大河ドラマ「平清盛」について

January 17 [Thu], 2013, 17:55
お久しぶりです。こんなブログに来てくださる方、ほんとうにありがとうございます。
年末年始に思いがけない出来事があったのと、体調を崩していたので最終二話感想スルーしてしまいました。
個人的事情もありまして、年を越す前にようやく最終回を見るという体たらくでした。
ここからは「平清盛」に関する個人的な愚痴です。良いと思える部分も書きました。
1/19 一部訂正&加筆しました。

◆◇◆

最終回、「平清盛」を象徴するかのような「何でもあり」でした。室町幕府まで出てきたのにはびっくり。
ここまで何でもありだといっそ潔いかもしれません(好意的な見方をすれば、です)

西行に取り付いて生き霊になる前に、一門に普通に気配りしてください。貴方の態度はあまり出来のよくない社長以下です。しかも死んでもあちこちに出過ぎ。もういいよというのが正直な感想です。
亡くなる時にパオーンと象の鳴き声がして、大笑いしてしまいました。「象と耳鳴り」という小説を思い出してしまった。コントとしては結構いい線いっていたんじゃないでしょうか。どうせなら本物の象を出してほしかったです。

終盤、エア矢が何度も出てきて、もうタイトル「平清盛」じゃなくて「エア矢な武士達」でいいんじゃないかと思いました。義経はエア矢魂が理解できなかったから頼朝に嫌われたんですよきっと。
西行と堀河の妖怪夜話もおかしかったです。もう笑うしかないでしょうここは。

義経役の神木隆之介さんの好演は素晴らしかったです。
KYさ(純情という便利な言葉もありますが)と天才軍師の側面を短い場面で表現。脚本からして、KYさも計算して演じていたと思われます。しかも爽やかで品があるので、個人的にテレビ至上初のピッタリな義経でした。
もう後半ほんとに義経主役で良かったです。
ドラマの義経は軍師として優秀なとこは父親から、KYなとこは母親から受け継いだのでしょうか。伝説の常磐御前は別にKYではないです。弁慶の立ち往生の血糊みたいなのはやめた方が良かったかなあと。

◆頼盛さま、嘘はやめましょう。
頼盛の平家離脱は自らの意思です。頼朝は命を救って貰った池禅尼に恩義を感じており、再三頼盛に鎌倉に来るように誘いをかけています。後白河院や八条院との繋がりもある頼盛の鎌倉参入は、政治的にも有利だと見ていたようです。国府を頼盛の宿所にあてて、頼盛を父の如くもてなし、都の食糧難を聞くと、義経を使者にして食料を送らせたりしています。
老いた母の絶食をバカにされた時、一門離脱を決意したんでしょう?そのくらい無神経でした。

すごく大事なことをスルーしています。
頼盛の孫娘・持明院陳子は後高倉院の妃となり、後堀河天皇を産みました。
平家の血は朝廷にしっかりと残っています。頼盛の妻すら出てこなかったけど、ナレーションだけでもやってほしかったです。

頼盛「やはり私は清盛がの兄上が嫌いなんです。無理矢理自分を誤魔化して立場的にマンセーしてみたこともありましたが、結局訳のわからないことばかり勝手にやらかして、平家を孤立させてるし。その前に一門内で浮きまくってるのに気づかないとかありえないし。清盛の兄上はふてくされて屋根に上ったりしちゃう、無能なくせに大言壮語ばかりして失敗して、その上構ってちゃんでウザイと感じたそのままの人でした。

私が棟梁になっていれば、ここまで平家を繁栄されることもなかったかもしれないけど、一気に没落することもなかったはずです。一蓮托生と叫んでる本人が、平家で一番政治的にも軍事的にも活躍した甥っ子の重盛を冷遇してりゃ世話ないです。全然一蓮托生じゃないっての。それに、私が清盛の命令に従って寿命で死んでりゃ意味ありません。私の子供1人も出てきてないのに平家の血を絶やすなとか言われても無理です。

宗盛の親子別れも、忠度の歌エピも、知盛の苦悩も、重衡のロマンスも全部なしですか。いくら佐殿がイケメンだからって、平家スルーしすぎじゃないですか。後白河院が清盛の兄上より幼い日に姉の上西門院に仕えていた佐殿を信頼してた、というより法皇さまは佐殿を別に朝敵と賊軍と思ってなくて、自ら平家追討の宣旨を下しちゃいましたよね。あなたも平家が壇ノ浦で滅亡した時、「勝機は我らにあり!」と演説したとか、鎌倉幕府内のことでそれどころじゃなかったかと言われてますし、どっちにしろ清盛の兄上を悼むとかありえないでしょ?」

これくらは言ってほしかった。愚痴を読んで下さった方、ありがとうございます。

◆清盛の死から平家都落ちに到るまで4年くらいあったはずですが、その間はスルー。
安徳天皇が平家により逃亡した後、後鳥羽天皇(高倉院の子で異母弟)が践祚したことすらスルー。
朝廷から見ると、安徳帝はもう天皇ではなくなっていましたが、2人の天皇がしたという史実上ですごく面白い時代なのに。

◆清盛は遺言「最後の一人となっても頼朝を討つべし」を宗盛が忠実に守ったから、平家がああなった側面がかなりあります。清盛死後、宗盛が政権を返上しながら頼朝追討にこだわったから、後白河院が平家を信用出来なくなったんです。まあ、宗盛を後継者に指名して彼の言うことを聞けと後白河院に頼んだとこからして耄碌してたってことなんでしょう。
清盛は死して煩悩がなくなり、頼朝追討しなくてもいいと宣言して穏健な方法で平家を守る設定とかドッカーンとやらかしてくれても良かったのに。(やればやったで非難囂々でしょうが、それが一門滅亡を避ける現実的な方法だったと思います。)

◆あれだけ初回に宣伝していた後白河院の大天狗ぶりを示す逸話もなし。史実では最後までこの人が色々やらかしてくれるから面白い上、頼朝のことも翻弄してます。頼朝は鎌倉幕府のことで忙しかったし、上京すれば気まぐれな後白河院のご機嫌は取らない訳にいかないし、どちらにしろ法皇とサイコロ遊びばかりするほど暇じゃありませんでした。双六遊びなんて鎌倉幕府の荒くれ武士達もやってましたが。
あれだけ後白河院をフューチャーしたのに、もうちょっとしっかり描いてほしかったです。

◆徳子が後白河院の後宮に入るというのは、単なる噂でしかも「玉葉」にしか見られない記述です。
それをあたかも清盛が当然のように実行しようとしたかのような描き方はどうかと。

実際には、清盛と厳島の厳島内侍(厳島の巫女)との間に生まれた冷泉局という別の娘が入内しています。
しかも、後白河院からは「いや、お前の娘いらないから」と拒絶されたのに無理に入内させています。徳子入内だって法皇が望んだかどうかすらわかりません。
美女だったらしい冷泉局ですが、法皇は興味を持たなかったらしいです。彼女を含め、この時期清盛は後白河院側に何人ものスパイを送り込んでいます。冷泉局の後宮入りにはそういう意味を持った入内でもありました。しかし結果的には大失敗。

