生きること

July 03 [Mon], 2017, 23:02
生きるって本当に馬鹿みたいに大変なことなんだけれど、
本当にこれが生きることなんだろうか。
当然社会的動物として進化?してきた人間は、
それぞれの労働による役割分業なしに、
社会、ライフラインを維持することはできない。
しかし、社会性が高度化した現在では、それこそが人間の最大の負担となってしまっている。
この現状は何か変えられないんだろうか。
たとえばAIが発達して、人間の仕事がどんどんロボットに奪われてしまったら?
もちろんその時に全ての職業がなくなるわけではない。
職人的作業は当然必要とされてくるんだろうと思うし、芸術面はやっぱり強い。
マーケティングだけに関わらない芸術面ね。
人間の仕事って今後はどうなるんだろうか。
私が一つ思うのは、想像すること、妄想することが人間の大事な仕事になるということだ。
演算では処理できない次元の「考える」ということ。偶然やバグとも呼べる思考展開をしていく力が
必要になるんではないかな。
そこはやっぱりロボットとかいう計算高いかわいいぶりっ子にはできない、天然ボケということです。
そうおっもうと、やはり今の善人間をある程度のレベルにするという工業的学校モデルは
やはりどこかで一度く見直さなければいけないんじゃないだろうか。
少子化、一極集中が問題となっているけれども、一人の先生に対して五人ぐらいがついて思考の訓練、
いわゆるゼミを高校段階でやって、それでみんな社会に出ればいいのに。
大学に行くのは本当に勉強したい人だけにして、
で、学費ももっと安くする。
正直ムダに学費払わせてるだけだしね。
その代わり、高校卒業してすぐに正式雇用にしなくていい。
インターンシップという形でみんな2年ぐらいふらふらして、
そのうち働くところを決めればいいのよ。
あと機会ががどんどん進んで色々在宅ワークになればいいのにな〜
毎朝みんなが憂鬱にならないようにね。
余暇がないと消費ができない。
余暇のための消費、消費のための余暇だよ。
今、人生に余暇がないかrあ、消費なんて促進されるはずがないんだ。
みんな自己リスク化した社会に怯えてる。
その一歩いうで短期的視点しか持てない人たちがけっこうえげつないことになっていっている。
みんな自己保身に走る馬鹿になってるんだよな。自分もそう。
やっぱr、変えるなら、社会から。
自分を変えるだけでは、生きづらい。
社会に合わせるな、もっともコスパのいい生き方はなるべく早い死しかないよ。

まぼろしのまやかし

February 21 [Tue], 2017, 1:52
誰かを好きなそのきもちは
どこまであなたの気持ちかしら
好き、なんて
恋してるなんて
つくられた感情よ
濃縮還元、あなたの心は何%?

しりこん

February 21 [Tue], 2017, 1:50
君のこと好きだよ
優しくしてくれるから
誰でもいいの

ikirukoto

December 19 [Mon], 2016, 0:27
生きること僕達が生きること
この一瞬一瞬、息を、吸って、吐いて
この体を時間の風が通り過ぎていく
声にだした僕の声はその瞬間に僕の声じゃなくなる

バナナマン

December 17 [Sat], 2016, 0:35
バナナマンのコントよく見てる。
すごく良い。
メッセージのある小ドラマ。
一つ一つ独立しているのに、世界観がしっかりあるのがすごい。
たかがコント、ではない。
人を傷つけすぎないところも好きだ。

演劇がやりたいなあ。
自分なんてなにかもわからないのに全力で他人に成りきるあの瞬間。
自分が演じる他者と、他者が演じる他者、そして見る人がいる、あの異空間。
演劇がやりたい。

記憶と記録

November 21 [Mon], 2016, 2:00
修論の資料を考えるために古い携帯に電源を入れた。
久しぶりに見る、今となっては小さめな画面。
昔の写真、昔つくった画像。好きだったもの、好きだった人、思い出が割とつまってて息が詰まった。
今はもうつながらないEZwebのお気に入り画面を開くと、思ったよりたくさん、
創作系のお気に入りページがあった。
現在の端末に一々手打ちでURLを打ち込むと、出るわ出るわ。昔のブログやいわゆるリアルという形式の日記帳。
ほんとにわたしはあちこちに書き散らかしてるんだなあ。今も昔も。
それだけ、アナログだろうがデジタルだろうが、書くことが好きで、書くことに救われてきたんだな、と感慨深くなった。
好きなものが変わっても、やることは変わってない。
精神的成長もあんましなくて少し悲しい。
それでも自分がそれだけ書くということを自分のものとして依存いて愛してきたという事実に胸を打たれた。

