紫禁城

April 04 [Wed], 2012, 18:59
さる中国出張の最後に北京により、紫禁城にいってきた。
ホテルが紫禁城のよこにあったので独りで歩いて廻ってきた。
天安門から紫禁城にはいるが、当然のように中国人が多い。
気になったのは公安の厳重な警備。
それもそのはず、ここは国内はもとより常に外国人の目があるので、政府に不満をもつものは、ここでプラカードをもつなりして政府に抗議するのだ。
共産党はそんなことを許すわけもなく、警備の公安はそういう者をみかけると間髪をいれず逮捕拘禁する。
ここはそんな場所なのだ。
それはさておき、紫禁城の中にはいる。
3月末だというのにまだ雪が残っている。
けっこう寒い。
はいってみると数百年も続いた王朝の一コマを見るようで感慨深い。
ここで歴代の皇帝に百官がひれ伏したのだ。
よく映画で見る石階段の龍のレリーフがそのまま残っている。
皇帝の椅子もあったが見ようとすると、近づけないばかりか、遠慮会釈無く他の中国人にぶつけられはじき飛ばされる苦笑モトスじゃないんだからさただ、歴代の皇帝は孤独だったに違いないと感じ少し不憫に感じた。
末期の皇帝溥儀などはそれに従う官僚によってここに幽閉されていたと言っていい。
1644年から1912年まで続いた清王朝は末期においては腐りに腐っていた。
どこの組織にしても同じだが、組織が肥大化し形骸化してしまうと、どうでもいい官ばかりが増える。
溥儀に従う宦官などは1200人を数えた。
彼らは時代と共に変わっていく価値観をうけいれないばかりか、事なかれ主義の官僚ばかりだった。
読者はその1200人のすべてがちんこを切られた東電幹部であると想像して欲しい。
無能無策無為のものがほとんどであるとどうなるか。
それは伏魔殿に近い。
というかそのものだ。
ただ溥儀は蒙昧な君主ではなく、幼い頃より、そういう宦官や官僚のうさんくささを見抜いていた。
ある日、貴重な宝物など保存していhttp://www.azlandaniel.comた書庫を東氓キると宣言した。
しかしその宣言の夜、その書庫は燃えるのである。
宦官の一分がその証拠を消すために、書庫に放火したのである。
話が長くなるので無駄話はこのへんでおくとして、要はそういうアホボケカスの集まりの中でくらす、末期の皇帝を想像すると、紫禁城は偉大というより、ちょっと哀しく見えてくる。
ほんのちょっと無駄話を続けると、溥儀は暗殺を恐れた。
当時、先代の光緒帝自体が毒殺ではないかといううわさが耐えなかった。
近代、その光緒帝の遺髪を調べたところ砒素が実際に検出されそれが事実であると分かっている。
その詭計を巡らした者が誰であるにせよ、自己保身だけが優先する組織の中でリというものは、その命を賭けねば改革は無理であるという事実を痛感する。
自分はきらびやかな太和殿やその他、宮殿よりも、プライベートの区域にさしかかる壁をみたいと思った。
成長し、国民党によって追い出されるまで皇帝溥儀は主にここの内がわに幽閉されていた。
ちなみに内側の旧皇族居住区は立ち入り禁止である。
城外にいる実の母親の死にさえ立ち会えなかった彼にとって、居住区域にさしかかるこの赤い壁一枚は、今の日本人に例えたら、金星に行くくらい越えがたかったものに違いない。
毎日彼が眺めていたであろうこの壁、写真3現在は、紫禁城の中にあって、ほとんど人がいない場所であるが、自分は溥儀の孤独について、この壁を見ながら考えていた。
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