◆平家が擁立した若き摂関・基通に関心を示した法皇は、冷泉局を介して基通と男色関係を持ち、平家の都落ちとそこからの逃亡を基通に囁きました。実際に都落ちの際、平家は法皇と摂関に逃げられ、三種の神器と安徳天皇を擁しながらも、著しく皇系としての正統性を欠くことになります。基通は平家によって摂関の地位を得ましたが、平家育ち故に摂関家当主が持つべき有識故実などの知識に甚だしく欠けていました。本人も複雑ではあったでしょう。
忠通さまから貰った有識故実レポは役に立たなかったのでしょうか(←ドラマの捏造です)
当然ながら清盛の宋剣と、三種の神器の剣には何の関わりもありません。
神剣喪失は朝廷を守るのが武士の役目になったと、慈円はすごく哲学的かつ含みのあることを書いているのに、全くスルー。慈円は後鳥羽帝にもそれをきちんと説明してあげればよかったと心底思います。

基通の母は法皇が愛してやまなかった藤原信頼の妹。信頼の甥っ子だから似ていて惹かれたのか、平家寄りの摂関を籠絡すれば立場が有利になると思ったのか、その両方かもしれません。

この時代男色は非難されないこととはいえ、立場上では平家派の基通はすんなりと法皇の相手をしてくれません。実際は滋子も信頼と血の繋がりがあったし、ほんとに後白河院は信頼好きです。
まあ基通にも複雑な思いがいろいろあったことでしょう。このドラマで残念なのは「懸命に生きる」がテーマの一つなのに、漫画みたいな悪役扱いで終わり&いつの間にかいなくなったり、なおざりにされた人物が多すぎることでもあります。

ともかく後白河法皇は基通と関わる為に清盛の娘・冷泉局を使ったのです。
九条兼実はいろいろ詳しい日付まで玉葉に示してこれにお怒りです。有名な「臣合体の儀、之を以て至極と為すべきか」 

滅亡場面、ちゃんと撮ってあるのにあっという間でこれも残念。
知盛が戦でとっさに我が子を見捨てて逃走してしまった心情を込めてこその「見るべき程の事をば見つ」なのですが、突然に猛将になって自害する錨知盛が描かれていました。ここらへんは知ってても見たいのですよ。

伏線回収という名の回想場面を多用していなければ、もう少しきちんと描けてのでは?変にアレンジされるより良かったかもしれませんが。相変わらず、役者さん(特に脇役)の演技には魅せられました。しかし、歌舞伎などにかなうかといえばそれは無理な訳で・・・舞台とテレビじゃ違うんです。

良い部分と悪い部分があるのは当然として、平清盛に関しては「良い部分が欠点となりうる」ドラマでもありました。

◆あくまでここ数年の大河と比してですが、史実を物語に織り込んだ(江は一月でリタイア)

これに関しては、脚本家もですが、考証さんが頑固だったのが大きいのじゃないかと思っています。
実はワタクシ、ネットでいろいろ言われてるらしい考証1と2の区別もついていません。そこらへんの事情はよく知りません(汗)考証さんがネットで内部事情を書いちゃうのはかなりどうかとも思います。それでもあえて書きます。

清盛の考証さんは「平安時代は実名で呼ぶのは大変嫌われる行為で、名前をよばれるということは、相手に支配されるとか、自分の大事なものを持って持っていかれると思われていた。だから官職名で呼んだりした。」

最初からこんなに怒っていた人なんです。これは実際にそうで、そんなドラマにしてくれたらオタ的には嬉しい。でも、さすがに無理だと思いました。最初からここまでこだわる人なら、出来る限り脚本家にアレコレ口出ししたはず。最初は平安時代のことをほとんど知らなかったであろう脚本家さん(←それ自体が大問題)、にそこまで求めるある意味世間知らずの学者さんに、若干の感動すら覚えました。

問題の王家呼びについては?です。まず学術的にもツッコミ所満載な上、押し通す必要性を感じない。スタッフには子供が一人で自棄になってる感のようなものすら感じました。いろいろ大丈夫か。玉葉で使われている「朝家」で良かったのに。なんかね、変な思想のゴリ押しと勘ぐられるような裏事情が透けて見えすぎたのもまずいと思います。

個人的には細かい史実や平家物語の映像化は楽しませて頂きました。
これはやらないよりやった方がいいとは思います。しかし、清盛に関してはそれだけとも言えなかったことも確か。

創作部分が良くも悪くもぶっとんでいた上、平安時代の基本ルールとして「ありえないことだらけ」の場面満載だった為、矛盾を感じざるを得なかった。
史実を普通に映像化した部分と創作場面とのギャップが目立ち、いかにも「魅せたい場面に、年表や平家物語から都合のいい部分だけをツギハギした」という印象になってしまった。

平安好きからすれば、「史実自体が面白いのだから、普通に映像化した方が面白い」というのもあります。
ただ、それは結構難しいんです。王道をある程度以上のレベルでやるのは、どの芸術分野でも実力が必要とされます。好みはともかく、亡き勘三郎さんの「型があるから型破りが出来る。型が出来てないとただの形無し」という言葉はすごく正しい。

でも、このドラマは、地道に史実を再現した場面が割と良く出来ていました。
悲しいかな、創作部分が斜め上すぎてそれが目立たないことが多かったです。


しかも、創作部分は視聴者の好みが別れて当然な出来。一握りのファンに甘えすぎでしょう。
「人を選ぶ」と言えば言葉は良いですが、単に避けられてもしょうがない場面のオンパレード。
綺麗事だけやれと言っているのではなく、見せ方が問題なのです。


独立採算制の舞台か、ミニシアター系の映画ならこれでもいいでしょう。
個人的には同人誌的なものを強く感じました。同人誌を否定している訳では決してありません。
男女逆転大奥なんて、設定だけで清盛よりずっとエグイです。でも、見ていて不快さを感じる場面はさして多くなかったし、人間や男女の本質を描いていました。あちらは最初から視聴者を選びまくる素材で、夜10時からの放送でしたが。

創作部分に作り手の意欲はすごく感じられました。しかし、どう受け取るかは視聴者の自由。
私はそこに斬新さより「既視感・古臭さ・悪趣味」を多く感じてしまいました。

「滋子の結婚」に例を取ると「この建春門院門、新しいでしょ?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?」と絶えず囁かれているようなウザさ。後白河院と二人で出てくると、割れ鍋と綴じ蓋のような珍妙な美男美女にしか見えなかったです。

私のごたくはともかく、低視聴率の主因なんて決まってます。

主人公の清盛が魅力的でないばかりか、無神経すぎて不快感を感じる場面も多かった。
気配りの達人だったはずの清盛公が、ほぼ正反対の造型で描かれ、何をしたいのかわからなかった。平家一門が描けていなかった。創作としての整合性に欠ける場面が目立った。個人の好悪を越えて多くの人に面白いと感じてもらえるレベルではなかった。


BBCのシャーロックなんてまさにそのレベルが高かった。もとより人気がある題材ですし、単純比較するつもりはないけど、イギリスでは国営放送が作ったドラマが世界中で熱狂的に受け入れられているんです。世界中で人気がある題材だけに、失敗すれば目もあてられないことになります。

話を戻すと、清盛がたいして成長しているようにも見えないのに、耄碌した場面だけやけに力を入れて描かれても、やはり器が小さい人が無理するとろくなことにならない、程度にしか思えませんでした。

また、最初から朝廷を「武士に討たれるべきもの」として描いているので、頂点を極めた清盛が落ちぶれるのは当然と思えてしまい、清盛に同情しにくかったです。
ドラマ理論としては当然の帰結ともいえますが、こんなに醒めた見方をされてはいけません。
否定しまくってた朝廷に娘を入内させて成り上がったら、あとはもう討たれるしかないよねと。人よりずっと恵まれている癖に、すごく自己同情的でコンプレックスの塊みたいな清盛が甘ったれて見えました。

