アンソロ 

October 01 [Wed], 2008, 22:31
暦の上では春と呼べる時期になっても、雪深いこの地ではまだまだその気配が見えなかった。きんと肌を刺すような冷たさが耳と頬を苛んで、吐く息が白いもやになる。スコップを片手にざくざくと道を作っていると、手袋をしていても徐々に感覚が失われていく。
 朝方の弱い太陽光を密やかに反射して光る銀の雪は、その美しさと相反して残酷だ。柔らかそうに見えても、踏みしめると足先に抵抗が残る。手と同じように鈍っていくのも構わずに進み、いくつもの足跡を残していった。
 自分以外の、人の軌跡を辿りながら。
「…そんなところで何を、」
「散歩」
 ぼうっと雪を見ていた深緑の目が、やわらかく細められた。単語だけみじかく告げて、彼は僕の方へ向き直る。同時に右側の眼帯も向けられ、錯覚しそうになる己を叱咤した。
 危険だからなるべく出歩くなというこちらの発言を聞く気がないのか、背を丸めてさくさくと処女雪の中を進んでゆく。気分がいいのか、鼻歌まで漏れ始めていた。
 ―――こちらの気も知らないで。
 スコップを握り直し、少し離れた場所で雪かきを再開する。じんと痺れた手のひらが痛み、スコップを取り落としそうになるけれど、雪かきをしなければ外出もままならないのだ。不便な場所だと言えたが、彼がここを離れたがらないので仕方がない。
「…雪かき似合わねぇな、お前」
「え、」
「腰が入ってない」
 そう言ってひょいとスコップを奪い、慣れた手つきで雪をどかしていった。その動きには雪の重さなど感じられない。左から眺めていると片目であるのが嘘のようで――実際、右目が使えなくとも、彼は大抵のことを僕よりも簡単にこなしてみせた。だから間違えそうになる。昔の彼と同じだと、思ってしまいそうになる。
 きゅう、と唇を噛み締めると、彼がスコップを動かす手を止め、こちらに歩み寄った。
雪を歩くだけでも慣れていて、僕よりスムーズだ。
「寒いのか」
 黙って頭を振ると、次の瞬間、全身が体温に包まれる。抱きしめられたのだと気づいたのは、耳元に彼の心臓の音を感じてからだ。

 男二人の二人暮らしの家で、桃のシブーストが出されるとは思わなかった。しかも美味いのに驚かされる。口に入れた瞬間はふわりと軽いのに、コクのあるクリーム。それと絡み合う、ジューシーなうまみのある桃のコンポート。パイはさくっとしていて申し分ない。市街の菓子店で出されたら行列が出来る味だろう。一度に食べるのが勿体なくて、夢中になって貪りたくなるフォークを置いた。
 味を褒めたら、ティエリアが作ったんだ、と更なる驚愕の事実を告げられる。意外な才能だ。彼が料理をすること自体予想外だったが、これほどの腕だとも思わなかった。ここにはいない相手に素直に敬意を示すと、新緑の左目がゆるりと細められる。その屈託のなさが懐かしい。
「ただし、甘いもの限定な。普通の料理はからっきし」
「…そうなのか」
「厳密に分量を量って作る菓子は上手く出来ても、目分量で作るのは苦手なんだとさ。カレー作るのに日が暮れるどころか、日付変わる」
「そんなことが…」
「あるんだよ。もう怪奇現象だよな、ここまでくると」
 からからと笑う男を眺めて、残りの六つに疑問がわいたが、恐らくその八割がティエリアのものであるような気もして追及できなかった。少なくない年月彼と過ごしたが、分かることや知っていることの方が少ない。今日ここに来なければ、甘いものを作るのが得意なことや、紅茶を買うのに隣の街までわざわざ出向くほど拘っていることも知らなかった。この男は四年間共に過ごして、そういう姿をずっと見てきたのだろう。俺の知らない彼の姿も、沢山見ていたのだ。その優しくまるくなった左側の瞳で。

 先の戦いで生死不明だったロックオン・ストラトスとティエリア・アーデがヨーロッパの片田舎で暮らしていると分かったのは最近だった。どういう経緯を経てこのようなことになったのか、データの上では伺い知れない。
 憑きもののの落ちたような顔をしたロックオンは、もう戦えるような身体ではなく、戦う必要もないのだと言った。現状説明は唯それだけではぐらかされてしまったが、それでもその生活が穏やかなものだったと分かる。
 世界のあらゆる情報網に今の今まで引っかからず、彼らは密やかに平和を享受していた。情報処理力に長けたティエリアの力もあるのだろうが、戦いしか知ることのなかったガンダムマイスターがここまで穏やかになれるのは、ロックオン――いや、ニール・ディランディという男だからだろう。『普通』を知っているというのはときに強みになる。俺自身がそうでないから、分かるのだ。
「で、お前さんは、ティエリアお手製のケーキを食べにきたのか?」
「…いや」
「だろうな」
 片目を失っても、彼の目には曇りがない。恐らく、俺が彼らの家に姿を現したことから、なんとなく用件は悟られているかも知れない。平和な生活を送っている彼らにしてみれば、俺は死神に見えるだろうか。
 結局、平和を手に入れたところで俺は彼らのような『普通』にはなれなかった。世界中を回り、紛争の残滓を見つけてはそれに関わらずにはいられなくて。そうして、何度も問いかけていた。俺たちのしてきたことは正しかったのか、と。
 新しい世界に生き残っても、結局はそこに馴染めなかった。彼らのように穏やかに肯定することも出来ず、いつも何処かで不安だった。答えの出た者にしてみれば、問いかけ続ける俺は滑稽に映るだろうか。
 それでも、納得のいく答えを求めずにはいられないのだ。
「ティエリアを、迎えに来た」
 彼にとってティエリアは、甘いケーキを作るのが上手いただの人だ。驚異的な情報処理力も、ガンダムを駆る技術も、彼らの世界には不必要だ。それを知って俺は、求める。かつての戦友を。
 ロックオン・ストラトスというガンダムマイスターは死んだ。目の前にいるのは、片目を失って、穏やかに笑うようになった別の人間だ。最早戦友ではなく、守るべき対象となってしまった。
 それは即ち、彼にとって俺が、かつての戦友ではなく憎むべきテロリストになったということと同義だ。
 大切なものを失うという確信があった。大切なものを奪うという予感があった。
それでも俺は、そうせずにはいられなかった。

