもりあがりました。



そこで今回もその旨を皆に話した上で、北田と田山に先生へ電話をかけさせました。



北田は我々同期の中でも小学校時代からスポーツ万能で、陵陽中陸上部でも常に全道を伺う成績で、以前の特集でも挙げたとおり3年の全道大会へは上浦と大道、北田が出場しました。


■三土先生とひさびさの談笑、田山

さて、そんな同期の活躍の割りには、私の記憶に三土先生がまともに練習に来た記憶がありません!(笑)
三土先生から連絡が来た際には、そこをズバリを聞きました。

すると実は当時まだ先生は選手として現役であって、どうしてもその両立が大変であった旨聞きました。
まあ、「だからしかたないか?」とは思わないですが(笑)



と言うわけで、北田も小林先生の傑作であったのか、北田全く個人の成果なのかは藪の中です。
親がいない間に子供がむしろしっかりと自覚を持った故と言うことで先生のおかげ...と言えなくもない。

いえいえ。先生。何よりもお元気でうれしかったです。

当時の小林先生は旧東ドイツの女子陸上選手のようにすらっとしたスタイルで、腰に手を当てながら高圧的に生徒に命令口調で話す姿が(笑)印象的で格好良かったです。

現在はお子様をお二人お持ちになって体重は増える一方とのことで、今回の北田の為に写メを何度もお願いをしたにも関わらず、頑として受けていただけませんでした(泣)



さて、今回は北田、田山、藤原、野呂、大道の五名が参加。奇しくもまたしても東山の集まりです。



北田は現在デパートの大手S社に勤務。野呂も興味津々の外商の担当だった事もあり、当然景気や現在の多忙っぷりを語ってくれました。



今回田山はうっかり足の指ドアにぶつけ骨折がやっと回復し元気な姿をみせてくれました。
田山さん方向感覚に鷹揚(?)で、待ち合わせの際に

「今どこ?」
「エレベータの近く」
「ああ、じゃあ近くだからそこに行きます」

などとやりとりやろうものなら、そのエレベーターは大道の想像だにしない場所のエレベータであったりとこれまた一興です。



藤原はほんとうにこまめに参加してもらってます。

野呂は毎回のように「こどもにお金がかかる話」が炸裂。大道にも「お金がかかるんだから、いまから結婚しても子供はやめたほうがいい」と忠告を突きつけられてどぎまぎです。



さて、前回北田が参加してくれた時には田山が来ませんでしたので、サボテン幼稚園側に住まいがあり、陵陽でもモテモテグループに属し、中体連の写真が壁に貼られるや、盗まれてしまうほどの男前北田とは話が弾まぬはずがありません。あっという間の二時間経過で、次のお店、『カジュアル韓国料理五湯道』へ移動


■韓国料理なのでトッポギ(餅)が旨い。







お店は二軒目ににも関わらずお料理とお話に花が咲きます。たぶん朝までお話しできますよ。我々はもちろん北田もとっても楽しそうで、よかったです。

北田は明日は再び旭川へ戻ります。雪も降りますからお体を大事に!是非また来て下さい!!



■北田、連絡ありがとうございました!

【追悼】アップル社のスティーブ・ジョブズと僕

October 06 [Thu], 2011, 23:19
本日パソコンのMacやiPhone、iPadを作り出した米アップル社の元CEOスティーブ・ジョブズ氏が逝去されました。

享年56歳でした。

本日、また明日以降も至る所で彼の話題や写真は目につくと思いますので、簡単に彼の功績を紹介します。



1976年にそれまで大学などの大型にだけ向けられた呼称「コンピューター」に「個人(Personal)」をくっつけた「パーソナルコンピューター」という言葉とそのモデルとなる製品を創り出した人です。

ちょっとややこしいですが、その「パーソナルコンピューター」の略が「パソコン」。アルファベットで「PC」と書きますが、現在ではWindowsなどの一般のパソコンを「PC」Apple社のパソコンを「Mac」と呼び分けています。日本では「マイクロコンピューター」「マイコン」などと呼んでいる時期もありました。



画像に映っているのが1984年発売の初代Macintosh。その前にも基盤だけで発売した「Apple1」とケースがついて、ディスプレイにつなげて使う「Apple2」がありましたが、やはりディスプレイと一体型のMacintoshがそのかわいいデザインとともに有名です。

ところで社名の「Apple」ですが、彼らはモロにヒッピー文化にかぶれた世代で。ジョブスはインドにも行ったことがあり、諸説ありましたが、そのなかでアダムとイブの逸話やビートルズのレコードレーベルのAppleなどから取ったとも言われています。

大切なのはコンピューター会社の名前らしくないと言うことで、とてもユニークです。ちなみにMacintoshは「旭リンゴ」の英語です。

この時からリンゴが囓られた独特のロゴマークがシンボルになりました。

このMacintoshはそれまで真っ黒い画面に白いコマンド文字が走るMS-DOSではなく、画面にゴミ箱や、アイコンマークがあり、画面をそのまま机の上のような見た目にしています。

