覇権争い。逆転のチャンスはここしかない、鍵!‐吉祥寺《自宅》‐

October 16 [Thu], 2014, 2:27
 ついにこの日が来てしまった。
 「ピンポーン」と日曜の深夜1時に呼び鈴が鳴る。

 ドアホンのモニターを覗くと「ぶち切れています」と顔に書かれた隣人がパジャマ姿で立っていた。

 私は心臓の鼓動が高鳴る。
 
 ひとりで映画『デイ・デュート』を見ていた。あまりにもくだらなく面白すぎて、声をあげて爆笑をしていた。

 つまり苦情である。
 静かに無視して去るのを待っていたが、「いるんだろうが!」と怒声が響く。
 「ドアホンが急に光ったんだよ!」とも叫んでいる。
 そうか、ドアホンを確認すると外でライトが点灯するのか。完全に墓穴を掘ってしまった。
 心臓バクバクの状態で「は、は、はい」とドアホンに声をかけた。
「出てきなよ」と言う。出てこいよ、ではなく出てきなよ、というのが余計に怖い。
「いや、す、す、すいません。うるさかったんですよね、もう静かにしますので!!」
「あ? ま、まあ、そういうことだよ。わ、わかりゃいいんだよ」
 そういってあっさりと去っていった。
 
 私は「あ、去った」と思うと同時におや、と首をかしげる。隣人も震えていたのだ。隣人も私と同様心臓バクバクだったのだ。

 そりゃそうだ、隣人は普通のガス屋だ。
 毎日ガス会社の原付バイクで出勤し帰宅する。かたぎの一般人なのだ。

 少し気が楽になったが、それでもいままでよりも窮屈な生活となった。
 とりあえずテレビの音量は3目盛下げた。
 ひとりで映画やバラエティを見ても声をあげなくなった。
 いままでは隣に人はいるのだが、気配がないほど静かだった。たまに電話をしているときに少し声が聞こえてくるくらいだ。
 電話の声が聞こえるってことは話し声程度なら筒抜けなわけで、私の爆笑はもちろん大音量で届いていたのだ。だけど、これまでは言ってこなかった。だから私は温厚な人なんだと思い好き勝手気ままに過ごしていた。何か嫌なことがあれば「あああああああ!!!!」と声を上げるし、ロフトからは物をバンバン階下に落としていた。
 そういったことができなくなると非常にストレスを感じる。亀のように縮こまって生きなくてはならない。

 亀のようなひっそりした生活に慣れ始めたころ、事件が起きた。
 隣人の家の玄関にキーが刺さっていたのだ。
 部屋にいる気配はあるので、家に帰ってきたときに抜き忘れたのだと判断できる。
 私は、私という気高い人物に苦情を申し出る愚民など、鍵を悪い輩に取られ、あっさりと空き巣でもされてしまえばいいのに! と強く心の底から強く思った。しかし、同時にそれはないだろうな、とも思う。ここは安アパートとはいえ、住みたい街ナンバーワンの吉祥寺。治安が完璧といえるほど良く、危険なシーンなど一度も見たことがないのだ。

 だから私は考えを切りかえる。
「ピンポーン」
 呼び鈴を押した。隣人が出てくる。
 隣人の部屋にはドアホンがなく、シンプルな呼び鈴なのだ。
 私の顔を確認し、「なんですか?」と言う。最初は怯えたように出てきたのに、私の顔を見るなり「ビビリの隣人か、ふっ」というかのように余裕を持った態度に急変させた。というよりは急変させたように見せようとしている、というのが見て取れた。
 しかし、私は一向に動じない。なぜなら義は我にあったのだから。「鍵、刺さりっぱなしですよ」
「は?」
「いや、だから、鍵刺さってるから、誰かに持ってかれちゃうかもしれませんよ」私は理解をしていない隣人に対し、こいつホントに馬鹿で何にもわかってねーな、という雰囲気をたっぷりにそう言ってやったのだ。
「あ、あ、すいません」
 隣人は焦り出す。
 恩を売った。そして私は言った。
「隣なんだから助けあって生きたいじゃないですか」ニヤリ。


 それ以来、映画を見て笑おうが、ロフトから物を落とそうが、深夜に電話をしようが、仲間を3人呼んで鍋をしようが隣人からの苦情はない。あのとき「クソッ」となった顔が忘れられない。私はくれぐれも鍵を刺しっぱなしにしないよう気をつけている。