 右目の償いをさせてほしい、とティエリアは言った。
 どうやって俺の居場所を突き止めたのかは分からない。そもそも彼自身、あの戦いからどうやって生き残ったのかも分からない。唯その言葉を口にしたときの、迷子のような目ばかりが印象的だった。
 計画も一応の終結をみて、世界は平和になった。その結果、ソレスタル・ビーイングが壊滅状態に追い込まれ、行くあても目的もないのだろう。無理もない。計画だけが全てだった彼が、平和な世の中を生きろと言われたところで途方に暮れるだけだ。
 俺も、その気持ちが分からないでもなかった。家族がいない世界に、ひとりで取り残されたときの空虚感は今でも胸に残っている。あなたは皆の分まで生きなければだめよ、とシスターは泣きながら俺を抱きしめたが、それは呪いにしかならなかった。生きる理由もないのに生きろと言われることほど残酷なことはない。
 そんな彼が求めたとりあえずの生き方が、償いだという。計画の後半にほんの僅か優しくしただけの俺を、拠り所にせざるを得ない彼が哀れになった。更に言うなら、様々な方面からの追跡者を撒くために、ティエリアの力は都合がいいとも思った。
 彼がミス・スメラギ――大方はその向こうにいるヴェーダに――命じられて、高度な情報操作や、クリスのハッキングのサポートを行っていたことを何度も目にしていたから。少なくとも、住所や名前を変えたり、身分証を偽造したりという程度の工作しか出来ない俺よりはマシだろう。
 そんな同情と打算もあって、俺は彼を受け入れた。片目を失ってもそれほど不自由している自覚はなかったし、俺がティエリアに世話をされるより、ガンダムマイスターとしての生活が長く、世間ズレしているティエリアに世話をする時間の方が長かったが、秘密を分かち合える他者のいる生活は思うより悪くなかった。
 故郷の芋料理の作り方を教えてみるが、俺の説明が適当すぎて少しも分からないと腹を立てられたり、省略されず、厳密で詳細な制作手順が書いてあるから(つまりそれだけ面倒だということだろう)と突如菓子のレシピを持ち出してみたりとか、ウイスキーやバタークリームでどれだけ繊細に味を付けても、食べる俺にとっては砂糖の味しか分からないとか。そういう、くだらないことだ。それでも、ガンダムマイスターだった数年間では知り得ないことを色々、知られたように思う。
 しかし、いつかは終わることだ。もとより、永続的に続く生活だとは思っていなかった。償いを拠り所に生きることがいかに不毛かと、俺は戦いの中で身を以て学んだ。唯、目的を与えられずに放り出された彼に、何でも良いから理由を与えなければ、生きられないように思えたのだ。
 昔から感じていたティエリアの脆さ。目的を、理由を、外に全て委ねようとすること。彼は、自分の欲というものを全くと言っていいほど持たなかった。他人のため、といえば聞こえが良いが、それは自己を持たないということと同義だ。償いという言葉ひとつからしてそうだろう。
 
「右目は、ソレスタル・ビーイングが責任を持って治療にあたる」
 まるで罪悪感を吐き出すように刹那が口をした。何をそんなに申し訳ないそぶりを見せるのか分からない。俺たちの間には、特別なことなど何もない。決めるのは俺でなくティエリアだ。
「時間が経ってしまったせいで以前のようには戦えないが、他者の補助が不要になる程度には回復できる。あの戦いの傷に苛まれることなく、普通に生きられる」
「お前らは『普通』じゃなくなるけどな」
 口にしてから、くってかかってしまった自分に驚いた。何をむきになっているのだろう。四年の間に精悍な顔つきになった青年にも、驚いたように目を見開く様には、四年前の幼さが見えた。変わっていないのだと知って、すこし安心した。
「自分で決めたことだ。かまわない」
「…そういう奴だったな、お前さんは」
 昔と同じように、頭を撫でようとして手を引っ込めた。鋭さを増した双眸に意志の強さを宿す。俺の好きな目だ。彼にも、あんな風に迷子になるということがあるのだろうか。聞いてみたいけれど、口には出せなかった。彼は変わらないが、俺は変わってしまった。戦う力を、理由を、失ってしまった。ただの人間だ。

 右目が戻る。今度こそ『普通』の生活に戻る。そうすればこの関係も終いだ。だって理由が無くなるから。
 それは同時にティエリアが『普通』を手放すことを意味する。俺に付き合う必要もなくなる。彼はまた新たな目的を手にする。目的が外に在ろうと自分に在ろうと、それが生きる理由になれば何でもいいのかもしれない。
 甘ったるく、役に立たない砂糖菓子を作りながら、あてもなく悩み続けるよりは。
 どれが彼にとって良いことなのか、やはり俺には分からないのだ。
「刹那が来た」
 胸やけのしそうな甘さのバタークリームをかき混ぜていた手が止まる。かしゃん、という金属の擦れる音が空虚に、一度だけ響いてから、丁寧に淹れた紅茶のような双眸がこちらに向けられた。その真っ直ぐさにたじろいで、ついはぐらかしてしまう。
「お前の桃の…あれ、なんだっけ、」
「シブースト」
「そう、それ。美味いって褒めてた。良かったな、味の分かる奴に食べて貰えて」
 俺は甘味は専門外で、何を食べても甘さしか分からない。さぞ作りがいのない相手だろう。しかし彼は止める様子もなく、次々と何かを作っていた。まるでそれしかないのだとでもいうように。
「…どこまで、聞いた」
 ティエリアの物言いから、話が通っていたことを知る。冷静に考えれば、通っていないことがおかしいのだが、何故だか胸に失望があった。
 抱えていたボウルを置いて、エプロンをしたままこちらに歩いてくる。視線でソファの隣に座るように指示すると、あろうことか死角の部分にそっと入り込んだ。表情を見るのに少し勇気がいる。たぶん、わざとだ。
「右目が戻る代わりに、お前がいなくなる。それだけ。部外者にはそんなもんだろ」
 こちらもわざと突き放すような言い方をした。黙っていられたのが気にくわなかったのだと気づいて、自分の感情に戸惑った。機密事項として口止めをされていたのかもしれない。同じ立場だったのだから事情は分かる筈なのに、何故だか無性に苛立った。
 唯、二人で暮らしていただけだ。それ以外には何もない。俺はティエリアを利用し、ティエリアは俺を理由にした。言うなれば、利害が一致しただけだ。いつか終わると分かっていた。分かっていた筈、なのに。

