親から子に伝わらない
2010年07月26日(月) 22時50分
最近、神道の記事を書くので、
robasanは何かの宗教に入ったのではないかという
疑惑が・・・・。
でも、全く、そういうことはないんですね。
私の実家では、昔から神棚にお供えをして、
祝詞をあげたりしていましたが、
これは、昔からやっているというだけで
特に宗教には入っていないんです。
本当は、日本の家では、
昔は、どこでも、やっていたのだと思います。
時代劇なんか見ると、だいたい神棚があって、
町火消しとか岡っ引きなどは、
家を出るとき神棚に「行ってきます。」と挨拶し、
おかみさんが、火打石をパンパンと打って、
お清めをするシーンが映ることがあります。
祝詞まではあげないとしても、
神棚に向かって、「行ってきます。」
「今日は無事に過ごせました、ありがとうございます。」
とかは、どこの家でもやっていたでしょう。
私の、祖母とか祖父とかの代になると、
神道の祀り方も、よく知っていました。
でも、これは、宗教家に教えられたものでもなく、
近所に、そういうのを教えてくれる人も
思い当たりません。
神道の知識、祝詞、お祭りの儀式など、
親から子へと伝わってきたものなんです。
子供のころから、親がしているのを見て覚える。
それが代々伝わってきたんですね。
ただ、第二次大戦後、核家族化のせいか、
ちょっと原因が分かりませんが、
こういうのが親から子に伝わらなくなったんです。
お札くらいは、あるのでしょうが、
神棚を昔からの方法でお祀りする家が
少なくなっていると聞きます。
まあ、それがいいのかどうか分かりませんが、
第二次大戦後には、新興宗教が増えて、
中には、事件を起こすところとか
単なる霊感商法というところもあると聞きます。
おそらく、子供のころから宗教的知識がゼロで、
そういうのに免疫がない人が増えたのかなとも思いますね。
もっとも、既存の神道とか仏教が、
初詣だけとか、葬式だけとか、
そういうのになってしまい、
宗教的な力が感じられなくなったのかもしれません。
特に、宗教という意識はなくても、
日常の生活に溶け込んでいたものが、
そうでは無くなったのかもしれませんね。
いや、そういうのではなく、
子供は学校で勉強を教わるけれど、
親からは何を教わっているのか、
そういうことを考えてしまいましたね。
robasanは何かの宗教に入ったのではないかという
疑惑が・・・・。
でも、全く、そういうことはないんですね。
私の実家では、昔から神棚にお供えをして、
祝詞をあげたりしていましたが、
これは、昔からやっているというだけで
特に宗教には入っていないんです。
本当は、日本の家では、
昔は、どこでも、やっていたのだと思います。
時代劇なんか見ると、だいたい神棚があって、
町火消しとか岡っ引きなどは、
家を出るとき神棚に「行ってきます。」と挨拶し、
おかみさんが、火打石をパンパンと打って、
お清めをするシーンが映ることがあります。
祝詞まではあげないとしても、
神棚に向かって、「行ってきます。」
「今日は無事に過ごせました、ありがとうございます。」
とかは、どこの家でもやっていたでしょう。
私の、祖母とか祖父とかの代になると、
神道の祀り方も、よく知っていました。
でも、これは、宗教家に教えられたものでもなく、
近所に、そういうのを教えてくれる人も
思い当たりません。
神道の知識、祝詞、お祭りの儀式など、
親から子へと伝わってきたものなんです。
子供のころから、親がしているのを見て覚える。
それが代々伝わってきたんですね。
ただ、第二次大戦後、核家族化のせいか、
ちょっと原因が分かりませんが、
こういうのが親から子に伝わらなくなったんです。
お札くらいは、あるのでしょうが、
神棚を昔からの方法でお祀りする家が
少なくなっていると聞きます。
まあ、それがいいのかどうか分かりませんが、
第二次大戦後には、新興宗教が増えて、
中には、事件を起こすところとか
単なる霊感商法というところもあると聞きます。
おそらく、子供のころから宗教的知識がゼロで、
そういうのに免疫がない人が増えたのかなとも思いますね。
もっとも、既存の神道とか仏教が、
初詣だけとか、葬式だけとか、
そういうのになってしまい、
宗教的な力が感じられなくなったのかもしれません。
特に、宗教という意識はなくても、
日常の生活に溶け込んでいたものが、
そうでは無くなったのかもしれませんね。
いや、そういうのではなく、
子供は学校で勉強を教わるけれど、
親からは何を教わっているのか、
そういうことを考えてしまいましたね。