「マウス」と呼ばれる、動かすと画面の矢印が動き、そのゴミ箱に要らないファイルを放り込むとそのまま削除されるなど、それまで専門的な言語が必要であったパソコンに。誰でも「観たまま」操作できる「グラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)」を搭載しました。そう!もうこの時点で現在のパソコンのほぼ基礎が整えられていました。



ところが、若気の至りか独善的な行動が仇になり、なんと1985年に取締役会により会社を追放されてしまいます。そこで彼は新しいコンピュータ会社「NeXT社」を興します。

当時画期的だった光磁気ディスクやUNIXをベースにした堅牢で写実的なアイコンが特徴的なOS(オペレーションシステム)NextStep搭載も。価格が自動車を買えるほど高額で日本でもキャノンが扱いましたが、医者や高額所得者がボチボチ購入する程度で、商業的には四面楚歌の状態でした。

この間に本業とは別にルーカスフィルム所有の特撮チームに含まれるデジタルアニメーション部門を購入。これが後に「ピクサー社」となり「トイズストーリー」などデジタルアニメで世界を席捲する事になります。



結局NeXT社の不振にも関わらずピクサーの躍進のおかげで彼は食いしのぐことができたのです。

ところでマイクロソフトソフトの創業者ビルゲイツはMacintoshで動く表計算ソフトを皮切りにソフトウエア企業として勢力を増しますが、そこでMacのGUI(OSの見た目)を模倣した「Windows」を作りました。

Apple社は当然「デッドコピーだ!」と裁判を起こしましたが、敗訴。Macintoshだけで動くMacOSより、もともと企業で使われている汎用MS-DOSマシンにWindowsをインストールすることが出来るので世界に一気に広がりを見せたのです。ここから完全にマイクロソフト社とApple社は「敵・ライバル」となってしまいました。



さて、ジョブスを追放したあとのApple社は無難な製品しか作れなくなり、OSも老朽化し、フリーズもする時代にそぐわないままずるすると経営が左前となり、買収話が絶えずささやかれる事となったのでした。

一方Windowsはますます広まり世界のOSシェアの97%まで広まりました。ただしこれはほとんど企業でのパソコン台数ではあります。

1996年に息も絶え絶えのApple社はjobsを引き戻す口実としてNeXT社の買収を実行しました。これはJobsが復帰したことも意味します。



jobs復帰後の最初の製品は「iMac」でした。それまで見たこともない透明なプラスチックに海を思わせるブルーのあしらったおしゃれなデザイン。しかし中身はそれまでのトップ機種に搭載されていたCPUを搭載する奢りっぷり。

時代はインターネット時代に加速しており、ゲーム機でインターネット見るのか、ワープロを発展させるのかを模索し始めており、ただしパソコンはこの頃30万円ほどしており、どこの家庭にも普及するものではないと見られていましたが、iMacは20万を切る、当時はその性能から考えられない安さで、「箱から出して3分でインターネット」を売り文句にし、爆発ヒット。翌年には色を5色に増やして更に性能も上がりました。



さて、パソコンもiMacの大ヒットでアップル社の経営は一気に盛り返しました。しかしここでまたまたアップルは画期的な商品を発表します。その名は「iPod」。

それまで、外で音楽を聴くために「ウォークマン」がありました。しかし時代はテープからCDへ、さらにMDへと進み。次はパソコンに内蔵されている「ハードディスク」をそっくり使い丸ごと音楽を入れてしまおうと言う製品です。アップルひいきの自分は、外で音楽を聴かない派でもあるので、この製品だけはピンときませんでしたが、大ヒットし、ウォークマンを抜き去ってしまいました。




2007年にjobsは次に「iPhone」を発表しました。この製品の成り立ちは大変彼らしく「ちまたの携帯電話は高機能、高性能だが、機能は全部使うのか?使わない機能は出来るだけそぎ落として、機能を増やしたいなら後から自分でアプリを追加したらいいんじゃないのか?その代わり使い勝手は説明書が要らないほど直感的にわかりやすくしよう」と言うもの

ですから「スマートフォン=高機能携帯」ですので、その意味からjobsは「iPhoneはスマートフォンではない」と語っています。(以下次回に続く)

世界陸上(韓国大邱)に札幌第一OBが出場!

September 04 [Sun], 2011, 9:27
現在8月27日より韓国テグで世界陸上が行われています。本日9月4日に閉幕するこの大会。

TBS系で連日放映されており、ウサインボルトが注目され、日本勢では室伏広治が金メダルを獲得、まずは日本陸上の面目を保っております。

しかし私はそれとは別に、ある喜びと期待を抱きつつこの大会を見守っていました。それは我が母校、札幌第一高校の後輩が出場しているからなのです!