はむたん 

September 09 [Tue], 2008, 23:43
 中尉になった。
 なってしまったのだ。理由というのも、先日の派兵で功績を挙げたため、ということらしい。
 俺自身の酷く個人的な動機が、評価され地位に繋がるというのも納得しがたいものがあったが、家人がつべこべ言わず貰っておけと言うのでありがたく頂戴することにした。
 しかし、何が嬉しいのか俺以上に喜んだ隊長が、ことあるごとに中尉中尉と呼ぶのと、ジョシュア・エドワーズ少尉がことあるごとにに絡んでくる以外にはさして何も変わらない。そんな俺の専らの楽しみは月末の給料だ。派兵諸々で色がついたそれで、家人と一緒に何か贅沢なことをしようと密かに考えている。
「近ごろの我が隊はめでたいことずくめだ!!」
 ムードメーカー、というよりもムードクラッシャーと喩えた方が正しいだろう、我が隊の誇るべき隊長で、俺と同時に昇進なさったグラハム・エーカー上級大尉殿が、上機嫌に宣言した。
 また始まった、と冷めた目で視線だけ雑誌から外したのは、ビリー・カタギリ技術顧問。何やら最近発表した論文が学会で一大センセーショナルを引き起こしたらしく、少し前まで取材の嵐だった。
 今彼が手にしている雑誌にも、白いスーツとサムライを彷彿させるきっちりとしたポニーテールの出で立ちの同一人物が、協力してくれた友人に深く感謝をしたいとコメントしている。あらゆる雑誌にそのコメントを残すくせに、どんなしつこいインタビュアーにも、その友人についての詳細を語ろうとはしない。その友人のたっての希望だそうだ。
 その雑誌の知的な変人めいたたたずまいから、知性を差し引いた姿で乱暴に雑誌を置く。相変わらず眼下のくまは取れないままで、よれた白衣とつま先に引っかけただけのサンダルが彼の限界が近いことを暗に示していた。大きな演習や派兵があった後、データ収集等で奔走するのは技術班のカタギリさんたちだ。いつも俺たちのために身を粉にして働いてくれる彼らには本当に頭が下がる。
 だから、そんな彼らの貴重な休憩時間を割く気は毛頭無い。というのに、上機嫌な上官は一向に空気を読む気配すら見せない。カタギリさんが隣であっちへ行けというより今すぐ死ねとでも言わんばかりの不穏な視線を送っているというのに、だ。その図太さには呆れを通り越して敬意すら払いたくなる。
「何だか分かるかね、中尉」
 呼ばれ慣れない階級名に一瞬反応が遅れた。耳に触れる響きに少し面はゆい気持ちになる。あまりひけらかすのも躊躇われたので、ここはとりあえず周りを立てておくことにした。
「昇進おめでとうございます、上級大尉」
「うむ」
「ダリルも結婚しましたね」
「めでたいな」
「カタギリさんも何か賞とったみたいだし」
「実にめでたい」
「…勝手に僕を君たちの隊に入れないで欲しいな」
 カタギリさんの抗議の声はさらりと黙殺された。そして沈黙。やはり言わなければならないのか、と思い知らされ自然と頬が熱くなる。昇進すると聞いたときは躊躇いもあったが、実際になってみるとそう悪くはない。最近はむしろ嬉しいとすら思えるようになった。
「俺が昇進出来たのは、隊長のお陰です…」
 頬を赤らめて頭をかき、そう告げる。しかし隊長は表情ひとつ変えず、軽く頷いてみせただけだった。それでもない。とすると、ひどく個人的なことしか思いつかない。家人が毎日食事を作ってくれるようになったとか、オムライスが結構うまかったとか。
 また沈黙。腕を組み顎を引き考える仕草をする隊長の面差しは、実に端正だ。カタギリさんは実にどうでもよさそうにそれを眺めていて、俺はそんな二人を眺めては考えを巡らせる。
 しかしそれも長くは続かない。隊長は我慢弱い性格だった。たっぷり三十秒その仕草をした後に、焦れたように眉間に皺を寄せ、口を開く。正直なところ、もうさっぱり出てこなかったので、彼の我慢弱さに安堵した。
「…中尉、今日は何日だ」
「は、9月10日であります」
 敬礼してそう答える。しかしながらその日付に覚えがない。強いて言うなら、大昔の変態小説家の誕生日だったような気がしないでもないが、確証がないし、第一隊長がそんなことを話題に出すとも思えなかった。端正な顔に刻まれた眉間の皺が、ますます深くなっていく。
「今日は何の日か、きみなら分かるだろう? カタギリ」
「……………世界自殺防止の日?」
 カタギリさんがやっぱり、限りなくどうでもよさそうにそう答える。先ほどまで上機嫌だった隊長の顔には、うっすら汗が滲んでいる。もしかしたら目尻に浮かんでいるものは汗ではなく涙かもしれない。なんだかとてつもない地雷を踏んでしまった予感がした。思考回路がフル回転するが、何も出てこないまま焦りだけがつのる。そうしているうちに、我慢の限界に達した隊長が思いきり壁をぐーで殴って、全世界に宣言した。本人にそのつもりはなかったのかもしれないが、それくらいの、声量で言いはなったのだ。