◆群像劇
「平清盛は群像劇としては面白い」これはある意味事実で、ある意味嘘です。
前半の朝廷模様などは、面白い部分も多かったです。
ただ、群像劇として描きたいのであれば、タイトルからして失敗です。
小説も「タイトルが七割」という言葉があるくらいです。
何より後半、平家一門を描けなかったので、群像劇としての評価はしにくいのです。

◆予算、時間配分
実は一番がっかりしたのが、終盤の迷走具合というかグダグダ具合。
途中まではトンデモはいろいろあれど、勢いは感じました。
これが最初からの計算通りの伏線回収だとするならば、私は徹底的に脚本家さんと趣味が合いません。それは別に構わないんです。
ただ、仮に低視聴率で予算を削られたという噂が本当なら、そのことではなく制作陣の覚悟の甘さにがっかりです
あれだけ好き嫌いの別れるものを他ドラマよりずっと裾野の広い大河でやっておいて、
「制作費もらえない!もう回想で埋めるしかないよ!」的な場当たり感を個人的に感じてしまいました。
まさかここまで視聴者にそっぽを向かれるとは考えていなかったのでしょうか。甘い。好き放題やるならダメだった場合のことも考えないといけません。

◆リアリティーと視聴率
擁護記事を書くのはいいです。でも、明らかに的外れな擁護記事は罪です。
「史実を描いたから難しくてわかりにくくなった」「リアリティー重視だから視聴者に逃げられた」「平安は鬼門」

納得できません。

コメント欄でも同じようなやりとりをしましたが、政宗や篤姫より、平清盛はずっと有名人です。
悪役だから避けられたなら、なぜ信長が人気あるのか。史実の三分の一でも真実の清盛公を描けば、もっと魅力的に描けたはず。
篤姫が視聴率的に成功するまでは「幕末は視聴率が取れない」とか言われてませんでしたっけ。

リアリティーを重視していた場面も確かにありました。でも、それを前面に出すと嘘になっちゃいます。
第一話で「ケガレ」を極端に嫌う朝廷で、側室の舞子が殺された時点でリアリティーとはかけ離れていました。
そもそも、風水を重視しすぎた場所選びのために、平安京は湿地帯でした。それが原因で衰頽していったんですが。野暮にここまで突っ込んでいいのか悩みましたが、もういいよね。清盛に福原を接待された貴族はお風呂に入ったりもしています。あそこまで汚いはずがないです。

描かれなかった側室も100人くらいいるんじゃないでしょうか。

「とにかく汚すのが大好きなんです!ドロドロした昼ドラみたいな場面をこれでもかと描きたかった。実は皇室スキャンダルなんてもう大好物です!永遠の中二病みたいなキャラってやってみたかったんです!洗練された性格の史実の清盛公には正直言って魅力を感じなくて。。。それよりも「心の闇」みたいなもんがフューチャーされた屈折した人物を描くのが好きなんです!あと、実は美人女優を汚すのも大好きです!妖怪変態大河にしたかったんですよ!」

これが本音じゃないんでしょうか。やっぱり同人誌です。潔く公言したらもっと視聴率落ちてたでしょう(笑)
繰り返しますが、同人誌そのものを否定するつもりはありません。大河で見たい人が少ないことが明白な上、あまり放送しない平安大河でそこまでこねくり回して描く必然性を感じないだけです。

そこに妙に漫画チックな描写が入ってくるのですから、回によってはもう闇鍋みたいなドラマになってました。そういうドラマがあってもいいと思います。
でも、明らかにそういう場面ばかり力入りすぎて、普通にいい場面もあるのに目立たなかったんですもん。ひきます。

どうしても特殊な路線を貫きたいのだったら、「花の乱」みたいに実力派揃いの超豪華キャストにした方が潔いです。
若くて時代劇経験者も少ないキャストを中心に揃えておいて、役者に丸投げってあんまりでしょう。時代劇における「演技力」が所作や発声、貫禄なども考慮されるのはごく当たり前のことです。若い役者中心にするなら、そこらへんを考えるのがスタッフの役目だと思います。第一部が見応えがあったのも当然。

序盤の朝廷場面は、嫌悪感を感じる場面もあれど、私も変態属性があるので個人的にかなり楽しんで見ていました。場面によっては妙な面白みも感じました。ただ、基本的に途中で飽きました。後半以降は大抵うんざりしていました。

繰り返しますが、大河でそんなの見たい人が少ないのは当然。低視聴率には同情しません。大河だから批判記事を書かれたんです。普通の民放ドラマだったら、超絶低視聴率じゃない限り話題にすらなりません。

でも、フジが昼間放送した韓国ドラマなんて視聴率1パーセントだったこともあるそうです。よく放送を続けましたね。それは批判されてもしょうがない。それに比べれば皮肉でもなんでもなく、清盛の低視聴率なんてたいしたことないと思えてきます。ドンマイ。しかし、そうとばかりは言っていられないのです。

「平清盛」の視聴率的失敗で、今後大河を含めて平安ドラマが作られる可能性が激減した。

個人的にこれが一番の罪です。時代に馴染みがないという言い訳が事実なら、詳しい人が少ないからアンチも少なかったんじゃないでしょうか(棒読み)
しかも、上に書いたように専門家の擁護までが的外れ。罪です。アラフォーの私が死ぬまでにまともな平安ドラマを見られるのでしょうか。しかも今現在「新平家物語」は総集編しか見られないのです。

◆政治・経済劇としての面白みがほとんどなかった。
これは真面目に期待していた方が多いはず。うまく扱えばすごく面白い上に、清盛は「理想の上司ランキング」で坂本竜馬を超えられたはずです。大まじめに言っています。だって竜馬もすごいけど、癖がありすぎですから。福山=竜馬という発想は悪くないけど、あんな爽やかな好男子ではないぜよ!(笑)

重盛の軍事活躍を描かなかったのは、どう見ても失敗だと思います。

◆史実の平清盛の魅力が全く伝えられなかった
ひつこいほど書いてますが、清盛公は気配りの達人で洗練された人たらしでした。
あんな無神経男じゃなかったです。最晩年だけフューチャーされても困ります。

・老いた池禅尼の絶食をバカにする。平氏繁栄の礎は池禅尼なくしてありませんし、清盛の性格からしてもっと気遣っていたはずです。
・政治的立場も考えずに鳥羽院と崇徳上皇を仲直りさせようとし挙げ句、掌返しして崇徳院に刃をつきつける。
・平家繁栄を願って書いたはずの「平家納経」になぜか崇徳院や頼長の魂が込められていることと決めつける。
・後妻に無神経な罵倒をとばした挙げ句、なぜか歌会を反省会の場として利用し下手すぎる歌ともいえないものを披露してドヤ顔。私が鳥羽院なら離島です。
・伝説の域ですが、人柱を廃止したはずの清盛が、人柱を使おうとする。大輪田泊改修は兎丸のアイデア。その兎丸の讒言を「俺のこと、誰も理解してくれない」と勝手にすねて無視した挙げ句死なせた。

思い出すだけで腹が立ってきます。こんな奴ヤダ。

◆平清盛の再評価が出来ていなかった
上とかぶりますが、つけたしです。新しい清盛像ではなかった。「奢る平家は久しからず」な旧態依然として描き方だった。ちょっと平安に興味ある人ならそれに疑問を抱いてますから。
しかも、悪役な上に「チンピラっぽい小物」という、ありえない属性をプラス。ごめんなさい、清盛公。