彼の名は右代啓祐。今年国士舘大学院を卒業、スズキ自動車に就職しました。


■画像は、今回の世界選手権のもの

地味な印象のあるこの十種競技、100m、走幅跳、砲丸投、走高跳、400m、110mH、円盤投、棒高跳、やり投、1500mの合計十種の競技種目に点数が配分され、その合計点で順位がつきます。

通常、人間の身体の特性はあるていど特定の種目に偏るものですが、十種競技では自ずと得意種目はあるものの、バランス良く得点できるものが有利になります。

欧米では“Decathron(デカスロン)”と呼ばれ、『陸上競技の王様』と呼ばれ注目度が高いですが、日本では世界と互する選手が長年出なかった為に人気は今ひとつと言ったところ。

オリンピックは我々の生まれ年、1964年東京大会以降出場がありません。

そんな47年後、来年のロンドンオリンピックに出場の可能性の高い選手が現れたのです。

昨年7930点の日本歴代2位をマークし、『日本人で最初に8000点を超える男』と注目度も高まった本年7月についに日本記録8073点を達成。同時に世界選手権、参加標準記録B(8000点)も突破しました。


■念願の日本記録と8000点の突破。最高の笑顔

日本記録への経緯の詳細はこの記事をご覧下さい。

さて、今回この話題を取り上げたのは、良くありがちな、自分が在籍したクラブの後輩の活躍を全て『俺の後輩』扱いして喜ぶ『手柄横取り』ではありません。

現在の一高の大町和敏監督は私の一期下で、大道、大町と姓が似ていることもあって仲が良かったのです。

信じられないことですが、当時低迷期の一高では陸上に興味がある者がだれもおらず(笑)その意味では彼の言葉を借りれば「当時、陸上の話が出来るのは大道先輩だけでした」との事。

その彼は国士舘大学卒業後、前監督の定年退職後に監督を引き継ぎ、堕落しきっていた陸上部をたてなおし、全国インターハイでも活躍出来る選手を輩出、そして2009年には全国インターハイ優勝選手(右代織江、啓祐選手の妹、種目はやり投)を出すなど本当の意味での札幌第一の全盛期を創り上げた功績があります。

しかし残念ながら同校の方針変更で強化対象クラブから外れ今後は厳しいと推されます。そんな仲の良かった後輩が指揮をとる現在の一高陸上部は自分にとっては特別なのです。


■全国インターハイで、この大会で八種競技3戦目。快挙であった。

陸上一家に育った右代さんは走高跳とやり投で一高で活躍、本人もその気でしたが、タイムトライアルを実施すると長距離走に良いタイムも出せる。そこから監督は混成競技を彼に熱心に勧めた。しかし三年生で種目を変える不安からしばらく固持していたものの、根負けし転向を決心しました。

すると初戦のインターハイ札幌地区でいきなり北海道高校記録を更新。全道でもちろん優勝。そしてなんと三度目の試合、全国インターハイでは2位まで駆け上がりました。


■監督とのエピソードが月刊陸上競技に掲載



■同じ国士舘大学へ進学した妹とともに同居

大学時代は順調に記録を伸ばしここまで来ました。来年は本人の言葉を借りますと「世界選手権は翌年のロンドン五輪」とのこと。目標は大きく8300点。今回の世界選手権での優勝者トレイ・ハーディ(米)は8607点。しかし8300点をだせば世界規模の大会では入賞圏内です。

どうかみなさん。今後はこの右代選手を注目してください!


荒澤先生からの電話~前回の記事から~

August 24 [Wed], 2011, 9:00
それは突然の事でした。

連日のように猛暑が続く8月18日の午後5時前の頃、いつものように現場事務所で会議中の時でした。

胸ポケットに入っている携帯電話が震えましたが、会議中という事もあり電話に出られずに会議終了後に携帯の着信表示を見ると、何と『荒澤先生』の表示が。さらに留守電にも伝言がありました。

まずは伝言メッセージを聞くと、『ブログをみました。斎藤君が知り合いだったとは驚きました。気がついたら連絡ください』との事。慌てて荒澤先生の携帯に電話を入れました。

懐かしさと、しばらく連絡を取らずにいた気恥ずかしさと共に、受話器を持ち呼び出し音を待つと程なく先生が出て、いろいろお話をしました。

頂いたお話は以下のような件でした。


1.陵陽中(荒澤先生)と幌東中(幸丸先生)の違い

2.ジュニアバスケットの塾長としての想い

3.ブログや近況報告など



1.陵陽中(荒澤先生)と幌東中(幸丸先生)の違い


先生は電話に出るなり、次から次へとお話を始めました。内容は斎藤君と私が面識があった事に驚いたとの事。何でも斎藤君は自ら荒澤先生に連絡を取ったらしい。その時に私(青木)のことをブログで知った旨を話したようです。

また、ブログ中で斎藤君が陵陽のメンバーと親しく話をした事に対し怒られた記述がありましたが、荒澤先生曰く、幌東中の幸丸先生と自分(荒澤先生)は考え方が異なる。敵であってもバスケットに対して一所懸命取り組む仲間であれば別に話をする事は問題は無いとの事でした。

