平清盛 第22回「勝利の代償」感想 その2 頼長・崇徳院・信西

June 06 [Wed], 2012, 21:30
◆崇徳院
山中に落ち延びた崇徳上皇。険しい山道に雅な出で立ちが乱れています。
裸足になってるのが泣けます。経験値・生活力0。雅さ97・歌力120。こんな方を流罪にするなんて〜!
こんな境遇でかえって品の良さが発揮されちゃって、切ないことこの上ないです。

崇徳院「もうよい・・。私をここへ捨て置きそなたたちはどこへなりと落ち延び、命を全うせよ。教長・・・・出家をしたい。」
教長「恐れながら・・今は僧も剃刀も思うようになりませぬ。お望み・・かなえることができませぬ」
崇徳院「ははははは。なんと思うままにならぬ・・わが一生よ・・・!はははは。生まれてよりこの方何一つ・・・・!」

保元物語にある通り。他にもいいエピあるのでぜひお願いします。
崇徳上皇、あまりに人生、宿命に翻弄されっぱなしです。
叔父子に生まれたのが事実だとしても、それはご自分のせいじゃないって、誰か普通に言ってあげてくださいよ〜!身分が高すぎる故に、そういう慰められ方したことがないんじゃないですか。
もはや松岡修造でも「がんばれ!!!」とか言えないレベルの気の毒さです。
後白河帝が奔放になれたのは、生い立ちがはっきりしていることから来る強さはあったと思います。
不幸王子

保元物語では、崇徳上皇は女房の阿波の局 → 教長卿 → 少輔内侍のところを巡って拒絶されます(涙)
史実では、東山の如意山(にょいざん)に隠れ、紫野の知足院の近く僧坊で剃髪し、弟である仁和寺の覚性法親王を頼りますが、10日ほど拘束された後に流刑に処されます。

劇中でも、最後まで嫡流の太上天皇らしさを醸し出しているのが素晴らしいです。せめて教長卿が側にいてくれてよかったですよ〜。ありがとう教長さま(涙)
崇徳上皇、供の者の出家は彼の今後を考えて止め、自分だけ出家をしています。こういう気配りや優しさが、仇になったのかと思うと悲しいです。もうこの時点で院政を諦めてるんだから、信西も流罪とかやめてあげてください!

◆藤原頼長
輿で逃げていく最中、本を拾う頼長さま。首にささった矢。
文献ではどちらも乗馬して逃げていたとありますから、劇中よりもっと過酷な状況だったのかもしれません。。
保元物語の頼長さまの記述、痛々しすぎてまだ書けません。劇中でも痛々しいことこの上ありません。
南方仁先生でも、財前教授でも、チーム・ドラゴンでもバチスタでもなんでもいいからタイムワープさせてあげたいです。

七月十三日。瀕死の怪我を負った悪左府・頼長さまが最後に縋ったは父・忠実さまであった。
この時、使者として南都の忠実のもとを訪れたのは、図書允俊成(ずしょのじょうとしなり)という方。

俊成「殿!大殿のお邸にござります。もう大事ござりませぬぞ!」
家人「頼長さまがおみえにござります。大変な傷を負っておいでのこと」
忠実「・・去らせよ・・・」

家人「申し訳ござりませぬ。矢が当たる不運は春日大明神に見捨てられた印。左様なもの、この家に近づけることさえ恐ろしいとの仰せ。お立ち退きくだされ・・」
俊成「それでもお父君にござりまするか?門を開けてくださりませ。一目でよろしゅうござる。せめて一目お会いくださりませ!」

館の前に到着して、かすかに微笑んでいた頼長さまの耳に、非常な現実がつきつけられます。
史実では、敗北を知るまでは忠実は頼長方でした。忠実の支援がなければ(実際には到着しませんでしたが)、宇治からの兵を動かすことも難しかったはずです。積極的ではないにしろ、忠実は頼長を支援していました。

