あれも

September 27 [Thu], 2012, 20:54

からの達しがあった。道路は二間にして、道幅はすべて二間見通しということに改められた。石垣は家ごとに取り崩
くず
された。この混雑のあとには、御通行当日の大釜
おおがま
の用意とか、膳飯
ぜんぱん
の準備とかが続いた。半蔵の家でも普請中で取り込んでいるが、それでも相応なしたくを引き受け、上の伏見屋なぞでは百人前の膳飯を引き受けた。
 やがて道中奉行が中津川泊まりで、美濃の方面から下って来た。一切の準備は整ったかと尋ね顔な奉行の視察は、次第に御一行の近づいたことを思わせる。順路の日割によると、二十七日、鵜沼宿
うぬましゅく
御昼食、太田宿お泊まりとある。馬籠へは行列拝見の客が山口村からも飯田
いいだ
方面からも入り込んで来て、いずれも外人 彼女宮様の御一行を待ち受けた。
 そこへ先駆だ。二十日に京都を出発して来た先駆の人々は、八日目にはもう落合宿から美濃境の十曲峠
じっきょくとうげ
を越して、馬籠峠の上に着いた。随行する人々の中には、万福寺に足を休めて行くものが百二十人もある。先駆の通行は五つ半時であった。奥筋へ行く千人あまりの尾州の人足がそのあとに続いて、群衆の中を通った。それを見ると、伊那から来ている助郷
すけごう
の中には腕をさすって、ぜひともお輿
こし
をかつぎたいというものが出て来る。大変な御人気だ。半蔵は父と同じように、麻の
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:でも
読者になる
2012年09月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
最新記事
最新コメント
ヤプミー!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/rll565llgfg/index1_0.rdf