まさに、当時の陵陽と幌東のバスケットの姿勢に相通じるものではなかろうかと思います。それは何かと言えば、人間形成の教育の場としてのバスケと、勝利を目指す為に全てを傾注して取り組むバスケの、相反する立場そのものの差ではないでしょうか。

当然の事ながらどちらが正しいのかどうかという議論にはならずに、それぞれの考え方であり、両者とも成り立つものと思います。ただ私は荒澤先生に師事した事が良かったと信じております。さらに言えば恵まれた環境で幸運だったのかなあと思いを新たにしています。



2.ジュニアバスケットのコーチ塾長としての思い

荒澤先生は現在、北海道ジュニアバスケット連盟の副会長をしていることは前回のブログでも紹介しましたが、その連盟においてコーチ塾なるものを開催しております。コーチ塾とはバスケットの指導者を育てる事を目的としたものです。

今までの10年間は幸丸先生が塾長をしていたそうですが、今年からは荒澤先生が塾長として後進指導者の育成に取り組んでいくそうです。その塾が8月15,16日で開催されたそうです。

幸丸先生は、指導者として下りのエスカレーターを上るが如くに必死に取り組むように指導者に思いを語っていたようです。

しかしながら荒澤先生は、今後のコーチの姿勢として、じっくりと腰を低くし膝を曲げて、そこから高く飛び上がるが如くにゆっくりとあせらずに辛抱強く指導に取り組むよう若手指導者に語ったとの事でした。ここでも幸丸先生との違いがしっかりと出ているなあと思いました。

さらに自身の体験に基づき、指導者(荒澤先生)が次世代の指導者(勝也やマサ、小平)などを育てていく事の素晴らしさを紹介したとおっしゃっておりました。これも荒澤イズムの継承といえるのではないでしょうか。



3.ブログの件や近況報告について

最後にブログがしばらく更新されない事が心配していた事を言っておりました。ひょっとして体調を悪くしたのかと心配していたとの事です(そう思わせてしまい、反省しております)。実際のところ荒澤先生はしばしばブログを見ていたそうです。

柳本(マサ)や小平がミニバスの指導者になっている事や幌東中から東高に進んだ大内(No6)も菊水ブルズで指導者になり東海第四へ卒業生を送り込んでいる事(これを幸丸先生は自慢にしているらしい)などを伺いました。

会話の最後に札幌に来たときは是非に飲み会をしようとのお話を頂いて受話器を置きました。


前回も言いましたがブログをきっかけとして、人との出会いや電話での会話がありその中で意外な事実を知り自身の新たなエネルギーとなる事を再認識しました。

【我が青春の烈日】-番外編3-幌東中メンバーからのメール

August 14 [Sun], 2011, 9:00
大変暑い日が続いていますが、皆さんの体調は如何でしょうか?私(青木)などは、節電モードに逆行しエアコンをどんどん使っている有様です。さて今回は久しぶりの投稿ですが、何と陵陽18期ブログ宛に幌東中バスケット部のメンバーからメールが来ました。

何しろ中学3年の時に話したきりでしたから、32年ぶりになります。まずはどんな内容かが興味深いところですが、さっそく以下に紹介します。(掲載については本人の了解を頂いております)

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「陵陽中学18期生のブログ」管理人 大道 様、

突然メールを致しますご無礼をお許し下さい。私は、皆さんと同期ではありますが、陵陽中学の卒業生ではありません・・・。しかしながら、陵陽中学とは深い関係にあったものです。大変恐縮でございますが、このメールを陵陽中学バスケット部主将の青木様へご転送頂ければ幸いです。内容はお読みいただいてもかまいません・・・(笑
大道様、どうぞ宜しくお願い申し上げます。



青木 様、

大変ご無沙汰しております、私は陵陽中学の宿敵でありました、「幌東中学バスケットボール部」で同期の斎藤(Noはたしか・・・8番だったと思います)と申します。

青木様のご記憶には無いかも知れません・・・私はレギュラーではなくサブでしたので・・・(汗 。しかしながら、私は良く覚えております・・・特に柳本くんや矢口くん、そして主将の青木さんは今でも写真を見ると、顔とお名前が一致します。

つい最近、本当に偶然でしたが、青木様が書かれた、当時の回想録とも言うべき「陵陽中学18期生ブログ」を見つけた時は体が震えました・・・。仕事をそっちのけで、熟読させていただきました。

当時の大会日程や得点など、私もほとんど覚えておりませんでしたが、当時の写真と合わせて大変楽しく、また、懐かしく読ませて頂きました。写真には幌東中はあまり写っていませんでしたが、我校主将の野中くんが写っている表彰式の写真は感動いたしました。

陵陽中との思い出では、ある大会(どこかの中学だったと思います)の体育館のステージ上で、陵陽の皆さんと和気藹々と話をしたことを覚えております。その後・・・我が校の監督「幸丸先生」に、「何を敵と慣れあっているんだ・・・」と、ひどく叱られたことは忘れもしません(特に私が叱られました)。