ずっと味方してくれていた父の最後の拒絶。窮地に陥っても常に救いの手を差し伸べてくれていた忠実がここへきて扉を閉ざしてしまう。頼長がどれほど深く絶望したかと想像するだけで痛ましいです。
しかも、実際は真夏の京都で11日に傷を負い、14日まで苦しみ抜いて亡くなったと言われています。
頼長と崇徳院の死は、恐らく「平清盛」の登場人物の中で、もっとも悲惨なものです。(個人的には、崇徳院は怨霊説じゃないといいなと願っています)

忠実「どうして会うてやることなどできよう。わしまで罪に問われれば藤原摂関家は終わりぞ・・。お前が思い描いた世は来ぬのだぞ・・」
家人「申し訳ござりませぬが、これにてごめんつかまつります」
俊成「もし・・おまちくださりませ・・もし・・一目だけでも・・」

頼長「・・父・・上・・・」

静かに涙を流す頼長さま。わずかな表情の移り変わりのなんと雄弁なことか。
頼長が生涯で最も深く絶望した瞬間は、最期の時でした。
これが史実なんですから、藤原頼長の人生、壮絶すぎます。

舌をかんで果てる頼長。。リアルで怖くて悲しかった。。。彼の最後の矜持でもあったのかもしれません。父が自分に会わない意味も理解したはずです。忠実だって会いたくてたまらないのですから、余計に辛い。
舌を噛んで果てる演出をするのなら、先週のコミカル演出はいらなかった気もします。舌を噛んで絶命は、保元物語に記述されていますが、史実かどうかは不明。

翌朝、階に座っているままの忠実のもとに、瀕死のオウムの姿が。

「チチウエ・・チチウエ・・・」

忠実はオウムを誘い、掌で抱きとめます。村田エフェンディ滞土録以来、これほどオウムに泣かされたことはありません。鸚鵡くんにはせめて、忠実パパの側で生きていて欲しかったです

忠実「ああああ、・・頼長・・何ゆえひと目会うてやらなんだか。頼長・・頼長・・わが子よおおっ頼長ああ」

忠実パパ。。保元物語でも「なぜ一目、会ってやらなかったのか。この膝に抱いて死ぬべきであったのに。この身が代わってやれたら。長生きなどするものではない。例え流罪でも、生きていれば、会えることもあっただろう」と後から大変に嘆きます。私だったら「頼長?誰それ?会ってませんよ?は?最近物覚えが悪くて」と検非違使に言っちゃう勢いで会ってしまいます。それが出来ないのが摂関家ゆえでしょうか。

親子が対面を果たさずに今生の別れになってしまう。摂関家を維持しなければならない者の悲哀・苦渋も伝わってきました。摂関家に生を受けた者にとって、疎かにすることなど考えられない大きな義務。忠実・忠通・頼長と、生き方は違えど、それに翻弄された人生だったとも言えます。

保元物語では、「今回の合戦で、白河北殿で戦った者達で、武士、公卿にいたるまで、身分ある者は1人も討たれなかった。どうして頼長一人に限って矢にあたり、命を落としたのであろうか」と忠実が嘆く言葉もあります。

まさしくその通りで、やはり互いに皇族相手の戦のため、双方の武士達がなるべく戦死者を出さぬよう、極力配慮して戦ったことがわかります。
頼長さまは不運としかいいようがありません。春日大明神に見捨てられた。当時の人々の目にはまさしくそう映ったのかもしれません。同時に「左府殿が亡くなられてしまった今、またご正道から外れた政治がなされるに違いない」と人々が嘆いた、ともあります。これは他資料等を鑑みるに、信憑性がありそうです。

◆藤原頼長・遺誡
頼長さまの死が都に伝えられたはそれから七日のちのことであった。都にあった頼長さまの邸は戦火にて失われていた。
えっと、実は保元物語には「三条の崇徳の御所、頼長の五条壬生の邸を清盛と義朝が向かって焼き払い、内裏に帰還する」って文章がありまして。清盛・義朝何やってるんですか。やらせたの間違いなく信西でしょうよ!
頼長さまの京の住まいの代表は、文倉のあった高倉邸のようですが、ここは焼き払われたという五条壬生の館でしょうか。