「今日は、私の誕生日だッッッッッ!!!!!」

 忘れていた、というより知らなかった。考えたところで出てくる筈もなかった。仕方がなかった。だからそんな泣きそうな顔で、人でなしというような目で訴えないで欲しい。責めるなら、隣でどこまでもどうでもよさそうに、自分の載った雑誌に視線を戻した親友を責めて欲しい。彼は絶対に知っていただろうから。知っていてはぐらかしただろうから。そういう人だ。
「朝から、どんなサプライズが来るかと、楽しみにしていたのに……」
「わかりました、わかりましたから、泣かないでください隊長! ほら、食堂で俺とテーブルいっぱいのマッシュポテト食べましょう! おごりますから、おごりますから!」
「それよりもフラッグでケーキ入刀がしたい」
 甘い顔をした途端、けろりと表情を取り戻して真顔で訴えられる。一瞬でも慌てた俺が馬鹿だった。雑誌から視線を外さない彼の親友はやはり賢明だった。そして表情ひとつ変えず、にべもなく告げる。
「却下」
「なんと!」
 電波的な願望が棄却されたのをそんなに驚かないで欲しい。本気でするつもりだったのかと思い、思わず口許が引きつった。しかし、更に恐ろしい発言が場を凍り付かせた。
「今日のためにフラッグを飾り付けておいた私の努力をどうしてくれよう!」
 サプライズ、というものは本人をサプライズするものであって、少なくとも周りがサプライズするのは間違っている。と、俺は思う。しかも今はサプライズを通り越して空気が果てしなく重い。だって、みるみるうちにカタギリさんの顔から表情が消えていくから。
 一体どんな手段を使ったのかは知らないが、今頃重病人のごとく沢山のコードに繋がれてデータを収集中の、言うなれば戦場を生き抜き全てを見てきた最高機密の一つであるフラッグを、飾り付けたという。質の悪いことに、グラハム・エーカーという男は絶対に嘘は言わない。真実のみ口にする。夢であればいいと、心の底から祈った。それが虚しいものだと知って。
 しかし、最も祈りたいのは間違いなくカタギリさんだろう。こんなことをされて、今までカタギリさんたちが不眠不休で取ったデータが無事で済むとは思えない。俺は素人だが、断言できる。グラハム・エーカーという男をそれなりに知っているから。況や、専門家であり、グラハム・エーカーの親友であるカタギリさんをや。
 隊長に振り回される同志としての立場と、忠実なる部下としての立場のどちらを選ぶべきか悩み――前触れ無く投げられたサンダルが視界に入ったとき、反射的に後者を選んだ。何も分かって居なさそうな隊長を庇い、押し倒す。後頭部にすこんとサンダルがヒットした。サンダルで良かったと思った。しかし、安堵する間もなく、死刑宣告のような穏やかではない言葉が降ってくる。
「ふふ、もういいじゃないか」
 俺の身体の下で、隊長が限りなく純粋な目でこちらを見つめる。恐らく、いまだ状況は飲み込めていまい。その透き通った双眸を、俺はじっと覗き込んでいた。そのアイスブルーの美しさに、いっそ見とれていたかった。背中にずきずきと突き刺さる恐怖をはぐらかすために。
「誕生日が命日ってのも、悪くないと思うよ? グラハム」
「……逃げてください隊長ォォッ!!」
 叫ぶと同時に隊長の身体をすくい取り、抱え込んで駆けだした。俺たちが倒れていたところに、一瞬遅れて椅子が降ってくる。徹夜続きの、疲労にまみれた身体のどこに一体そんな力が隠れていたのか分からない。恐怖に負けて振り返ってしまった自分を呪った。
 凍り付く俺をよそに、隊長はちゃっかりと俺の首に手を回し、体勢を整えて、今からベッドルームにでも行きそうな形で収まっている。反射的にそれに応えて腕を動かしてしまってから、その重さに驚く。比較対象が華奢な家人であるのもさることながら、隊長は小柄な外見に反して意外なほどに重い。骨格や筋肉がしっかりしているせいだろう。
 この重さを抱えて走れるのか? ――否、走るしかあるまい。
 死にたくなければ、走るしかないのだ。だって、背後から貫いてくる殺気は手加減してくれる様子が見えないのだから。
「ああ、ロックオンはそっちなんだ?」
 恐い恐い恐い。許されるなら今すぐ腕の中でぐねぐねに絡みついて首にキスをしている物体を引き渡してやりたい。しかしそれは身体が許してくれない。演習や実戦で培った軍人としての自分が拒否している。最悪だ。
「じゃあいいや。……君もやっちゃうよ」
 起伏のない声に背筋が寒くなる。目覚めたように、固まっていた身体が動き出した。生存本能が、成人男性を抱えながらもありえない早さで足を動かす。腕の中で子どものように楽しそうに笑い声をあげる隊長が心底憎らしい。基地の長い廊下を疾走する。談笑していたダリルとハワードの会話が一時停止されて、こちらをじっと見つめる。皮肉げな笑いを浮かべていたジョシュアが、呆然とこちらを見やる。しかしそんなものに構ってなどいられない。後ろの気配がじわりじわりと近づいてくる。少なくともこちらは肉体労働専門であり、向こうは頭脳労働のエキスパートなのに、一向に距離が縮まる気配が見えない。こんなに全力で走っているのに!
 腕の中で後ろを眺めていた隊長が、ほう、とため息を吐き目を見開く。そして耳許で囁かれた言葉に、得体の知れない疑問が氷解した。しかしそれは答えを与えてくれたけれども、同時にさらなる恐怖も与えてくれた。
「セグウェイか。前時代の遺物がよくも残っていたものだ」
 ――というより、技術顧問は乗れたんですね。
 舌が自由になるなら、そう呟いていた。だが、今は呼吸をするので忙しい。地雷を踏まずに済んだのは幸福なのか、それどころではない現況を恨むべきなのか。迷っているうちに、タイヤの音が少しずつ近くなっていく。
 絶対に負けてはならず、退いてはならず、諦めてはならない。ユニオンに入隊するまでに出会った何人かの鬼教官の言葉が不意に蘇った。徐々に思考がクリアになっていく。足が自動的に進む。壊れるんじゃないかという勢いで進む。それだけしか出来ない。
「楽しいなぁ、ロックオン!!」
「……そいつぁ、よかった…っす」
 腕の中でひどく楽しそうにしている隊長に、息も絶え絶えに応えた。自分の感じている恐怖と、酷く離れたところにいるこの人が羨ましかった。すべての元凶であるにも関わらず、ここまで楽しんでいられる人が。それでこそ隊長、という気がしないでもない。

 腕が限界を訴えて震える。筋肉が放り出したいと叫ぶ。しかしそのたびに蘇る。派兵後の休暇が終わって、基地に出てきた俺に、隊長が言ったことを。
「もう、戻ってこないと思っていた」
 何故、と問いかけることは白々しいと思った。実際、派兵から戻った当時はそう思っていた。そんな俺に気を遣って、強引に休暇を取らせたのが隊長であることも知っている。そうして過ごした時間の中で、俺はゆっくりと救われていった。
「戻ってきてくれて、良かった。きみは、私の大切な部下だから」
 そう言って少年のように笑う。その顔を見たとき、戻って良かったと素直に思った。ここに、俺の居場所は在るのだ。まだ失えない、失いたくない大切な居場所が。
 中尉の昇進より何倍もその言葉が嬉しかった。まだグラハム・エーカーの部下でいられることが嬉しかった。彼が迎えてくれることが、嬉しかった。
 だから、どれだけ煩わしくとも、このクソ重い上官を放り出す事なんて出来ない。絶対に負けてはならず、退いてはならず、諦めてはならない。倒れるまで走る。どこまでも走る。

 何度目か分からない曲がり角を曲がったとき、少し後ろで大きな音がした。きっとセグウェイが倒れた音だ。そう願いたい。違ったら哀しいので、今は振り向かずに走る。唯ただ走る。
「よく走った。それでこそ私の部下だ!」
 足を止めないでいると、不意に唇に触れるだけのキスをされた。きっとこれは勝利のキスだ。そういうことにしておこう。断じてこれは、浮気ではない。
 気が抜けて白んでいく意識の中、最後の最後で家人に言い訳をした。もう一歩も動かせないというところまで、足を進めながら。

 