私の書く経験の最初はなんだろう。
家はやたらと絵本があった。母の職場では絵本の共有文化みたいなものがあって、
小さいお子さんのいる家庭に色んな人の購入した絵本が譲渡される。
その家庭の子が絵本を読む歳でなくなると、次の家庭へと渡される。
もちろんその家庭で購入したものも新たなメンバーとしてともに新しいお家へと向かう。
そんな事情でうちには割と絵本があった。
両親は共働き、母は夜勤がある仕事、父は数日家をあけては帰ってきてしばらくしたらまた数日いないタイプの仕事。
私と妹は本を読み、テレビを見た。
そのうち絵本は漫画に変わる。なんといっても名探偵コナン。
これは私のルーツに深く食い込む作品だ。
それから時々父が買う少年マガジン。
小学校中学年?高学年?以降はりぼんも買っていた。
最初に何かを書いたのは、書いたのは、
自作の絵本だったかな。
くまくんとうさぎさんの絵本。二人が交換日記をする。
ケンカしたりなんやかんやしながら二人は中を深めていく。
そのうちくまくんが「交換日記をやめよう」と言い出す。
ショックを受けるうさぎちゃんのもとへ、くまくんが訪れる。
「結婚しよう、交換日記のいらない距離にいよう」
これがエンディング。そのあとくだらないものをもう一つ書いたのち、
絵本製作はやめた。小学校3年生ぐらいの時かなあ。
もう一つ可能性があるのはコナンの台詞書き写し。
実は私は文章を書くより、女の子によくあるように絵を描くほうが多かった。
当時お気に入りだった自由帳(多分キティーちゃんの赤いやつ)に
コナンの中に出てきた英語の台詞を書き写した。あまりにかっこよかったから。
ジョディ先生とベルガモットの対決シーンだったな。
A secret makes a woman woman.
秘密は女を女らしくする。
この台詞だけはっきりと覚えている。最後のウーマンウーマンという響きが、
シリアスな場面、台詞に似合わない間抜けな音に思えたからだ。
そんな感じで創作らしい創作は特にしていなかった。
絵はけっこうよく描いてた。本もよく読んでいた。
漫画だけじゃなく、学級文庫の面白い本や、例にもれずハリーポッターにはまったりしていた。
本を読むのはずっと、ずっと好きだ。
転機が訪れたのは小学5年生(6年生かな?)。
5年生の時の担任が本当にキライだった。生徒全体から拒否されていた担任のおかげで、
私たちのクラスは荒れに荒れた。
私はその暴風雨吹き荒れる中心にいたこともしばしばあったおかげでかなりすさんでいたし、
本を読むのが好きだったことが災いしたのか、早熟で、理屈っぽい、でもどこが夢見がちな、
「死」とは何か、何故人は生きるのかといったことを馬鹿真面目に考えるような、
一言で言うとめんどくさい小学生になっていた。
友達が保健室登校だった。私はその友達を迎えに保健室に行っていた。
するとミイラとりがミイラになるというか、私のほうが保健室に入り浸るようになった。
保健室登校こそしなかったが、休み時間のたびに保健室を訪れた。
友人が教室に復帰しても私は保健室に通っていた。
保健室の先生が好きだった。私たちのことをめんどくささで一蹴しない、先生。
その先生から私は運命をもらったも同然だと思っている。
保健室で相も変わらず教室のぐち、ひいては生きることへの疑問と鬱憤をキツい言葉で投げかけていたところ
(私の口が悪いのは小学校低学年ぐらいから、筋金入りだ。諦めて。)
保健室の先生から、「詩を書いてみたら?」と言われた。
なんでも先生の息子さんが詩集を出したらしい。息子さんはしんどい時は言葉を綴るようにしていたという。
その詩を集めた詩集を自費出版に近い形で詩集にしたそうだ。
確かタイトルは「元気になってください」。(NDLopacでもヒットしなかった。自費出版だとしょうがないのかな)
それを受けて私も詩を書くようになった。そして先生に見せるようになった。
その頃にはすでに断片的に言葉を書きつけていたような気がするが、まとまった量を書き、読者に見せる前提で書くのは初めての経験だった。
もちろん、当時書いたすべてを見せたわけではなかった。あまりに暗く、どろどろしたものはたぶん見せなかった。
たまには明るいような詩も書いて見せていた。先生を安心させるために。
先生に見せなくなってからも、私はちょくちょく詩を書いた。
自分の自由帳やノートに書いた。それは今思うと詩にもなっていなかったのかもしれないけど。
でもまぁ間違いなく私の(授業で強制的にやらされること以外の)「書くこと」のスタートはそこからだった。