頼長邸を訪れている信西。焼け跡の中から一冊の日記を見つけます。

信西「日記か・・」

頼長の日記「仁平三年。九月十七日。わが子・兼長・師長が参議に昇り訓戒を与えた」

在りし日の頼長さまが、参議に昇った日に、兼長・師長を前に心構えを説きます。

「豪華な衣服や家来の数を求めるな。忠勤に励み、それで他人に嘲られても恥じるな。忠を尽くし、決して報いを求めるな。努めよや。つとめよや。」
「いつか私が死んだあと、私を恋しく思うたなら朝廷に参るがよい。我が魂はきっとそこに留まっておるゆえ、そこでそなたたちがよき国づくりをするを見守っておるゆえな」

この時の頼長の表情が、我が子達への穏やかな慈しみを感じさせるものなのが良かった。。。
この文章、とにかく美しい。
遺誡を読んでから、藤原頼長が大好きになりました。
こんな頭の悪い文章を載せるのが申し訳なくなります。
私は調べていくうちに「頼長=悪人」だと全く思えなくなりましたが、劇中では大変魅力的な敵役でした。山本耕史さん、お疲れ様でした。まさに藤原頼長卿でした。忠実パパも今後の展開を考えるとこれが最後かもしれません(涙)國村隼さんも大変に素敵でした。

宇治の左大臣さま

◆御前会議

忠通「我が父は近頃は悪左府とは疎遠であった。そもそも上皇方には与しておらぬ。咎めるには及ばぬ。」
信西「これは骨肉の争いを繰り広げたお方とも思えぬお言葉。袂を分かったとてやはり親子ということですかな。左大臣さまへの処分と同じく、忠実公の荘園も召し上げるがよい。」

藤原忠実の処罰は、少し複雑な経過をたどっています。

信西は、断固、忠実を流罪にすべきだと後白河帝に進言します。
しかし、後白河帝はそれを却下します。その理由は

対立していた息子・忠通が父を流罪にするなら、摂関を辞する、と頑なに申し出た → 後白河帝が賛同
・忠実が頼長を支援した、決定的な証拠がなかった 

・忠実はこの時、79才の高齢。

信西は後白河帝の裁断に悔し涙を流し、断腸の思いで忠実の流罪を諦めます。信西、泣かなくても。。。
結果、忠実が希望した宇治か南都ではなく、洛北の知足院に幽閉されたまま、その生涯を終えることになります。

やりとりは保元物語によるので、史実かどうかは判然としません。
しかし、政治な立場だけを考慮しても、忠通の言動は信憑性があります。

後白河帝はこの時期、政治的に藤原忠通に依存していた部分がある。(忠通は摂関歴数十年)
・忠実は、頼長を送り出し密かに支援する一方、敗戦時の対応を想定していた線が濃厚 → 頼長支援の決定的な証拠がない。
・崇徳方の敗戦を知った忠実は、11日に宇治から南都へ逃れ、時間を稼ぎ、また対策を練っていた。

その南都で、頼長さまは忠実パパに拒絶されるのです
忠実は頼長の死を悼みながら、摂関家を守るため、帝方の忠通とすぐさま提携し、忠通もそれに応じました。また、前述した通り、頼長支援をしたのはほぼ確実ながら、その決定的な証拠は残していませんでした。
老獪な忠実が、頼長を送り出す一方、既に敗戦処理時の対応を想定していた、と言われる所以です。
近臣政治で実権を握る信西は、多大な荘園、それを保持する兵力を持つ、藤原摂関家の徹底的な解体を目論みます。荘園等についてはまた機会があれば。

この時の、忠実・忠通親子の心情を想像するとたまらないものがあります。
忠通だって、弟の頼長が没するとまでは考えていなかったはず。まして忠実さんは、愛する息子を失ったばかりでも、摂関家維持のために奔走しなければなりませんでした。
ええこれは「平清盛」であって「藤原摂関家」ではないのです。でも藤原忠通、摂関を辞退して父・忠実を守る、の場面はぜひ堀部圭亮さんで見たかったです。劇中の忠通さまの扱いが薄すぎせんか?

