雲居寺

April 20 [Thu], 2017, 9:00
  ※雲居寺全景

この辺りは閑静な住宅街に囲まれており、雲居寺の通り沿いの山門を入ると玉砂利が敷かれた静かな境内となっている。正面に新しい本堂があり、本尊は薬師如来。
 本堂左横に「五百羅漢堂」が、右横に市の保存樹のソテツがありる。五百羅漢堂は、堂内一杯に色彩豊かな五百羅漢像が安置されており必見である。五百羅漢は、明治時代に信者により寄進されたもので、羅漢というのは諸煩悩から開放され悟りを得た聖者のことである。
 雲居寺は、織田信長に仕えた服部小平太の菩提寺でもある。服部小平太は織田信長の馬廻り役(親衛隊)の一人であり、1560(永禄3)年、信長が桶狭間の戦いで、今川義元の本陣を襲撃した時、義元に一番槍を付けた武者である。


  ※山門


  ※本堂


  ※五百羅漢堂


  ※ソテツ


        服部小平太の墓

一般的に伝えられる服部小平太の生涯は、豊臣秀次の家臣として1595(文禄4)年の秀次失脚事件に連座し、上杉景勝に預けられた後、切腹を命じられるが、浜松にある小平太の墓にはちょっと違った生涯が記されているというので行ってきた。
 現地案内板には、服部小平太は1560(永禄3)年5月19日の「桶狭間の戦い」で、織田信長の家臣として毛利新助らと共に、今川義元を討ち取った功労者であった。この地方が徳川の勢力下に入ると、小平太は信長亡き後家康の家臣として、勲功によりこの地を治めた。
 もともと今川領だったこの地方には、桶狭間に出陣して戦死した者もあり、小平太に恨みを持つ者もあった。1587(天正15)年6月18日、小平太は単身この地を巡視の折、長坂の途中で暗殺された。その場所は墓より数十b上にある。祥栄院殿湖雲浄鑑大居士と刻まれているこの墓は、初め二代中保正により建てられたが、七代中保貞が新たに建て直したものである。墓から北へ200bの所に小平太を祀ったとされる宗安寺の跡がある。

  ※9区地区コミュニティ防災センター前より墓所を望む


  ※防災センター裏の案内看板


  ※服部小平太の墓説明板


  ※服部小平太の墓


  ※防災センターから北へ約 100bほどに旧姫街道がある


  ※姫街道を上がると小平太最期之地碑がある:右が姫街道


  ※姫街道のこの場所で小平太は暗殺されたという


  ※服部小平太最期之地説明板


  ※小平太最期之地碑


  ※旧姫街道から北へ約 100bほどに宗安寺跡入口がある


  ※新谷の宗安寺説明板

現地案内板から:新谷は江戸時代には落合の渡しの宿場町でした。この新谷を見下ろす丘の上にあった宗安寺は、1560(永禄3)年「桶狭間の戦い」で、今川義元を討ち取った服部小平太中安次がまつられた寺でした。明治時代の廃仏毀釈により、現在は石段と庭の一部、石仏が残っているだけとなりました。


  ※参道の途中を道路が横切る


  ※宗安寺跡:廃屋は寺の建物ではない


  ※寺跡の片隅にあるお地蔵さん


      ◇雲居寺【所在地】愛知県津島市北町 32
   ◇服部小平太の墓【所在地】静岡県浜松市北区細江町中川 5540



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