書きかけ3 

July 20 [Sun], 2008, 22:39
 こうしてティエリアと僕の奇妙な同居生活が始まったわけだが、ロックオンの心配とは裏腹に、ティエリアは意外にも普通だった。彼がいつのまにか僕の本棚にある蔵書の内容と、書かれているページ数までそらんじてみせたときは流石に驚いたが、変わったことなんてそれくらいだ。
 食事は僕よりもきちんと摂るし、毎日23:00きっかりになるとソファで丸くなって眠る。それ以外の時間は持参したラップトップと向かい合ったり、テレビを見ていたりする。猫よりも遙かに手の掛からない大人しさだ。ロックオン曰くの、恋しがって泣いたり絶食したり名残を求めてクローゼットを開けたりということもない。というより、この家に来てからティエリアの口から彼の名前を殆ど聞かなかった。
 そんなことだから、消耗型の映像記録媒体を拝借してアザディスタン派兵関連のニュースを録画・編集したり、あんなお守りを作るような彼の態度を可愛らしいと思いこそすれ、笑う気は毛頭ない。一途な恋は美しいと思う。それなのに。
 何故彼はあれほどまでに怒り狂い、暴れたのか。
 書棚から零れだした大量の蔵書、ひっくり返ったキーボード、散乱した資料、投げ捨てられたクッション、衣服。その中心で僕は自分の傷に絆創膏を貼り、ティエリアは袋をきゅっと抱きしめて俯いている。
 一途な恋は美しい。しかし時に人を狂わすのだと実感した。貴方など必要ない、と豪語していた人物と、袋を抱えて丸くなっている人物が同一人物だとは到底思えない。この因果関係が理解できないから僕には恋人ができないのだろうか。だとしたら、僕は一生童貞だろう。ちっとも嬉しくない結論を得てしまって軽く落ち込んだ。
「怪我は、痛むか」
 丸いかたまりが突如声をかけてきて、絆創膏を貼る手が止まった。細くて白い手が貼りかけの絆創膏に伸びてきて、すっとその続きを貼る。手のつめたさが心地よく肌に滲んだ。同時に、肌に触れてくる無防備さに身を固くした。そうと悟られないように笑みを作る。
「たいしたことはないよ。驚いただけさ」
「すまない。取り乱してしまった。まさか誰かに見られるとは……」
「勝手に見た僕も悪かったから、ウン」
 眼鏡のレンズ越しに切実な視線を向け、にじりよってくる相手にたじろぐ。ティエリアは恋人以外の他者とあまり接触がないせいで、過剰に他者を警戒する一方でひどく無防備な一面も見せる。その危うさに対して自覚がないのがまた性質が悪い。本来、教育すべき相手と恋人関係にあるせいで、彼のこの危うさに気づかないのだ。
「このことは誰にも言うな、ビリー・カタギリ」
「……ロックオンにも?」
「当たり前だ!」
 叫んだ拍子に唇が触れそうなほど顔を近づけられ、反射的に後退する。至近距離の端正な顔は結構な迫力があったが、一方でどことなく慣れのようなものも感じて冷静だった。すぐに顔を近づけたがる友人がいるせいかもしれない。
「あの男に知られでもしたら…俺は、僕は…」
 そっぽを向いて何やら口の中でぶつぶつ言っているティエリアをよそに、教えたときのロックオンを想像してみる。普段の惚気っぷりを考えるとかなり腹の立つ光景のような気がしてきたので、黙っていることに決める。何より、切るべきカードはタイミングを見計らわなくては面白くない。いたいけな少年の弱みを握ってどうこうする気はあまりないけれど。
「わかった、言わないよ」
 そう言うと、安心したように顔を上げる。無表情で整った人形のようだった少年は、気がつけばこんなにも表情豊かになっていた。それが誰のお陰なのかは言うまでもないだろうが、彼はその相手に知られたくないという。そんなことをしても今更なのに、何が嫌なのだろう。本当に、恋心というのは分からないものだ。自分のものも、他人のものも。
「彼のことが好き?」
 問いかけると、少しの沈黙があった。考えたそぶりを見せた後に口を開く。
「……あなたは、自分の手が好きか」
 唐突な質問に面食らい、思わず両手をまじまじと見つめる。ペンだこが出来ていびつな手だ。僕と共に30年以上良く頑張ってくれたとは思うが、特に美しいかたちでもないので、好きともはっきり言えなかった。しかし嫌いになる理由も見あたらない。というより、
「考えたこともないな」
 その向こうでティエリアが膝を抱え、顔だけこちらに向けていた。寝るときといい、彼は身体を丸めるのが癖のようで、その所作は幼い印象を与える。胎内回帰だなんて、使い古された言葉を思い出す。彼の母胎というものがいまいち想像できないのは、浮世離れした雰囲気のせいだろうか。
「僕にとって、あの男はそういう存在だった。好悪など考える隙もなく、唯必要だった。彼が不在だと呼吸もままならなかった。必要だから所有したいと思った。あなたも知っているだろう」
 執着の塊のような袋を握りしめながら、彼が続ける。僕の前では、彼はとても素直な良い子だった。カウンセリングの真似事は得意ではないが、彼が僕にとって興味深い存在であることは変わらなかったから、苦痛にも感じなかった。
 類い希な外見や知性を持つ一方で、驚くほど常識やヒトの機敏に疎い。ひどくアンバランスな側面はそれだけで魅力的だった。唯、ロックオンのような庇護欲や愛情というよりは、僕の場合、シャーレの上で眺めるそれに近いのだが。それを友情と呼んで良いのかたまに分からなくなるが、長年の友人もそうして眺めているのだから恐らく許してもらえるだろう。
「…おそらく、ロックオンもそういう私を望んでいるんだろう」
 時折見える一人称のブレは、そのまま彼の揺らぎを示しているのか。僕が目を見開くと、彼は眉を寄せて微笑った。
「僕の同意も得ず、あなたのところへ押し込んだのもそういうことだ。電話をするたび以前のような僕を期待して、身を案じているのも。ひとりでも大丈夫だと言うと、ひどく不安そうな顔をする。置いて行かれる僕よりも」
「……ロックオンは、君をとても大切に思っているんじゃないか、なぁ」
 口から出た台詞は、自分でも驚くほど陳腐な台詞だった。これでは気休めにもなりそうにない。案の定、彼は小さく頭を振った。微かな動作だったが強い意思を感じた。
「そうかもしれない。だが、それだけではない」
 強い確信を秘めた紅茶色の瞳が、無遠慮なほどまっすぐにこちらを覗き込む。膝を解いて、またこちらに近づいてきた。よその家の匂いがこぼれる。ロックオンと同じ匂いだ。そのことに彼は気づいているのだろうか。
「僕は、変わってはいけなかったのか?」
 問いかけられて、押し黙る。彼は素直すぎて、時折ものすごく難しいことを聞いてくるので何も言えなくなってしまう。彼がそんなことを思っているなんて知らなかったし、ロックオンがそんな態度を取っていることも知らなかった。ティエリアは俺がいないと何も出来ないんですよ。呆れるほど過保護な言葉は、実はあまり笑えない。
 そのとき、重苦しい沈黙を追いやるような脳天気なメロディが鳴る。グラハムが勝手に設定したオーバーフラッグスの隊歌だった。団結力が高まるようにと隊長直々に作詞作曲をしたという曰く付きの歌だが、隊員は健やかなるときも病めるときも死の淵に立たされたときもこの歌を歌わされるせいで、半ば呪いの歌と化しているようだった。音質を落とした安っぽい端末のものでさえ、鳴るたびにロックオンは身を硬直させる。しかしそんな呪いの歌に、僕はとても安堵してしまった。僕はずるい人間なので。
 失礼、と軽く断ってから通話ボタンを押す。
「…どうしたの? グラハ、」
『心配したぞカタギリッッッッッッ!!!!!』
 途端、端末のカメラとマイクの限界に挑戦するようなどアップと大声に吹き飛ばされる。そんなに食い入るようにして話さなくとも、端末は彼をこちらに連れて行ってはくれないというのに、まるで今にもこちらに落ちてきそうな勢いだ。隣でティエリアも毛を逆立てて驚いているが、彼には見えていないようだ。どうやら僕は相当心配されていたらしい。
「すまなかったよ。突然切ってしまって」
『全くだ。我が隊の大切な技術顧問に何かがあったらと気が気ではなかった。さきほどは一体何が?』
 機密保持のために、ロックオン以外の相手のときには遠くに行ってもらうようにしているのだが、さすがに当事者となってはティエリアも反応したようだった。軽く目配せをして、首を振ってから続ける。まさかこの男に真実を話すほど、僕はばかでも残酷でもない。
「大丈夫。こっちはどう転んでも君たちよりは安全だよ。そっちは?」
『心配は無用だ。このグラハム・エーカー、きみの娘を娶るまでは死ぬまいと決めている』
「だーめ。死んでもあげない」
『何を言う! きみの頭脳と私の肉体を掛け合わせたら最強のフラッグファイターが生まれるというのに! 百年計画だ!』
 いつの間にか彼は僕の孫の代までシミュレーションを済ませているらしい。気の長いことだ。こんな夢を抱き始めたので、僕としてもいい迷惑だった。望みが薄いだけ彼が生き残る確率が増えるのかもしれないが、それとこれとは話が別だ。優秀な遺伝子を掛け合わせたいならよそでやって欲しい。男としては知らないが、結婚相手としては最低だろう男に、僕の大切な遺伝子をやる気はなかった。そもそも後天的素質は遺伝しないと何度言ったら分かるのだろう。
「思ったんだけどさ、もし息子だったらどうするの?」
『その場合は私の娘をやろう。私に似て素晴らしい娘に育つに違いない』
「…あ、そ」
 どうあっても彼は僕と親戚になりたいようだった。僕は死んでも御免なのだけれど。ただでさえ腐れ縁なのに、血縁関係まで生まれてしまったらそれこそ救いようがない。これがグラハムの気まぐれであることを祈るばかりだ。
「それより、さっきメールで届いたの、見たんだけど」
 動くタイミングを失い、ぼんやりと僕らのやりとりを見ていたティエリアに視線で促す。ティエリアは我に返り、弾かれたように部屋を出て行った。せわしない様に申し訳なさを覚えながら、ドアが閉まるのを待つ。信用していないわけではないが、念には念を入れ、通信傍受の類の仕掛けがないかを一通り調べてから、再び口を開いた。
「驚いたよ。まさかそんな因縁があったなんてね。…………彼は、大丈夫なのかい?」
 喋りながら、手元のホロモニターに添付ファイルを開く。そこに映った赤毛の男は、もうこの世にはいないという。
 彼が――ロックオン・ストラトスが亡き者にした。ユニオンの軍人として。そして、10年前のテロの生き残りとして。