崇徳上皇の処遇についても検討されます。

公卿「すでにご出家あそばされたとか。」
後白河帝「信西、何とする。」
信西「流罪が相応にござりましょう。方々、こたびの戦の発端を思い出されませ。もとは先の帝亡き後のお世継ぎ選び。上皇さまはご嫡流にして皇子もおわす。この先再び天下の権をお望みになるおそれがないとは申せませぬ。ならば何のために戦をなさった!あなた方は何のために政をし、いかなる国作りをめざしておいでか。お考えあらば申されい!」
後白河帝「決まりじゃ。上皇を流罪にせよ。」

頼長さまがいれば理路整然と反論するのに。。(涙)
白河院、鳥羽院が行った如く、出家しても院政は可能なのです。

ですが、太上天皇の流罪は例がありません。810年、同母の上皇と帝が争った薬子の変ですら、敗者の平城上皇は幽閉でした。崇徳院は、太上天皇の身分を剥奪されないまま、流罪になっています。

武士達の処断は。。来週に持ち越し。

もう少しわかりやすく、あれこれ史実検証をしようと思ったのですが、これが限界でした。
劇中の頼長さまが没し、崇徳院の流罪が決まったので、そこらへんはぼちぼち書いていくかもしれません。
素晴らしい出来でしたが、来週も見るのが辛い回になりそうです。再来週から何を書けばいいのやら。

ここからはレビューではありません。頼長さまの墓地がなぜないのか、についてです。
日記を読んで涙ぐむ信西。。。
でも、これを読んで覚悟決めた、的な展開はやっぱり(超個人的に)嫌だと、反射的に考えてしまいました。45分、感情がついていきません。最近、毎週視聴後に胃が痛くなるんですが。。。
だって史実の信西、もとから真っ黒でしょ!
次週予告で、また涙してたけど、どうなるのでしょう。

頼長さまの遺骸は、14日夜、密かに輿に乗せられ、般若山のほとりに葬られたとされています。
この後、信西は頼長さまのご遺体を暴いて検死させた挙げ句、路上に放置させています。
その時の生々しい記録もありますが、とても書けません。。それ故に、頼長さまには首塚だけしか残っていないんです。。。。子息の兼長・師長くんが号泣するのも無理はありません。
仮にも頼長さまはかつて自分の出家を嘆いて涙してくれた学友です。対立して敗走した相手でも、ここまでする必要はないはずです。
検死はもしかしたら避けられなかったのかもしれません。ですが、師光らに一言「ご遺体は丁重に扱うように」と指示するだけで、こんな屈辱的な仕打ちは避けられたはずなんです。聡明な信西が、それに思い至らなかったとしたら、どこか歪です。
立場が逆だったら、頼長さまはそうしたんじゃないでしょうか。
無理。どう考えてもこれと崇徳院への例の仕打ちだけは無理。
どこかで悪魔に魂を売ったという方が正しい気がします。ほんとにどうしてこうなっちゃったのよ史実の信西さん。。。。。
歴史にはこんなこといくらでもあるでしょう。この文章が、公平な視線を欠いていることは承知しております<(_ _)>

藤原頼長さまのご冥福をお祈りいたします。
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頼長の最期
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英の放電日記  June 08 [Fri], 2012, 11:17
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匿名なのに、私には誰だか分かる・・・(^_^;)ありがとう。。?
March 15 [Fri], 2013, 5:59
英さん、コメントありがとうございます!遅くなって申し訳ありません。

この頃の史実は個人の日記や「〜物語」等を研究者がつきあわせた結果なので、歴然とした史実以外は説が分かれているものも多いです。でも、その分、素人でもあれこれと推察する余地があって楽しいです。
そしてこんなレビューに嬉しいコメントを頂いてありがとうございます。勝手に苦労してやってる甲斐があります!