◆テーマを押しつけすぎ
清盛の考えてることは難解とか言われた一方、テーマは初回から「これでもか!!」というほどあざとくわかりやすかった。ここらへんにうんざりした層も多かったのではないでしょうか。個人的にはこういうやり方は野暮だと感じてしまいます。しかも、そのテーマも繰り返し叫ばせるだけでストーリーにいまいち反映させられず。
史実と正反対の創作をするなら、よほど魅力的で整合性のあるものにしないと白けます。
清盛公が晩年無理をしたのは、自らこそが皇系という自負があった説も多いのです。個人的には事実かどうかわからないと思っていますが、当時としては全く古い思想とかではありません。むしろ日本人になら今でも十分に通用しそうなのに。歴史ものの難しさともいえますが、他にも無理がありすぎる扱いが目立ちました。

難解という点も・・・たとえば東野圭吾さんの文章はすごく読みやすいですよね。個人的な好き嫌いは多少あれど、東野さん=頭がいいを否定する人はほぼいないと思います。自分の文章が下手すぎなので余計にそう思います。すみません、後は察してください。

◆この脚本家、一体誰なんですか。
問題作「江」の脚本家だって色々言われながら顔出しくらいしています。

ただ「江」でも「清盛」でも楽しく見ていた方を否定する気は毛頭ありません。だって義務教育を終えた日本人なら誰でも、江がトンデモだってことはわかります。清盛も歴史に詳しいとか関係なく、「ありえない場面」満載でした。それを楽しんで見られるというのは、精神的に大人だからって部分があります。皮肉でもなんでもありません。私は個人的に思い入れのある天地人(あれも役者は好演していたし、つくりは清盛より潔かったかも)清盛どちらもあまり楽しめませんでした。北条時宗に到っては途中リタイア。もっと大人になりたい。

◆いいところもありました。脇役キャスティングセレクトは一部、神がかっていました。
(個人的に重要だった基実(イケメンでアホボン)が初老の落ち着いた俳優とか訳のわからないのもありましたが)
どなたの功績かわかりませんが、制作陣ではその人がMVPです。

◆脇キャスティングの好演を堪能できた。
無理難題を要求されて、特に若手は後半すごくがんばったと思います。
演技がすばらしかった役者、女優はとても多かったです。皆様お疲れ様でした。
後半は毎週それしか褒めていなかった気がします(汗)

◆細かい美術、衣装など表にあまり名前が出ないだろうスタッフさんが地道にいい仕事をしていた
平家納経が顕著な例。他にもトンデモではない衣装、踊りの場面など、地道な場面がきちんと楽しめたことが多かったです。お疲れ様でした。細かい作業をされたであろう方々もお疲れ様でした。

◆周囲の男性で玉木宏ファンが少し増えた。ツレと実家の父(笑)
これが「松ケン」でないところがアレなんでしょうね。確かに玉木宏は好演していました。
曰く「ありえない脚本でも、義朝は素直に可哀想だと思えた。清盛はそう思えなかった」そうです。

ただその玉木宏さん、インタビューで「脚本を読んで、これは普通に演じても視聴者には意味がわからないと思ったので、自分なりに解釈してかみ砕いて演じた」っぽいことを仰っていました。
鳥羽院の三上博史さんもいきなりエア矢のシーンからの撮影だったそうで、役者ってすごいと思いました。
「訳がわからなかったけど、とにかくテンションあげまくって演じました」とか。私も最初は公式見ていたんですね。

山本耕史さんは最初から「上手い」認定されてましたが、ほんとに上手くてはまっていました。もともと彼が好きな両親は再放送含めて薄桜記を3度くらい見たとか。

実家の父は九条兼実、母はもともと藤原頼長が好き(男色家ってことは知らなかったそう)だってことが判明。兼実はもっと美形のはずだと最初は違和感を覚えたそうです(笑) その父を黙らせた相島さんの演技力もすごい。
しかしどうなんだその趣味。やたら詳しかったのもそのせいですか。なぜもっと一般的な方向に行かないのか。私が摂関家にはまるのも必然でしょうか。・・・・・。話が出来るのは楽しいけどなんだか・・・・。リアルで普通の友達にこんな話しません。ネットがあって良かった。

旬の若手や、演技経験の足りないアイドルも出演するのが大河です。
その人達の魅力をふつうに引き出せるような脚本や演出であって欲しかった。

最後に若い清盛の笑顔。どうせなら摂関家の面々の未放送部分をコラボしてほしかった。
個人的にMVPは藤原忠通さま。脚本家に特に愛されてた訳でもないのに、風情も演技も素晴らしかったです。ごく普通の忠通さまの一日を映像化してほしい。

総合的にいえば「もったいないドラマ」この一言に尽きます。上川さんの使い方がその最たるものでした。まさかゴチに出るとはびっくりです。清盛といいスケジュールどうなってるんだろう。
脚本家や衣装デザイナーの嗜好が前面に出すぎていて、それが好きになれるか、許せるかが境界線のドラマでもありました。すみません、私は苦手でした。

個人的な願望をまとめると、「いっそ清盛の出番を極端に少なくして、平家一門中心に描けばちょっと地味でも、かなり面白くなったんじゃないの?」です。

それでも楽しんだとこもありましたし、ブログ更新や本を読むのは楽しかったです。
「八重の桜」は今のところ、すごく良く出来ていると思います。トンデモもないし、旬の役者や女優の魅力を自然に引き出しています。綺麗な女優にむりやり汚いカッコさせたりしないとこもいい。やたらと現代の価値観をふりかざさないところも良い。清盛だったら八重は第一話で「この子は見所がある!」と頼母に絶賛され、二話で照姫が容保公を誘惑していそうです(妄想しすぎ) 照姫綺麗でしたねー!OPが意気込みすぎて変なのは、もはや大河の伝統芸だと認識しています(笑)

これで視聴率的に成功したら、この脚本家は朝ドラに続いて大河も復活させたことになります。掛け値無しにすごい。レビューは出来そうもないけれど、応援しています。
ちなみに朝ドラは見たり見なかったりで今作は見ていません。大河も朝ドラも、脱落した視聴者は惜しいなんて思わないものです。忘れてます。

参考資料は次エントリーで。年表は作りたいけど時間が(笑)
今更こんな文章を読んでくださった方、ありがとうございます。
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村

平清盛第48回「幻の都」 その3 南都壊滅・還都

December 16 [Sun], 2012, 0:15
平家側の動き
治承四年(1180年) 
09/12 公卿・貴族・官人らに福原居住が命じられる(日付は玉葉)
09/21 高倉上皇が病をおして厳島に出立。自筆の写経等を奉納。10/06に福原帰還。
10/08 福原で忠親、時忠らの宿所の工事がはじまる。10/17に完成か。
10/09 紫宸殿の障子絵が山水と決まる
10/20 富士川合戦。平氏軍が戦わずして逃亡(日付は諸説あり)


11/01 宗盛が仁和寺に福原の路造りのため、人夫200人を要請
11/05 清盛が富士川での敗北を知り、激怒
11/05 美濃源氏を頼朝から引き離し、味方にするという案が時忠・高倉・宗盛から出るも、清盛が美濃源氏と戦うと言い張り、却下(吉記)
11/05 宗盛が還都について清盛と激論を交わす(玉葉)
11/11 福原に新造内裏が完成。五節のため、安徳帝が御幸(吉記)
11/12 清盛が還都に同意(吉記)

11/15 九条兼実・良道親子が京から福原へ出かけるも、給地の予定がたっておらず、引き返す
11/17〜20 新内裏で五節開催
11/21 伊勢に下向途中の宗盛の郎等10人以上が近江源氏に討たれる
11/22 天台座主・明雲を通して、日吉・延暦寺荘園領主に対し、賊徒の防御・討伐が命じられる

