今年のお盆は長野(上田)、群馬(伊勢崎)、東京(銀座)、京都(日帰り)と、怒涛の親戚めぐりでした(銀座以外)。お盆の過ごし方や作法も地域によって様々な形式があり、面白かったです。
長野ではナスやきゅうりに足、ささないんですね〜。
さて、今月の15日は終戦記念日。ちょうどその頃上田の別所温泉に行き、近くにある「無言館」という美術館を訪れました。私は5年ぶりの再訪です。
太平洋戦争で亡くなった戦没画学生の遺作を展示するという稀有なコンセプトのこの美術館を、ご存知の方は多いと思います。

一つ一つの絵には、戦没画学生の写真と、享年、戦没地等、画家の紹介が書かれたキャプションが添えられています。戦時下に描かれていただろう絵は意外なほど、なんでもない風景、恋人、家族の絵が多いのが悲しくも印象的。

佐久間修 デッサン「裸婦」 油彩「静子像」
1944年長崎にてB29の空襲を受け被弾し、戦死。享年29歳。
初めて無言館に訪れたのは2005年、ちょうど無言館のモニュメント「記憶のパレット」に赤ペンキが投げつけられるという事件があった直後でした。その日の来訪者は少なく、館内ももっと暗く、空気が重かったような気がします。入館したとたんに家族連れの小さいお子さんが泣き出し止まず、外に出て行ったのをよく覚えています。
今回、館内は以前より明るく感じ、夏休みのせいか観客は多かったですが、漂う静けさだけは変わっていませんでした。

清水正道 日本画「婦人像」
1944年マーシャル群島ブラウン島において戦死。享年28歳
今回2度目の来訪で、前よりもすこし冷静に展示されている絵を見ることができました。ひび割れた画面から塗られた絵具の厚みなど、当時の美術学校が教えていた日本画の技法を垣間見る貴重な機会にもなり、さすがに戦時中、高価な岩絵具はあまり使われておらず、安価な土系の絵具が多用されていたように思います。
ところで以前書籍の編集者をしていた頃、日本の20世紀の特集を担当し、明治〜現代まで100年分の新聞の主要記事をコピーしまくり、見る読む貴重な経験をさせてもらった事があります。その中でも忘れられないのがやはり太平洋戦争当時の紙面。終戦間際になればなるほど、そこから伝わってくる時代の「狂気」がリアルに漂う文面に、これ、当たり前だけど、マジか。。。。と、背筋が凍りついた記憶があります。
学徒出陣を伝える新聞(1943年10月21日)

激化する戦局、消耗戦の様相を呈してきた前線に兵力を増強するため、兵役法の特例であった学生の懲役猶予が廃止。約12万人の学生が出征。学徒出陣以前の上記の戦没者は、「繰上げ卒業」という形を取り、戦地に赴いていた方々が多かったようです。
1944年11月2日、肉攻斬込隊(神風特攻隊)上陸成功を伝える紙面。

岡本喜八監督 『肉弾』(1968年公開)ポスター。特攻隊の隊員に任命された青年の、特攻直前に与えられた1日だけの休日の体験を通して、戦争の愚かさをコミカルながらも痛切に描いた作品。
私は学生のころ岡本喜八映画が大好きで、古い映画ですので映画館でのリバイバルやビデオ等をあさってよく観ていました。そんな頃のお正月だったか『肉弾』のビデオを借りて家で見ていた時、横にいた今は亡き祖父が「了子、頼むからテレビ止めてくれへんか。。」と私に言ったのを、ふっと思い出しました。
時々戦争について考えたり、それについて書かれた文献や映画、絵を観たりすることはあっても、私自身が「戦争」をテーマに絵を描くこと、そして、「死」をテーマに作品を制作することは、よほどの事が無い限り避けたいなと思っています。
出来るならずっと美しい男のこと、くだらない下ネタなど考えて一生絵を描き続けたいと常々思っていますが、無言館に来るとますますその想いが強くなります。
。。と、ガラにも無く戦争についての記事などたいしてオチも無く書いてしまったのは、この暑さのせいでしょうか。。。やっぱりお盆だったからかな?
無言館は、本館である信濃デッサン館の別館です。本館には村山魂多など夭折の画家の絵が展示されています。特に魂多のストーカー的恋文(最高)は何度読んでも超癒され。。。
また、5年後ぐらいに訪れてみたいと個人的には思っています。
■Link
無言館(上田市のHPより)
岡本喜八(映画監督 1924〜2005)