点数をつけるのは面白いですね。確かに、同じようなことを感じましたから。
後白河帝は、ちょっとカッコ良く描かれすぎの気はしますが、後々のことを考えると一応辻褄は合っていると思うことにしています。
脚本家さんは、人間関係の陰の部分を描くのが好きでお得意なんだと思います。逆に、陽、いえ動を描くのがやや苦手なのかなと。海賊回や保元の乱ではそれが顕著でした。これは松ケンにも言えますね。そこらへんが回によって出来不出来が極端に別れる所以かなと思っています。

今回のレビュー、努めてかなり冷静に書きました。そのまま書いたらとんでもないことになります。つとめよや、つとめよや、です(笑)
頼長に関しては、あえていい人部分をこれまで出していませんでした。頼長好きとしてはもうちょっとそこらへんを出して欲しかったです。ドラマとしては非常に効果的でした。ただ、キャラによっては確かに唐突感を感じます。

得子さんは今後、守仁親王(後白河の息子で、後の二条帝)を擁して、後白河帝と対立しますから、その布石でしょう。
信西は、幼くして父を亡くし、更に低い身分から苦労した人です。日記等は残されていないし、研究者によっても評価が別れているので、ここからは単なる推察になります。
まず、@出家前に政治の現状を嘆いたが、身分の低さ故に自分の才知を生かせずA実権を握ろうとあえて出家たB近衛帝の死で、養育していた雅仁親王を帝にして、実権を握れた。

と、徐々に決意を固めていったのではないかと。頼長と涙した後「なんだかんだいっても、頼長様は摂関家で苦労知らず」と考えていたとしても驚きません。院政で乱れていた世を整備するために、やり方は構っていられないってとこでしょうか。劇中ではもっと人間的に描かれるみたいですね。私はちょっと複雑な気分で見ることになりそうです。では〜、またいらしてくださいね。
June 09 [Sat], 2012, 15:10
 史実などと照らし合わせながら、ドラマを検証・考察・分析するのは大変でしょう。
 私は、史実には疎く、かと言って、勉強する向上心もなく、ドラマのみを観て、あ〜だこ〜だ言っているだけですが、それでも、大河は密度が濃く、台詞や所作の奥を読まないとダメなので、他のドラマのレビューの2倍苦労します。なので、ここまでまとめ上げるりほさんには、感服します。
 ここ数回は、さすがに力の入った脚本や演技で面白かったですね。勝手ながら、点数をつけさせていただくと(点数をつけるのは、上から目線でよくないと思いますが、分かりやすいので)、「前夜の決断」が87点(すごくよかったが、後白河帝の清盛への態度がばくち以上の賭けで、正直理解できない)、「保元の乱」66点(流してみる分には面白かったが、細かく見ると戦が散漫で、矛盾が多い)、「勝利の代償」87点(ベタではあったが、オウムを含む頼長の最後の周辺は胸を打たれたが、信西の気持ちが読めない(次回に明かされるのか?)、得子の行動が意味不明)
 66点は低いみたいですが、今年の中では高い方です。

 また、余分なことを描いてしまいました。
 今週で頼長の最後なので、彼の最期を観たりほさんの文章は、もう少し乱高下するかと期待しましたが、意外と冷静でした(笑)
 単に悲惨さだけでなく、幽玄さを感じさせるものでしたし、日記が引用され、彼の政治への清廉な思いが語られていたのも救われました。(ただ、今回の脚本家さんの登場人物を「いい人」の部分を強調するクセとも考えられます)

 質問させてください。
 信西の心の変貌の詳細が分からない、また、保元の乱での彼の黒い行動の真意も分からないと、拙ブログで語りましたが、どうなのでしょう?もしかしたら、次回のドラマの中で語られるのかもしれませんね。
 もうひとつ、得子の行動の真意がまったく分かりません。鳥羽院が崇徳院に政権を譲ると言ったときに、それでは争乱が起こってしまうと止めたのは、政権維持の思惑があったのか?崇徳院に鳥羽院を見舞うよう促したのは改心したからなのか?、今回、後白河帝に釘を刺したのは、後白河帝の慢心を心配したからなのか、後白河帝が気に入らないからなのか?
 面倒な質問で、ごめんなさい。
June 08 [Fri], 2012, 11:50
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藤原摂関家、朝廷パートが楽しみで平清盛の感想、史実の検証などを中心に書いています。感想はそちら中心で偏っていますのでご注意を。ご贔屓は摂関家・崇徳院・後白河帝・源氏サイド。史実の清盛は割と好きなので、劇中では辛口になりがちです。リンク・TBフリーですが、商用・宗教等は削除いたします。
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