家族ってなんだろう

April 09 [Mon], 2012, 13:48
 実家にはつきに2,3度行く。
父親もだいぶ生活に慣れてきたのか、少しは動くようになってきました。
草とりもしているようです。

2階のもと妹の部屋でゴソゴソしていると賞状の束が出て来た。

中学、高校の陸上競技、習字
短距離と幅跳びは、市では優勝、1位のが何枚もある。

私も、父もそんな事は知らなかった。

母親も妹もなにも言わなかった。
何でだろう。

市で1位と言うことは、県大会とかにも出ているんだろうな。

そう言えば、誰も応援に来ないのは私だけだ。って言っていたことがあった。

家族ってなんだろう

一緒に喜んだり、祝ったり。
しなかった家だよなぁ。

いろいろ思うこと

November 16 [Wed], 2011, 22:22
 前に書いてから、11ヶ月立ちました

もう1周忌です。

母のものを片付けたけど、途中で止めました。

ガンになって3年半あったけど、あの人は何もしていない。
何十年もとってあったがらくた、服。
片付ける気も無くなってきた。

最後の最後まで、自分の時間が少ないことは覚悟していなかったようだ。

どうしてこんな病気になったのか
私は死ぬのか。死にたくない。

片付けものをしたら、死ぬと思っていたのだと思う。


バタバタ暮らした1年

母に対する思いも少し変わったし、私自身がいろいろと思うことが変わってきた。

また、そんな事を書いて行こうと思う。


痛切に感じるのは、人間は絶対に死ぬのだ。
だから、どこかで覚悟が必要。

自分の身体に起こったいかなる事も、自分の事。
それを受け入れないと、何も変わらない。

いい思いでに

February 16 [Wed], 2011, 13:48
 亡くなれば、嫌な思い出もいい思い出にかわるわよ。と言われてきたけど、本当にそうなんだろうか。

毎週1度は父親の所に行く。
行けばいろいろ用があって一日が終わる。

一戸建ては寒い。
家の中のがらくたと思われる物を片したい。

台所の、使わない物は姪と葬式の翌日の片付けた

使わない容器、壊れてしまったもの
どこかでもらって来たもの

棚から下ろしたら、ほとんどが不要ものだった
なんとすっきりした事か

もったいなくて捨てられないのはわかるけど、山の様な生協のポリ袋にレジ袋

ほかの部屋にもたくさん有る
ポケットティッシュもどうするつもりだったんだろう

そして服
型見分けとも言うけど、そんなにいい物じゃないし。
私は着たいとも思わない。
薄情な娘かと思って、友達に聞いたら、やっぱり着たくないという。
私だけでなくて良かった。

どうやって処分をしようか
暖かくなったら考えよう。

服も着たくないのに、いい思い出になってなるのかなぁ

四十九日

January 16 [Sun], 2011, 13:44
 墓地は有ったけど、お墓はなかったので造る事にはなったけど、年末を挟むので四十九日には出来ないという。
納骨は百カ日にする事にしたので、今日は、私たち夫婦と妹の一家で、ご住職に来てもらって済ませた。

これからは、仏壇をそろえる事もしないと。
今までは仏壇もないので、仏事の事が何もわからない。

お正月

January 06 [Thu], 2011, 13:37
 喪中だから、お正月はない
ないけど、お正月に父親ひとりにするもの。

と、思っていたら、妹のだんなが、いつものように2日に集まろう。
その日は、Hの百か日でもあるし。と言う事で集まりました。

私は元旦から行きました。
夫婦で泊まりました。
夫は初めてです。泊まったのは。

何を話す訳ではないけど、こんな時間がこの家にやって来るとは思ってもいなかった。
いつもは、母親のオンステージ
何かを言うと、何を言われるかわからないし、よけいな事になるので、誰も話をしない。
母親が自分で話して、自分で返事をして…

お鍋にして、思い思いの食べ方。
母親がいたら、あの人の物差しにかなった動きをしないと、うるさい。

こんなにも自由な時間がこの家にも有ったのです。

お父さん、良かったね。
みんなが来てくれて。

お父さんは、みんなに嫌われていると思っていたらしいけど、違うんだよ。

葬式も終わって

December 17 [Fri], 2010, 12:18
 家族葬だったので、後から知った方が訪ねてきてくれる。

家族葬でする、と本人は言っていたけど
ちゃんとお葬式をしないと、後から来る方々がいるだろうから私たちが大変になるよ。
いつまでも来客のお世話をするし、お父さん一人ではできないよ。
と言った事があった。