当時の陵陽中は、皆さん本当に仲が良く、とても羨ましかった・・・とを記憶しております。その後、青木様は東高校へ進学され、我が校の「大内」くんと共にご活躍されたことも拝見いたしました。陵陽の監督でありました「荒澤先生」は、私達の卒業後、「幌東中」に赴任されたことはご存知と思います。私は、月寒高校へ進学し、1年の頃に、よく幌東中へ遊びに行って、後輩の練習相手をしておりましたが、その時に荒澤先生にも大変お世話になりました。

実は、昨日(8月7日)千歳にて全道中学バスケットボール大会が行なわれ、私も観戦しに行きましたが、その会場でバッタリと荒澤先生にお会いいたしました。荒澤先生の最近のお写真がブログに掲載されておりましたので、すぐに荒澤先生だと解りました・・・30年ぶりの再会でしたが、先生は今もお元気で、相変わらずバスケットに係わっておられるようで大変感激いたしました・・・これも、青木様のブログのお蔭です・・・大変感謝しております。

陵陽中の皆さんにとっても、私にとっても、あの頃の思い出は、本当に大切なものだと思います。同じ世代にバスケットに打ち込み・・・そして30年経った今でも、それを共有できることに心から感謝しております・・・いつか・・・陵陽中VS幌東中で同期会でもできたらいいですね・・・。これからも、ブログを楽しく拝見させて頂こうと思っておりますので、どうぞこれからも益々ご活躍下さることを祈念申し上げております。

幌東中バスケットボール部 斎藤

P.S
今度、荒澤先生と飲みに行こうと思っております・・・(笑』



以上が幌東中の斎藤(No8)さんからのメール本文そのままです。私自身はこのメールを受け取ったときには一体誰かなと疑問に思いましたが、読み出すとすぐに思い出しました。斎藤君と一番よくしゃべった記憶は統一模擬テストの会場でのことでした。

その会場は静修高校でした。その時は既に部活動を引退しており、確か秋口のテストだと思いましたが、その際に斎藤君を会場に見つけ、札幌市決勝以降の全道大会や全国大会の事等を聞き幌東中メンバーの進路などを聞いた記憶があります。

しかしブログを通じて30年以上前の出来事をつづったブログを、再びライバル校のメンバーが見て、さらにメールが来るというのは、素直に感動し驚いてしまいました。こうしてみると正直に書いていてよかったなあと思いました。(笑


■荒澤先生と18期男子バスケメンバー

ちなみに、斎藤さんのメールにも陵陽中のメンバーが仲がよく羨ましかったとの件がありましたが、こういうことは内部から見る目が無いのでなるほどと思いました。しかし敵方と話をして怒られるとは幸丸先生も厳しい方だったのかも知れませんね。

今現在でも幸丸先生は北海道ジュニアバスケットボール連盟の会長職であり、さらに荒澤先生は副会長の要職につかれており、バスケット少年少女の育成に尽力されております。


■荒澤先生の教え、私の座右の銘

そのような素晴らしい指導者にめぐり合えた、陵陽、幌東中のメンバーは幸せだったと改めて思い知らされます。その二人のおかげで今の我々がいるのだという事をしみじみと感じました。またインターネットの凄さも感じました。インターネットのような情報公開ツールが無ければ今回のような出来事は起こりえないでしょうからね。

さて我々も人生の折り返し点は過ぎておりますが、まだまだ挑戦を皆さんが続けていることを再認識しました。さらに努力した事によって、何十年経っても新たな感動を味わうことが出来るのだと思いました。

また繰り返しになりますが荒澤先生に感謝ですね。もうひとつこの場を生み出した大道さんにも感謝感謝です。有り難うございました。


■2年前同窓会での荒澤先生と矢口、北島、本村




夏だ!休みだ!第36回東京陵陽会!歓迎岡田!の巻

August 10 [Wed], 2011, 0:23


さて!いまだに大きめな余震が時折訪れるここ東京。しかし今年ももう夏!昨年末に転勤で3年7組の岡田が来てくれた歓迎会もやりたかったので、暑気払いも兼ねて久々の陵陽会を開催しました!

今回青木顧問は先約ありで、田山は自宅のドアストッパーに足の中指をぶつけなんと骨折!共に不参加ではありましたが、久々に工藤も参加してくれて大盛り上がりでした!


■まずは乾杯!まだBandoが来る前です



■実はかくれた発起人大久保はお酒の席では大笑顔

今回岡田と大久保、Bando、はなんと中学以来の再会!こっちは色んな仲間と大勢会いすぎて、自分が会っていれば皆も会っているものと勘違いしていました。藤原と大道は2002年開催の同期会で岡田と会っています。



■柏から駆けつけたBandoも加わり二回目の乾杯!

工藤と岡田は、大道、田山、上浦などと一緒に1年8組の泉正義教諭のクラスで一緒に学んだ同士!これまた感激の再会です!