書きかけ2 

July 20 [Sun], 2008, 22:38
 出立も近いからかフラッグの格納庫は日々慌ただしい。あれが足りないこれが足りない時間が足りないと、発狂気味に叫ぶ整備班を後目に、僕もまた最終段階の調整に手をつけていた。
 本来ならばこんなことをしている場合でもなく、僕は僕で仕事もたまりきっているのだが、いい加減飽きてしまった。同じデータと向かい合うなら、実戦的なフラッグの方がまだ気分転換になる。意見のヒアリングと称して、パイロットという話し相手もできるわけだし。
 フラッグのデータを呼び出した横のウィンドウに、ロックオン・ストラトスの個人データを呼び出す。グラハムから聞く限り、彼の勤務態度に問題は見られないようだった。彼らのような実戦部隊が不得手とするようなレポートも、かなり詳細に、期日はきちんと守って(本来は当然なのだが、隊長があれなせいで賞賛の対象になってしまうのは実に遺憾だ)提出してくる。演習の成績もすこぶる良ければ、人当たりも良い。軍の命令を忠実にこなす実力のある、実に優秀な人物と言えた。
 アザディスタンへ派兵されるということは、それだけ彼の能力が評価されたということだ。それは即ち人殺しの能力ということであり、派兵の目的も端的に言えばそうなのだ。しかし彼は気にした様子も見せず、それより、と言って飲みかけの飲料水の蓋を締めた。そういえばあのときも、袋に入っていた蓋のついたものと同じものを飲んでいた。
「お願いがあるんですけど、いいですか? カタギリさん」
「聞けることならね」
 ホロモニターに映っている、調整中の彼のフラッグのデータから目を離さずに答える。彼のフラッグが隊の中で一番状態が安定しているのは、スナイパーという役割のおかげばかりではないだろう。引き際と決めどきをしっかりと心得ている彼の戦い方は、安全性の点で非常に好感が持てる。無茶ばかりするグラハムに見せてやりたい。
 だから、僕は彼の派兵が決まったと聞いてもさして動揺はしなかった。むしろ僕の代わりにグラハムのお守り役が出来て安心したくらいだ。無茶をしたら後ろから撃って足止めしても構わないと言おうとしていたところだ。
「仕事が忙しいことも分かってます。なるべく面倒はかけないように言い聞かせますから、だから、」
「ああ、ティエリアなら心配しなくて良いよ。僕が預かってあげる」
「…ッッ!」
 図星を指されたのが恥ずかしいのか、彼は雪のように白い頬を赤らめた。そのときだけタイミング悪くホロモニターから視線を外す僕は意地悪だ。にこりと笑みを浮かべ椅子ごと彼の方へ身体を向ける。そして続けた。
「その代わり、君んとこの隊長のお守りは頼んだから。勝手に死なないよう、見張っておいてね」
「心得ました」
 教科書通りの敬礼で了承の意を示す、その生真面目な態度がおかしい。お守りという言葉は成人男性に使う言葉ではないが、それでもよかった。派兵の目的と乖離したなまぬるい言葉で、僕らは互いに戦地へ赴くという事実の重みをはぐらかそうとしていた。そこでは確実に人は殺し、殺される。彼が如何に安全な戦い方をしようとも、やはり命の危険はゼロではないのだ。
「君、こういうのは初めて?」
「初めてというわけでは……ただ、ここまで長いのは、なかったですね」
 だから心配なんです、と彼はまた、彼の恋人の話をしようとする。納得させるのに時間がかかったこと、籠城した相手を説得するまでろくに食事すら摂れなかったこと、そのくせ派兵が近づくにつれ態度が淡泊になっていったこと。全て耳に飽きるくらい聞いたことだが、制止する気にもなれなかった。
 ばかばかしい幸せを垂れ流すふりをして、同じ時間をもう過ごせないかもしれないという、彼の不安が見てとれたから。食事を摂れやら六時間は眠れやら保護者のような心配はいくらでもしてみせる分、自分の身を案じることはない。彼はいつだって他人の心配ばかりだ。それが気にくわなくて、僕は意地悪く話を元に戻した。
「君が死んだら、僕はティエリアに恨まれるかな」
 縁起でもない仮定に、彼の顔から表情がなくなる。しかしそれも一瞬だけで、すぐにいつもの人当たりの良い笑顔に戻った。彼は自分の感情を巧妙に隠すから、えぐり出すのも容易ではない。彼の恋人ならもう少し上手くやるのだろうか。
「さぁ? 隊長が苦手みたいですから、むしろ隊長に行くんじゃないですか」
 さらりと笑いながら彼は、縁起でもない仮定ではなく僕が恨まれるという方を真っ先に否定する。死なない、と気軽に否定できる脳天気さすら、彼は持てなかった。突然、不条理に生命が奪われることを知ってしまっているから。そういう人間は大抵、長生きするか早死にするかの二択しかない。前者であることを強く願う。
「僕のために帰ってきて。グラハムの飼育責任が僕一人に押し付けられるなんて、死んでもごめんだから」
 勢いをつけて椅子から立ち上がり、ロックオンの手を握る。茶化した台詞に彼は呆れるかもしれないが、こういう状況ではあまり深刻になりすぎないのがちょうどいい。真剣な約束は大事な相手とでもすればいい。僕にはきっとこれくらいしかできない。
「……技術顧問って二言目には隊長ですよね。隊長に言ってあげた方が良いん、いだだっ!」
 激励のために握った手の、表面の薄い皮をきゅっと抓る。彼の言葉の終わりが紛れた。スナイパーの手を攻撃するなど本来は言語道断なのだが、人にはどうしても譲れないものがあるのだ。