本当に、1週間は弔問の方が毎日のように来てくれた。

家族葬というのが、ここ数年で認識されているのか、お声を掛けなかった事に対しては、
今はそうよね
歳をとれば、そうよね。と。

確かに対応は大変だったが、普通に葬式をしていたら、ゆっくりお話を出来なかった方々といろいろ話が出来た事は良かった。

あの性格の人間とつき合ってくれたのはさぞ大変で、よくもつき合ってくれました。と父親は思っていました。

昔からにお友達は、本心を知っていました。
口は悪いけど、どこかにくめない何かが有ると

最近の方は、ひたすらいい人でした。
思いやりがあって、回りに気を使って、と。

周りに気を使うから、家に帰ってくるとその反動がすごかった。

本当に外面はいい人だったんですね。

それがおばさんのいいところじゃないか。
周りがそれを認めないと。とも言われたけど、無理だよ
それでもずいぶんと認めていたけど、それ以上の事をやってくるし、
こっちの性格とか気質は全く無視で、自分の事を押し付けて来られるのをやられ続けたら、逃げ出したくもなる。

言う事とやっている事の違いにもびっくりだし。

いろいろ聞いて思った事は、私たちになんでもっと素直に接してくれなかったんだろう。
子供たちに甘えるのは恥ずかしかったのだろうか。

心を開いてなかったのね。
馬鹿な生き方

子供に気を使っても行けないし、子供にありがとうと言っても行けないと思っていたのね。
なんで、あんなに変な意地をはって生きたのだろうか。

もっと、気楽に生きれば、周りだって違っていたと思う。

自分だけがしっかりしたってしょうがない。

遺影に向かって、
「馬鹿な生き方だったんだね」と何度いった事やら。

そして、葬式が思って、近所の方が最近は
「お葬式は普通にやるから、あなたも来てね。家族葬でやると後が大変だしね」と言ってましたよ。と言う。
今更そんな事を言われても。

それにしても、私が言った時は、耳も貸さなかったのに…
なんで、そんな大事な事を言わないのよ。
まるで、自分が考えた事の様に言うのよね。最後まで
ならば、なんであのときに
そうだね、と言わなかったのよ。と思う。

とにかく、私の言う事は、まずは否定だからね

本当に最後の最後までむかつく人です

家族葬

December 10 [Fri], 2010, 11:56
 この前の記事は消えてしまって、落ち込みました。

長く書くのはやめよう

本人の意思で家族葬にした。
しかし、本人はどう考えていたのだろうか。

家族とはどこまでいうのか。
兄弟は…

という訳で、厳密にいえば親戚葬になる。
自分の兄弟たちと、お友達2名

総勢30人ほどだったが、なんと会場の前を通った昔の知り合いの方が、やって来た。
まさかと思ってきたというが…

結局、あの人は本当はたくさんの人に送ってほしかったのだろうけど、もしかして、声をかけても来てくれない。
そうすると、体裁が悪い、って外面の良さが出たのだろうか。なんて勘ぐってしまった。

通夜の晩は、皆さんが帰られから、大雨の大風
まるで台風の様な嵐が、朝まで続いて。
9時頃にはやんで、葬儀に参列するかたがたには、傘も不要の天気になってきて、火葬場ではピーカンのいい天気でした。

そして、お骨になって家に帰ってきたら、また雨。
いとこが言うには、おばさんの涙雨だと

葬儀が終わって思ったことは、
母親が先で良かった。
あの人は父親を残して、自分が先に行く事が心残りで、心配で仕方なった。

お父さんは、孤独死してしまう
誰も来ないから。と言っていたが、それはあなたがいたからよ。

安心しなさいよ。
孫だって、くるじゃない。
娘婿たちもちゃんとやっている。

もし、父親が先だったら、こんな葬式が出来ただろうか。
それこそ、みんなは来なくて、私もイライラして。
出来る事も出来なくなる。

お父さん
お父さんは寂しいかもしれないけど、私はお母さんが先に逝ってくれて良かったよ。
もし、逆だったら、みんなこんなにやってくれないだろうし
私もお母さんの文句に負けて、気持ちよく葬式も出来なかったと思うよ。

