楽しい一日でした 

2005年12月30日(金) 21時32分
はじめに、私たちの子供の障害や病気のことを来てくれた子供たちに話しました。子供たちは真剣に耳を傾けて聞いてくれました。私たちが伝えたいこと・・それは病気や障害を持っていることを少しでも理解して偏見などがない世の中にしていきたいという願いです。 実際、娘は学校で弟のことを「心臓病の子って大人になったら変な顔になるんだよ!」と友達にいわれ、「心臓病で何が悪いのよ!何にも知らないくせに!」と言い返したそうです。 今日ここに来た子供たちに‘生きる’ということを肌で感じてもらいたい。 自分の目で見て感じてもらいたい。それだけでも今日のために苦労した事が報われるのです。ゲームや歌を歌ったり、紙芝居を読んだり・・子供たちは笑ったりとても楽しそうにしていました。最後にくじ引きをしてプレゼントをあげました。大成功に終わりました。

大成功です! 

2005年12月26日(月) 21時41分
 当日は朝から家族総出で会場の準備にとりかかった。壁面にモールをたくさん飾りつけ、クリスマスツリーやバックミュージックのCDをセットし、子供たちが来るのを楽しみに待っていた。ところが、開始時間を30分過ぎてもお願いしていたボランティアさんも子供たちも現れないのである。・・・やっぱり駄目かとあきらめかけた時次々と子供たちが集まってきた。子供は全員15人位になり、道に迷っていたというボランティアさんもやってきて、いよいよクリスマス会も始まりを迎えるのである。

準備に追われてます 

2005年12月14日(水) 21時35分
 それからというものの、毎日チラシの刷り直しや差し替え、クリスマス会の準備や打ち合わせ、買出し等・・・毎日忙しい日々を送っております。 今日はケアプラザの掲示板にPRチラシを貼らせてもらうために行きました。
最近うちの子は風邪をひいて調子悪いです。クリスマス会本番当日までに、なんとか回復してくれることを祈るのみです。

こあら 第一回目 

2005年12月10日(土) 20時56分
 まもなくして、記念すべきこあら活動日第1回を迎えた。私と彼女とお互いの子供と、あとうちの次女。全部で5人。 そしてボランティアセンターの人とボランティアさんが2人
でやってきた。私たちは進行も不慣れな状態で、ガチガチのまま手遊びや親子マッサージ、歌を歌ったり・・その後はボランティアさんに紙芝居を読んでもらい、私たちはボランティアセンターの人を交えて打ち合わせをした。 「障害児と限定してしまうのではなく、いろんなお子さん受け入れてみたらどうですか?」ボランティアセンターの人の提案に私たちも大賛成だった。障害児も健常児もあたりまえのように交流をもてる。。いままでそんな場所や機会ってあまりなかったよね

現実は・・・ 

2005年12月09日(金) 19時57分
 療育センターの仲間に活動日の連絡をしたら、皆来れるという返事だった。 実際活動日が近づいてくると、次々と「うちは来年保育園入れるから・・」とか「PT(リハビリ)OT(作業訓練)があるから・・」とか「車がないから行けない」とか「遠いから・・」とか次々と理由をつけて離れていった。 誰だって面倒くさい事はしたくない。 うちの息子だってPTだって通ってるし、病院だって2箇所も通ってる。息子はPTも病院も痛い思いをするから大嫌いだ。 いつも楽しい笑顔でいっぱいにしてあげたい。私は息子のために・・病気や障害を抱える子や家族のために、あきらめるわけにはいかないんだ。私と行動をともにする彼女も同じ思だった。 この子たちの世界をもっともっと広げてあげたい。 会の活動のために私たちは支援者を集めることにした。

肢体不自由児の会 こあら 

2005年12月08日(木) 21時53分
私たちは、自分たちで居場所作りをすることにした。会の内容を決めたり、会員募集のチラシ、活動場所の設定など‥区役所や区の社会福祉協議会に協力やアドバイスを求め、子供たちを連れて何度も足を運んだが正直相手にもされていないようだった。 「そんなことして何の意味があるの?」「3歳になったら、みんな療育に行くんだから・・・」 ある保健婦のことばは、私たちの生活の現実を知らない考えられないものだった。私たちの子供は病気や障害があり、外で自由に遊んだりできません。私たちだって、相談し合える仲間が欲しいのです。わたしたちの子供も普通に友達が欲しいのです。

障害の違い 

2005年12月07日(水) 21時38分
地域活動ホームにはじめて訪問することになった。その日は朝から雨で室内での活動を見学した。別室では車椅子に乗った知的障害の若者が数名いて、何か作業をしていた。ソーシャルワーカーの人に案内された場所は冷たい床のホールで、子供たちが数名裸足で走り回っていた。始まる頃には10数名の親子が歌を歌ったり、サーキットレースという障害物競争をしたり、楽器を使って遊んだり。。。この訓練会は知的障害児が中心となっていて、とても肢体不自由児が参加できる状況ではなかった。私たちの住む町には、肢体不自由児が参加できる訓練会もサークルも何もなかったのだ。私たちだって仲間と交流したり、情報交換をする場所が欲しい。そんな願いをもってから、一つの希望が生まれたのだ。

一歩前進 

2005年12月06日(火) 20時34分
療育センターにリハビリに通い、9月からは3ヶ月間限定のグループ活動のプログラムに参加することになった。 歩行のできない肢体不自由児のクラスである。6人の少人数グループだったが、病院での度重なる検査や採血が息子を極度の人見知りにし、回数を重ねてもなかなか慣れず、泣いてばかりいた。           不安と焦りの中、心の支えになったのは同じグループの母親だった。9月にカテーテル検査、10月に大動脈弁に対するカテーテル手術を受けグループをお休みする事が多かったが、11月に入りグループ活動が終わりに近づく頃になるとようやく慣れてきたようだった。息子にとってはよい社会勉強になったので、今後も障害を持った仲間と活動していきたいと願い、地域活動ホームで活動している訓練会を見学させてもらうことになったのだが。。。

母があなたにできること・・・ 

2005年12月05日(月) 21時32分
2003年2月4日わが子は心臓病と障害を持って、この世に生をうけました。何度も入退院を繰り返し、10ヶ月の時に僧帽弁の弁置換手術を受けて一命をとりとめました。 その後も肺炎や気管支ぜんそくを繰り返し何度も入退院を繰り返し、肺の機能の低下のため、在宅酸素や吸引をしてあげなければ、自宅で過ごすことができない状態が続いていました。。。1歳6ヶ月ごろようやくお座りができるようになり、体力もつき入院の回数も減りました。その後まもなくずりばいができるようになり、2歳のお誕生日がすぎた頃にはハイハイをはじめていました。現在2歳8ヶ月になり、つかまりだちができるまでになりました。                                               物語のはじまりはここからです。秋から通い始めた療育センターで新たな出会いから始まったのでした。
P R
2005年12月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新コメント
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:remoto
読者になる
Yapme!一覧
読者になる