書きかけ1 

July 20 [Sun], 2008, 22:36
 新着メールのホップアップを注視すると、珍しい人物からのメールが届いていた。
 差出人のファーストネームは見慣れているものの、その後ろにくっついているラストネームは未だに違和感がある。結婚をしてどれほど経ったのかは思い出せないが、物心ついたときから彼女は僕の姉だったのだから、仕方のないことだ。
 その珍しい相手からの用件は、今度家族旅行に行くので猫を預かってもらえないかといった内容だった。姉は僕の仕事内容なぞ微塵も知らない筈だし(もしかしたら軍属ということすら分かっていないかも知れない)、普段自宅が最早眠るだけの場所になっているということも知らない。
 こうした日頃の生活習慣を鑑みると断りの返事をすべきなのだろう。しかし家族がわざとらしくも僕と接点を作りたがっていることも分かるから、無碍に断ることも憚られた。この歳になって独り身で、よくわからない仕事をしている弟がそれなりに心配なのだ。周りから心配も叱られもしなくなって久しいだけに、時折のこういうものは持てあましてしまう。
 幸か不幸かメールにある日程には仕事もそこそこ激しくはなく、生活の中に猫一匹くらいなら入れられなくもない。残るは猫と血縁への情のために妥協出来るか、という損得勘定だけなのだが。
(どうしたものかな…)
 頬杖をついて煮詰まった意識をモニターの外に逸らすと、本棚の傍に見覚えのない小さな袋が転がっているのに気づく。手の中に収まる程度の大きさで、夜色のビロードの素材でできていた。大方アクセサリーか何かを入れる物なのだろうが、それにしてもその袋は太りすぎていた。持ってみてもずっしりと重い。
 この場にいる人間の引き算をすれば、持ち主など分かり切っていた。大方部屋の蔵書を取る際に忘れていったのだろう。開けるべきか開けないべきか一瞬迷って、好奇心に負けて口を縛っていた紐に手を掛ける。
「いい加減にしろ!」
 絶妙なタイミングで持ち主の声が降ってきて、びくりと身体が跳ねた。ついでに眼鏡もずれた。緩めた袋の口からばらばらと中身がこぼれ落ちる。相当中身が詰まっていたらしい。
 ずれた眼鏡を直しながらそろそろと後ろを振り返るが、持ち主は現れる様子を見せない。こぼれ落ちたものを拾おうと手を伸ばすと、壁の向こうから更に言葉が続けられた。
「食事も三食摂っているし、睡眠も欠かしていない。貴方に言われたことはこなしていると言っているだろう!」
 どうやら電話の声のようで、ほっと安堵の息を吐く。声の荒さだけが穏やかではないが、その理由は推測がついた。大方彼の飼い主が、その過保護さを発揮して彼のプライドを著しく傷つけたのだろう。
 本来ならば機密上の問題で私的な連絡を取ることは許されない。つまりこの電話自体職権濫用なのだが、それを田舎の家族が息子の身を案じるような内容で使われるのも複雑だった。
 庇護欲も過剰すぎるのは良くないと言っているのに、派兵前のロックオンときたら、自分の身よりも置いていく恋人のことを案じていた。ティエリアは俺がいないと何も出来ないんですよ、という、本人が聞いたら一週間は拗ねそうな言葉を何度聞いたか分からない。今ティエリアがこの家にいるのは、彼なりの妥協した結果だった。
 散らばった物をひとつひとつ袋に戻していくうちに、その袋の中身が妙なものだと気づく。そこらで売っているような飲料水のキャップの蓋に、壊れたストラップ。紙製のしおりに底に僅かしか残っていない目薬なんてものもあった。色々なものがあったが、どれも共通するのは取るに足らないがらくたばかりということで。
「余計な心配をしている暇があったら仕事に戻れ!」
 至極尤もな正論を叫ぶ声をよそに、ほとんど容器だけの目薬を掲げてしばし考える。そして思い当たるものを見つけ、引き出しを探った。記憶は間違ってはおらず、引き出しの奥には笑えるほどの数の目薬が潜んでいる。眼精疲労は作業の大敵である。家に忘れるたびに基地内のショップで買っているせいで数が増えてばかりなのだ。
袋の中に入っていたものの横に並べると、中身を除いては寸分違わぬ作りになっている。ついでに言うと、この目薬は基地のオリジナルグッズと言ってもいいもので、外で売っているのをあまり見かけない。よってはじめから二つしかない選択肢は、消去法により簡単に絞ることが出来た。
「俺は貴方がいなくとも全く問題ない! 貴方など必要ない! 見くびるな!」
 段々声高になっていく声を聞きながら、キャップの蓋を眺める。そういえばこれもロックオンが愛飲していた商品だ。基地で飲んでいるのを何度も見かけたことがある。しおりやストラップまでは分からないが、恐らく同じようなものだろう。つまりこの袋は、ティエリア特製のお守りなのだ。
 壁の向こうから聞こえる台詞とのギャップがおかしくて、つい笑みが滲む。出会った頃は機械のように無機質な印象を受けた少年は、いつの間にか偶像崇拝すら覚えていたようだ。良い傾向なのだろう、きっと。