■藤原も震災の影響で仕事に変化が訪れたようで苦労があります。

今回のお店は新宿に出来たこれまた新しいお店『個室風流 七色てまりうた』です。個室が最近は多いのでありがたいです。


■大道さん再び体重80キロに増えてしまっています。初恋の人に会わないと油断するようです(泣)

ところでところで、今回のサブテーマは『野球部』です。岡田はもちろん札商でレギュラーまで行った文句なく本格派。Bandoも野球部であることは知られているとおり。そして実はなんと大久保も一年間だけ野球部だったのです!!



■現在柏勤務のBando。実は工藤も柏在住です。



■東山小のアルバムで工藤や藤原チェック。盛り上がるひととき



■野呂も工藤も小学校は東山でした



■このお店。4人ならば自慢の手まり型席もあるのです。さあて二次会に行こうか?どうする?


■結構連絡は取っていたような二人。1年8組2ショットです。

さて。3時間の宴も終わり終電まで一時間ほど。解散かなとも思った矢先岡田のひと言「なんかジンギスカンたべてーなー!」

さすがに大道さんはお腹は落ち着いており、そんなひと言を本気に受け止めていなかったのですが、皆が口々に「おお!ジンギスカンいいねー」と賛同するではありませんか!!

そんな横に看板『しゃぶしゃぶ ジンギスカン ビヤホール新宿ライオン』が目に入る。

「まじかよ...」と内心の大道。しかし大久保も工藤も大のりき。気がつけば大道以外皆ノリノリ。げ、元気すね皆さん...


■というわけで夜22:30からのジンギスカンに顔をほころばすの図



■ジンギスカンと言えばまるで習性のように「白いご飯!」ご飯食べた方が肉が腹に入るんだよね。



■嬉々とした皆さん。の、野呂!俺と一緒に痩せるんじゃなかったのかよ!..でも羊肉は太らないんですよね



■そうそう!大久保と工藤は東山小では6年1組同志!仲も良いわけです。愛犬家同士だしね。






■さてここでしばらく「肉たべない組」だったBandoが「俺もくいてーなー」と席替え。皆腹減ってたのね。



■工藤がとにかく元気で楽しそう。久しぶりに開催してよかったなあ〜と幹事冥利



■岡田の勤務先のハイクラスホテルに興味があるのか野呂。ここも話が盛り上がる


■なんだか岡田はずーっと前から東京にいた気がするほど自然に馴染んでいる。いいね。


■またアルバム攻撃。工藤が当時かなり男子からもてていた事実も明らかに!


....というわけで夜中に白米とジンギスカンをほおばる46才。元気と言わずしてなんと言う!さあ!今年も後半戦!皆さん頑張りましょう!

ご参加の皆さん遅い時間までありがとうございました!!

ちょっと早かった夏休み〜ブログ再開〜

July 31 [Sun], 2011, 15:17
みなさんお久しぶりです!ブログ開始以来3ヶ月という長期の休載ははじめてです。まことに申し訳ございませんでした。

個人的に周辺でバタバタしていたこともあったのですが....いやいや、言い訳はやめましょう!

さて、あれからの東京ですが、まず白い犬がトレードマークの弊社は、全フロア空調を切り、扇風機に変えております。またビジネスカジュアル(ノータイシャツとパンツのカジュアル)から社内の暑さをしのぐために『スーパービジネスカジュアル』にシフト。

Tシャツもサンダルも可になり、だめなのはランニングシャツと半ズボンぐらい。一気にくだけました。

また、在宅勤務も一部実施され、シンクライアント(Daas)を使い....あ、シンクライアントとは、会社のサーバーの中に個々人のパソコン環境がおかれていて、インターネットに繋がったどのパソコン(マンガ喫茶でも、友達の家のパソコンでも)からでもそれを呼び出せるネット環境をいいます。


■Daas概念図

家の個人PCから昨日まで仕事をしていた会社の環境をそっくり呼び出せるのです。そうなんです。世界中のどんなパソコンでも(MacやWindowsも関係ない)インターネットに繋がっていればそこで自分のPC環境を呼び出せるのです。いちいちノートパソコンを持ち歩いて出張に行く必要もないのです。

これは大規模災害にも大変有益で、地震や津波で会社が壊滅しても、インターネットに繋がったPCさえあれば場所を移動してそのまま機能までと同じ環境の仕事を続けられます。まあこれは弊社のサービス(商材)でもあるわけですが、ちなみに弊社のDaas基盤は世界トップクラスを誇っています。

ともあれ、私も在宅勤務を10日ほど経験しました。


■iPhoneの節電アプリ

東京都内は相変わらず免罪符よろしく夜は無関係なはずの節電を継続しており、歩道は真っ暗。タクシーも客を拾いにくく、ひったくりが3/11以降急増しております。治安が悪くなっているのです。


■大型ビジョンや大規模照明が落とされた非常事態を続ける渋谷交差点

福島原発が近い事もあり原発議論が発熱してますが、報道のポイントもわかりにくく、よくわかりません。

現在構成上30%を占める原発を急に止められる筈もなく、では段階的に(Co2が出る為)減らす予定の火力発電を継続するのですか!?電力料金も上がるのではないですか?等々、皆さんわからないまま奇声をあげているように私には思えます。

フランスやアメリカの原発先進国から言わせると『津波の影響のあるような場所に原発作ってるのは日本だけだ!普通は内陸に作るものだろ!』と言う事らしい。



という訳でここからは毎週更新しますのでよろしくお願い致します!