11/23〜26 福原から京都へ還都 安徳帝、高倉上皇、後白河院が帰京。
11/24 清盛が「1人として福原に残るべからず」と遷都の方針を決める(日付は玉葉)
11/29 福原に残っていた清盛が京へひきあげる
11/30 高倉院殿上において「東国逆乱」に関する議定が行われ、追討が決まる。藤原長方が基房帰還を求める。
12/01 平家定の子・家継が甲賀を攻めて戦果をあげる

12/02 平知盛・資盛以下を大将軍とする東国追討使が派遣される。共に清経、忠度ら。盛国の孫・盛澄の軍もそれに続く
12/08 後白河院が高倉上皇のいる池殿に渡り、親子同居となる。後白河院庁が再開される
12/10 清盛が公卿・受領・荘園領主らに内裏警護のための兵士を徴収。諸国に兵乱米の徴収が課せられる
12/13 時忠の異母弟・親宗が頼朝との内通を認める
12/13 山下義経、柏木義兼率いるが平氏軍により敗走。200人余りが斬首される。
12/11 深夜、平氏軍が園城寺攻撃。堂房・房舎を焼き払う(百練抄) 金堂は平盛俊が消火。
12/16 備前の配流先から藤原基房が帰京。母の三位俊子の油小路東の邸宅に居住。
12/28 平重衡率いる平氏軍により、南都の興福寺・三井寺・東大寺が炎上。東大寺大仏殿炎上。

治承五年(1181年)
01/20 追討使が反乱軍のこもる蒲倉城を陥落させ、美濃全域の平定に成功。
02/12 平知盛ら追討使が、斬首した源氏の首100余りを携えて帰京。


赤字は劇中の出来事。青字は平氏軍追討使に関すること。やはりドラマは随分時系列変えていますね。

◆◇◆

還都
◆還都については以前の記事に書いた通り、清盛1人が反対している状態でした。福原の町作りをしていた時忠はある程度、清盛の意図を理解していたようですが、彼も以前は反対していたのです。ずっと清盛に従順だった宗盛が、生涯ただ一度だけ父に反抗したのが、この還都だと言われています。ドラマ通りですが、史実では清盛は宗盛と激論を交わしています。宗盛を蹴飛ばしたりはしませんよ(強調)

平家が孤立というより、この時は清盛ひとりが平家内でも孤立していました。還都論の中心者は他ならぬ高倉上皇。中宮・徳子もそれに同調。

もっとも、ドラマのように公卿全員が福原に居住していたのではなく、親平家の公卿数人しか福原に居住していなかったので、還都を決断する以前の9月、清盛は「公卿・貴族・官人らに福原居住を命じています。しかしその段階でもまだ福原の準備は決して万全とはいえませんでした。

兼実は「清盛の悪行により神は福を与えず、天変地異や干天、風水害、虫害、神社の相次ぐ怪異、東国の反乱が勃発した」と玉葉に記しています。武士や公卿が還都に歓喜する中、平家一門にも安堵の空気が流れたことでしょう。
福原の新内裏も以前書いた通り、朝廷には認められず、清盛個人として造築されています。

11月26日、皇族が六波羅に入ります。
高倉上皇は頼盛の池殿、後白河院は故重盛の泉殿、安徳帝は五条の藤原邦綱邸に入りました。
しかし、六波羅は「京=都」ではないという意見も多く、平家中心の朝廷の権威は疑問視され続けていました。

日付は諸説ありますが、宗盛との議論から日をおかず、清盛は遷都に同意しています。同意せざるを得ない状況が発生したからです。

・全国的な反乱の激化により、内乱鎮圧をしなければならなかった。これが一番大きい。

・高倉上皇の病が悪化。高倉上皇は清盛の傀儡だが、いわゆる「治天の君」として院宣を下せる存在は不可欠。高倉上皇が逝去した場合、形だけでも後白河院政を復活させざるを得ない。そうなると遷都は不可欠。

・平家内でこれ以上、清盛が孤立しては、諸問題に対応できない。

・形の上では、寺社や貴族の要請に応じた → 京に戻った上で、対立していた寺社を攻撃

遷都は清盛にとって初めての大きな挫折でした。同時に、京に戻って平家中心の軍事・政治を再構築しようという強い意志も見受けられます。内乱を鎮圧し、対立していた寺社の勢力をそぎ、京に新たな平家の都を築こうとしていた説があります(元木泰雄、高橋昌明他) 清盛1人福原に残り、11月19日に帰京したのも、決意の表れのようにも取れます。

とりわけ、寺社に妥協したのなら園城寺、南都焼き討ちはありえません。

松殿基房帰京・藤原長方の勇気
追討使派遣を決める会議で、ただ1人、左代弁・藤原長方(ながかた)が「徳政」を力説して人々の注目を浴びます。
徳政とは、「後白河院政復活、前関白・基房召還」です。
長方は夜の関白・藤原顕隆の孫で、遷都に反対して京に留まり、清盛本人に新都を批判したなどという逸話もあります。逸話は新古事談と源平盛衰記なので事実かどうかは不明ですが、権力に媚びず、正論を述べる人物だったことは間違いありません。後白河院に対しても法住寺合戦では苦言を呈しています。

問題が山積みとはいえ、まだ平家の勢力が衰えていなかった当時、これは大変に勇気のいる発言でした。
兼実は「長方、なお公人なり。時世にへつらわず、直言を吐く。感じて余あり。誠にこれ諫諍(目上の人を争ってまで強くいさめる)の臣なり」と大感激です。仲が良くないといっても、基房は義兄ですから、兼実も嬉しかったのですね。また、彼の発言は平家政権を否定するものでしたから、兼実が男気を称えるのも当然です。清盛も直接、長方に処罰を与えることはせず、基房帰京を許しています。これは人望の厚い長方に従った面と、後の南都焼き討ちに対する妥協策との両面があったのかもしれません。男気溢れる正論の士・長方がドラマに出ないのはちょっと残念。

追討使の勝利
頼朝だけではなく、諸国で次々に反乱が発生。平家は還都準備と追討使派遣が同時に行っています。
年表にあるように、この時点ではまだ平家の追討使が勝利を収める戦もいくつかありました。知盛・資盛中心に平家の若武者達は追討使としてあちこちに派遣され、翌年2月に反乱軍の武士達の首を携えて帰京しています。家定の息子、盛国の孫も追討使として活躍しています。ここらへん、ほんとに簡易版ですみません。ドラマでは全く描かれなくて残念です。

南都焼き討ち
基房は配流からの帰京を許されても、政治活動を行った形跡はありません。
後白河院も帰京とともに院庁が再開されていますが、すぐに院政を行ってはいません。

南都焼き討ちは、悪僧達と小競り合いを繰り返した結果、12月25日に重衡を大将軍として南都に出立。12月28日に追討使が僧の防御を突破、南都に侵入・放火しています。あげた首は30数人(玉葉)とも49(山槐記)とも言われています。平家物語の人数は多すぎ。

ただ寺社への攻撃・放火はそれ以前から噂されており、「延慶本平家物語」※でも重衡は「次第に南都を焼き払う」とされており、房舎への放火などは当初からの計画だった可能性もあります。
後白河派の園城寺、基房配流を激しく批判した摂関家の氏寺・興福寺など、清盛は対立する勢力の壊滅を狙っていたのかもしれません。
しかし、清盛にしてみれば東大寺の大仏殿延焼は予想外だったかもしれない(元木泰雄)

