過不足なく覆ってはくれない

April 06 [Sun], 2014, 10:05
症状が残らなければならないのは主体がけっして話す存在であることをやめられないからだ。言語のうちに住まうと同時に言語によって棲みつかれている生命体である話す存在は、言語が現実的なものの全体を過不足なく覆ってはくれない以上、つねにその破れ目、言語という構造のなかの欠如を通じて現実的なものに接することを余儀なくされる。いや、このように現実的なものに接することは、主体が言語によって完全にヴァーチャル化されてしまわないために、むしろ欠かすことができない。言語に密閉されて生きること、言語のみに根拠づけられて生きることは、人生は夢にすぎぬと言うことと変わらない。問題は、象徴界の不可能というラカンによる定義が示すように、私たちは現実界を思い通りにすることができないということだ。だからこそ、症状が必要になる。象徴界の構造の穴を通じてしばしば私たちに肉薄する現実界、とりわけ私たちの身体の内部から衝迫する欲動のそれを、ラカンは享楽と名指した。神経症の主体において、症状とはほんらい、主体をとらえた享楽をいわば飼い慣らす装置である。

向かい合わねばならない相手

April 02 [Wed], 2014, 11:28
フランスの精神分析家が向かい合わねばならないほんとうの敵が誰なのか。フランスではTCCと略記される認知行動療法だ。フランスにおよそ一三○○○人いる精神科医のうち、三分の二は精神分析的治療を行い、残る三分の一が認知行動療法を行っているという。ただし、これは精神科医にかぎった数字であり、精神科医でない精神分析家・精神療法家も含めれば、フランスにおける精神分析的オリエンテーションのプレゼンスはもっと高くなるだろう。この割合がすでに逆転したアングロサクソン圏や北欧の国々の状況に照らしてみれば、フランスがむしろ例外であることは否定できない。厚生省所管の国立研究所を通じて精神分析に攻撃を仕掛けてきたのは、それゆえ、フランスにおいていまだマイノリティの地位に甘んじながら、他の欧米諸国並みのポピュラリティを獲得したいと願う認知行動療法の実践家および支持者なのだと見てよい。これらの人々が精神分析に向ける執拘な敵意の最初の顕れにすぎなかった。精神分析家たちからの激しい抗議を受けて、時の厚生大臣フィリップ・ドゥーストブラジーが厚生省のホームページから報告書を削除した以降も精神分析へのあからさまな攻撃を続けた。


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