訃報ーー陵陽ソフトボール部の貢献者ーー

April 12 [Tue], 2011, 15:14
4月10日夜20時過ぎ、札幌陵陽18期会幹事の米永(3年2組)よりメールが入った。

『東山湯の三浦さん先ほど亡くなったよ』

と簡素なメールだった。

膵臓を患われて、東山湯もここ一週間は休業していたらしい。享年62才。

米永の父登(のぼる)さんと『平岸ソフトボールクラブ』で18期のメンバーがひとかたならぬお世話になった事は以前のブログでも紹介した通りだ。(【我が青春の烈日】-陵陽ソフト部の軌跡-第一章

このクラブで薫陶を受けたメンバーがそっくり陵陽ソフト全盛期のメンバーになった。


■平岸ソフトボールクラブ。右端が三浦さん

直接接点がなかった自分が思い出すのは2009年に開催したバスケ部、ソフト部合同の同窓会だ(18期バスケ+ソフト同窓会2009開催!

実は当日急遽、登さんが出席出来なくなり、三浦さんに参加をお願いしたのだった。おもがけない再会に元ソフトクラブメンバーは大喜びだった。

一言をお願いすると、場違いな気もするのですが...と、当時もっぱら三浦さんは8mmカメラで試合の映像を記録してくれていて、この日もその8mmをビデオデータに起こしたものが上映され、盛り上がりは最高潮に達したのだが、その事を重ね重ね感謝されていた。

もちろん感謝するのは我々だ。


■2009年の同窓会。最前列左端が三浦さん

このときご参加戴けた事がなにか縁を感じ、また、わずかばかりでも恩を返せたのかなと思う。

惜しむらくは「実はまだあるんだよ」と8mmフィルムを預かっておりそれを見せる為にまた場を設けようと考えていたが、実現されずじまいになった事だ。

これは別の機会に三浦さんを偲ぶ場を考えたいと思っている。

三浦さん。ほんとうにありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。


通夜は4/12( 火) 18:00から 斎条:ベルコ平岸シティホール(011-833-4444)


地震発生から二週間〜ひきこもごも〜

March 24 [Thu], 2011, 23:16
3/11の震災からはや、二週間を迎えました。

東京は事態がおさまるどころか相変わらずM3レベルの余震続く中、継続して輪番停電と、慢性的な買い占めによる品不足が続いています。

品不足。牛乳、卵、納豆などは産地が東北寄りで入荷自体が少ないせいもあります。

そしてなんとついに福島原発の影響で一般の水道水も汚染の報が流れています。


■英国誌の3/13の一面

それでは関東在住18期生の生の声を一部ご紹介します。

■大久保

3/17AM

「東村山では、計画停電が昨晩初めて行われました。グループ3です。夜間6時45分頃から3時間弱です。

一昨日からの流れで推測すると、実施すると思っていたので店は6時には閉めて自宅に居ました。

ディスクの遠征やキャンプで道具も揃ってるし、電気が無いのも慣れてたはずなのですが、、家に居て電気の無い生活をわずかな時間体験して、つくづく電気の有り難味が身に染みました。被災地では、これからも長い期間この様な生活が続くんだね」

3/17夕刻
「停電中・・薄暗い中、店番してます。自動ドアの手動開閉係です。停電後は、今の所お買い物のお客様お一人。
店前の交差点、信号機ダウン。お巡さんいませんが、皆ゆずりあってます」



■近所のスーパー。これ普通に営業中なんですよ!?どこもこんな感じです。


■田山

3/19

「停電、実施してますね。この土、日、月は大丈夫そうですが・・・。

病院は、自家発電の燃料が確保できず、1時間しか使えないとのことで、停電の時間をさけて、透析患者さんの透析をしています。手術は、全身麻酔はほぼ中止です。

電子カルテなので、停電中はカルテなし(泣)検査も滞ります。

入院患者さんのお風呂やごはんも停電の時間をさけて・・・。

昨日はスーパーのレジも長蛇の列に並んでたら、すぐ後ろのおじいさんが倒れて意識消失、一過性の脳虚血発作だったようです。連日の余震や停電の不安や疲れ、時間のかかる買い物に高齢の人は疲れています。

スーパーはお米、パン、牛乳、たまご、電池、カップめん、やっぱり殆どありません・・・。ガソリンもないので、私はチャリンコ通勤、ダンナの会社(東京)は自宅で仕事推奨です。