清盛強気路線擁護派の学者ですら、清盛も大仏延焼はまずいんと思ったんじゃない?と仰ってます。
聖武天皇の建立以来、日本仏教信仰の中心だった大仏焼亡は、末法思想と相まって人々に大きな衝撃を与えました。重衡がわざと大仏延焼を許容した可能性は限りなく0に近いです。

※「平家物語」と「延慶本平家物語」では内容が違います。平家物語は折からの北風に煽られて延焼、とあります。

◆◇◆

※注 本気で言いたい放題です。ご注意ください。

宗盛(石黒英雄)の演技には感動しました。石黒さん、いい役者ですねえ。それほど見せ場を与えられていないのに、いつも存在感を示し、宗盛の内面を示唆するような演技をしていました。しかも他の役者の邪魔にならないように演じるセンスも素晴らしい。自分のダメ歴史語りをしてまで、平家一門を守りたかった心境がよく表現されていました。

上に書いた通り、宗盛の父・清盛への反抗は還都が生涯ただ一度だけと言われています。清盛の死後も遺言を守り、頼朝追討にこだわらなければ、平家滅亡もなかったかもしれません。宗盛は官僚としては割と優秀な人だったようなので、それほどに還都論は高まり、もはや還都なしには平家政権を維持出来ない状態だったのでしょう。この時の宗盛(史実のほう)を考えるとちょっと泣けてきます。
何度でも書いてやりますが、清盛公は宗盛を蹴飛ばしたりはしてません。

でもさ、なまじ石黒さんがいい役者で、重衡役の子も無邪気な悪魔っぷりがはまってるだけに、宗盛の方が重衡より賢く見えちゃうという、作劇としてありえない事態に陥っています。大仏延焼が意図的だとしたら、重衡はもうこの時点で自分の死を覚悟していなければ、子供以下のバカってことですから。作劇の意図とか無視して言いますが、KYじゃなく完全にバカ。言い過ぎとは思わん。清盛も時子も一体どういう教育してるのか、全く教育なんてしてないかのどっちかです。

しかし、あれほど一門にまで迷惑かけて遷都した割に、「天は平家を見放した」とか、ありえないほどに一門の士気を下げる台詞を平気で言う清盛さん。史実と正反対に諦め早すぎ!ほんっとにお前はなんなんだよ!
還都後の12月、知盛中心に平家のお子様達は追討使として、全国に出かけてなきゃいけません。しかもこの時はまだ、平家勝利の戦もありました。清盛も宗盛も、還都と追討使派遣とで大変だったはずです。

宗盛と還都で激論を交わす前、時忠や高倉上皇、宗盛が「美濃源氏を頼朝から引き離して工作し、平家の味方にしちゃいませんか?」という案を清盛に持ちかけているんです。政治的にいい案だと思います。しかし清盛公は「美濃源氏を味方に?冗談じゃない、断固戦う!」と言い張って拒否してます。耄碌して頑固になってますが、むしろ清盛公は武士として超強気です。この超強気が裏目に出たのです。

やはり、私はこの脚本家さんのメソッドというか、恐らく一番力を入れて見せたいと思っている部分がかなり苦手です。脚本が基本的に好みじゃない部分は、善意の解釈も出来ません。伏線回収って、英国ドラマ「シャーロック」のアレみたいに「おお!」と手で膝を打つようなものじゃないの?フォーゼの賢吾の都合がいい病弱設定が伏線だと知った時にも衝撃で泣けました(←関係ない)

ドラマでは義経相手にはクールな頼朝。あれだけ母(由良御前)の苦悩を見ていれば仕方ないですね。
そもそも鳥羽院のエア矢事件は、弁慶さえも知ってるような出来事だったのですか。まさか清盛がいいふらしたの?鳥羽院?どちらにしてもあんな羞恥プレイを人に言うなんて、かなり痛い人です。女官が誰か見ていたとしたら、そりゃ誰か人に言いたくなるでしょう。それ以来、朝廷での鳥羽院評が変わったはず。清盛が神輿に矢を射たことが史実ではないので、何も言えません。

あの頼朝がなぜ、大人げない思いを勝手に親友の子に託して、流罪になる自分(13才)に八つ当たりしたあの清盛を尊敬しているのか、私にはいまいちわかりませんが、劇中の頼朝くんは想像力が豊かな子だったのでしょう(棒読み)

清盛が鳥羽院に放ったエア矢が亜空間から跳んできたのを受けちゃったりしてます。イケメンなのにちょっぴり中身が残念なところはお父上からの遺伝でしょうか。側で見ている義経が「兄上ってもしかして電波系?(古い)」とか思ってたんじゃないかと心配になりました。あの弁慶は一緒に陶酔してたはずだから、義経1人醒めてた図を想像するとおかしい。

ドラマで一番多くの者達の人生を狂わせた運命の人は義朝ってことになりますね(笑)笑ってる場合じゃないんだけど。清盛も義朝に男惚れさえしなければ、あんな歌でもないものを詠んだ挙げ句、一門を顧みず、息子達が何か話そうとする度にDVかます好感度の低い変な人になったりしなかったんじゃないかと思うとつい。

この清盛の何が一番イヤって、対外的にあざといほどの「一門ラブ」アピールした癖に、現実は自分のしたいことの為に家族を犠牲にしてるところ。あんなドヤ顔でバカな歌詠んどいて息子達に苦労させ通しだよ!第三部になってからは家族サービスほぼしてないよ!やはりあの歌会では崇徳院と頼長の反応が正しかったのです。清盛は親友2人が下手にイケメンだったせいで何か「カッコ良さ」を勘違いしちゃったのでしょうか(言い過ぎ) 

西光が死に際に言いたい放題したとき、私は「その通りだな」と思ったけど、この流れだとほんとにその通りだったって解釈になっちゃう。しかも「DVしなくなった=野心を諦めた」って構図が情けなすぎ!場面的には意外性もあったけど、なんで壮年期の清盛が「こんな上司になってはいけない」みたいな人物になったのか。

重盛が賢かったのは明子の遺伝子ですか?清盛のDNAは入ってなかったように見えます。なんと明子は摂関家の忠実(悪左府の父)の不倫の子説までありまして、その説を事実だとすると、やはり優秀なのは平家じゃなくて摂関家だったってこと?ちなみにこれを唱えているのはドラマの時代考証の高橋昌明氏。この説はさすがに今までブログに書くのをためらうくらい?な説です。どなたか詳しいことを知っていたらどうかご教示下さい<(_ _)> とすると、重盛も頼長の甥ってことになります。歴然とした史実でも経盛の母は頼長の姉妹なので、経盛は頼長の甥です。

この時代の朝廷、貴族、上位の武士は「あなたもあなたも親戚!」ってところがかなりありました。そうなるとますますもののけの血設定は説得力がなくなりますが。。。
一番の不満は、回想場面ばかり入れてないで、平氏追討使と、(主に)源氏賊軍の戦いがこの時期にあったことを描いて!ってことです。

私はこのドラマの清盛が嫌いです。まさかドラマの清盛が「蜜の味」の雅兄ちゃん並に嫌いになるとは思わなかったです(笑) 忠度メレブに「シャクレナ」をかけてもらうくらいしないと清盛が好きになれそうにないです。
蜜の味は井浦新が妙に上手いだけに身勝手でウジウジした変態男でムカついて仕方がなかったです。ほんとにそんなドラマなんです。彼はドラマだと独特の存在感でいいけど、CMでお洒落っぽい演出で出てくると、なんか隠れた変態度が際立って「これでいいのか?」って気分になります。またどんなドラマでもいいのでハマリ役で出て下さい。