みんながお父さんの事を気遣ってくれて良かったね。

と言った。

私は家を出てから、始めて1週間も実家に泊まった。
そんな事は、母親がいたら考えれないこと。

きっと、面倒でも毎日家に帰って、毎日いやいや通ってきたと思う

消えてしまった

December 06 [Mon], 2010, 22:12
あーあ。
葬式のことを書いた記事が消えた、ショックです。

書くなこって事かなぁ。

ない

December 02 [Thu], 2010, 22:57
 通夜は3日、告別式は4日。
と言うことで、2晩家にいることになった。

葬式の打ち合わせというのは、式、祭壇、料理、お返し、参列者の人数、供物の手配
写真は本人が選んでいたからいいものの、それを探すのは大変なことだろう。

短時間でこれらの事をする。

一度頼まれた花の変更や、名前の確認

その合間に、聞きつけて来た方の対応。

通夜まで時間が有ったのに、本当に忙しかった。

それにしても、自分が死んだらこれを見ればわかるから。と以前に見せられたノートが見あたらない。
そして、ここ数年の日記がもない。
もっと前のはあった。

どこに行ってしまったのか。

私が死んだらこれを見ればわかる。ってノートは随分前に言われたのだが、
さんざん言い争いして、むかついた時に言われたので
「そんなもの誰がみるか」
と答えてしまった事があった。

まさか、それで…
捨てたのか。


4年前に入院したときに私と妹が書いていた病状日誌も無くなっている。
私が見ない、と言っても、当時は妹もしたし、父だっている。

どこかにしまったのかと探したけど、みつからない。

何が書いて有ったのか。
父親曰く、でたらめを書いているよ。
見つからない方がいいよ。というけど。

しかし、夏前には有った
動けなくなってからどうやって捨てたというのだ。
ゴミの処理は父親がやっていたので、中身は確認してから捨てていた。と言う。

点滴、ストーマにつながれた姿で、どこかに捨てに行かれない

考えられることは、医薬品処理箱。
使い終わった点滴のパックやストーマなどをバケツに入れる
満タンになると、蓋をして持っていってもらう。
一度蓋をしたら二度と開けないという、あの箱。

あれの中程に入れてしまえば、だれも気づかない。
出す時も確認はしない。

あれしか考えられないと、父親と話す。

話すと言えば、母親のいなくなったこの家は静かだ
だれにじゃまされることなく、話が出来る。

父親とはこんなに長い時間話した事が無かった。
普通の話をこの家でした事が無かった。
それが、母親がいなくなった事で出来ている。

何十年ぶりかで父親と話す。
いや、物心ついてからは初めてかもしれない。

たわいない事
妹が何を考えていたか。
母親がどうやっていたか。

父親は俺は仕事ばかりで家の事を何も知らなかった。と言う。
時代的には、エコノミックアニマルと言われていた時代。
ある意味仕方ないが、母親が何も報告していなかった事も悪い。

どれだけ、言葉の虐待を受けていたか。

いろいろ話したいことは、本当は妹と話したかった事
二人にしかわからない辛さ
それが本当に悔しい



なんで、嬉しい、ありがたい、感謝してる、良かった。
なんて事を言わなかったのだろう。
と思う。

それを少しでも口に出してくれれば、妹だって…

気持ちというのは口に出さないと伝わらない。
文句と愚痴しか言わなかった。
そんな事ばかり口に出せば、そのようになっていく。

残されたいた日記をパラパラと読むと、
うちの子供たちは親不孝だ。とか
だれも来なくて寂しいとか。

親孝行というのは、どういう事を思っていたのだろうか。

しかし、日記に書いて有ることと、実際の行動とが全然違う。
だから、嘘、でたらめ書いてる。
夢の世界。と思ってしまう。

でも、文に書いていた事を、少しでもやってみれば良かったのに。
恥ずかしかったのだろうか。

私が実家にいても、誰も来なくて寂しい。と言っていた。
私はナンなのよ。

私がいるのだから、せめて、
いつもは一人で寂しいけど、今日はおまえが来てくれて良かったよ。
とは言えないのだろうか、


馬鹿だよ。
なんで、そんな馬鹿な生き方しか出来なかったんだ。と思う。



母親が亡くなったことで、自尊損を傷つけられる事も無くなった。
父親は、うるさかったけど、いなくなればやっぱり寂しいという。

葬式までの二日間は、年十年分の会話を父とした。


しかし、なんであのノートを捨ててしまったのだろう。
少しでも自分の思いを残したいと思わなかったのだろうか。
3年半も時間が有ったのに、何一つ言い残していない。

大事な話をするから来い。と言われて実家に行っても、くだらない話しかしなかった。

自分の葬式をどうしたいのか
何をどうしたいのか。
残して行くのが心配で心配で仕方なかった夫のこと。
あれだけある荷物の処理

人間なんてそんな物なのかなぁ。

私だったらどうするのだろう。
少しでも身辺整理をしたいと思う。

ノートの存在を知らなければ気にはならないが、ないことが気になる。

全員集合

November 30 [Tue], 2010, 22:10
 メールで、妹の家族一人一人には知らせたおいた。
上の姪から、私も行ったほうがいい?と返事が入っていたが、返信できずにいたら、携帯が鳴った。