中学生になってもちょこちょこ詩は書いていた。
それでも、中1は現実のことが忙しかったし、人生で一番漫画を読んだ時期だと思う。
私はオタク系グループに属していたので読まないという選択肢はなかった。
絵もよく書いていたが、自分にはセンスがないことに気付いていた。
所属しているグループのこともあって私の周りには絵がうまい人がかなり多かった。
多分このぐらいの時期に家にパソコンがきた。ケータイとパソコンがそろった。
「私」がインターネットにつながった時期だ。私は歌詞画づくりにはまった。
歌詞画づくりにはまったときは「ふみコミュニティ」によく出入りしていた。
あそこのソフトウェアの使い方質問掲示板は本当に参考になった。
画像加工は本当に楽しかった。私には一から絵を描く才能がなかったから特に。
それから歌詞画以外にも、ひろった素材をつかって、ポエムをいれた待ち受け画をつくるようになった。
それをこっそり画像交換掲示板に貼ったりした。
画像加工になれてきたところで、ブログをつくった。Loversポルノというタイトルで、
別に卑猥なブログでもなんでもなく、ただ、その時ポルノグラフィティにドハマリしていたからだ。
歌詞画も主にポルノのものをつくっていた。
また、ふみこみゅの創作掲示板で詩を書いたりもしていた。
不特定多数の人への発信が始まった。
今までは自分のなかの感情とかあらぶりのなかから自然に沸いてくるようなものを書いていたので、
お題に合わせて作り出すというのもこの時に初体験した。
さらに、個人ホームページや個人ブログをつくるのが流行した。
私は自分の詩を書くサイトをオープンして、そこに書きつけるようになった。
思いついたことを携帯のメモにいれ、すさまじい更新速度で詩をアップロードしていった。
メインは詩を書くことで、あとは作った画像の掲載をして、また、ブログも書いていた。
ブログはそんなに更新していなかった。詩の世界と自分の現実とは切り離していたかったからだろう。
その代わり、自分の個人的な感情、いらだちを書きつけるためのホームページも確かもっていた。
また中学生期としてもう一つ大きいのは、小説の執筆だ。
まあ執筆といえるほどたいそうなものじゃなかったが。
中2か中3の夏に、原稿用紙を買い間違って大量に余らせてしまった。それが冬頃ふと目に入り、
小説を書いてみようと思ったのだ。タイトルは「未来ゲーム」。
今思い出してもありきたりなファンタジー戦闘ものだ。漫画とかで読んだのをつなぎあわせた感じ。
描写もかなり幼かったように思う。執筆は主に授業中を使った。
私は割と飲み込みだけは早いので授業中は本当に暇だったからだ。よく本を読んでいた。
(別にめちゃくちゃ頭がよかったわけではない。学年一番でもなんでもなかった普通に二ケタだった。
ただ、目の前で言われていることは普通に理解できるからいいやという積極的退廃である。)
授業中に書いていたこともあってクラスメイトにそれ何?と言われて見せていた。
読者が結局どこまで広がったのかは覚えていないが、多分5,6人だ。
横井君と渡辺がいたことは覚えているが他は知らない。
ほんとに恥ずかしい、みんなの記憶から消したい。
書いた。とにかく書いた。
小説を書きながら、一人、自分のためのノートには変わらず詩を書き、また、web上にも詩を書いていた。
あとやたらと二次創作系の小説も読んでいた。
インプットとアウトプットの両方がかなり多かった時期だ。
それもこれも、特に部活はちゃんとしていなかったうえ、宿題もそんなにたいそうなものではない公立のしょーもない中学校でとくに進学校も目指さなかったおかげだ。