「平清盛」は細かい場面は悪くないのに、肝心な場面が大抵は苦手。こうなったら派手なあっち死にを期待してます。どうなっても、残された一門の方が悲惨ですから。子育てを壊滅的に失敗してる時点で、それ方面(清盛ほど器がでかくない的な)同情も出来ないんですよねえ。そもそも、清盛が小物に見えます。好きな時代じゃなければリタイアしています。見なければいいのにバカです。でも、全部が全部つまらなくはないという。レビューリタイアするかもしれませんし、ゴチャゴチャ書いてるかもしれません。最後には何か書く予定です。

好きな場面もあげときます。兼実(相島一之)は良かったですよ!
「若し我が寺、興福せば天下興福し、我が寺、衰弊せば天下衰弊す。東大寺創建の折の聖武帝の詔の一節にござります!世に平家のある限り、天下の乱れは治まりますまい!」 

この場面が見られただけで半分くらい満足なことも事実。
あと、書いたつもりが消えていましたので、どうでもいいけど個人的に気になったことをひとつ。
還都直前に新内裏に安徳帝が御幸して五節を行ったのは史実です。
ただ、五節の舞姫って五人なんです。なぜ二人。しかも清盛の心を打ち砕くような歌詞つき。酷い。なんか笑っちゃいました(←酷い視聴者) 先週の水鳥といい、低視聴率で予算が減らされたのでしょうか。裾野の広い大河でこの数字、民放なら打ち切りレベルですから仕方ない。放送を続けられるNHKは恵まれています。だからこそ、回想場面だらけにせず、なんとか工夫して諸国の合戦や平家軍の勝利を描けなかったのかな〜と。

リアルをうたい文句にするなら、時忠が娘を義経の妻に差し出したことや、後白河院が清盛の死の当日と葬儀の日に「大喜びで」今様乱舞していた(百練抄)(玉葉)とこまでやってください。大原御幸は創作の線が濃厚だし、そこまでやる暇もなさそうですね。
来週は後白河院が老けメイクで再登場するらしいので、期待しますがタイトルが「双六の終わる時」 もう双六と遊びを〜は許して下さい。この内乱で多くの人が亡くなり、西行法師が嘆いていますが・・・双六以外でも見せてくれることをちょっとだけ期待しています。お見苦しい乱文失礼いたしました。

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村

平清盛第48回「幻の都」 その2 頼朝側の動き

December 13 [Thu], 2012, 1:11
治承四年(1180年) 頼朝側の動き

08/17 深夜、頼朝(34)が伊豆目代・山木兼隆の館を襲撃(山邸夜討ち)
08/20 頼朝が武士達を率いて伊豆から相模の土肥へ入る。土肥兄弟と合議し、東国の武士達に回状を送る
08/22 三浦氏が相模を出て、西へ向かう。頼朝軍と合流を予定していた。
08/23 石橋山合戦。300騎の頼朝軍が相模国石橋山に到着。大庭景親3000騎と伊東祐親300騎に敗戦。北条時政嫡子・北条政時、三浦一族の佐那田義忠が討たれる
08/24 石橋山目前で、頼朝の敗北を知った三浦氏が引き返す途中、畠山重忠(17)軍と遭遇戦。三浦氏が勝ち、本拠地の三浦半島に戻る
08/26 衣笠城合戦。三浦氏が三浦氏本城の衣笠城に籠城。畠山重忠らが囲み、合戦となる。三浦義明(89)が城に残り、嫡子・義澄以下は安房を目指して退却。
08/27 衣笠城落城。三浦義明戦死。石橋山を逃れた北条時政・時義親子と、三浦義澄が海上で合流。

08/28 深夜、敗残の頼朝一行が土肥の真鶴崎から、舟で阿波へ脱出
08/28 大庭景親が送った早馬が「頼朝挙兵」を清盛(63)に知らせる
08/29 頼朝が安房国平北郡猟島に到着。三浦・北条ら石橋山合戦の残党に迎えられる。

09/04 上総の上総広常へ和田義盛(三浦一族)を、下総の千葉常胤へ小野田盛長(藤九郎)を派遣。
09/05 叛逆として追討の宣旨を受ける(玉葉)
09/06 和田義盛帰参。上総広常は「千葉一族と相談してから参上する」との返事
09/09 小野田盛長が帰参。千葉胤常は頼朝の無事を喜び、参入を確約。
09/13 頼朝軍300騎が安房を出て上総に向かう。千葉常胤が下総目代を攻め殺し、頼朝側につく
09/17 頼朝が千葉氏の返事を待たずに下総を目指し、下総で千葉軍300騎以上に合流。一行は上総を目指す。
09/19 上総広常が上総全土2万騎(吾妻鏡)の軍勢を引き連れ、頼朝軍に参戦。頼朝は遅参に怒るも、上総広常が頼朝につくことを表明。
09/29 上総広常参戦以来、頼朝に参考する者が増え、この日は2万7千騎となる。

10/01 石橋山の残党が鷺沼の陣の頼朝のもとに集合。頼朝の異母弟・醍醐寺の僧・全成が対面。頼朝が感激して号泣。
10/02 頼朝が千葉、上総氏と精鋭三万騎で武蔵に入る。頼朝が乳母の1人、寒河尼と息子・宗朝(後の結城朝光)と再会。
10/04 畠山重忠ら、秩父党の幹部達が到着。義朝は三浦義明殺害を許し、三浦氏と秩父党が仲介。
10/06 頼朝が大軍勢とともに鎌倉に到着。
10/09 頼朝が屋敷の造営を開始。
10/12 鶴岡八幡宮を小林郷北山への移転・築造を開始。他武士達も各々の屋敷を築造しはじめる。道路の修繕、後に寺社造営などもはじまる
10/20 富士川合戦。平惟盛率いる平氏軍が水鳥の羽音に驚き、戦わずして逃走
10/21 富士川で敗北した平氏軍を追おうとした頼朝が、千葉・三浦・上総氏に止められる。
10/21 異母弟・義経が頼朝軍へ参戦。


11/04 金砂城の戦い。上総広常らの活躍で、常陸国の源氏の佐竹秀義を破る
11/05 清盛が富士川の敗北を知り、激怒
11/11 福原に新しい内裏が完成
11/26 福原から京都へ還都

11/17 再び頼朝が追討の宣旨を受ける
11/17 和田義盛を侍所別当に補す。侍所は後の鎌倉幕府で軍事と警察を担う
11/23 大庭景親が頼朝に降伏。
11/26 大庭景親、固瀬川で処刑され梟首される
12/12 頼朝が新邸・大蔵邸へ入る。この日をもって鎌倉幕府がスタート(吾妻鏡説)

11/26 福原から京都へ還都
12/12 三井寺炎上
12/28 南都炎上


赤字はドラマでの出来事。茶色は清盛側の出来事。時系列を動かしてますね。

◆◇◆

前回からの頼朝側の年表。頼朝、天運・人運ともに恵まれています。
鎌倉入りするまで、頼朝軍はまさに命がけの綱渡りな行動、合戦が続いています。

戦死した武将達
頼朝の義弟、時政の嫡男、政子の兄である北条政時は早々に戦死。
山木邸夜討ちの時、すでに時政と意見が割れたことが、後に影響します。

他にも老齢の三浦義明は後を息子や頼朝に託して衣笠城に残り、壮絶に討ち死に。しかも攻撃した畠山重忠は義明の外孫でした。
佐々木秀義に頼朝挙兵発覚を漏らし、自らは平氏軍として断固戦った大庭景親は、富士川の敗北で降伏し、斬首されます。ちなみに彼の兄、大庭景家は最初から頼朝と行動を共にして、御家人として寿命を全うしています。

