皆さんこんにちは、青木でございます。
ジャイアンツのあまりの貧打ぶりにストレス溜まりまくりの私ですが、先日とても感動的な事がありましたので紹介したいと思います。
新年度を迎え桜が咲く頃になりました。東京では例年に比べ一週間ほど遅くに満開の便りが聞こえてきた今日この頃です。
さて感動的な事とは、4月2日の夜に何と荒澤先生から電話があった事です。昨年は先生もいろいろと大変な事もあり、私からも連絡できずにいたものですから、何かあったかなと思いつつ電話をとりました。

すると先生からいきなり話を切り出し、『第2の人生を今日から始めたのさ。』と唐突にお話を始めました。
私もうっかりしていたのですが今年の3月で定年を迎えていたのです。
聞くところによると北区の児童相談所に勤め始めており、なんでも今日(4月2日)が仕事始めの日だったそうです。児童相談所では新入社員の如くに廻りの方に挨拶を行ったそうです。
先週まで中学の校長先生をしていた事はリセットし、新たな気持ちで業務に取り組んでいるとの事でした。
先生は次から次へと話し始めました。
なんでも、あの坂野先生から定年を迎えるに当たり手紙を頂いた事は声高にお話をされました。電話口で手紙の内容を一字一句伺いましたが、その中で『あなた(荒澤先生)にはたくさんの事を学ばせて頂きました』との言葉があったそうです。
荒澤先生にしてみれば坂野先生は一回り以上の先輩であり自分が学ぶことがあっても学ばせることは無いと思っていたものですから、その言葉にはいたく感動されたようです。

その手紙を受け取った翌日に、荒澤先生は坂野先生の自宅を訪ねたそうです。
その際は酒も飲まずに5時間近く延々とお話をされたそうです。坂野先生は73歳なるそうですが未だにスキーなどをしていて、悠々自適の生活を送っているとの事。
我々の中学時代にはプーマのジャージを身にまとい、無精ひげを蓄えた怖かった坂野先生がなつかしく思い出されました。
私が荒澤先生を師と仰いでいるように、荒澤先生は坂野先生を師と思っていたようです。
ただ私が思うに教育に関しての思いは同じだったかもしれませんが、中学自分の私にはまったく異なる教育手法と感じておりました。正直言って坂野先生とあまり話をした事が無いのでわからないというのが本音です。
さてその後も先生のお話は続きました。
私が昨年の大変な事が起こって以降は、逆に連絡を取らないでおりましたが、先生はしっかりと私の心情を読み切っていたようです。しかしながら教え子の方々からは励ましの言葉を頂いた事がうれしかったとの事でした。その話を伺ったときは何とも言えない気恥ずかしさがこみ上げてきました。

■建設中の建物を皆に説明しながら
その様な中で、新年度を迎え新たな道を歩み始めた初日に、わざわざ電話を頂いた私は幸せ者だと改めて感じ入った次第です。本当に有難いと思います。
私が現在、歌舞伎座の建設に携わり来年の竣工を目指し頑張っていることを伝えるのが精いっぱいでした。竣工後には招待しますのでぜひお越しくださいと申し上げて電話を終えました。
その直後に、電話を頂いたうれしさと裏腹に逆に申し訳ないという思いがどんどん大きくなっている自分がいました。
なかなか気後れする性格は治らないものだとしみじみと思います。さて私は2年前に着工した歌舞伎座も完成まで残すところあと1年になり、あわただしい日々を送っていますが、頂いた電話を励みにまた頑張っていこうと思いました。
以上
ジャイアンツのあまりの貧打ぶりにストレス溜まりまくりの私ですが、先日とても感動的な事がありましたので紹介したいと思います。
新年度を迎え桜が咲く頃になりました。東京では例年に比べ一週間ほど遅くに満開の便りが聞こえてきた今日この頃です。
さて感動的な事とは、4月2日の夜に何と荒澤先生から電話があった事です。昨年は先生もいろいろと大変な事もあり、私からも連絡できずにいたものですから、何かあったかなと思いつつ電話をとりました。

すると先生からいきなり話を切り出し、『第2の人生を今日から始めたのさ。』と唐突にお話を始めました。
私もうっかりしていたのですが今年の3月で定年を迎えていたのです。
聞くところによると北区の児童相談所に勤め始めており、なんでも今日(4月2日)が仕事始めの日だったそうです。児童相談所では新入社員の如くに廻りの方に挨拶を行ったそうです。
先週まで中学の校長先生をしていた事はリセットし、新たな気持ちで業務に取り組んでいるとの事でした。
先生は次から次へと話し始めました。
なんでも、あの坂野先生から定年を迎えるに当たり手紙を頂いた事は声高にお話をされました。電話口で手紙の内容を一字一句伺いましたが、その中で『あなた(荒澤先生)にはたくさんの事を学ばせて頂きました』との言葉があったそうです。
荒澤先生にしてみれば坂野先生は一回り以上の先輩であり自分が学ぶことがあっても学ばせることは無いと思っていたものですから、その言葉にはいたく感動されたようです。

その手紙を受け取った翌日に、荒澤先生は坂野先生の自宅を訪ねたそうです。
その際は酒も飲まずに5時間近く延々とお話をされたそうです。坂野先生は73歳なるそうですが未だにスキーなどをしていて、悠々自適の生活を送っているとの事。
我々の中学時代にはプーマのジャージを身にまとい、無精ひげを蓄えた怖かった坂野先生がなつかしく思い出されました。
私が荒澤先生を師と仰いでいるように、荒澤先生は坂野先生を師と思っていたようです。
ただ私が思うに教育に関しての思いは同じだったかもしれませんが、中学自分の私にはまったく異なる教育手法と感じておりました。正直言って坂野先生とあまり話をした事が無いのでわからないというのが本音です。
さてその後も先生のお話は続きました。
私が昨年の大変な事が起こって以降は、逆に連絡を取らないでおりましたが、先生はしっかりと私の心情を読み切っていたようです。しかしながら教え子の方々からは励ましの言葉を頂いた事がうれしかったとの事でした。その話を伺ったときは何とも言えない気恥ずかしさがこみ上げてきました。

■建設中の建物を皆に説明しながら
その様な中で、新年度を迎え新たな道を歩み始めた初日に、わざわざ電話を頂いた私は幸せ者だと改めて感じ入った次第です。本当に有難いと思います。
私が現在、歌舞伎座の建設に携わり来年の竣工を目指し頑張っていることを伝えるのが精いっぱいでした。竣工後には招待しますのでぜひお越しくださいと申し上げて電話を終えました。
その直後に、電話を頂いたうれしさと裏腹に逆に申し訳ないという思いがどんどん大きくなっている自分がいました。
なかなか気後れする性格は治らないものだとしみじみと思います。さて私は2年前に着工した歌舞伎座も完成まで残すところあと1年になり、あわただしい日々を送っていますが、頂いた電話を励みにまた頑張っていこうと思いました。
以上



















































































































































