19. 

February 11 [Thu], 2010, 11:57
19.同和地域では、自立性に大きな問題がある。
おんぶに抱っこで生きてきたことが祟って、住民の自立性が損なわれているのである。
それが端的に現れるのが、車の運転。 まるで数珠繋ぎのようにベッタリとくっついて、時速50km時の車間距離が10mもないなどということは日常茶飯事である。 これでは、いつ事故が起きても不思議はない。
これに付随して、住民は、車に限ったことではないが、「音と光」で迷惑を及ぼす。 駐車中のヘッドライト付けっぱなし、中にはアッパーのまま駐車させている者も多い。 車間距離の少ないところで後続車が先行車にまぶしい思いを平気でさせ、アッパーのまま後続する車さえ多い。
駅などに人を迎えに行くと、エンジンかけっぱなし、車内での大音量の音楽が漏れる車、これらは皆、正常な手段で運転免許を取得した者達とは思えない、モラルに大きく欠ける面々である。
シッカリとした自立性がないから、モラルも育めない、いつ何時何をしでかすか分からない品性が同和地域の住人には多々見られる。

18. 

December 31 [Thu], 2009, 10:38
18.小地方では、未だに封建主義が横行して、全ての進展・進歩を足止めしていますが、群馬県の小地方でも同じ状態が続いています。
「上州名物かかあ殿下に空っ風」という言葉を耳にしたことのない方は少ないと思われますが、この言葉の真意は、同和地域の「変態封建主義」を如実に表した言葉なのです。
別に女性がよく働くことを意味するものではありません。
男がフニャフニャ、デロデロで、使い物にならないから、女が仕方なく何とかしなければならないという意味に受け取るべきでしょう。
ただ、そこで問題になるのは、女の性質で、多くの場合、その血のせいもあって、極悪なる女である場合が多く、ウワサ体質で、自分の感情的な意見を男に吹き込み、不甲斐ない男は、女の意見を自分の意見と勘違いし、公言に及ぶといった構図です。
これが「かかあ殿下」の謂れで、変態封建主義なのです。

こういった地域が、少なくても、「古き良きは残し、新しく良きものは取り入れる」という「保守主義」に早く変わらない限り、明日も暗澹たるものであることは間違いありません。

「秋田美人は情が濃い」というのが、実は「淫乱・遊び女」の裏返しの言葉であるように、ご当地標語化したものには、真意があるというものです。

17. 

December 06 [Sun], 2009, 5:15
17.同和地域で本当に町おこしを行なうつもりならば、次の条件を厳守すべきである。
@完全に外部から来た者達や良識に富む者に任せる。
A老人を参加させず、相談役に据えておく。 老人が町おこしの最大の敵である。
B部落直系住民に一切タッチさせない。何でも感情的に流れてしまうからである。
C町おこしの基礎力(良識・常識・知識・文化面の実力)のある者達(ブレイン)に頼んで、ワークショップに参加してもらう。いくら若さがあっても、基礎力に欠ける者は、邪魔にこそなれ、決して良い方向には導けない。
D妙な縄張り意識を持つ者は、排除する。
E町おこしは地域ぐるみで行なうものといった幻想を捨てる。 歴史がほんの一握りの者達によって動かされることを肝に銘ぜよ。 「船頭多くして船山に登る」では、元も子もない。
Fブレインが発案したことを、肉体労働集団に強制的に行なわせる。 この「強制」に全ての同和地域での意味が含まれている。 言い換えれば、こういった地域では、腐っても老人の権力が横行し、何かと愚鈍化させたり、邪魔したりするのが通例であるから、そういう側からの横槍を排除しなければならないため、「強制」という形をとらざるを得ない。じー婆が何を言おうと、町おこしを進めようとする決意と力が必要である。
人を呼ぶにも、どこへ行ってもじー婆が顔を出すのでは、半ば興ざめの原因である。

これは、同和地域での話である。

16. 

November 22 [Sun], 2009, 6:20
16.同和地域には、町おこしを行なわなければならない所が多い。
ある有志も、これに協力しようと去年まで頑張ってきたが、周辺住民がこぞって邪魔をするため、放置することにしたそうだ。
ここで一つハッキリと言い置いておくべきことは、同和地域では、町おこしなどといったことはできないということだ。
「町おこし協議会」なるものを立ち上げ、ワークショップを開催するのは良いが、そこで出る意見や行動は、他の模倣的なものに過ぎず、また、他人のホームページから勝手に転用したものも見られる。
要するに、オリジナリティに欠け、しかも、町おこしの基礎力に欠けているから、結局、町おこしではなく、町の美化運動程度の狭い意味の地域活動に終始している。
ここでも優遇されるのは部落直系住民で、文化面で一流の腕前を持つ人々は、阻害される。
何が町おこしでしょうか!?

15. 

November 20 [Fri], 2009, 9:40
15.私共が害を受けていたのは、部落直系住民が多く存在する、地方公共団体(役場)・銀行・信用組合・信用金庫・病院・居住地域他、生活に関わりの深い場が主で、全て事実無根のウワサを原因とする、明らかな差別です。・・・こういった地域では、仕事にも感情が入りやすい訳ですが。
それらが、まるでやんわりと真綿で首を絞めるように、私共の生活ができないようにできないようにと行なわれ続けているのです。
こういったことが平気で行なわれる地域で、人権教育とは、似つかわしくないことです。
このように(具体的な例は割愛しますが)人権の侵害を行なうことが、堂々とまかり通るのも、同和地域の常であることを指摘しておきます。

当然、私は、こういう記事を書くことで、命の危険まで考えながら生きているのです。
そう、部落直系住民の先導者達の悪辣さを知っている私ですから。

14. 

