どうしてこんなにも、苦しいのか。
あの人(友達です)のこと考えたり、卒業のこと考えたり、自分の惨めさと自分勝手さと性格の悪さのことを考えると、本当になにもかも思い知らされた感じ
何で“涙がでそう”なのか、何で“泣きたい”のか。
どうしてこんなにも“苦しい”のか、“悔しい”のか。
私が一番分かってるはずなのに、私が一番分からない。
自分の事がわからないのが、辛い。悔しい。惨め。
同情されたり、期待されるのは嬉しい。でも、それがかえって、不安とプレッシャーになる。だから時には叫びたいっておもうし、同情されたら頭に来ることもある。
“何も分かってないくせに、よくそんなことが言えるのね。”って…。
こんなこといっちゃいけない。でも言わずに居られない。
もうやだよ
↑のは小さい文字で書くべきだったことかもしれません。
でも私の思いはそんな小さなものではないから あえてそのまま。
ダレン・シャン全巻、後少しで読み終わってしまいます
それが悲しいだけ、かもしれません。読んだ時、ああよんだって思えるか
もう終わってしまったと悲しんでしまうか それは私次第だから、
じっくりよんで、ああ読んだ。にしたいです。
暗くてすません!これは結構1部のかんじょうです。
私の感情がずらっとかいてあるのは、ヤプースのです。
前に一度公開した、『感情めもりーず』
感情の思い出です。どうして“思い出”なのか?それは…
“今”かいたことでも、書いた後は例えそれが1秒後だったとしても
それは“過去”だから。過去は全て思い出にしたい。
思ったことは、全て思い出。
私、一度2階の窓から飛び降りようって思ったことがありました。
そんな、死にたいって思いがあったとき
死んで悲しむ人を思い浮かべたら、死ぬ気がなくなります。
それがどんなにうれしいことか、私には分かりました。
終わります。