高校に入った。高校では二つ、私の「書くこと」に関する大きな出来事?があった。
一つは部活。私は弱小演劇部だった。役者志望だった私は1年生最初の舞台(文化の森演劇フェスティバル)では先輩の台本で役をもらった。一年生がいきなり役をもらえるということで我が部の逼迫具合がわかるというものだ。
とにかく私はこの台本が気に入らなかった。整合性がとれていない、ご都合展開すぎる、台詞が不自然、キャラに厚みがない。とにかく先輩の台本が気に入らなかった。だからバシバシ直した。
驚異的なことだ。これも、気の強い私に強く出れる先輩がいなかったことと、唯一言い返せそうな部長と私がめちゃくちゃ仲良かったことが災いした。
まず私のいった高校はアホ高校だった。ヤンキーわらわら。分数の計算できないやつが半分くらい。そんな学校だった。場所がわかりやすい、演劇部が面白そう、とにかく前期試験で受かりたいという気持ちのみでその高校に決めた。今となっても何の悔いもない選択だ。生きる糧をもらった。
とにかくアホ高校なので、まずみんなそんなに文章が書けない。整合性とか難しい。
そこで生来の気の強さを発揮した私は、先輩の台本を直し、次の作品からは、一から自分で書いた。
パソコンが画像作成のツールではなく、ワードで文章を書くためのツールに変わった。
脚本を書くのは大変だったがかなり面白かった。
設定と筋を決めると、頭の中の役者が勝手に話しだすのだ。
その会話スピードに合わせるために必死に打った。タイピングが早くなった。
パソコンで「書く」ことの最初はここからだ。
3年間、私は脚本を書き続けた。もちろん人もいないので、役者もした。
演劇はとてもいい経験になった。それはとてもここには書き尽くせないほどに。
「書くこと」にフォーカスしても、量を書くこと、物語をつくることについて考えながら書く経験は本当に楽しかったし、勉強になった。他の高校の脚本担当の生徒がどんな脚本を書いてくるかというのもひじょうにおもしろかった。
高校三年間を消費した、部活。それは間違いなく最高の創造の時間だった。
もちろんケンカまみれである。私の性格のせいであるところも大きいし、人間関係は難しい。
それでも、私にとっては最高の時間であったと言わざるを得ない。
もう一つの出来事は「受験」である。ここで多分私は成長させられた。
それは受験という大きい難関を乗り切って精神的に成長したとかそういうことではない。
私の受験はAO入試だった。小論文と面接と集団討論。それが私に課せられたお題だった。
その小論文の指導を当時大好きだった国語の先生に付きっ切りでしてもらった。
アホ高校なので割とちゃんとした大学を目指す人間が両手の指でおつりがくるほどしかいなかったこと、
そしてAO入試という時期的・課題的特殊性もあって、私はみっちりしごいてもらえた。
自分の「書くこと」について技術的指導を受けたのは初めてだった。
書くために本もたくさん読んだ。この時期は感情に訴えるような情緒的文章ではなく
ひたすら論理的文章の特訓をした。せざるを得なかった。
この小論文特化指導はその後も役に立っている。大学生になってからバイトしている塾で小論文講座をもたせてもらえるようになったし、小論・作文指導は私にまわってくるようになった。
小論文の指導をみっちり受けた人は少ない。
そもそも書ける人はある程度かけてしまうので、センター入試対策で忙しい先生方はそれに時間を割く余裕はないのだ。しかしそれはアホ高校。私の特別指導とは別に「現代テーマ研究」という小論文の授業まであった。指定校推薦は小論文を課しているところが多いため、それに対応したわけだ。
とにかく読んで、書いた。部活では感情に寄り添いながら書く。
授業では論理を組み立てて書く。もちろん受験と部活のことなので同時期ではないが、
高校三年間という時期に両方の文章を書く経験は、大変に貴重だった。
また、日常生活に関してのブログ、リアルも続けていた。これは問題を起こしたりもしたが、
媒体を換えながら、日常への愚痴や叫びをとにかくあちこちに(基本的に複数同時に書いていた)書き連ねていった。このブログもそのうちの一つだ。
また、高校3年生ぐらいのときに100均で白いノートを買った。それまで何度か日記帳的なノートをつくることもあったのだが、どうも長続きしない。
でもこの白いノートは使い切った。といってもすべて使い終わったのは大学院はいってからだったが。
罫線がないから、絵を描いてもいい。詩を書いてもいい。まさに「自由帳」となった。
大学では特になにかはなかった。もちろん「書くこと」に関してだ。
レポートを書いて、暇つぶしに脚本を作って、卒論を書いた。
卒論は楽しかった。最高にかっこつけた文章を堂々と書くのは非常に楽しかった。
それからTwitterだね。日常はほぼこっちに書いていた。
ただ、Twitterはリアルの世界と繋がっていたから、書きたいことを何でも書けるわけではなかったし、
そもそも文字制限があった。もちろん非公開アカウントも作って、文字制限と戯れながら詩を作った。
今も続けている。
それでもここにあるようなまとまった量を書くときはブログとか、ノートだった。
こういてアナログ、デジタル両方に、まさに「書き散らし」ながら、今も生きている。
それぞれの内容、感情にあわせてメディアを換えながら、ずっとずっと書いている。書いてきている。