November 07 [Sat], 2009, 9:01
14.同和地域では、同和地区を含み、学力の低さの他に概して意識が低い。言葉も語彙が乏しく、汚いもので、聴くに耐えない。
そのためもあってか、同和問題もシッカリと正しく議論せず、一部の先導者の言いなりになりやすく、「差別、差別」と叫んできた経緯があると言える。・・・この先導者の罪は糾弾されるべきである。
他系の部落、例えば平家落人部落や藤原氏落人部落などでは、その周囲に比べ、意識が突出して高く、他を圧倒する程の迫力がある。言葉も美しいのが通例である。

同和問題の渦中にある地域では、表面上とは裏腹に、「ここはここ。他は他。」という極めて排他的な傾向が強く、今現在でも、他を寄せ付けない。と言うより、率先して新しいものを進取する力に欠け、他に比べ、何十年も遅れた意識にしがみ付いていると言う方が正確かも知れない。そしてまた、自分達の意識・考え方が誤っていることがあからさまになることを恐れてもいる。・・・こういった小地方の殆どが同和地域であることも、ここで指摘しておきたい。

従って、同和問題を同和地域全体で真摯に議論することが一切なく、自分達の先祖の否には蓋をし、ただただ、人権問題に摩り替えられた論議が一部の者達によって展開されてきたというのが真実である。

私達は、同和問題に関する資料風のものを多く保有しているが、今後も、いくらでも論じる種に事欠かない。

同和問題は、真実を見直され、真実から論議し直されるべきもので、差別差別の一点張りで部落直系住民の利益ばかり考慮されるなどという愚考ばかりでは、同和問題の根本解決にはならない。
何千年経っても淘汰されにくい血のことで、区別されることはしかたのないことで、この傍らで、根本的な解決を目指した論議が行なわれるべきであろう。

私の意見に対して、異論があるならば、堂々と反論を書きなさい。ただし、多くの実例を挙げ、充分に完膚なきまで懲らしめてあげますから、覚悟は必要ですが!!特に、ウワサ体質そのままに生きている皆さんに申し上げますが。


13. 

November 02 [Mon], 2009, 18:42
13.世の中には同和問題を扱った文献、文章が非常に多く出回っていますが、正しい認識の上に書かれたものは、殆ど存在しないと言って差し支えないでしょう。
というのは、同和地区の人の権利をまず初めに掲げた上でのものばかりですから、どうしても、偏りがちになることは否めません。
まず、「普遍的事実」に基づいた区別は差別に当たらないのです。
従って、江戸幕府が行なった身分制度による隔離政策は、差別ではないのです。
増してや、どちらかに偏った意見というものは、それ相応に感情が入り、真実を見極めることのないたわごとに過ぎないのです。
本当の差別というものは、例えば朝鮮人だとかユダヤ人だとかいう、「根源的事実」を元にしたり、「なんの事実もない」ところで、人に何らかの害を与えることを指すのです。
同和問題を論ずる時、安易に「差別」という言葉を使うのは、浅薄に過ぎることです。
部落直系住民に対する「差別」と言われてきたことは、普遍的事実に基づくものですから、まあ、「区別」程度の言葉が妥当と思われます。
その区別が行なわれる「普遍的事実」がある以上、この区別に異議を唱えることは不要なのではないでしょうか?
私達は少なくとも、部落系の方々に差別を受けている立場ですから、上記を殊更明確にしておきたいと思います。

12. 

October 30 [Fri], 2009, 10:27
12.ここで同和地域というのは、同和地区を含む地域のことで、同和地区とは同和指定地区を表します。

11. 

October 29 [Thu], 2009, 22:52
11.その血筋には、知的障害だけではなく、知的障害のない人でも、精神異常が頻発します。
例えば、精神分裂症。
この点からも、その血筋にある人を避ける企業や親が存在することは否めません。
群馬県の、特に私の居住する地域で自殺が多い原因として、この精神異常があると考えて良いでしょう。
鬱病などは、一般社会で認知され、誰もが精神病と言うほどのことはないが、ケアの必要なものだと見ていますが、分裂症やそれに近い異常ですと、人が寄り付かなくなり、本人が孤立しやすく、自殺に至るのも頷けます。
要は、こういう人の傍に近寄りたくないという意識に問題があるが、治療費の大半が公費で賄われることには、首を傾げたくもなる。・・・各個の医療費は、各個が負担して当然である筈だが。
そういう特別待遇が行なわれなければ、彼らは安直に「差別」の叫びを上げる。
全然間違っているのですよ! 「平等」を要求するならば、他の人々と同様に、自分の医療費位、自分で払うべきなのではありませんか!?
この人達が要求するのは、「特別扱い」であって、決して「平等」ではないというのが本当ではないですか??

10. 

October 25 [Sun], 2009, 13:40
10.私の住んでいた西牧地域には、とっても不思議なことが多々あります。
絶対に運転免許を取れない筈の者が楽々と免許を取得したり、多くの「不思議」があります。
極めつけは、知的障害者の大学進学です。 それも推薦入学。
中・高とカンニングを常習とし、高校の成績で日本工業大学に入学した者があります。
おかしな話で、推薦入学には沢山の問題がある中で、最も目立つことです。
この男、大学を卒業できたこと自体不思議なのですが、卒業した後は当然、社会の厳しさにさらされ、職を転々としていますが、間もなく、職の口も途絶えるでしょう。
これは、変にプライドを持った知的障害者の例ですが、結局、「悪銭身につかず」のように、「悪行身を滅ぼす」の例えが当を得ていることでしょう。
知的障害者は、幼少の頃から職業訓練に励み、これを業とするのが最善で、道を踏み外しますと、世の中で全く使えない愚か者に成り下がるのが関の山です。
P R
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