「ビリー、グラハム・エーカーが貴方と話を……、」

 しかし哀しいことに、僕の一方的な満足だけでは終わってくれそうにもなく。
 袋に中身を詰め終わって、口を縛ろうとしていた矢先にドアが開く。そして、僕の端末を片手に持ったティエリアが、未だ苛立ちの消えぬ面持ちで入ってきたのだ。こちらとしてはまさか突然振られるとは思ってもみなかったので、ごまかす術すらない。指先がぎこちなく固まった。
「……っっ!!」
 紅茶色の双眸が僕の手元を捉えた途端、表情が音もなく失せていく。僕の不器用な指先がもつれて袋がこぼれ落ち、同じくティエリアの手から端末が滑り落ちた。グラハムの大きすぎる声がそこから漏れて、空しく響く。
「……見ちゃった♪」
 にへら、と僕が力無く笑むと、ティエリアの顔が表情を取り戻す。白い肌が桜色に色づき、眉間に深く皺が刻まれた。猫ならば毛が逆立たんという勢いで激しく威嚇され、落ちたお守りをひったくられる。その拍子に緩んでいた口からぽとりとキャップが飛び出した。裸足のつま先が騒ぐ端末を蹴り上げ、転がったキャップと衝突して弾ける。
『カタギリ、応答しろカタギリ! カタギーリ!!!!』
 動揺したグラハムの言葉を大げさだと笑えない。平和主義で非戦論者の僕には哀しいくらい修羅場に対する耐性がない。正確には、第三者として場を諫めるのには慣れているが、当事者としてどのような反応をすればいいのか皆目検討がつかなかった。頬を紅潮させたティエリアを可愛いなどという余裕もない。無駄だと分かっていても、端末を拾ってグラハムに助けを求めてしまいたい。もしくは、この場を切り抜けられるなら猫でもなんでも世話をしてやろう。
 もしかしたら僕は、とんでもない存在を部屋に招いてしまったのかもしれない。

二期二話 

January 15 [Tue], 2008, 23:34
ピノッキオの絵柄がすごい ボーイズラブ。
あの顔で岸尾だいすけでおじさんは僕のすべてだとか言われただけで二期でよかった。
先週散々に言ってごめん。
安元のフランコもいい声してるし。おじさんは何故かカタギリだし。
うえださんてこんな声も出せるのね。五共和国派は萌えだわ〜。
やっぱりきれいなひるしゃが映るたび笑ってしまいますけど。矢尾マルコーはなんか軽い?

大分内容が抜けてたので原作を読み返して、ピノッキオの芋っぽさに驚いた。
ほんとこの頃の相田さんは絵柄が安定しないなー。

がんすり二期 

January 10 [Thu], 2008, 1:48
松風は好きな筈なのに、頬のこけてない顔からあのさわやかな声が聞こえるとイラッとする。
あのワカメ頭のさわやかなイケメンは誰だ。
画面に映るあれはヒルシャーの名をした何かだと思うことにした。
ジョゼさんが受けだった。子安はいつもの子安だった。
キャラデザが世界名作劇場じゃなくなって大変可愛くなっていた。平坦なのが惜しい。
絵も含め、一期独特の重々しさとオサレ音楽がなくなって全体的にチープな雰囲気に。
ちょっと慣れるのに時間がかかるかもしれん。

Hate久々に聴こうかしら。

雑多な話題 

January 07 [Mon], 2008, 23:56
谷山浩子のレビューを探していたら偶然見つけた、
クランプてんてー=秋元康、という記述に妙に納得してしまった。
私が四月一日と百目鬼に惹かれるように、ファイと黒鋼に惹かれるように、
AKB48に夢中になるのかなーと思うとわかりあえる気がした。
秋元康がアイドルにこだわり続けるのもわかる気がした。

あざといものを否定せずむしろ乗りたいと思うので、二人ともアリです。私のなかでは。

続・美しければ 

January 07 [Mon], 2008, 2:49
「美しければそれでいい」を延々聴いてます。
卒論の結論がそんな感じなんですよ。ほんとに。
真夜中はやっぱり筆が進む。途中からカプ語りになってるけど。
テーマが百合なんだから仕方ない。そう思うことにする。

百合萌えの原体験はt.A.T.uのPVだったなーと今更思い出した。
あのPVは少女とか百合にまつわる記号ががっつり詰まっててすばらしかった。
皆と金網で隔てられた二人だけの世界とか、病んだエロとか、制服とか、美しいだけのキスとか。
あんだけ衝撃を受けたPVもなかったなぁー。
t.A.T.uが日本で受けたのはあのPVが先行してキャラを作ったからだと思う。
破綻したのは彼女たち(つーかイワン)がそのキャラを勘違いしたからだと思う。
ポシャったみたいだけど、アニメを作ってるっていうのは興味深かった。
キャラクターとして消費されるのを理解していたようだ。

美しければそれでいい 

January 06 [Sun], 2008, 17:14
シムーンはかつて少女だった腐女子のためのアニメ、とかいうどこかで読んだ感想をかみしめている。
男が一組しかいないので、ハマれるか否かという問題はあるのだけれど、
奴ら(豆腐とグラタン、もしくは艦長と執事)には、
「何故我々は男同士じゃなきゃいかんのか」という問いに対するひとつの答えがある、と思う。
だって性別選べるんだぜ? なろうと思えばちゃんとした夫婦になれたんだぜ?
それでも敢えて男同士を選んで、傍にいる。敗戦後も二人で生きているってすごいことだ。
AS神様がこの二人に執着する理由もわかるよ。だってやおいの全部が詰まってるんだもの。
問題はあまりにも神々しすぎて二次になんて出来ません。とてもとても。
二十四年組の漫画を初めてみたひとたちってこんな感情を抱いてたのかな、と今更。

しかし他人に勧めるには、グラタンの桑島ボイスという大きな壁がある。
26話まで見れば慣れるんだろうが、ビギナーの私には未だ慣れないものが。
少女が性別を選ぶという設定の矛盾をなくしたかったそうだが、
それにしてもおっさんの顔がおばさんの声でしゃべるのはどうなのと思うんだ。
あ、あと濃い百合を「美しければそれでいい」と済ますことが出来るか否か。
わけのわからん専門用語が飛び交う空間は、まぁ最近のアニメの傾向ということで。

でも、それらの壁を乗り越える価値はあると思う。女子に見て欲しい。そして語り合いたい。
すごく個人的にはだいちゅけの声が今になって聞けることに軽く感動している。
2008年10月
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