「上司に行ったら、帰っていいと言うから行くよ」と

想像もしていなかった事だった。
まさか本人が来るって言うとは

家について、迎える支度をする。
雨戸を開けて、布団を出す。

しばらくすると、白い布をかけられて担架に乗って戻ってきた。
俗に言う無言の帰宅。

昨日は「家に帰りたい、家に帰りたい」と騒いでいたのだ。
帰っては来たけど…

義弟もやってきた。
半休したと言う。
明日からは忌引き休暇も取ってきた。

私の夫も来た

孫も来た。

お正月以来の全員集合。

まさか、こんなに早い時間からみんなが揃うなんて。
母親が知ったらビックリだろう。

近所の人が来てくれた。
「故人の遺志で、葬儀は身内でおこないますので」と伝える。

みんなが揃ってバタバタ。
いろいろ連絡したり。
近くの親戚が来たり。

2時間ほどして、葬儀屋さんが打ち合わせにやって来た。
祭壇の大きさ、供物、お花を選び、遺影のバックを決めたり。

遺影は本人がだいぶ前から選んでいました。
ガリガリの今の状態からは、まったく違う、福々しい顔
本人が選んだので、なんの悩みも無く選んだが、バックが暗いので、花の模様にしてもらう。

それをみんなで、ああだこうだ。
ばーさんにはこの柄がいい。
写真の枠はこれがいいよ。

全員が自分の言葉で、自由に思った事を和気藹々と言うのは初めての事かもしれない。

母親がいるときは、誰ひとりとして、本音を言わない。
だって、何かを言えば、否定され、何十倍の言葉が返って来る。
そして、全く関係ない話を延々と始めるので、みんな関わらない。

こんな時間がこの家にやって来るとは思いもしなかった。

そんなこんなこんなで、通夜、告別式の日程も決まり、一息。

親戚に出席の確認をしたり、お花や供物の確認などをして過ごす。

9月の妹の葬儀がまるで予行演習だったように、打ち合わせの時にそれが役立つ。
そして、前回は義弟が主だったが、今回は自然と補佐に回ってくれる。

父親は重要点は決めてもらうが、細かいことは私が決めていく。

そんな事をしていると、プラスティックが燃えるような臭いがしてくる。
台所では火を使ってない
ストーブも大丈夫。
ふとテレビを見ると…
テレビから白煙が上がっている。

慌ててコンセントを抜き、すべてのコードを抜いて、裏蓋を開ける。
発火するまでには行かずに、事なきを得た。

いやぁービックリ。
基盤はほこりだらけ

確かに、状態が良くないから、買い換えか。と思ってはいたけど、来月でいいか。と思っていたところだった。

父親は鼻が利かないので、ひとりの時に発煙していたら、火が出るまで気づかずに火事になっていたかもしれない。
発火しなくても、発煙したらひとりでは何も出来なかったかもしれない。

とにかくみんながいたときで良かった、良かった。

ふと、誰かがつぶやく

ばーさんの焼き餅

こんなにみんなでワイワイとやった事は無かったので、焼き餅なのかもしれない。

2012年04月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新コメント
アイコン画像
» 5回目の入院は療養所 (2010年11月17日)
アイコン画像
» 5回目の入院は療養所 (2010年11月17日)
アイコン画像
» 長いお休みでした (2005年04月13日)
アイコン画像
» 長いお休みでした (2005年04月12日)
アイコン画像
» 明るい明日は有るのか (2005年02月08日)
アイコン画像
» 明るい明日は有るのか (2005年01月25日)
アイコン画像
»  気がかり (2004年12月31日)
アイコン画像
»  気がかり (2004年12月30日)
アイコン画像
»  気がかり (2004年12月30日)
アイコン画像
»  気がかり (2004年12月30日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:華
  • アイコン画像 現住所:神奈川県
読者になる
 横須賀生まれ。平成9年から横浜市民。会社を辞めてストレスから解放された。 でも、人生はやっぱりストレス。 人間いつかは、死ぬ。その時に「ああいい人生だったなぁ」と言いたい
Yapme!一覧
読者になる