夕方から夜の停電時間帯は、街はゴーストタウンみたい、信号も止まるし。

東北のことを思えばこのくらい・・・とホッカイロで暖をとり、ろうそくのあかりで夜を過ごして
います。

うちのワンコぱちころは、地震で揺れてもグーグー寝ていますが。

わたしは避難用のチョコをついつい食べてしまい、微妙に体重が増加中・・・」




■一見問題ないように見えますが、大体半分に明るさが落とされています。


■青木

3/20

「いや〜〜〜、参りましたね。ガソリンは無いし、今朝ほど1時間半ほど行列し20リッターのみ。本当にEMPTYランプが点灯してしばらくたっていたのでドキドキしていました。

来週末に仙台行きを決行する予定なのですがこのままでは厳しい。さらにその後にかみさんとイオン(旧サテイ)に行き買い物をしましたが、砂糖、ティッシュ、米、しょうゆ、牛乳、納豆が無〜〜〜〜し。

どうなっているのでしょうか??かみさんは代替に豆乳を買ってましたが。

いやはや、当家は買占めなどせずに普通に週末の買い物に行ったのですが??困ったもんです。さらに仙台行きに備え、カセットボンベを所望されたのですがなんとどこにも無い。通販もない。

頭に来たのは、なぜかYahooオークションにずらりと勢ぞろい!!何なんだ一体と怒り心頭。チケットならいざ知らず、生活必需品を先行で抑えオークションで売るという浅ましさ?!

ニュースでは日本人の気質が褒められていますが?!?実態は??ネットを扱う方がどうも???という気にならざる得ません。。。。。はぁ〜〜〜、どうやって手に入れようか。カセットボンベを。。。」




■セブンイレブン。屋外の照明が全て落とされています。

スーパーやお店の照明が暗いのは犯罪性が心配です。なんだか「昔のホクトストアもこのくらい暗かった気がするなあ」などと思ったりしてます。現在ではミネラルウォーターをはじめペットボトルの飲料が売り切れはじめています。ホーレンソウや野菜も福島方面のものが店頭に並んでいません。


■被災地の報道画像(質の高い画像です)

●海外報道写真1

●海外報道写真2

●海外報道写真3

●海外報道写真4

●海外報道写真5

●海外報道写真6

●海外報道写真7

牛乳、卵、トイレットペーパーがない!

March 16 [Wed], 2011, 19:01
福島原発の報道と、依然震度3程度の余震が続く東京都内では現在、節電と買い占め行動が横行しています。

節電はそもそも昼間だけでいいのですが、無闇に夜も節電。マクドナルドも半分照明を落とし店と言う店は皆照明を半分程度にしています。

なんとなく不安なんでしょう。また入荷経路に支障が起きている為に、牛乳、納豆、豆腐といったチルド食品が品切れです。

またカップヌードルもなくなっています。


■カップヌードルの棚



■卵は購入制限が掛かっています。



■コンビニエンスストア



■これは被災地

また昨晩は田山と松本が住む神奈川方面で震度4、静岡富士宮では震度6の地震がありましたが、次第に震源地が南下しているところが気になります。

ほんとうに緊急事態なんですね...

関東エリア『計画停電』スタート

March 15 [Tue], 2011, 10:40
総理の発表があり、福島原発は予断を許さない事態になっています。

関東圏内ではガソリンなどの燃料や節電が常時呼びかけられ、一部食品類の極端な買い占め行為への注意が喚起されています。

また、今回の地震の影響で、発電設備に支障が発生。関東エリアでは電源供給不足が見込まれる事態となりました。

昨日夕刻から、順次『輪番停電』と呼ばれる計画停電が実施され、1番〜5番にエリアごとでグループ分けし、順次3時間ずつ順に停電を実施しています。

東京23区は企業や国家中枢などが密集するために全くこの対象エリアに入らないエリアもあります。




■TVでの報道発表

東京陵陽会のメンバーで言えば田山が茅ヶ崎で(第五グループ)、大久保が東村山市で(第一グループ)、池田と野呂は川崎市で(第四グループ)に組み込まれこれから順次輪番停電を受ける事になります。

具体的なスケジュールはこれがわかりやすいです。

当然対象時間帯は電源が元から切断されますので、対象エリアの医療機関は自前の発電設備を持たない場合は手術もできないなど、不測の支障が懸念されます。


■東京電力のHPはこちら

また。もしも被災エリアで安否不明の方がいらっしゃいましたら被災掲示板がいくつか立ち上げられていますので、ご利用ください。待避所に張られている紙の生存者一覧もデジカメ撮影がなされアップされているものもあります。ご利用はこちらから


■英『The independent on sunday』誌では日本へ一面で激励のメッセージ。



■各地で自衛隊、消防隊、警官、海外からの救援隊が救援活動に取り組んでいます。



■輪番停電の対象エリアとグループ分け

大きな余震もいまだに続き、救援もそうですが、関東圏内の非常体制は長引きそうです。ここは頑張りどころですので、また追ってご報告を続けてまいります。



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