(史実かどうか判然としないものの)自分の孫を殺さざるを得なかった伊東祐親は、数年後に頼朝に助けられるも自害。合戦によるここらへんの人間関係はすごくドラマティックなので、祐親が平氏側で戦う場面くらいは見たかったです。

頼朝の人心掌握術
やはり、頼朝はすごく人の心を掴むのが上手い人だったんだとわかります。
朝廷を相手にした、洗練された気配りの人・清盛とはひと味違う、熱いハートの気配りができる人たらし。
頼朝はその後を鑑みるに、かーなりその場その場で相手によって調子いいこと言ってるイメージもありますが(笑)
他の武士達がアバウト過ぎたってこともあると思います。佐殿は幼い頃から朝廷に出仕したお坊ちゃまですし。

・頼朝はもう1人の異母弟、醍醐寺の僧・全成と出会った時にも、義経と出会った時にも感激して泣いています。感情の起伏が激しい人だったようです。
異母弟達がいても、顔見知りの身内はほぼ全員亡くなって20年も流人暮らししていたら、無理はないかもしれません。
・千葉氏が参戦か否かわからず、9/17に頼朝は下総国府で千葉胤常300騎に迎えられます。石橋山敗戦以来、ようやく味方が出来て、よほど安堵したのでしょう。
頼朝は千葉胤常に「すべからく司馬(千葉)をもって父となすべきのよし」(これからわたしは千葉氏を父と思うことにします)と言います。

・最大の豪族、上総氏を味方に出来るかどうかは今後の分かれ目。ドラマにあった通り、頼朝は9/19に遅れてきた上総広常に対し「すこぶる彼の遅参を怒り、あえてもって許容の気なし」という態度に出ます。己の勢力を頼朝が欲していることを知り、自分を高く売り込みたがっていた千葉胤常は頼朝の圧倒的な態度(演技だけど)に器量を見て、参戦を決めます。頼朝としては一か八かの演技が成功したという訳です。

・1182年、鶴ヶ丘八幡宮から由比ヶ浜への「若宮大路」の修復に着工した時のこと。「頼朝は自ら工事の指揮をとり、北条時政以下の人々がそれぞれ土や石を運んだ」とのこと。もちろんこれは儀式で、本格的な工事は専門業者がやったはず。しかし、「御家人達は、頼朝とともに鎌倉の町を造った」との意識を持つことが出来る

三浦氏、千葉氏、上総氏の立場
三浦氏、千葉氏と上総氏は共に源氏累計の子孫であり、保元の乱では義朝について参戦しています。共に坂東では大豪族。特に上総氏の勢力はすごかったので、頼朝はこれをあてにしたのです。
千葉胤常は葉胤常は盛長から、頼朝の無事と、参入依頼の意向を聞くと「頼朝が源氏の再興に立ち上がったことが嬉しくて、涙で目が明けられない」と号泣。鎌倉を本拠地とすることを提案。鎌倉を拠点とした理由は@頼朝にとって先祖代々の由緒ある土地 A東西北が山、南が海という要害の地。

また、三浦義明は本城=衣笠城に1人残る際「源氏累代の家臣として、源氏の復活を見ることが出来て、これほどの喜びはない。89才の私は老名を佐殿のためになげうって、そなたたち子孫への功績とする。そなたたちは早く逃げて佐殿をお探ししろ。わたしは城に1人残って、大軍に見せかけ、敵を欺いてみせる」と言い残し、実際に討ち死にします。この時、頼朝の生死がわからない状態ですが、三浦義明はそれにかけるしかなかったのです。ある意味幸せな死と言えるかもしれません。

もちろん、千葉氏も三浦氏も上総氏もそれぞれに頼朝と利害が一致したからこその参入でもありました。
・三浦氏=伊勢平氏の東国後見となっていた、鎌倉党・大庭氏との対立関係。平氏の繁栄が続けば、三浦氏は衰頽する
・上総氏=常茂は弟・上総広常との争いに敗れた後、平氏の庇護を受けていた。これが広常の去就に影響したと考えられている。(吾妻鏡他)
・千葉氏。千葉氏は9/13に上総目代を滅ぼした=朝廷の権力を背景にした上総目代と対立関係にあったことが背景。

鎌倉
・鎌倉入りした時点で頼朝が支配下に収めていたのは相模・武蔵・安房・上総・下総の南坂東5国に伊豆を加えた6国。 その各地から武士達が来たので、鎌倉の人口が突然に増える

・その後、頼朝とは別に挙兵した甲斐源氏との同盟が成立すると、甲斐源氏の支配下に置いた甲斐・信濃・駿河・遠江の甲信・東海地方が加わる

・頼朝の支配が増えるとさらに上野・下野・陸奥の下坂東も加わった。その度に鎌倉の人工が増えた。

鎌倉入りしたからといって、皆さんずっと鎌倉にいた訳ではありません。
三浦氏なら本来の領地、三浦半島と鎌倉を行ったり来たりしていました。皆様、かなり行動半径が広いです。
頼朝が土地をそれぞれに与えたのは、賊軍だからこそ出来たことですね。

義朝の忘れ形見といっても、今で言う「源氏の御曹司」なイメージとは違い、罪人です。
頼朝は朝廷から何度も「追討の宣旨」を下されているし、彼ら自身もその自覚は十分ありました。
治承から養和、寿永へ改元しても、頼朝は治承年号を使い続けます。改元拒否=天皇の支配を拒否ですから、彼らには反乱軍の自覚がありました。

いわゆる鎌倉幕府の成立は1192年ではなく、吾妻鏡によると治承四年12月12日。
これには諸説あるようです。
彼ら自身の見識としては、頼朝が鎌倉入りして、頼朝が新しい御所・大蔵邸に入った日、になるそうです。
その後、1184年には頼朝は父・義朝の菩提を弔うために勝長寿院の建立も開始します。

主な資料は吾妻鏡。玉葉によります。
ドラマの感想は、書くかどうか不明。脚本の好みでない部分は、やはり好意的に深く解釈は出来ないものだなあと実感しました。どんなドラマや映画でもそうですが、はまればそれが出来るんですよね。平家側も書ければいいのですが。。。
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:りほ
  • アイコン画像 性別:女性
  • アイコン画像 誕生日:9月20日
  • アイコン画像 血液型:A型
読者になる
藤原摂関家、朝廷パートが楽しみで平清盛の感想、史実の検証などを中心に書いています。感想はそちら中心で偏っていますのでご注意を。ご贔屓は摂関家・崇徳院・後白河帝・源氏サイド。史実の清盛は割と好きなので、劇中では辛口になりがちです。リンク・TBフリーですが、商用・宗教等は削除いたします。
2013年01月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
アイコン画像バレンチノ 通販
» 頼長さまと日食 (2013年03月15日)
アイコン画像グッチ 店舗
» 平清盛第30回「平家納経」 2 (2013年03月08日)
アイコン画像グッチ 財布
» 平清盛第32回「百日の太上大臣」 2 (2013年03月08日)
アイコン画像りほ
» 大河ドラマ「平清盛」について (2013年02月03日)
アイコン画像レッドバロン
» 大河ドラマ「平清盛」について (2013年01月30日)
アイコン画像りほ
» 大河ドラマ「平清盛」について (2013年01月25日)
アイコン画像ちょこ母
» 大河ドラマ「平清盛」について (2013年01月21日)

ヤプミー!一覧
読者になる
http://yaplog.jp/rihosunmoon/index1_0.rdf
P R