「書くこと」の体験を書いてみようと思って何気なくはじめたが恐ろしく長くなってしまった。
書くのに一時間ぐらいはかかってる。うーんこれも私の性だな。ほどほどで抑えられない。
書きたい衝動はおさえるのが難しいし、おさえるものだとも思っていない。
書きたいときは書く。ずっとそうだ。
アホみたいな量になった。これを読み返すときは来るのだろうか。
(今見たら一時間半かかってた。笑う。)





できること

November 08 [Tue], 2016, 22:34
やる気とかがんばり、エネルギー、そういうものと無縁の存在になってしまった気がする。
何もできない。
かといって一日中眠ることもできないで。
修論のことも考えたくない、バイトも行きたくない。
いろんなものの締め切りなんて頭の片隅に追いやったまま。
映画とかもあんまり見れないな。
とにかく何もしたくないんだけどなんかしていないと落ち着かない。
コラージュ素材の切り抜きもなんとなく嫌になっちゃった。
頭痛い。低気圧のせいかな。
頭痛い。体しんどい重い。
もうやだなあ。

さようならはいつまで

November 08 [Tue], 2016, 22:01
このブログってけっこう宮崎さんの話が多いね。
でもそれももう更新できないだろうなぁ。

多分彼にも思うところがあって。
私はもうめんどくさくなっちゃって。
lineとかは軽いノリで話したいんだよ。
ずっとずっとかまってちゃんみたいなことやられると付き合ってられない。
あとは時間のすれ違いって致命的だなと思う。

彼は私の接し方が気に入らないんだろう。
またのご利用を、なんて精一杯の皮肉言われたけど。
めんどくさくて、そうかそうかって流しちゃった。
ことあるごとにそんなんで教師になれるのとかゴチャゴチャ言われるのもめんどくさい。
そんなんなってみないとわからないだろ。
今は特殊状態なんだよ。
ということでもういいやって。

急に友達と遊んでるときに助詞の意味の違いとそれによる後続の用言の違いについて説明してくれって言われたってめんどくさいはそんなもん。ググれっつーの。
それで一日放っといたら「またのご利用お待ちしております」だからな。笑っちゃう。
もっと構って!って言ってくれる方が100倍かわいいもんね。
あてこすりTL投稿もあるしね。悪い人じゃないんだけど、
私がよっぽど切羽詰まった時、もしくはめちゃくちゃ余裕があるときしか相手にできない。
これじゃあいつか婿言うの不満がたまってもしょうがないね。
今回は早いなーって感じ。

もう終わりかな。
今までみたいにまた復活するのかな。
もうわからないけど。
私は関東にいかないし、彼は九州にこない
私たちは永遠に会えないんだから、
関係の持続のためにはお互いの相当の配慮が必要だよね。
それを怠った。
高1の時からぐらいだからもう九年目ぐらいの付き合いになるのかな。
驚きだね。
それも、終わりは一瞬。

けがれ

September 21 [Wed], 2016, 0:42
君をみるこの瞳が
曇って濁って汚れていっても
僕は全感覚で君をとらえていたい
世界にはゴミがおおすぎるよ
美しい君をみるために
僕は目を開けていたいのに
砂やほこりが、些細なものたちが
僕の眼球を傷つけ
君を見失わせようとしている
目は心臓

連投

August 25 [Thu], 2016, 0:43
書けるときに書かないとの精神。
今日はデジタル。
アナログなときもあるけど。
紙とペンはやっぱいい。それだけでそこに無限の世界があるもんなあ。
今日はまあラジオ聞いてる関係でこっち。
寝不足で昨日1時間しか寝てないのに
あんまり眠たくないな―ピーク越えたか。

たまにはパソコンでしっかり文章うっとかないとね。
このキーボード苦手なんよなー
次買うやつは打ちやすいのがいい。
てかデスクトップほしいなー
あとデスクと心地よい椅子。
福岡に住めたらな〜〜
P R
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